第6話 旅立ちの鐘、高らかに
悲鳴を上げ、瓦礫の間を縫うように逃げ惑う人々。容赦無く牙を剥く魔物の群れ。懸命に立ち向かう騎士たち。三者が入り乱れるテルティスの市街地は、かつてない程に揺れている。
だが、混乱が長く続くことは無かった。突如として街全体を包んだ光によって、辺りは水を打ったように静まり返ったのだ。そこにいる全てのものが立ち尽くし、光を見上げている。
次の瞬間、街中に断末魔が響き渡った。辺りでは魔物たちが次々に息絶え、砂と化している。そうして光が消えた時、テルティスに侵入していた魔物は全て消滅していた。
「……終わった、のか?」
そこにいた一人が小さく呟く。目の前の状況を確認するように、言葉を噛み締めながら。
「俺たち、助かったんだ!」
「何だかよく分からないけど、もう魔物はいないのね!」
波紋が広がるように安堵が伝播し、至る所から歓声が上がった。手を取り合って喜ぶ者、緊張の糸が切れてその場にへたり込む者。取る行動は違うが、その顔に浮かぶものは同じ。皆が晴れやかな笑顔を浮かべている。そんな彼等の声は、神殿の中にまで聞こえてきた。
疲労困憊の状態から幾分か回復したものの、未だルイファスに支えられたままのイリア。彼女は不安そうに市街地の方を向き、自分の肩を抱く彼の顔を見上げた。
「一体、何が起こったのかしら」
「上手く状況が掴めないが、最悪の事態が避けられたことは確かだな」
ルイファスの言葉にジャッキーが満面の笑みを浮かべ、ルナティアは頬を緩ませて頷く。彼等の様子でようやくイリアも胸を撫で下ろし、長く息を吐いた。
その時、彼女たちに近付く足音が響き渡る。音の主は神騎士団所属の騎士。彼はイリアの姿を認めると、その速度を上げた。
「クロムウェル団長、こちらにいらっしゃったんですね。っ、グレイシス副団長!?」
血の海に横たわるロメインに視線を落とすと、彼は大きく目を見開かせて息を呑む。だが、ルナティアの「大丈夫、生きていますわ」の言葉に、ホッと息を吐いた。
「ところで、私を捜していたようですが?」
「はい。大司教様がアクオラに戻られ、今回の件について報告を求めておられます。それを、クロムウェル団長及びグレイシス副団長に伝えるよう、ブラック団長から仰せ付かりました」
「分かりました。すぐに――」
「いや、昼過ぎになると伝えてくれ」
会話にルイファスが割って入り、イリアと騎士、二人から視線を浴びる。彼女の方は睨むように目を細め、ルイファスを非難する。一方の騎士は、彼女の様子をじっと見ていたかと思えば、「承知しました」と頷き、踵を返した。
すると彼女の目は、ますます鋭さを増していく。そしてそのまま、素知らぬ顔のルイファスに激しく抗議した。
「ちょっと、ルイファス。大司教様に呼ばれているのよ? すぐ行かなきゃいけないのに、余計なことを――キャッ!?」
言葉の途中で予想外の浮遊感に襲われ、咄嗟にルイファスにしがみ付く。だが、彼に抱き上げられていることに気付くと、胸板を押し退けて抵抗を始めた。
だが、彼の態度は変わらない。それどころか、煩わしそうに腕の中の彼女を見下ろしてきた。
「暴れるな。落ちても知らないぞ。だいたい、一人で立てない癖に何を言っているんだ」
「もう立てるわよ! だから下ろしてちょうだい」
「へぇ……」
彼は目を細め、挑発するような表情を浮かべる。そして静かに彼女の足を床に着け、手を離した。
すると、彼女が立ったのも束の間、力が抜けたように座り込んでしまう。あまりの恥ずかしさと悔しさに俯き、奥歯を強く噛む。肩を小刻みに震わせながら耳まで赤くしている様が、彼女の思いの強さを物語っていた。
彼は何も言わずに再び彼女を抱き上げると、これ見よがしにため息を吐く。その時、ルナティアが「イリア」と優しく呼びかけた。
「少し休みなさい。逸る気持ちも分かりますが、そんな状態では何も出来ませんわ」
イリアの頬に手を添えた後、彼女の目を隠すように覆う。しばらくして手を放した時には、深い眠りに落ちていた。
ルナティアからため息が漏れる。弱めに調節した睡眠の魔術と、おまじない程度の神聖魔法。普段の彼女ならこんな処置は必要無いのだが、今は状況が異なる。
「いつものイリアだったら、こんな時でも、もっと冷静でいられた……ということは、ヘレナ様に何かあったんですね」
一連のやりとりを見ていただけのジャッキーでさえ、核心に触れるのは容易だった。
静かに、はっきりと言い切る言葉。それを聞いたルイファスとルナティアは視線を合わせ、伏せた。彼には隠しきれない、そう悟ったのだ。
「……ええ、実は――」
痛々しげに呟くルナティアの声が、ジャッキーの胸をきつく締め付ける。彼は悲痛に顔をしかめながら、イリアの寝顔を見つめていた。
市街地に平和が戻ったことを見届け、自室へ戻ったアイラ。彼女は手早く着替えを済ませ、腰のベルトにナイフを装着する。
ちょうどその時、窓に小石が当たったような音が響いた。顔を上げたアイラが窓を開けると、一羽の鷹が部屋に飛び込んでくる。濃い茶の羽に金の瞳。鷹は部屋をぐるりと一回りし、窓際の止まり木で羽を休める。それを見て、アイラは小さく微笑んだ。
「おかえり、ホークアイ」
「ただいま、姐さん」
部屋の中に少年の声が響く。驚くべき事に、彼女の目の前にいる鷹から発せられた。だが彼女は当然のように聞き入れ、笑みを深める。すると、ホークアイは「くうぅっ」と唸り声を上げた。
「やっぱり良いねぇ。姐さんのその姿! 惚れ直しちゃうよ!」
動きやすさを重視した彼女の戦闘服は、体のラインが浮き出ている。また、両側にスリットの入った膝丈のスカートから覗く太腿にもベルトが巻かれており、ナイフの鞘が見え隠れする。普段の彼女にしては大胆な格好だ。
「まったく、調子の良いことを……」
「本当だって! もちろん、普段の姐さんも良いけどね。にしても、本当に酷い目にあったよ。明け方になって、とんでもない音がキンキン聞こえてきてさ。気が狂いそうだったよ!」
鷹に表情は無いが、声の調子から苦虫を噛み潰したような顔を想像し、思わず苦笑してしまった。だが、ホークアイの何気無い一言にハッとし、顔をしかめる。
「気が狂う、か……」
「姐さん?」
「動物にしか聞こえない音……だが、それにしてはやけに大掛かりだな」
眉間に深いしわを寄せて考え込むアイラの顔は、近寄り難い雰囲気を放っている。その様子を、ホークアイは遠巻きから眺めるように見つめていた。
ベッドの中で目を覚ましたイリア。ぼんやりした表情で窓の外を向けば、太陽は随分と高いところまで昇ってしまっていた。
次の瞬間、目を見開いて飛び起きる。そして感じるのは、体が軽くなっていること。驚いて視線を落としていたが、思い出したようにベッドから降りて旅支度を始めた。
彼女が真っ先に開けたのは、机の引き出し。片手に乗る程の箱の中から指輪を取り出した。それは騎士になったお祝いに、ヘレナからプレゼントされたもの。彼女曰く、指輪を装飾する小さな石には、身に着けた者を守る魔力が宿っている、とのこと。
壊れものを扱うように手に取ると、愛しそうに、苦しげに胸に抱く。目尻に滲んだ涙を拭い、指にはめた瞬間、優しく温かな空気に包まれた。まるで、ヘレナの腕の中にいるかのよう。
旅の支度を整えた彼女は、鞘に収まった剣を抜き、目の前に掲げた。刀身は太陽の光を受け、美しく輝いている。世界に二つとない聖剣・エクスカリバー。
(ヘレナ様は必ず私が助ける!)
静かに目を閉じ、誓いの言葉を深く心に刻み込む。ちょうどその時、ノックの音が響いたことで意識が現実へと引き戻される。扉を開けると、イリアがよく知る三人の男女が立っていた。
思ってもみなかった来訪に、イリアは驚きを隠せない。その時、真ん中に立っていた少女が抱き付いた。
「ジャッキーからイリアちゃんが倒れたって聞いて、心配したんだよ!? でも、もう大丈夫そうだね」
「ジュリアにも心配掛けちゃったみたいね……。それにしても、どうしたの? 皆揃って」
爽やかな笑みを浮かべるジャッキー。イリアの手を握りながら、にっこりと微笑むジュリア。無表情ながらも輪の中に収まるエドワード。こうして四人が揃ったのはいつぶりだろうか。
一人不思議そうなイリアに、ジャッキーは苦笑し、ジュリアは眉をひそめた。
「久しぶりに揃ったからって、どうしたの、は無いだろ?」
「そうだよ。しばらく会えなくなっちゃうんだよ?」
「そう……知ってたのね」
「ああ、ルナティアさんから事情は聞いたよ」
「そういうことだ。俺はもう行くぞ。用件は済んだからな」
「あ……わたしも、もう行かなくちゃ……。じゃあ、イリアちゃん、気を付けてね。あんまり無理しないでね」
「ありがとう、二人とも」
礼の言葉を背中で受け取り、歩を進めるエドワード。ジュリアは再びイリアを抱き締めると、名残惜しげに手を離す。そして微笑み合うと、彼女もまた去って行った。
こうして一人残ったジャッキー。イリアは彼にも礼を言おうと口を開くも、それよりも早く、彼の方から声が上がった。
「今回のことと関係があるか分からないけど……俺、昨日の夜は西の塔の当番だったんだけどさ……見たんだよ」
「見た……って、何を?」
含みのある声と、いつになく真剣な眼差し。そんな様子に、イリアは不思議そうに首を傾げた。そして彼は続ける。
「白いドラゴンだよ」
「白いドラゴン? でも、この大陸にドラゴンなんていないわよ?」
「俺も見間違いかと思ったさ。だけど鳥にしては大きかったし、本で見た通りの外見だったし。それに、神殿が襲われる少し前に空に現れて、魔物が街に侵入すると消えていたんだ。おかしいだろ?」
「そうね……何かの手掛かりになるかもしれないわね。ありがとう、ジャッキー」
彼の言葉を疑うこと無く、イリアは柔らかな笑みを向ける。彼女の素直な感謝の気持ちに、彼は照れ臭そうに頬を掻いた。差し出された手を前にして、彼は一瞬だけ迷うような表情を見せた後、そっと握り返した。
ところどころにマメがあるが、やはり女性の手だ。剣を持つにしては些か華奢である。いつの間にか、ジャッキーの手に力が入っていた。
それに応えるように、イリアもしっかりと握り返す。そうして部屋へ戻ると、荷物を持って再び外へ。鍵を閉めた彼女がもう一度だけジャッキーを見つめ、微笑むと、静かに足を踏み出した。
「イリア!」
ジャッキーの声が廊下に響き渡る。イリアが振り返ると、彼はいつもの人懐こい笑顔を浮かべていた。
「絶対、ヘレナ様と一緒に帰って来いよ! 俺たちはここで待ってるから」
「ええ、必ず帰るわ」
二人の顔から、ほぼ同時に笑みが零れる。胸にじんわりと広がる、優しくて心地よい温もりを感じながら、イリアは静かに踵を返した。
一方のジャッキーは、彼女が階下に消えるまで、その背中をじっと見つめていた。
至る所で壁や柱が崩れ落ちた神殿の中を抜け、噴水広場へ差し掛かる。そこは遠方の参拝者はもちろん、テルティスに住む全ての者にとっても憩いの場となっている。通常であれば、あちこちから談笑する声が聞こえてくるものだ。
だが今は、美しかった噴水は瓦礫と化し、漏れた水が地面に川を作っている。閑散としていて、今までの活気が幻であったかのようだ。
その噴水広場の向こう。アーチ状の正門のところにルイファスが凭れ掛かり、アイラやルナティア、フェルディールと話をしていた。
不意に、アイラの肩に乗っていたホークアイと目が合う。甘えるような声で名前を呼びながら飛んで来た彼を肩に乗せ、小走りで彼等の元に向かった。
「ごめんなさい。ジャッキーたちと話していたら、少し遅れてしまって」
彼女の言葉に、ルイファスは顔をしかめる。今この時、友人とただお喋りをしている暇は無いはずだ。
彼の心情を察し、イリアは「もちろん、ただお喋りをしていた訳じゃないわ」と言葉を続ける。
「どういうことだ?」
「昨夜はジャッキーが西の塔の当番だったんだけど、空に白いドラゴンが現れたって言うの。その少し後に神殿が襲われ、街に魔物が侵入するようになると姿を消していたらしいわ」
「そんなもの本当に見たのか? ドラゴンなんて信憑性に欠けるな」
「いや、そのことも調べてみよう。私はどうも引っ掛かるからな」
「俺も手伝うよ!」
「ありがとう、アイラ。ホークアイもね」
アイラの情報網と調査能力は、ここにいる全員が信頼を置いている。影から支えるような働きがあるからこそ、安心して動くことが出来るのだ。非常時となれば、尚更心強い。
ホークアイは人間の言葉を操ると同時に、動物とも会話をすることが出来る。情報収集の幅が広がる上に、相手にはドラゴンもいるという。彼に掛かる期待も自然と大きくなる。
「ルナティアは神殿に残って、怪我人を看てあげて」
「ごめんなさいね。本当なら一緒に行くはずでしたのに……」
「気にしないで。ルナティアはヒーラーたちを纏めなきゃいけないんだから。それで、フェルディールもここに残って欲しいの」
「はあ!? 俺もかよ!」
申し訳なさそうに眉尻を下げるルナティア。対照的に、フェルディールは憤慨した。当然、彼女等と共に行くとばかり思っていたのだ。
その時、彼は刺すような視線に貫かれた。
「何か文句があります?」
視線を送っていたのはルナティアだった。いつもの柔和な笑みを浮かべているが、目だけは恐ろしい程に冷たい。流石のフェルディールも首を横に振るしかなかった。
それを見た彼女は、いつもの穏やかな空気に戻る。すっかり大人しくなった彼に、イリアは思わず苦笑した。
「フェルディールは復興作業を手伝いながら、内通者がいないか調べて欲しいの」
「どういうことだ?」
「敵は神殿に侵入して結界石を破壊したのよ。考えたくないけど、可能性はゼロじゃないわ」
結界石が安置されている部屋に繋がる通路は、幾つもの偽物が存在する。それが開かれると警報が響き、罠が作動する仕組みになっている。もちろん、通路の正確な場所は機密情報だ。
「分かった。こっちのことは任せとけ」
「お願いね、フェルディール」
「私も調べてみますわ」
「ありがとう、ルナティア」
それぞれの役割は決まった。イリアは真剣な表情で彼等一人ひとりの顔を見回す。
「相手はグレイシス副団長の精鋭チームを壊滅させた実力者よ。十分気を付けて。……それじゃあ行きましょう、ルイファス」
「ああ、まずはアクオラへ向かうとするか」
見送る三人に背を向け、イリアはルイファスと共に歩き出した。ヘレナの無事を祈り、神殿を襲撃した犯人に激しい怒りを燃やしながら。
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