第5話 光に包まれて

 心の底から楽しそうに、ニィッと笑う死霊使い。勢いよく大鎌を降り下ろし、ロメインの息の根を止めようとした、その瞬間。


「っ!?」


 ハッと息を呑んだ死霊使いの手が止まる。同時に、漆黒のローブを纏う襲撃者たちは顔を跳ね上げ、周囲を窺った。

 第三者の気配。だがそれ以上に気に掛かるのは、自分たちを包む不可思議な空間。若干ではあるが、一帯の空気の密度が増したように感じられる。

 初めての感覚に戸惑い、思考が止まったのは、僅か一瞬のこと。だが戦闘において、その隙が命取りとなる。


「うっ!」


 大鎌を持つ手に弓矢が刺さると同時に、それを目掛けて雷が落ちる。思わず手を放すと、乾いた音が辺りに響いた。彼の小さな手は酷い火傷でただれ、苦痛に歪んだ口元が激痛の程を物語っている。

 立て続けに、今度は頭上から幾つもの炎の矢が降り注いだ。矢は床に落ちた瞬間、炎が火花となって弾け飛ぶ。魔術師が手を振り払うと、儚く消えていった。


「目眩ましか……」


 魔術師が忌々しげに舌打ちする。彼等が弓使いの狙いに気付くも、もう遅い。既に何者かが飛び込んで来た後だった。ギリギリまで気配を断ち、剣を抜いて捕食者の如く敵を見据えるイリアだ。


「ハッ、今度は一丁前に奇襲かよ?」


 剣士は素早く反応し、反撃の態勢を取る。居合い斬りの構えで踏み出そうと、足に力を込めた。

 だが、彼女は間合いを外して立ち止まる。そして剣を掲げると、床に突き立てた。


「何!?」


 突然、床が隆起する。そうかと思えば、それが槍となって足下から襲い掛かってきた。攻撃を回避すべく、舌打ちと共に三人は高く跳躍する。

 次の瞬間、イリアの口角が僅かに上がる。すかさず彼女が剣を薙ぐと、風が刃となって彼等を斬り裂いた。そして頭上からは、炎に代わって光の矢が降り注ぐ。

 こうなってしまえば成す術は無い。三人は上下からの攻撃をまともに食らい、床へと叩き付けられた。


「クソ、どうなってやがる」


 三人は呻き声を上げ、静かに歩いてくるイリアへと顔を向ける。彼等はこの状況を全く理解出来ずにいた。

 剣士である彼女が詠唱も無しに魔術を操り、属性の違う攻撃が間髪入れずに襲い掛かる。こんなことは初めてだ。

 イリアは床に伏せた襲撃者の前で立ち止まると、彼等に剣を向けた。彼女から発せられるのは、酷く冷たい殺気。それにも関わらず、目の奥には噴火前のマグマのように憤怒の感情が渦を巻いている。


「神殿襲撃は貴方たちの仕業ね。ヘレナ様はどこ? 答えなさい」

「チッ、ガキが大層な口利きやがって……」

「口の利き方が分かってないのは貴方の方よ。それとも、このまま死にたいの?」

「殺れるモンなら殺ってみな。やっぱりてめぇはガキだったって笑ってやるぜ」

「っ、貴様……!」


 剣士の挑発を受け流せる程、今のイリアは冷静ではない。このままでは本当に、感情に任せて斬り捨てかねない。

 彼女の元に駆け寄ったルイファスは、今にも剣を振り上げようとする腕を掴む。そして、諭すように声を掛けた。


「落ち着けよ。こいつの挑発に乗って、軽はずみな行動を取ったらどうなるか、分かるだろう?」

「言われなくても分かってるわよ! でも……!」


 彼等のせいでヘレナは行方不明になった。それを思うと、抑えきれない程の激情に駆られ、脆くなった理性の糸が切れそうになる。

 ルイファスに肩を叩かれ、いくらか間が空いた後に、イリアは剣を下ろした。奥歯を噛み締め、拳に力を込めながら。それでも気持ちは鎮まらず、その後も三人を睨み続けていた。

 その時、辺りにふわりと風が吹いた。次に感じたのは、何らかの魔術の気配。そうかと思えば、襲撃者の下に青白い光の魔法陣が現れ、光の粒が彼等を包んでいた。


「これは、まさか……!」


 何かに気付いたイリアが動くより早く、一層強くなった光が三人の姿を完全に覆い隠した。そして、それが弾けると同時に一陣の風が吹き抜け、血の臭いさえも流していく。残されたのは静寂だけだった。

 その中で彼女は眉をひそめ、おもむろに口を開く。


「あの魔法陣、見覚えがあるわ。ヘレナ様に見せてもらった魔術書に描かれていた。転移魔法よ」

「だが、それを使える奴はほとんどいないんだろう?」

「ええ、そのはずなんだけど……」


 転移魔法を扱える人間は極端に少ない。術の構成が複雑な上、失敗した時のリスクが高過ぎることも原因の一つに挙げられる。一般的には文献の中の魔術という印象だ。

 だが現実に、その魔法陣が襲撃者の下に描かれていた。これは由々しき事態だ。卓越した技術を持つ魔術師が仲間にいる、ということなのだから。

 息が詰まるような沈黙の中、彼女等は三人がいた場所を呆然と見つめていた。




 いつの間にか太陽が完全に顔を出し、世界に光を照らす。


「ちょっと、まだなの? いつまで待たせるつもり?」


 苛立ちに満ちた女の声。彼女は桃色の髪を弄りながら、眼下に広がる白亜の神殿を睨みつけていた。横笛を持つ右手は小刻みに震えている。

 そんな女の後ろで、前髪を掻き上げる男が一人。明るい茶髪は日の光で美しく輝いている。彼は同じように見下ろし、顎に手を添えた。


「そうだね……ちょっと時間が掛かっているね。久しぶりの大きな戦場だし、いつもより余計に暴れているのかも」


 女の鋭い視線が呑気な男を射抜いた、その時。彼女の耳に笛のような甲高い音が長めに三度鳴った。作戦終了の合図。

 待ってました、と言わんばかりに女は横笛を唇に添え、音色を奏でる。その瞬間、あらゆる所から一斉に鳥が羽ばたいた。彼女は笛を下ろすと、周囲には目もくれずに足を進める。


「さ、帰ろっか。シロちゃん」


 女は移動した先でしゃがむと、おもむろに足元の白を撫でた。すると聞こえてきたのは、動物が喉を鳴らす音。シロちゃん――白いドラゴンが彼女の声に応えた音だった。

 次の瞬間、辺りに陽炎が浮かび上がる。始めは小さかった揺らぎは次第に大きくなり、ドラゴンを呑み込んでいく。そして一陣のつむじ風が吹くと同時に、その白い体躯は跡形も無く消えていた。




 広さの限られた塔の上で、襲い来る魔物を相手にし続けてきたジャッキーとルーカス。その甲斐あって数は減少しているものの、流石の若い二人も息を切らしている。

 そうして最後の魔物に止めを刺し、ようやく落ち着きを取り戻すことが出来た。肩で息をし、ふらふらになりながらも立ち続ける二人。彼等はどちらからともなく顔を見合わせ、笑みを浮かべた。

 すると、その時。至る所で木々がざわめき、鳥たちが一斉に羽ばたいた。一体何があったのか、と思ったのも束の間、市街地が騒がしくなる。

 彼等は疲れも忘れて、市街地が見える反対側へ駆け出した。そして愕然とする。


「おい、ヤバいぞ! 魔物が街の方にも向かってる!」

「行くぞ、ルーカス!」


 見たところ、周囲に魔物の影は無い。本来ならば、いかなる理由があろうと持ち場を離れることは許されないが、今は非常事態。ここで待機など出来るはずがない。二人は急いで踵を返し、塔を下りようとする。

 その時、神殿が襲われる前に見たドラゴンの姿が気になり、ジャッキーは空を仰ぐ。だがそこには、青い空が広がるばかりだった。まるで、始めから何も無かったかのように。




 神殿からさほど離れていない森の中。転移魔法によって難を逃れた黒いローブの襲撃者たちが、木に身を寄り掛けて体を休ませていた。

 そんな彼等に、四人目の黒いローブの人物が寄り添っている。その人物の手からは白の淡い光が放たれ、彼等の傷を癒していった。


「ふう……助かったぜ」

「あら、珍しいわね。貴方が礼を言うなんて」


 彼等の傷を癒していたのは女だった。彼女は優雅な仕草で立ち上がりながら口を開く。

 一方の彼は、口元に不敵な笑みを浮かべた。


「ひでぇ言われようだな。だが今の俺は、礼が言いたいくらいに機嫌が良いんだ。なんせ、とびきり活きの良い獲物を見付けられたんだからな」


 戦闘中に敵の前で倒れたことは初めてだった。しかも少女の前で。こんな屈辱、忘れようにも忘れられない。

 おもむろに、剣士がフードを取る。露わになったのは、真紅の髪。燃えるような紅とは対照的に、瞳の色は水のような青。その中の感情は狂気に満ちている。


「あのガキ、必ずこの剣の錆にしてやるぜ」


 男は剣を掲げ、狂ったように笑い続けていた。




 逃げる敵を見送ることしかできなかった瞬間から、どれだけ経っただろうか。ルイファスは倒れているロメインの方へ歩み寄った。

 血溜まりの中で横たわり、身動き一つしない。生き生きと部下に剣の稽古を付けていた姿は、今やどこにもいない。そんな彼を見つめ、悲しげに顔をしかめる。

 その時、彼はあることに気付いた。ほんの僅かだが、ロメインの胸が上下しているのだ。彼は急いで首筋に指先を当てた。弱々しいが、確かに脈がある。


「まだ生きてる……!」

「本当に!?」


 イリアは驚きと喜びで居ても立ってもいられず、彼等の元に駆け寄った。胸から脇腹にかけての傷の深さに眉をひそめるも、すぐさまロメインの傍らに膝を着く。そして床に剣を突き立てると、両手で柄を掴んで祈るように額を当てた。彼女はそのままの状態で深呼吸を繰り返す。


「癒しの光を司る精霊よ 汝の力を解放し 我に宿りて彼の者を照らせ ヒールライト!」


 彼女の詠唱に応えるように、剣を中心に白い光の魔法陣が浮かび上がる。しばらくすると、そこから小さな光の粒が生まれ、傷口へ吸い込まれていった。

 だが、光が強くなるにつれ、彼女の額には大粒の汗が滲み出る。時間が経つにつれて呼吸が乱れ、その度に光が揺らいだ。

 その様子を、ルイファスは固唾を飲んで見守る。その時、塔の出入口から男二人が駆け出して来た。


「イリア! ルイファスさん!」


 叫ぶようなジャッキーの声が、イリアの耳に届く。駆け寄る二人の足音がすぐ近くで止まるも、目の前の惨状に、彼等は言葉が続かなかったようだ。

 だが今の彼女に、周囲を気にしていられる余裕は無い。集中力を切らさないように細心の注意を払いながら、震える唇で声を上げた。


「お願いが、あるの……聞いてもらえる?」

「何だ?」

「地下の避難所から、ヒーラーを……ここに、連れて来て欲しいの。私の力じゃ、間に合わない、から」

「分かった、俺が行ってくるよ。すぐに誰か連れて戻るからな。ルーカスは先に行っててくれ! ルイファスさんは、イリアの傍にいてあげてください!」


 息も絶え絶えなイリアの声に、真っ先に名乗りを上げたのはジャッキー。彼はルイファスたちの返事を聞くこともせず、一目散に駆け出した。

 それを見て、ルーカスは踵を返す。だが、ルイファスに引き留められた。


「何かあったのか?」

「それが――」


 声をひそめ、ルイファスは問い掛ける。集中しているイリアに対し、余計な心配をさせないようにするためだ。それを察したルーカスも、同じように声をひそめる。

 そうして聞かされた言葉に、ルイファスは鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。市街地が魔物に襲われているという、最悪の事態に陥ってしまったことを知って。




 隠し通路の扉を開き、迷路のように入り組んだ道を走る。大人三人が並んでも十分に余裕があるこの道は、等間隔にランプが灯るだけで、夜の神殿のように薄暗い。だが、地下の地図は頭の中に叩き込まれているため、迷うことはない。

 助けに応えられるヒーラーを探し、石に覆われた空間に足音を響かせる。その音は焦る彼の心そのもので、それがさらに彼を追い詰める。

 最初のうちは、すぐに見付けられると簡単に思っていた。だが、立ち止まって話を聞く者は誰もいない。皆が目の前のことで精一杯なのだ。

 こうしている間にも、慣れない神聖魔法でイリアの体力が急激に消耗されていく。どんどん小さくなる、ロメインの命の灯火を消すまいとして。

 その時、向こうに立つ人物に、彼の視線は釘付けになった。


「ルナティアさん!」

「ジャッキーくん? どうして貴方がここに……」

「イリアの神聖魔法が追い付かないくらい酷い怪我をしている人がいるんです! でも、どのヒーラーも手が離せないみたいで……早くしないとイリアも……!」

「分かりました。私が行きますわ。急ぎましょう!」


 ジャッキーの酷く慌てた様子で、ルナティアはあらかたの事情を察する。彼女は近くにいたヒーラーに指示を飛ばすと、急いで彼の元へ駆け寄った。

 迷路のような道を、地上へ向かってひた走る。事の経緯を掻い摘んで話しながら。

 そうして彼等がイリアの元へ着いた時、神聖魔法の光は大幅に輝きを失っていた。


「イリア!」


 ジャッキーの声を聞いた瞬間、張り詰めていたものが切れ、イリアの体が後ろに倒れる。すんでのところでルイファスに支えられるも、ぼんやりと開かれた目は焦点が合っていなかった。呼吸も荒く、血の気も引いている。

 その間にルナティアがロメインの治療に取り掛かり、ジャッキーはイリアの元へ駆け寄る。そして、悔しげに顔を歪めた。


「ごめん、遅くなって……こんなになるまで無理させて……」

「貴方が気に病むことはありませんわ。イリアもよく頑張りましたわね。後は私に任せて、少し休むといいですわ」

「ルナティア……ありがとう。でも、私も行かなきゃ……街が襲われているのに、私だけ休むなんて出来ないわ」


 虚ろな顔をルナティアに向け、おもむろに首を振る。治療の途中、そこかしこで「街に魔物が侵入した」と怒号が飛び交っていたのだから。

 そうして立ち上がろうとするも、上手く足に力が入らない。それでも彼女は足掻き続けた。

 その瞬間、ルイファスの顔が険しいものに豹変する。そして彼にしては珍しく、不快感を露にしながら口を開いた。


「イリア、お前まだ――」

「馬鹿なこと言うなよ! そんなこと、させられる訳が無いだろ!?」


 ルイファスの声を遮るように、ジャッキーのそれが響き渡った。激しい怒りを撒き散らすような強い語調は、いつも優しくにこやかな笑みを浮かべている彼からは想像出来ない。

 突然の事で呆気に取られているイリアの瞳は、次第に揺れ始める。居心地の悪さに苛まれるも、それを打開するだけの言葉は浮かばなかった。

 そんな時、停滞した空気を斬り裂いたのは、それを生み出した彼本人だった。悲痛に満ちた顔で、じっと彼女を見つめているのはそのままに。


「俺がイリアの分まで戦う。だから、命に関わるような無茶はしないでくれ」

「こいつの言う通りだぞ。お前は少し休め」


 ジャッキーとルイファス。二人の真剣な眼差しが、イリアをさらに困惑させる。

 その時、テルティス全体に光が差す。目を開けていられない程の強さ。そして瞬く間に、一面が白に覆われたのだった。

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