第4話 走る戦慄

 テルティス領内でも一、二を争う商業都市アクオラ。ここは聖都テルティスの玄関口として、世界中から人や物が集まって来る。その港に一際大きな船が接岸したのは、ほんの少し前のことだった。

 そして現在。街の中央通り沿いに構える神騎士団の詰め所には、白髪の老人を先頭に、十数人の騎士の姿。だが彼等は一様に、怪訝そうな顔で室内を見つめていた。


「べリオス、これは一体どういうことかの?」

「は……申し訳ありません。ここを空けるという話は届いておらず、私ではお答えしかねます」


 老人は、彼のすぐ後ろに控える騎士――べリオス=ブラックに問い掛ける。だが返ってきたのは、歯切れの悪い答えと困った様子を伝える気配のみ。何事も白黒はっきりしている彼にしては、珍しい物言いだ。そして、この状況への呆れもあってか、老人は密かにため息を吐いた。

 最初に違和感を覚えたのは、出迎えの騎士が誰一人として来なかったこと。その原因を確かめるべく、こうして詰め所まで足を運んだのだが、そこは何故かもぬけの殻。必ず一人は待機するように、と指示されているにも関わらず、だ。

 ベリオスが詰め所に足を踏み入れた、ちょうどその時。


「あっ、ブラック団長! それに、フィリップ大司教様も!」


 建物の奥から一人の若い騎士が飛び出した。彼はベリオスたちの元へ向かう間、何回も机や椅子に体をぶつけていた。その焦り具合は口にも表れており、舌がもつれて上手く話せないでいる。

 その慌てた様子が見るに耐えず、ベリオスは眉を上げた。


「貴様、詰め所を無人にするとは何を考えている! レイ=ロズウェルは、皆はどうした!」

「は、はい! 隊長たちは、自分を残してテルティスへ応援に行っています」

「何? どういうことだ」

「今朝、神殿が魔物に襲われている、と連絡が入ったんです。そして自分は、団長に緊急の書簡を送ろうと便箋を捜しに行っていました。短い時間とはいえ、申し訳ありません!」


 魔物の王者、ドラゴンのような形相で詰め寄る勢いに圧倒され、焦りが吹き飛ばされたのか。若い騎士は背筋を伸ばし、一息に言い切った。

 それに対しベリオスたちは、衝撃的な内容に絶句してしまった。若い騎士の説明を半分程度しか聞き取れなかった者も多い。

 その時、老人――フィリップ=ランディはある疑問を抱く。彼はそれを確認しようと、雷を落とされた拍子で微動だにしない若い騎士をじっと見つめた。


「では、市街地の様子は? 何か聞いておるか?」

「それが不思議なことに、何の被害も無いとのことです」

「……なるほどな。大司教様、今の段階でテルティスへ戻るのは大変危険です。本日はアクオラで待機すべきかと」


 難しそうに顔をしかめるフィリップ。彼は騎士たちの視線を一身に浴びながら、聖都の空をじっと見つめていた。




「それって、魔物が何者かに操られているってこと?」


 ルイファスの話を聞いている傍らで、みるみるうちにイリアの表情が強張り、視線も険しくなっていく。確信を持って伺いを立てる瞳に、ルイファスはしっかりと頷いて見せた。


「ああ。破壊された結界石と殺された護衛の騎士、そして神殿だけが襲われているのが何よりの証拠だ。だがそれは、奴等がまだこの付近にいる、という裏付けにもなる」

「え、ちょっと待って。どうしてそんなことが――あ!」


『イリア、魔術を発動させるには、絶対条件が一つだけあるの。それはね――』


「魔術を発動させる時、対象を目視していなければならない……それが叶わない場合、魔術発動が可能な範囲は自分の魔力量に比例する……。いずれにしても、魔物を操る術者は近くにいるはず。そう、術者を捕らえることが出来れば、ヘレナ様に繋がる手掛かりが得られるのね!」


 聖剣エクスカリバーを手にしたイリアが、騎士としての道を歩むと誓った時。彼女は魔術師であるヘレナから、魔術の基礎を一通り教わっていた。だが、魔術が不得手なイリアにとって、その発動には制約が多い。そのため、前提となる条件など全く意識していなかったのだ。

 重大な事実を思い出したことで、大きく見開かれた翡翠色の瞳が息を吹き返す。


「だから時間が無いのね。早く術者を捜さないと、手遅れになるもの」

「そういうことだ。さ、行くぞ」


 軽く肩を叩かれ、彼女は力強く頷く。そして彼と共に、床を踏み締める足を勢い良く後ろへ蹴り上げる。駆け出したイリアの瞳は、ただ真っ直ぐに、まだ見ぬ真の敵の姿だけを見据えていた。




 口の字型の神殿は、門の正面に構える本殿と、その奥に位置する行政府が、回廊で繋がる造りになっている。その西側の回廊には大きな穴が開けられ、魔物が大挙していた。

 戦場の最前線において魔物の侵入を食い止めるべく奮闘するのは、神騎士団の精鋭たち。所属する全ての剣士、魔術師から選ばれた、戦闘のエキスパートだ。

 だが、そんな彼等でさえ、非常に厳しい戦いを強いられていた。


「くっそ、何なんだよ、こいつら! 倒してもキリがないじゃないか!」


 この場所に彼等が駆け付けて以来、一体どれだけの魔物を斬っただろうか。ここにいるほとんどの者が、数えるという行為を放棄してしまった。それ程までに魔物の勢力は強く、数は減少するどころか増加している。

 対照的に、騎士たちの戦力は疲弊するばかり。それを象徴するかのように、魔物の死骸と共に力尽きた彼等のそれが、何体も横たわっていた。

 中でも悲惨なものは、魔物に食われて一部が欠けていたり、内臓が飛び出している。誰のものとも分からぬ血溜まりが川を作り、辺りに腐臭が漂う。

 負の連鎖が彼等をじわじわと蝕み、自我を崩壊させていく。それに敗れて心に少しでも隙を作れば、その先には死が待つのみ。これは魔物との戦いであると同時に、自分との戦いでもあった。


「泣き言を喚くな! 手を止めるな! 足掻いてでも生きて見せろ!」


 部下たちを従え、剣を振るいながら男が吠える。神騎士団副団長、ロメイン=グレイシス。飾らない人柄、そして誰に対しても気さくで陽気な性格が受けて、多くの部下から慕われている。だが今は、彼の表情は険しく一変していた。

 その時、ロメインの補佐官であるアーサーが、隣からそっと口を挟む。


「ですが、グレイシス隊長。これだけ戦力の差が開いていては……! ここは増援を要請した方が賢明です」

「アーサーの言いたいことは分かる。それが最善だということもな。だが、どこから呼ぶつもりだ? レイたちの部隊は既に来ているし、市街地は最低限の人数を配置して、残りは戦闘中なんだぞ。……厳しいのは承知の上だ。だが、俺たちがやらなければならないんだ!」


 提言を却下されたアーサーは、それきり黙り込んでしまう。その時、自分に視線が集まっていることを感じた。振り返った彼を釘付けにしたのは、笑みを浮かべた騎士たち。

 それは、奇跡とも言える光景だった。失われかけていた希望の光が、再びその瞳に輝き始めたのだ。ロメインの気迫ある一喝が起爆剤となり、瞬く間に周囲の空気を盛り上げていく。


「大丈夫です、アーサー副隊長」

「そうですよ。俺たち、まだやれます!」

「団長が不在の時に、奴等に好き勝手させてたまるか!」


 次々に声を上げ、剣を握る手に力を込める。その目付きは、先程とは別人のように力強い。

 形勢は完全に逆転した。騎士たちが勢力を盛り返したことで、魔物を押し始めている。この調子なら勝てる――ここにいる誰もが確信していた。

 だが、その時。


「誰だ!」


 戦場にそぐわぬ無邪気な笑い声が、どこからともなく響いてきた。

 それに一早く反応を示したロメイン。弾かれたように辺りを見回すも、姿は見当たらない。気配すら感じられない。それが不気味さを掻き立てる。

 苛立ちと共にロメインがもう一度声を上げようとした、その瞬間。彼の背後を小さな影が横切った。


「そこか!」


 彼の剣が影を斬る。だがそれは、煙のように跡形も無く消えてしまった。

 そんな彼の姿に、高笑いが響き渡る。


「残念、ハズレー! 騙されてやんの! カッコわるー」

「くそっ、卑怯者め。姿を見せろ!」

「しょうがないなぁ。その代わり、みんな死んでもらうよ」


 年端も行かぬ男の子のケタケタと笑う声が、一瞬にして冷酷なそれに変わった。声が放つ強烈な殺気は、肌に痛みすら感じさせる。

 その時、壁の影から何者かが姿を見せた。夜の帳をそのまま映したかのような漆黒のローブに身を包み、フードを目深に被っている。唯一分かることは、その者がロメインたちに敵意を持っているということ。殺気を隠す素振りも見せない。


「みんな、どこ見てるのさ? ボクはこっちだよ」


 いつの間にか、先に現れた人物の隣に、小さな影が立っていた。同様のローブを身に纏い、その小さな手に握られているのは、身長を遥かに超える大鎌。死に神のような不気味な風貌に似合わず、可愛らしく口を尖らせている。

 その声の正体は、先程までロメインを嘲笑っていた張本人。

 少年はニヤリと笑みを浮かべると、体の前で大鎌を器用に回転させ、柄を己の影目掛けて振り下ろす。すると、急速に広がった彼の影の中から、何体もの生ける屍たちが這い上がって来た。思わず耳を塞ぎたくなるような、おぞましい呻き声を上げながら。

 それとほぼ同時に、死霊使いの隣の者が手を前に突き出した。そこに魔法陣の光が浮かび上がった瞬間、ロメインが床を蹴る。


「天空を駆ける刹那の光……」

「させるか!」


 生ける屍たちを斬り伏せながら、ロメインは一気に距離を詰める。剣を上段に構え、渾身の力を込めて振り下ろした。

 だが、彼等は微動だにしない。それどころか、死霊使いの笑みが深まった、次の瞬間。


「っ!?」


 血飛沫が舞う代わりに、甲高い金属音が響く。先程の二人と同じ、漆黒のローブを身に纏う剣士が、ロメインの剣を軽々と受け止めたのだ。驚愕のあまり、彼は思わず目を見開いた。


「へぇ……アンタ、なかなか強そうじゃねぇか」


 聞こえてきたのは、男の野太い声。彼は口元に不敵な笑みを浮かべ、ロメインの剣を弾く。己の大剣を肩に担ぎ上げると、満足そうに口元を引き上げた。

 一方、後ろに跳躍して剣士と距離を取ったロメイン。彼は剣を構えながらも、相手の一挙手一投足を注視している。その背中には、一筋の汗が流れ落ちていた。

 そんな上官の傍らに、アーサーが駆け寄る。そして、そっと囁き掛けた。彼の気を散らさないように、細心の注意を払いながら。


「グレイシス隊長」

「こいつは俺に任せろ。アーサーたちはあっちの二人と、怪我人の保護を頼む」

「了解しました」


 短く返事をすると、アーサーは素早く踵を返す。


「それじゃあ、ボクたちはあっちだね。どうせ、そのおじさんとやりたいって言うんでしょ?」

「おう。邪魔すんじゃねぇぞ」

「はいはい。しょうがないなぁ」


 言い終えるなり、魔術師と死霊使い、二人の黒い影がロメインの脇をすり抜ける。それから間もなく、彼の背後で戦闘が開始された。

 だが、ロメインと剣士だけは別世界にいるかのような、張りつめた沈黙に包まれている。しばらくして、静かな水面に波紋が広がるように、剣士の声が空気を切り裂いた。


「最期の会話は終わったな?」

「心外だな。俺は最期にするつもりは無いんだが?」

「いいねぇ……そういう強気な奴は嫌いじゃねぇ」

「お前に好かれても迷惑なだけだ。他を当たってくれ」

「ハハッ、言うねぇ」


 軽い口調で挑発を受け流すも、喉は乾ききっている。息も詰まり、何度も呼吸が乱れてしまいそうになる。だが、そのような姿を見せたら負けだ。汗が滲む手でしっかりと剣を握り直し、深く息を吐いた。

 そんなロメインとは対照的に、剣士は歯を剥いて笑う。そして挑発するように、切っ先を彼に向けた。


「俺は強ぇ奴と戦いてぇんだ。がっかりさせんなよ」


 次の瞬間、剣士の姿が掻き消える。そうかと思えば、再び金属音が響いた。彼の素早さに反応したロメインが、斬撃を受け流したのだ。


「この俺に付いて来れるのか。面白ぇ! やっぱ、戦いはこうでなくちゃなあ!」


 剣士が繰り出す斬撃を、ロメインはことごとく受け流す。だが防戦一方で、反撃の隙すらも見つからない。

 打ち合いの金属音が鳴り響く中、剣士は舌打ちを鳴らす。そして剣を受け止められた、その瞬間。ロメインの脇腹に強烈な蹴りを食らわせた。

 短い呻き声と共に顔が苦痛で歪み、膝を着く。咳き込みながら肩で息をする彼の頭上からは、酷く苛ついた声。


「つまんねぇ……つまんねぇ、つまんねぇ、クソつまんねぇ! ちったぁ攻撃してこいよ! それとも、このまま殺してやろうか?」


 未だ立ち上がることができないでいるロメインに、容赦無く剣が振り下ろされる。彼はかろうじて上体を起こし、すんでのところで受け止めた。

 しばらくは両者の力が拮抗していたが、ロメインは押し返しざまに剣を薙ぐ。それを軽々と避けた剣士は、荒い呼吸を繰り返す彼を見てニヤリと笑った。


「まだ諦めてねぇって目だな」

「当然だ……」


 ロメインは力を振り絞りながらよろよろと立ち上がり、肺の空気を出しきるように長く深い息を吐く。そして剣士を鋭く見据え、床を蹴った。再び甲高い金属音が鳴り響く。

 だが剣士の攻撃も、打ち込む度に重く、速くなる。例えそれを受け流したとしても、剣圧がロメインの服や肌を容赦無く裂いていった。

 そして何度目かの金属音が響いた瞬間、ロメインの剣が弾き飛ばされた。驚愕で目が見開かれる。


「しまった……!」


 鮮血が宙を舞う。ロメインが崩れ落ちる背後で、剣士は興醒めしたような様子で血を振り払った。そして漏れるため息。


「楽しそうに斬ってた割にはつまらなそうだね」

「そりゃそうだろ。揃いも揃って弱ぇ奴ばっかなんだからな。暇潰しにもならねぇよ。ま、コイツはちったぁマシだったが」


 どこからともなく死霊使いが現れた。剣士はロメインを見下ろしながら、落胆した声で吐き捨てる。そこへ魔術師も戻って来た。


「そっちも終わったようだな」

「最初は適当に相手をしていたが、面倒になってな。少し本気を出してまとめて始末した」

「おいおい、炎で消し炭かよ。えげつねぇなあ」

「本当だよ! おかげで全然使い物にならないし!」


 憤慨する死霊使いの後ろで煙が上がる。魔物も騎士も、誰一人として立っている者は無い。そして彼は、最後の望み、と言わんばかりにロメインに歩み寄る。様子を窺うようにしゃがみ込むと、感心したように声を上げた。


「このおじさん、まだ生きてるんだ。なかなかしぶといね」

「後はてめぇの好きにしていいぞ。もうコイツに興味ねぇからな」

「じゃあ、遠慮なく。一人くらいはコレクションに加えなきゃ、何のために来たのか分かんないよ」


 死霊使いは嬉々とした様子で剣士を見上げ、立ち上がる。そして口元に笑みを浮かべたまま、大鎌を振り上げた。ロメインに狙いを定めた刃先は、血に飢えているかのように鈍い光を放っている。次の瞬間、彼は勢いよくそれを振り下ろした。

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