第2話 紅の夜明け

 淡い光を放つランプが照らし出すのは、大理石で囲まれた部屋。その正方形の一辺は十メートル程であろうか。そんな空間が外界と繋がる道は、大人一人が通れる程の通路と、小さな通気口だけ。窓も無いため、圧迫感から息苦しさも覚える。


「で? 後はコイツをぶっ壊しゃいいのか?」


 静寂を切り裂くように男の声が響く。

 男は夜の帳を切り取ったかのような漆黒のローブで全身を覆い、フードで顔の半分を隠している。その中で唯一見ることが出来る口元は、ニヤリと挑発的な笑みを浮かべていた。また、剣を肩に担ぐ格好で晒された腕は太く、手は岩のように角張っている。ふんぞり返るように仁王立ちしている姿からも、自信家で荒っぽい性格が見て取れた。

 そんな男の問い掛けに答えたのは、別の男の声だった。


「ああ、それがテルティスの守りの要だ」


 淡々と話すこの男もまた、黒いローブと目深なフードという出で立ち。落ち着き払った態度や感情が読み取れない口元は、まるで蝋人形のよう。ランプに照らされた姿は、うすら寒い不気味さを強調させていた。

 その男から答えを受けた剣士は、嬉しそうに歯を剥いて笑う。そして足を踏み出そうとした、その時。


「何だよ、もーっ!」


 やや離れた所から、また別の声が響いた。今度は男の子だ。彼は感情を剥き出しにして喚いている。

 剣士は鬱陶しそうに眉をひそめ、振り返った。


「ンだよ? うっせぇな……」

「うるさいじゃないよ! 斬るならもっと綺麗に斬ってって何回言わせるんだよー! これじゃ使い物にならないじゃないか!」

「ンなことまで考えてられっか」

「少しは考えてよ!」


 折り重なる死体の前で地団駄を踏む、小さな姿。彼もまた、先程の二人と同じ格好をしている。加えて、身長を優に超える鎌を持つ姿は、まるで死に神のようだ。

 声高に文句を垂れ続ける男の子を無視し、剣士は足を踏み出す。その先にあるのは、大人の腰程の高さの台座。そして丁重に納められた宝玉。黄金色の宝石は、見る者に畏れを抱かせるような、神々しい輝きを放っている。

 剣士は音も無く台座の前に立つと、剣を頭上に掲げる。次の瞬間、力の限り振り下ろした。




 東の空から差し込む白い光で、夜空を彩っていた星々が徐々に姿を消していく。夜明けの時が刻一刻と近付き、新たな一日が始まろうとしていた、ちょうどその頃。神殿の東西にそびえ立つそれぞれの塔の頂上では、二人組の男が周囲の警戒に当たっていた。

 彼等は白のズボンと同色のロングコートを身に纏い、コートの左胸には金の刺繍が施されている。盾の前で交差する二本の剣のデザイン。テルティスを守護する神騎士団の紋章だ。

 不意に、西の塔で任務に就いていた一人の騎士が、深いため息を吐く。


「あー……暇。暇過ぎて死にそう。こんな見張りなんて、やる意味あるのかね?」


 愚痴を吐きながら、彼はぐるりと周囲を見回した。

 東から南に掛けて森の向こうに海が広がっており、北と西は一面の森。街や街道があるところが拓けているだけで、どこを見ても景色は変わらない。

 また、テルティスは街全体を結界が覆っており、魔物の侵入を防いでいる。しかも結界を作り出す結界石は、神殿の隠し部屋にて何重にも封印が施されている。この万全の体制が争いとは無縁の環境を作り、それが逆に彼の士気を削ぐ結果となっていた。

 すっかり気が抜けた様子で欠伸をする男に、もう一人の男が苦笑を漏らす。


「気持ちも分かるけどさ……もう少しで交代の時間じゃないか。そしたら休みだろ?」

「そりゃそうだけど……あ、そうだ。お前も休みだろ? ちょっと付き合えよ」

「ナンパだったら俺は行かないからな」

「お前って奴は……一人の女に二年も三年も片思いしてないで、たまには付き合えよ。しかも相手は高嶺の花! いくら同期で同じ演習チームだったとはいえ……いい加減、現実を見ろよ」

「余計なお世話だ!」


 思わず声を荒げた男自身、指摘されたことを酷く気にしているのだろう。瞬く間に顔を赤くする様に、笑いを抑えきれずに吹き出してしまう。そしてひとしきり笑った後、目尻に涙を浮かべながら、バシバシと肩を叩いた。


「ジャッキー、お前は本当に分かりやすい奴だな」

「そういうお前もいい性格してるよな、ルーカス」

「それはどうも」

「いや、褒めてないから」


 そして、どちらからともなく笑い合う。交代間近とはいえ、二人は任務中だというのに、何とも和気あいあいとした空気が流れていた。

 同僚の笑い声を尻目に、ジャッキーは西の空へと視線を向けた。地平線に近い空には、まだ幾つかの星が残っている。しかし、高い位置に視線を移すと、星は既に姿を消していた。

 彼が頭上から少しだけ視線を下げた、まさにその時。見覚えの無い影が浮かんでいることに気付いた。その白い体躯は、遠くから見ても巨体であることがよく分かる。


(鳥? いや、違う……あれは……)


 よく目を凝らすと、それはこの大陸には存在しないとされる魔物。本の中でしか見たことが無い魔物――ドラゴン。予想だにしなかった事態に、自分の目を疑ってしまう。

 だが、次の瞬間。


「お、おい! ジャッキー、あれ、あれ……!」


 ルーカスの緊迫した声に振り返ると、彼は目を見開き、ある一点を見つめていた。それに倣って顔を向けると、ジャッキーもまた、一瞬にして言葉を失った。

 二人の視線の先には魔物の大群。その様はまるで、黒い雲が迫って来るかのようだ。加えて森の中からも、もうもうと砂煙が巻き上がっている。塔の上からでは確認出来ないが、地上からも魔物の群れが向かっている可能性が高い。

 ハッと息を呑んだジャッキーは、勢いよく振り返る。皆に異変を知らせなければ――そう言おうとした、その時。何かが彼等の足元に影を作った。

 二人が空を仰いだ瞬間、その何かが頭上をかすめる。彼等は咄嗟に身を屈め、ジャッキーはその勢いのまま床に手を着くと、転がるように体を回転させた。戦いやすいように、ルーカスと距離を取るためだ。

 そんなジャッキーの姿に、体勢を崩したと思ったのか。何かは彼に狙いを定め、再び飛び掛かって来た。

 だが、彼は全く無駄のない動きで体勢を立て直し、素早く剣を抜いた。そして正面を見据え、襲い来る何かを薙ぐ。それは耳障りな断末魔を上げて床に落ち、それきり動かなくなった。

 その後、徐々に砂と化していくそれは、鳥の魔物――ブラッディ・イーグル。名前の通り、どす黒い血の色の羽を持った鷲だ。だが、体長は野生の鷲より遥かに大きく、羽を広げると三メートル近くある。それがいつの間にか何体も集まり、じっと彼等の様子を窺っていた。


「ジャッキー、大丈夫か!?」

「ああ。だけど、あっちも状況は変わらないみたいだな」


 剣を構え、集中力を研ぎ澄ませながらも、チラリと東の塔へ視線をやる。あちらはベテランと新米の組み合わせ。魔物を相手にするだけで精一杯だろう。

 同じことを思ったのか、二人の目が合った瞬間、ルーカスが小さく頷く。そして、ジャッキーが顎を動かしたのを認めると、素早く踵を返して屋内へ。その瞬間、背中を見せた彼に魔物が襲い掛かる。だが、それも想定の範囲内。


「させるかっ!」


 ジャッキーもまた同時に動いており、ルーカスを狙う魔物の足を斬り付ける。そのまま止めを刺そうと強く踏み込むも、すんでのところで上空へと逃げられてしまった。思わず舌打ちを鳴らす。

 一方、ホールの中のルーカスは、石壁に埋め込まれた魔石に手を触れていた。神殿のいたるところに設置されているそれは、音を吸収する性質を応用し、予め録音しておいた警鐘を自動で鳴らす仕掛けだ。だが、彼は前代未聞の状況に慌ててしまい、呪文が浮かばないでいた。

 その間も、ジャッキーと魔物とで睨み合いが続く。そして小康状態の末、再び戦いの火蓋が切って落とされようとした、その時。神殿中に警鐘が鳴り響いた。やや遅れて、ルーカスが戦線に舞い戻る。


「悪い、遅くなった」

「いいよ、そんなこと。それより、さっさと片付けようぜ」

「だな。俺の休みを潰す奴は、ぜってぇ許さん!」

「言うところはそこかよ!」


 ルーカスの軽口に、ジャッキーのツッコミが入る。まだ気持ちに余裕がある証拠だ。

 二人は剣を構え、襲い来る魔物を次々と迎え撃っていった。




 突如として警鐘がけたたましく鳴り響き、熟睡の状態から無理矢理に覚醒させられる。飛び起きたルイファスは、条件反射で白いロングコートを羽織ると、急いで廊下に出た。するとそこには、ほぼ同じタイミングで出て来たであろう、仲間たちの姿。

 それを確認するや否や、彼等はヘレナの部屋に雪崩れ込む。だがそこで待っていたのは、最悪と言っても過言ではない状況だった。


「ヘレナが、いない……!?」


 愕然とするアイラの声。彼女は目を見開き、呆然と立ち尽くしている。フェルディールも動揺を隠せず、ルナティアは口を手で押さえていた。

 そんな中、ベッドのシーツを触っていたルイファスが、怪訝そうな声を上げる。眉間に深いしわを刻ませて。


「冷たいな……まさか、ヘレナがいなくなってから、かなりの時間が経っているのか……?」

「でもよ、それじゃ何でこのタイミングで警鐘が鳴ってんだ?」

「それは俺にも分からない」


 ルイファスの眉間のしわが更に深くなる。だが、フェルディールの言葉もその通りだった。

 ベッドには腰掛けた跡があるだけで、眠った様子は見られない。また、サイドテーブルには栞が挟まれた本が置かれ、ティーセットもそのまま残されていた。


「何者かが外部から侵入した形跡も、争った形跡も無いですわね。それどころか、普段の部屋の様子と全く変わらないところも引っ掛かりますわ。それに――」


 状況を見極めるように、じっと室内を観察していたルナティア。彼女は自分の見解を述べようとするも、何故か途中で不自然に言葉を止めてしまう。

 そして仲間の方を向き、彼等を誘導するように続けた。


「ですがまずは、ヘレナを捜し出すことが先決ですわね。手分けして捜しましょう」

「そういえば、イリアはどうした?」

「今はちょうど早朝稽古の時間ですわ。……ですが、イリアとも一刻も早く合流した方が良いでしょうね」


 ヘレナが原因不明の失踪をしたと知ったらどうなるか。我を忘れ、酷い錯乱状態になることは目に見えている。何せイリアは、ヘレナの悪戯でさえも深く傷付く程なのだから。

 頷き合い、彼等は部屋を飛び出す。だが、アイラだけが何故か、バルコニーに続く窓の際にしゃがみ込んでいる。そんな彼女に、ルイファスは苛立たしげに声を掛けた。


「おい、そんなところで何をやっているんだ?」

「あ、すまない、すぐに行く!」


 ハッと息を呑み、弾かれるように振り返ると、アイラは慌ててルイファスに駆け寄った。そこには既に、ルナティアとフェルディールの姿は無い。彼女も急いでヘレナ捜索に向かおうとするも、ルイファスに引き留められた。


「ちょっと待て。随分と集中していたようだが、何をしていたんだ? 窓に気になるものでもあったか?」

「いや、窓だけじゃない……この部屋には違和感しかないんだ。魔術師だからこそ分かる違和感が」


 その途端、ルイファスの表情が変わる。深刻な面持ちで吐かれたアイラの言葉に、ただならぬものを感じたからだ。

 そして彼女は、鋭い眼差しで室内を見回しながら、彼の問いに答える。己の内にある違和感の示すものを探るように。




 時は僅かに遡り、ジャッキーたちが和やかに笑っていた頃。イリアは神殿と同じ敷地に建つ訓練場に立っていた。普段は神騎士団員の稽古を始め、騎士養成学校の生徒が使うこともある場所だ。

 薄暗い室内にランプを灯し、窓を開け放つ。その瞬間に流れ込むのは、早朝特有の冷涼な空気。心身共に引き締まっていく。何回か深呼吸を繰り返して剣を構えた、ちょうどその時。


「えっ!?」


 突如として鳴り響いた警鐘に、思わず肩を揺らす。窓際に駆け寄れば、動物の咆哮らしき声と人々の怒号に加え、慌ただしい足音も聞こえてくる。それ等の音はまだ遠いが、神殿内でこのような音を聞くなど、あってはならないことだ。

 だが、神殿に異変が起きたとなれば真っ先に光の巫女を保護し、護り抜かなければならない。それが聖騎士団団長としての彼女の任務なのだから。

 小刻みに震える体を諌めるように、乾いた音を立てて両頬を叩く。そして、風のように訓練場を後にした。

 しかし神殿を前にした時、想像を超える惨劇に足を止めてしまった。


「これは、一体……?」


 唇が震えて上手く喋れない。だがこの光景は、平和な地で暮らす少女の声を失わせるには、十分過ぎるものだった。

 あちこちから上がる煙。混乱に満ちた喧騒。そこかしこに散らばった、おびただしい赤。魔物と騎士たちが交戦している一方で、血の海に浮かぶように騎士の死体も転がっている。砂になっていく魔物の姿もあった。

 まさに地獄絵図。美しかったガルデラ神殿の外観は見る影もない。

 思わず目を逸らし、この悪夢を否定しようと試みる。しかし彼女の五感は、これが現実であると訴えてくる。そしていつしか、彼女の足は石像のように固まっていた。


(早く、行かなきゃ……私が行かなきゃ……!)


 頭では前に進もうとしているが、何故か体がそれを拒む。そうして焦燥感に駆られるも、体は一向に言うことを聞かない。焦りだけが積み重なり、恐怖心も芽生え始めた。

 イリアは激しく首を振り、必死になって負の感情を振り払おうとする。だが、それをすればする程、今度は鼓動が速まり、息苦しさまで覚えるようになる。そして遂には、身動き一つ取れなくなってしまっていた。

 時間にすると数秒のことだが、何時間と経ったような感覚に陥っていた頃。彼女のすぐ間近で威嚇するような咆哮が轟く。

 それが呪縛を解く契機となったのか、強張っていた体中の力が一瞬にして抜け落ちる。初めて覚えた感覚に戸惑う間もなく顔を向けると、そこにいたのは熊のような外見の魔物。次の瞬間、魔物は長く鋭い爪をイリアに向けて振り下ろした。

 彼女は咄嗟の判断で後ろに飛び退き、距離を取る。そして剣を抜くと、何度も繰り出される攻撃を紙一重で避けながら、胴体を一閃した。斬られた魔物は、糸が切れた操り人形のように崩れ落ちる。

 だが、彼女に息つく暇はない。次々と現れる魔物との交戦中、いきなり神殿の壁が壊れ、大きく穴が開いた。

 その時、イリアの頭を過ぎったのは、微笑みを浮かべるヘレナの姿。彼女は剣を強く握り締め、魔物を斬り捨てながら穴に向けて駆け出した。騎士として大切な人を護る、そんな力強い意思を瞳に宿して。

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