第3話
純文学初心者の私はまず、太宰治の短編集を読みました。
何篇かを読みましたが、人間失格はまだ読めていません。
太宰を読むのに人間失格を読まないとは、お前こそ人間失格だ、と太宰フリークの方に言われそうな気がしますがご容赦頂きたいです。
すいません、完全に偏見と妄想です。
最初に読んだ短編は「魚服記」でした。
巡る季節の中で世の中を疎ましく思う少女スワ。その描写がとても儚いのです。
スワの父は生きている目的を問われ、わからないと答えただけなのにスワに「くたばったほうあ、いいんだに。」と言われてしまう。
あなたは何のために生きていますか?
私は答えられません。
スワに言わせれば、くたばったほうがいいのでしょう。
その後スワは何かに導かれるように滝壺に身を投げ、スワはその身体が大蛇になったかのような感覚を覚えます。
しかしその実態は小さな鮒に過ぎなかった。
その辺りをどう感じ取るかは本当に沢山の解釈がありそうです。
私は、大蛇になったと思い込むスワの姿は、世を知らぬまま思い上がった姿の描写だと感じました。
世間を見ておらず視野の狭い人間に対するものなのか、若さゆえの無知なのか。
或いは両方であるような気もします。
くたばったほうあ、いいんだに。
そう言い放ったスワは井の中の蛙と大差ない存在であるという描写があることで、何のために生きているか分からない私は少し救われたような気になりました。
分からなくても、いい。
生きていくのはとても大変で。
昔は何か明確なやりたいことがあって。
いつの間にか目的よりも過程を重視して。
過程が肥大化してそれが生活になって。
したいことがないのなら、死んでしまえばいい。
単純明快な答えではありますが、それを選び取った瞬間全ては終わってしまいます。
それを選び取るのは、最も愚かな選択なのです。
この一遍で、私の純文学に対する印象は大きく変わりました。
一つは、存外に現代でも読みやすい文章であったこと。
私は古典が苦手です。
言葉の意味が現代と大きく変わっていたり、そもそも文法が違ったり。
まるで異国の文章のようでどうにも馴染めないのです。
しかし、太宰治に関して言えば、そんな苦手意識を感じることなく物語に集中することが出来ました。
一つは、取り扱われる題材が普遍的なものであること。
この後何篇かも読みましたが、どれも自分の身近に置き換えて考えられる「余地」があるように思いました。
本当に短いお話の中でも、考えることは山ほど生まれるのです。
それを自分の中で何に昇華するか、何を留め置くか、その選択も楽しいものです。
ほんの一欠片ではありますが、純文学の魅力を垣間見れたような気がしました。
これから何に出会い、何を感じるのか。
純文学に限らず、本から感じたことをこうして綴っていければと思います。
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