第7話 ノアの決断

「あれ、ノアくん?おはよー、朝早いんだねぇ……。わたしはまだ眠いよー……」


 ウィリーとメルヒヌールの魔術演武を見せられた、だだっ広い部屋。

 私はそこで一人黙々と魔術の練習を行っていた、のだが……彼女の言葉を聞くに、いつの間にか新たな朝を迎えてしまっていたらしい。


「ん……ふぁ、朝か……。おはよ、フリーダ、それにノア。『水よ溢れよデボーダー』」

「『雷よ走れアンクゥドゥジュ』。おはようございます、ウィリー」


 部屋の隅、固い床の上に眠っていたウィリーとの奇妙な朝の挨拶にフリーダは疑問の表情を浮かべる。


「それ、なに?」

「ミスタ・メルヒヌールの提案で、魔術演武を行うにあたって魔術属性の相性はまず完璧にしなくちゃいけないって」

「なるほどー。言われた魔術に相性の良い魔術を返さなくちゃいけないわけだ」


 フリーダは納得したようにうんうんと頷く。

 実際に魔術を行使するわけではなく、その前段階。反射的に相性の良い魔術を思い描けるようになる訓練だ。昨日から数時間は続けられている。

 その会話が耳に届いたのか、ウィリーの隣で床……から物理的に少し浮きながら快適に眠っていた老魔術師が続いて目を覚ました。


「……おはよう、みんな。ノア、『土よ捲れろセノイア』」

「『水よ溢れよデボーダー』!おはようございます、ミスタ・メルヒヌール」


 この世界に存在する四大精霊の火、水、雷、土。その中で水は火に強く、雷は水に強く、土は雷に強く、火は土に強い。

 火と雷が攻撃寄りで、水と土が防御寄り。

 四大元素による四つの属性の他に系統外魔術なるものも存在するらしいが、それはまた今度とのことだった。

 昨日の授業をまとめるとそのような感じで、今日もまたそれは続く予定だ。


「おはよー、メルおじさん。昨日また新しい魔術薬作ったんだけど、飲んでみてくれない?」

「お主はいちいち老人を実験台にしようとするなぁ。……朝食の後でいいか?」

「もちろん、ありがと」


 そういえば、昨日も少し思ったことだがフリーダはメルヒヌールに対して随分と砕けた話し方をしている。その疑問をぶつけると、なんでもないように彼女は答えた。


「お父さんがメルおじさんの古い知り合いで、物心ついたころからの……まあ、親戚の叔父さんみたいな感じなの」

「おおむね合っておるな」


 フリーダの大雑把な説明にメルヒヌールは頷き、ノアはそういうものなのかと納得する。


「おーい、みんなおなか減ってるでしょ。早いとこ朝ごはん食べようよ」

「はーい。ウィリー、メニューはなに?」


 フリーダと老魔術師の関わりは本当にそれだけなのだろう、彼女の興味はウィリーの作る朝ごはんに移っている。メルヒヌールもこの話を膨らませる気はないようだ。


「ノア、ワシらも行こうか」

「はい」


 ウィリーとフリーダの後に続いて、メルヒヌールと並んで歩く。二人の間に会話は無いが、だからといって気まずいわけではない。

 リビングに入ると、ダイニングテーブルにまずフリーダが、その前にメルヒヌール、横に私が座る。

 ウィリーはその間にするりとキッチンに入って四人分の朝食をテキパキと作り始めた。二つのコンロに火を点けて一つはコーヒーに、もう一つは昨日のオニオンスープ用に温め始め、同時にオーブンにパンを二枚投入する。

 後から聞いた話だが、私が最初に食べたシチューを作ったのもウィリーらしい。ポーション作製は料理にも役立ったりするのだろうか。この情熱のほんの少しを掃除に分けることは出来ないのだろうか、とも少し思う。


「はーい、出来たよー」

「わーい!」


 そうこうしているうちにウィリーがたくさんの皿を持って、それをテーブルの上に並べていく。

 一人一枚の切り分けられた食パンの上には目玉焼きとマヨネーズ。スープからは湯気が立ち上り、コーヒーからは豊かな風味が漂っている。


「では、我が主ヴィクトールよ……」

「いただきまーす」


 老魔術師が神への祈りを言い終わらないうちに、我慢できなくなったのかフリーダが食べ物に手を付けた。


「あ」

「未だに食事前に神様に祈る人なんてどこにもいないよ。メルおじさんは時代遅れなんだって」

「じ、じだい、おくれ……じゃと?」


 老魔術師はフリーダの言葉になにやら大ダメージを受けている様子だ。

 しかし、時代遅れかどうかはさておいて私もお腹が空いた。一秒でも早く食パンを口に含み……パリっと丁寧に焼かれた心地よい音と食感、それに目玉焼きとの相性は抜群だ。

 オニオンスープはほんのりと甘く、コーヒーも美味しい。

 それらの料理に舌鼓をうっていると、フリーダが話しかけてきた。


「ね、ノアくん。昨日の、フェスに出ないかって話、考えてくれた?」

「……うん?」


 期待を込めた視線を投げかけられたノアは一瞬首をひねり、そういえば、まだフリーダにはフェスに参加する意思を伝えていなかったと納得した。


「うん、考えた。それで、参加することにして、……迷惑じゃない、よね?」

「え、ホント?やった。ありがと!迷惑なわけないじゃない。……それで、なにするかは決まってる?」


 自分のことのように大仰に喜ぶ彼女の姿を見ていると、こちらまで顔がほころんでくる。


「魔術演武をミスタ・メルヒヌールから教えてもらったんだ」

「メルおじさん?祭りは嫌いなんじゃなかったの」


 フリーダはじとりとした目をメルヒヌールに向ける。

 その視線に「おほん」と一つ咳払いをしてメルヒヌールは答えた。

 

「……ノアやウィリーも同じ勘違いをしておったが、ワシが嫌いなのは祭りではなく人混みじゃ」

「じゃ、演武のパートナーは?」

「ウィリーに決まっておるじゃろうが」


 老魔術師が会話の流れで何気なく発した言葉に、優雅にコーヒーを飲んでいたウィリーがむせてゲホゲホと咳をした。


「え、聞いてないですけど」

「そりゃ、今言ったからの。というか、消去法で考えて選択肢はそれしかないじゃろう」

「う……そりゃ、そうかもしれないですけど」


 メルヒヌールは半分ほど残ったスープを一息に飲み干し、私たちに告げる。


「朝ごはんが終わったら、演武の実践に入る。ノア、魔術の相性は覚えたか?」

「はい、大丈夫です」

「よし。フェスの本番まであと二日もない。気合を入れて鍛錬に励むぞ」


 おー!とフリーダとメルヒヌールが拳を天井に突き上げて掛け声を上げる。

 二人はなにをしているのか……いや、幼いころあの武家屋敷でケンちゃんとやった記憶があるような。そう、アレにはやった者の士気を高める能力があるのだった。

 では、私もやらないわけにはいくまい。


「おー!」


 みんながこちらを振り向き苦笑いをする。

 タイミングが悪い?……いや、私は間違ってない。ノアは少し頬を膨らませた。



「『炎よ爆ぜろアルメル』!」

「『水よ溢れよデボーダー』!」


 場所は変わり、また昨日と同じだだっ広い部屋に戻ってきた。

 部屋の壁際でフリーダとメルヒヌールの見守る中、ウィリーと魔術演武の実践は続けられる。


「『雷よ走れアンクゥドゥジュ』!」

「『土よ捲れよセノイア』!」


 昨日から今日の朝まで続けられていた、ただ詠唱を口に出すだけの訓練ではなくお互いに杖を持って実際に目の前で魔術が行使される。

 炎が目の前に迫り、水で防御するもほんの少し肌を焦がす。

 対して、ノアの雷属性の魔術では何度やってもウィリーの出す土の壁を越えられる気がしない。


「止めろー!お前たち、やる気はあるのかー!そんなもん見たところでなんも興奮せんどころか見ててハラハラするわー!」


 ガー、とどこかの部屋から取り出してきたのか、老魔術師の背丈ほどの杖――その頂点には青い球体がくるくると回転しながら煌めいており美しい形状だ――の先端を床にカンカンと叩きつけながらまくし立ててくる。


「フリーダっ!今アイツらなにがダメだったか分かるかっ」

「えっ、わたしに振りますか。っと、そうですね……。ウィリーとノアくんに力の差がありすぎるような気がした、かな?」


 話の矛先がいきなり自分に向いたことで驚きながらも、しっかり考えて答えを返す。

 そしてフリーダの答えに満足がいったのか、「そうじゃ!」と杖でカツンと床を叩き、感情を込めた説明を始めた。


「時は昔、帝国の王であった男は二人の魔術師を御前に呼び『どちらかが死ぬまでの模擬戦』を命じた。二人は旧知の仲、釜の飯を一緒に食った同士でもあった。ああ悲しいかな、だが実力は均衡してはいなかったのじゃ。弱き男は残り数日の命にさめざめと泣いていた……」


 ……いったいなにが始まった?

 ウィリーを見ると肩をすくめてやれやれと首を横に振っており、フリーダは「始まっちゃった……」と呟いて大きなため息をついている。

 これはよくあることなのだろうか。

 それはよく分からないが、メルヒヌールはさらに話の熱を増していく。


「『おお、そなたはなぜ泣いておるのじゃ』『悲しいからさ、親友。お前と俺が戦い、俺が死ぬ。王とはいえ、他人に命じられてだ。これで泣かずにどこで泣くというのだ』『親友よ、もう泣くな。お主の涙は私の心を引き裂く』……」


 さらに始まったのは演劇だ。

 一人二役、熱の入った名演技はおそらくノアにしか届いていない。だがメルヒヌールはもはや周りのことなど目に入らないようで、さらに自身の中に没頭する。


「そして王に命じられた日がやってきた!『おお、今日は俺の最期の日だ。しっかりその目に焼きつけて……』『いや、そうはならない』。男は提案した、お互いが交互に攻撃を行い、それを防御。これを繰り返すことを。一時間も戦ったころ、王はこう言った。『余は満足じゃ。うむ、死ぬまで戦わせれば良いものを見ることが出来ると考えたが、それ以上!二人に褒美を取らせよ!』と!」


 一連の流れを一切の途切れなく演じきったメルヒヌールは、吐ききった息を取り戻すようにすー……と大きく空気を吸い込んだ。


「それが魔術演武の始まりじゃ。分かったか?」

「長いよ、メルおじさん」

「長いです、師匠」


 一仕事やり切った……という満足げな顔を浮かべるメルヒヌールを待っていたのはフリーダとウィリーの辛辣な感想であった。

 助けを求めるように老魔術師は絶望したような表情でノアを見やり、


「えぇと……私は、いいお話だと思いました」

「ワシの味方はノアだけじゃ……」


 両手を天に掲げ「これ以上の嬉しさは無い」と涙を流す。


「で、師匠。結局僕らが駄目な理由を教えてもらってもいいですか。フェスまで時間がないって言ったの師匠ですよ」

「ときどきお前の口は毒を吐くよな、ウィリー……」


 しらっとした目でメルヒヌールを見つめるウィリーに小さく落胆のため息をつく。


「つまりじゃ、演武において魔術の力は均衡してなくちゃいかん。ウィリーの攻撃はノアに届いておるし、逆にノアの攻撃は絶対に届かん、というのが傍目に見て分かりすぎる」

「……じゃ、悪いのはウィリー?」

「いや、一概にそうとも言い切れん。ノアもノアで力をセーブしているからの」


 メルヒヌールの言葉に思い当たる節があるのか、フリーダは「ああ」と頷く。

 だが、当の本人の身に覚えがない。少なくとも私は全力でやっているつもりだし、これ以上の力を出すことは出来そうにない。


「じゃが、ノアは無意識じゃろうからフェスまでに矯正することは出来んじゃろう。……ウィリー」

「はい、分かりましたよー。僕がノアに合わせます」


 ただその心当たりはウィリーにもあるのか、比較的すんなりと老魔術師の言葉に納得したようだ。


「すみません、ありがとうございます」

「別に構わないよ。いつも研究ばっかりじゃ魔術の腕も落ちるからね」


 私と同程度の威力になるよう調整する、というのは簡単なことじゃないだろうに、軽く笑って流してくれるウィリーにもう一度心の中でお礼を言ったタイミングで、パンとメルヒヌールが手を叩く。


「じゃ再開しよう。魔力が尽きても、余るほどマジックポーションはあるからの。存分に力を使うが良いぞ」

「……はーい」

「うわぁ、スパルタ……」


 フリーダは老魔術師が心底楽しそうに発した言葉に引きつった笑みを浮かべる。

 魔力を回復させる主な方法は食事や睡眠。マジックポーションを使え、ということは出来るだけ休むなと言っていることに等しい。

 自分から言い出したフェスへの参加ながら、そんなことないですよね……とウィリーの方を見ると、すでに疲れたように苦笑いを浮かべられる。


「魔術は使えば使うほどにその能力を上昇させる。さ、何度も言うがフェスまで残り少ない。頑張っていこう!」


 にこやかに笑う老魔術師からは悪意のかけらも感じられない。

 手持ち無沙汰のフリーダが寝て、起きて、時たまノアに魔術を教えながら、部屋の隅でウィリーの作ったご飯を食べて……時計も無い部屋で変わるのは彼女の行動だけ。

時折休憩をはさみながらも、どれだけの時間をそこで過ごしたのか分からない。体感では、だいたい一日くらいだけど。

 飲んだマジックポーションの数は数えきれない。

 精も魂も尽き果てた私は、着ていたローブを床に脱ぎ捨てそこいらに杖を放り、自身のベッドに倒れ込む。明日のフェスに思いを馳せながら、ノアは数瞬で夢の世界へと落ちて行った。




「ねぇ、そろそろ何か見つけたー?」


 日が傾きかける時間帯。黒いマントの少女は、本日都合十九度目となる質問をメジャーに行う。


「あっちの方に魔物の石像……かな、まったく動かないから多分そうだと思うんっすけど……を見つけました」

「ふーん。いやそうじゃなくて、家の方。なんか進展あったー?」


 黒いマントの少女はダラダラと木の幹の上に寝そべり、そこらに生えていた赤い果実を口いっぱいに放り込みながら、やる気のない声を出す。

 いや、別に彼女に本当にやる気がないわけではない。

 彼女たちのボスからの依頼を達成するためにあの家に忍び込むことが必要で、だがあそこにいる人間全てを相手にして勝てるなどとうぬぼれてはいない、というだけだ。


「うーん……。家の方に動きは無いっすけど、あっちの村では何かあるっぽいですよ」

「村ぁ?」


 メジャーが指さした方向に少女も顔を向ける。だが、双眼鏡を覗いているメジャーに対して少女は裸眼だ。当然なにか見えるわけではない。


「ま、いいや。で、なにかって何?」

「お祭り……収穫祭らしいっす。いろいろ出店とか、舞台とかもあるらしいっすよ」


 ふぅん、と気の無い返事とともに少女は木にもたれかかり……なにかを思いついたのか、悪い笑顔を浮かべて身を起こした。


「メジャー」

「わっ。やばーい悪戯を思いついた悪ガキの顔してますよ、姉御。そういうところも美しい……どうしたんですか?」

「お前の言う通り、良いこと思いついたのよ」


 わくわくが抑えきれない、と少女は懐から取り出したペンと紙につらつらと文字を書き連ねていく。

 それを見ながら、メジャーはうわ、と嫌そうな声を漏らした。


「それ、誰がやるんすか」

「もちろんお前に決まっているでしょう?つべこべ言わずに従いなさい」


 少女が思い描くは喝采の鳴り止まぬ最高の舞台。演者は完全には決まっておらず、巻き込んでいく方式だ。

 多少、演者たちのアドリブに頼る部分はあるが、そこはメジャーが上手く調整してくれるだろう。


「ああ、楽しくなってきた……!」


 少女は心の底からの笑みをこぼし、刻一刻とフェスまでの時間は短くなってゆくのだった。

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