第6話 初めての戦いの終わり
桜舞い、緑の葉をつけ始める夏の始まり、田舎に建つ一軒の武家屋敷の庭で親と子がお互い木刀を手ににらみ合っていた。
「やーッ!」
まだ年端もいかない男の子……私が、木刀を振り上げ目の前の父親に斬りかかっていく。
「たわけ!」
目の前の大人は、自身の持つ木刀でパァンと男の子の頭を大人げなく全力で叩いた。
「痛ったぁい!」
「気迫がない振りが遅い狙いがまる見え、すなわち全然ダメ!今日は素振り五百本を追加だ!」
目に涙を浮かべてうずくまる男の子に彼……ちょんまげを結い羽織を着た、時代錯誤の男性は厳しく叱責する。
「ええっ、いやだー!今日はケンちゃんと遊ぶ約束してるのにー!」
「今日の訓練が終われば行っても良いぞ」
「日が暮れるよー!」
うわーん、と泣きながらも男性の言葉に従い、いち、に……と男の子は素振りを始めた。素直である。
そして素振りを五十もしたころに、屋敷の奥から一人の綺麗な女性が庭に現れた。彼女は割烹着を着て水に濡れた手をタオルで拭いている。
その女性の姿を見た瞬間、男の子は木刀を投げ捨てて走り寄り抱き着いた。
「おかーさまー!おとーさまがいじめるー!」
「あらあら、甘えんぼさんねぇ」
男の子の母親は息子の頭を優しく撫で、そこに朝には無かったこぶを見つけると、父親に鋭い眼光を向けた。
「あなた。この子に怪我はさせないと約束したじゃありませんか。もうお忘れですか?」
「う……いや、つい力が入ってしまってな。わざとじゃ無いんだ」
彼女の咎めるような口調に、父親はもごもごと適当な言い訳を始める。
その様子を見て男の子は願う。
戦火の近づくこの世界で、どうかこの幸せが壊れませんように……と、叶うはずの無い夢を抱き満面の笑みを浮かべた。
そして、私は――。
目を覚ますと、そこは見慣れた――と言ってもまだ二日くらいだが――部屋であった。老魔術師から与えられた、家の地下に数多ある部屋の一つ。
だが、そこには見慣れない人物もいた。
「うぅん、ノアくん……」
私のベッドに腕だけを乗せ、それを枕代わりにして寝言を言うのはフリーダだ。
戦いの途中でいなくなっていたが、どうやら無事だったらしい。その事実に安心し、彼女を起こさないように布団をかぶせて部屋から出る。
ゴブリンキングとの戦いの最中、ヤツにやられて意識を失い……この家、あの部屋にいたということは助けられたということだ。
私が意識を失った後なにが起こったのかを聞くため、ウィリーとメルヒヌールがいるだろうリビングへ入ると、そこには奇妙な光景が広がっていた。
「あぁ、いいぞウィリーその調子だ。そう、もうちょっと上も頼もうか……いや行き過ぎだ。それに力も強くなってきた。撫でるように優しくじゃ。老人をもっといたわらんか」
「ええい、注文の多い老人だなぁ!師匠じゃなかったらぶん投げてますよ」
リビングの床にマットを敷き、そこに横たわったメルヒヌールの上にウィリーがまたがっている。
お世辞にも威厳があるとは言えないその姿のまま、顔だけこちらに向けて老魔術師は話しかけてきた。
「おおノア、起きたのか。身体の方はどうじゃ。異常は無いか?」
「僕も診たけど、本職じゃないから、変なところが、あったら、ちゃんと言うんだよ」
恍惚とした表情を浮かべる老魔術師に、額から汗をかきながら一生懸命にマッサージを行うウィリー。
私がこの家を離れている間になにが起こったらこうなるのだろう。威厳とかそういうもののかけらも感じない……。
その光景に動揺していると、老魔術師が顔だけをこちらに向けて疑問をぶつけた。
「ああ、そういえばノア、フリーダがお主に頼みたい用とは何だったんじゃ」
「なんのことですか、ミスタ・メルヒヌール」
私の返答に二人して首を傾げる。
そういえばフリーダはあの部屋にいたが、私が目を覚ます前に眠ってしまったのか。
と、地下から慌てて走る音が聞こえてきた。ノアが音の正体を知るために階段をのぞき込むと、ちょうどそこから跳び上がってきた白い影にぶつかり、押し倒された。
「うわっと」
「ノアくん!起きたらいなかったからどこに行ったのかと思ったよ!」
そのまま抱き着いてきたフリーダを押し返し横を見ると、老魔術師が今まで見たことのないふやけた表情でこちらを見つめている。
「あの」
「やー、愛いのう。若者同士の恋愛を見るのは心が安らぐわいてててて!」
ふざけたこと言ってるなよ、とウィリーが腰のツボを強く押し、それに老魔術師は涙目で身悶える。
「そういえば、なにか私に用があったのではないですか?」
びくびくと陸に釣り上げられた魚のように身体を震わせるメルヒヌールを尻目に、ノアはフリーダにそう尋ねた。
するとフリーダは「そうなの」と手を叩き、楽し気な表情を浮かべる。そして、その提案を口にした。
「ノアくん、フェスでなにかやってみない?」
「ふぇす?」
「そ、サリュ村を中心に付近の村も参加しての収穫祭。この週末……だから三日後か、に向けて出店とか出し物とか用意してるんだけど」
そこまで言って、フリーダがちらりと老魔術師の横顔を見ると、彼は先手を打って牽制した。
「ワシはやらんぞ。人混みは好かんからな」
つれない態度を取る老魔術師に対して残念そうにため息をつき、改めてノアに向き直る。
「こうやって、メルおじさんにはいっつも断られちゃってるんだけど……ね、お願い。考えてみてよ」
フリーダはそれだけ言うと、勝手知ったる仕草で冷蔵庫から牛乳を取り出してコップになみなみと注ぎ、それを持って階段を下りてしまった。
リビングに残された私は、彼女の言葉をもう一度思い返す。
三日後のフェスに出ようと思えば、準備期間は実質二日程度しかない。それじゃ様々な準備のいる出店はダメで、出し物もごく簡単なモノしか用意できないだろう。
そもそもメルヒヌールが参加しないと公言したにもかかわらず、彼らの助けを得なければなにも分からない私が参加しようとするのも不自然なような気もする。
……やらない理由はいくつも浮かんできて、反対にやる理由は一つしか思い浮かばない。
(これでは駄目だ。こんな中途半端な気持ちじゃ彼女にも迷惑をかけてしまう)
ノアには記憶がない。
人間というのは記憶を積み重ねることによって精神を成長させる生き物だ。記憶が無いというのは、精神が成長していない……赤ん坊と同じということ。
たとえ流暢に言葉を話し魔術を用いてゴブリンキングを倒していたとしても、ノアにそんな決断など出来るわけがない。
「ノア。フェスに出たいのか?」
そんなこと、老魔術師だって理解している。
だからこそ、この会話は必要なものだ。メルヒヌールは意を決して口を開いた。
ノアはメルヒヌールの問いに少し驚きながらも、自分の感情を端的に言葉にして伝える。
「どうでしょう……。参加したところで碌なことは出来そうにありませんし、そもそも私には参加する理由がありません」
「違うな、それは理由だ。……しかも外的要因を連ねただけ。ワシが聞いているのはお主の意思じゃ。ノア、お主はフェスに出たいのか?」
今までになく冷たい、突き放したような声音にノアはたじろぐ。
目線でウィリーに助けを求めるが、彼はさっと顔をそむけてしまう。自分でどうにかしろ、ということだろうか。
「私は……」
「やる、やらない……そんなものはどちらでも良い。必要なのはお主がどうしたいか。
理由を並べ、決断を他人に委ねるな。それは人の生きる道において決してやってはならんことじゃ」
老魔術師は自らの声音にどこか悔恨をにじませながらその言葉を口にする。
ぎゅっと、胸を押さえて考える。私の心がなにを望んでいるのか、考えるのはその点だ。そうすれば、自然とその答えは浮かんできた。
「私は、フェスに出たいです。ミスタ・メルヒヌール、教えてください……私は、どうすればよいですか」
ノアの答えにメルヒヌールは頷き、ウィリーはクスリと小さく笑みを浮かべる。
「……そうか」
「良かったですね、師匠。考えてたことが無駄にならないで」
「馬鹿者。言うでない」
柔らかな笑みを浮かべるウィリーに、メルヒヌールは不貞腐れたような声音で返す。
考えていた、というのは私がフェスに参加する意思を示すことだろう。しかし、どういうことだろう。ミスタ・メルヒヌールは祭りが嫌いでは無かったのだろうか。
「なに、人混みは好かんと言っただけで祭りが嫌いだとは言っておらん。凝ったことは出来んが、凝ったように見せるなら一つ心当たりがあってな」
私の心の内を読んでいたような老魔術師の用意周到さに苦笑しながら、改めて「お願いします」と力強く頷いた。
「よし。ウィリー、ありがとう。おかげでだいぶ良くなっていてて……。ぐぅ、しかし耐えれる範疇か。ノア、ついて来てくれ」
老魔術師に先導されて向かった先は地下の、私にあてがわれた部屋よりさらに向こう側にある一室。
そこには装飾も、家具や道具をなにも置いていない、ただ私の部屋やウィリーの研究室がざっと二十は入るだろうという広いだけの部屋であった。
「ミスタ・メルヒヌール。それでなにをするんですか」
「魔術演武じゃ。口で長々と説明するより、実際見てもらった方が早い。……ウィリー、手伝いなさい」
「分かりました、師匠」
ノアを壁際にまで下がらせるとともに、二人は部屋の中央で十メートルほどを挟み向かい合う。お互いローブの中から取り出した杖を顔の前に掲げ、
「「
その言葉は合図。杖を持つ手を前に突き出し、そして先に動いたのはメルヒヌールだ。
「『
詠唱とともに老魔術師の杖の先から放たれた業火が、一直線にウィリーへと向かっていく。
その熱波にそばで見ているだけの私が身体を持っていかれそうになる中、ウィリーはその攻撃を目の前にして冷静に杖を構え、詠唱する。
「『
メルヒヌールの火に対し、ウィリーの杖から放たれたものは水だ。
杖からあふれ出した水は一本の渦を作り出し、向かい来る業火とぶつかって大量の水蒸気を引き起こした。
老魔術師の攻撃を無傷で受け止めたウィリーは、次に魔術を詠唱する。
「『
杖から放たれたものは雷。前に研究所で見た魔術と同一系統、だが威力が段違いだ。当たれば人を殺すことも可能だろう雷撃が老魔術師に来襲する。
「『
それに合わせて、つぅ、と老魔術師は詠唱とともに杖を下から上へと引き上げる動作をした。次の瞬間メルヒヌールの目の前に立ち上がるのは高さ三メートルはあろうかというほどの土の壁。
それはウィリーの放った雷撃から老魔術師の身を守ると、それで役目を終えたかのようにガラガラと崩れ落ちた。
「おぉ……」
メルヒヌールとウィリーによる魔術の応酬に私が感嘆を漏らすと、二人は杖を下に降ろし、改めてノアに振り返る。
「ま、こんな感じじゃな。相手の魔術の属性を見て、それに応じて有利な属性の魔術で防御する。それが魔術演武の基本にして全て。どうじゃ、派手で気持ち良いじゃろ」
老魔術師の言葉に強く頷く。
「さて、まずは四大属性の相性を身体に叩き込むところから……と言いたいところじゃが、まず、ノアにはこれを渡しておこう」
「……はい?」
メルヒヌールがノアに手渡したのは、さっきまで老魔術師がウィリーとの演武に用いていた杖であった。
長さは三十センチほど、装飾は無いが数ヵ所少しねじれ曲がった部分があり完全な一直線ではない。
「えっと、ミスタ・メルヒヌール。私は杖がなくとも魔術が使えます」
だから使えない、受け取れないという結論に持っていきたかったのだが、メルヒヌールは右手を前に出し『水よ溢れよ(デボーダー)』と唱えた。
当たり前のように彼の手からは水が噴き出し、ノアに向き直り解説を始める。
「ワシだって使えるさ。じゃが、杖は様々な役割を持っておる。体内の魔力を効率よく循環させ、放つ魔術に指向性を与える、という役割じゃ。魔術を学びたての初心者にこそ必要な道具なのじゃよ。コレは」
そう言ってメルヒヌールはその杖を私の手に握らせる。
杖を持つことによる違いはあまり感じないが、その姿を見た老魔術師はよし、と満足げに頷いた。
「うむ、なかなか様になっておるではないか」
「……そう、でしょうか。自分ではよく分かりません」
「良い、とそう言っておるのじゃから喜べばよい。物事を難しく考えすぎるな」
ぽん、とメルヒヌールはノアの頭に手を置き優しく撫でる。
「さて、フェスまで時間もない。まず必要なことは考えず、反射で相手の魔術と相性の良い魔術を唱えられるようになることじゃ」
メルヒヌールの期待に、フリーダの願いに応えられるようにも一層頑張らなければ、とノアは決意を新たに杖を振り始めた。
時は少し、ゴブリンキングを地面から突き出した幾本もの槍で貫き固定した直後にさかのぼる。
「ノアくん!」
「待て、フリーダ!」
制止するメルヒヌールを無視し、未だ呻き声を上げる魔物のそばで意識を失い倒れているノアのそばに近寄り、その身体を抱きかかえた。
(出血がひどい……。それにところどころ骨が折れてる。呼吸も弱い。一刻もはやく治療しないと)
「ア、ア、アァ……」
「うるさい!そこで一生じっとしときなさい!」
土の槍の隙間から、なおも諦めずに手を伸ばそうとするゴブリンキングに悪態をつき、ノアを抱えてメルヒヌールの倒れている場所へと向かう。
「メルおじさん!」
「フリーダ、すまない……。手を貸してくれないか……」
老魔術師は木にもたれかかって、苦しげな表情を浮かべ額には脂汗を浮かべている。
背中におんぶしていたノアをゆっくりと優しく地面に横たえ、彼に駆け寄り膝をついて身体の状態を確認する。
……見たところ大きな異常は見当たらないが、わたしはただの魔術薬師見習い。見落としている可能性は十二分に存在する。
「メルおじさん、どこか怪我を……!」
「こ、こし……。腰を、言わせた……」
なおも顔を歪めるメルヒヌールに、フリーダは白けた目を向ける。
……なんだ、心配して損した。ただ腰を痛めただけの老人と、大怪我をして今も死に向かっている少年。優先すべきがどちらかなど分かりきった話だ。
メルヒヌールから横たえたノアに視線を移し、傷の程度と具合を確認するために彼の服を脱がす。
「なん……なに、これ」
瞬間、言葉を失った。
ノアがゴブリンキングにやられた傷は深く、多数の裂傷、内出血、骨折……それはいい。問題は、それらの傷がひとりでに治っていっていることだ。
心臓には赤色が灯り、ぐじゅぐじゅぐじゅ、と損傷が次々と塞がれていく。
「メルおじさん……。わたしは、サリュ村近くの街道でノアくんに、自動車でぶつかりました。だけど、ノアくんにはほとんど傷が無くて、その時は当たり所がよかったんだな、としか思わなかったんですけど……」
「……なるほど、既に一端を見ていたわけか」
人間には自己修復能力が存在し、それは身体に流れる魔力によって多少なりとも増幅されるものではあるが、それにしてもノアのこれは異常だ。有り得ない。
……そんな存在は、人間ではない。
「メルおじさん、ノアくんはいったい……」
「ノアはノア。自身が記憶喪失だと考えている、皆と……フリーダ、ウィリーと変わらん一人の人間じゃよ」
メルヒヌールはそう言って、いつもと変わらない笑みを浮かべた。
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