第5話 森の中に潜む魔物(裏)

「フリーダ、逃げろッ!」


 その場に縫い留められたように動くことの出来なかったフリーダは、ノアのその言葉で一歩後ろに下がり、それから一度の瞬きの間に彼とゴブリンキングの戦いは始まった。

 小鬼の王、ゴブリンの突然変異種であるゴブリンキングは個体数こそ少ないものの、オーガを超える力と知能を持ち、冒険者組合ギルドの定める等級はA……すなわち最高ランク、私の手に負える相手じゃない。

 だけど、今ここで戦わなければきっと彼は死んでしまう。


「『火炎よ爆ぜアルメ……』」


 腰のポーチから取り出した短い杖をゴブリンキングに向け、魔術を放とうとした瞬間。

 後ろから音もなく近づいてきていた誰かに口を塞がれた。


「んーー……!」


 ろくな抵抗も出来ないまま、正体不明の何者かに木の陰まで連れ去られる。ノアはゴブリンキングの攻撃にかかりきりでこちらに気付いた様子は無い。


(どうする、わたし……!)


 右手には杖。むりやり魔力暴発を起こすか、そうすればわたしの口をふさぐ誰かの手足くらいは吹き飛ばせると思うけど……。

 と、フリーダが物騒なことを考え始めたあたりで拘束は簡単に解かれる。

 後ろを振り向くと、そこにいたのはわたしの良く知っている人物。というか、今から会いに行こうと思っていた一人、魔術師メルヒヌール・マレクディオンその人であった。


「いきなりすまんかったの、フリーダ」

「……冗談にしてもたちが悪いです、メルおじさん。あと一秒遅かったら魔力爆発起こしてましたよ」

「おお、そりゃ怖い」


 けらけらと老魔術師はおどけたような表情で笑う。

 確かに彼の実力であれば、わたしの自爆くらい防ぐことは造作もないだろうが……今はそれより大事なことがある。ノアのことだ。メルヒヌールならおそらくヤツにも勝てるだろう。


「いえ、それよりもメルおじさん、ノアくんが……」


 そう言いかけると、老魔術師は白いあごひげを触りながらなんともなしに言葉を継いだ。


「ゴブリンキングのことか?ありゃノアへの試験、実力テストじゃよ。どう戦うのか、どこまで戦えるのか、それによって授業に差が出るでな」

「……じゃあ、アレはメルおじさんの仕込みってことですか」


 「まぁ、目覚めて一日ちょっとのノアに課すにしては少し酷かもしれんがの」とまるで悪びれた様子もなくメルヒヌールは口にする。

 だとすると、ノアくんが任されたというポーション販売。あれは売り切れないことが前提でこのための準備時間、それに彼が一人になる瞬間と場所が必要だったということだろう。

 あまりに常識外れ。一度頭をぶん殴ったほうがいいんじゃないかと思ったが、今はそんな場合じゃないと思い直す。


「じゃ、あの死体は?」

「ウィリーが用意したものじゃ」


 聞く前からそんなことだろうとは思っていた。

 そもそも、好き好んでお宝もお金になる魔物もいない辺鄙な場所に現れる冒険者など世界のどこにも存在しないのだから。

 種が明かされたところで、木の陰からほんの少し顔を出して様子を見る。


「『雷よ走れアンクゥドゥジュ』!」


 ノアの右手から迸る雷がゼロ距離でゴブリンキングの左胸に直撃した。

 心臓に雷を当てる、それ自体は有効な戦略だ。だが、それでは決定的に威力が足りない。ただの一節魔術じゃあの魔物を倒すことは不可能だ。


「あっ……」


 そして、緊張の糸が途切れてしまったのかノアはゴブリンキングの攻撃に身をさらす。

 辛うじて刀を盾にすることで身体への直撃は避けたようだが、数メートルをバウンドしながら吹き飛ばされ、よろよろと立ち上がる彼に戦う力が残っているとは考えづらい。


「メルおじさん!」

「うぅむ、まぁこの辺り……魔術を一撃当てたのは及第点と言ったところじゃの」


 メルヒヌールもそれを潮時と判断したのか「よっこいしょ」と物理的に重い腰を上げようとした。

 状況は刻一刻と変化していく。

 意識が朦朧としているのか、ふらついているノアはどうにかこうにかゴブリンキングの攻撃を受けながら森の奥へと後退を始める。

 ヤツの武器は大きいから森の中では思い切り振り回せないだろう、という判断なのか……それでは、その目論見は外れている。たかが木ではヤツの障害物には成り得ない。


『まだです、師匠。もう少し待ってください』


 杖を持ち木の陰から出ようとしたメルヒヌールを頭に響く声が呼び止める。

 ウィリーからの精神感応テレパスだ。しかし、彼はどこにいるのだろうか。なぜかメルおじさんは空を見上げ、そちらに視線を向けると一羽の鳥が円を描くように飛んでいる。


「なぜじゃ。攻撃を受けるのがせいぜいの現状では……ぬ、まずいな。もう助けに行ったほうがいいと思うが」

『師匠、ノアはただ逃げたわけじゃない』


 メルヒヌールはウィリーの言葉に一瞬だけ首を傾げ、あぁ、と声を上げる。


「……?」


 疑問を浮かべるわたしには説明はなく、二人の間で会話は進んでいく。


「うん、なら勝算はあるな」

『はい』


 それだけ言い残すと、わたしたちの上を飛んでいた鳥はノアとゴブリンキングを追って向こうへ飛び去ってしまう。

 メルおじさんとウィリーがなにを考えているのかの理解は出来ないが、ここにいたところで分かることは何もない。老魔術師のあとに続いて森の中を進んでいく。

 三百メートルも直進しただろうか、わたしとノアがゴブリンキングに会敵した場所よりさらに開けた場所……森の中に流れる川を直前に、老魔術師は陰に隠れて膝をついた。


「川……?それに、ノアは」


 そこだ。川の中、ゴブリンキングと相対しヤツの剣をやっとのことで防いでいた。

 わたしが目を離している隙にどのような攻防があったのかは分からないが、派手に川に落水したノアは透明の川の水に赤い染みを作っている。

 血だ。彼は血を吐いている。

 身体には目に見える傷が増え、見るからに立っているのもやっとのボロボロだ。だが、メルヒヌールやウィリーにも止める気配はない。


「ノア……」


 痛々しくて、もう見てられない。

 魔術を一撃当てて注意を引けば、あとはメルおじさんがどうにかしてくれる。そう考えて立ち上がろうとしたわたしを、メルヒヌールが手を引いて押しとどめた。


「……座って見ていなさい、フリーダ。大丈夫だから」

「っ」


 老魔術師は私の手首をつかんだまま一人と怪物の戦いに目を向ける。

 川の中での戦いはノアの防戦一方、だがゴブリンキングの攻撃の隙をついてヤツの左胸に右手を押し当てた。

 そこでようやく、ノアが何をやろうとしているのかを理解した。

 

「『雷よ走れッアンクゥドゥジュ』!」


 水は電気を通す性質を持つ。

 ノアの作戦はつまり、ゴブリンキングの身体を水で濡らし「アンクゥドゥジュ」の力を強めるというものだ。確かに一節魔術とはいえ、それならヤツを倒せる可能性もあるだろう。

 だが、水で濡れているのはノアだって同じこと。

 そんな状態で電気属性の魔術など、自殺行為に他ならない。


「ゲ、ギ、グ、ギィアァァ……」


 ゴブリンキングの叫びが森に響き渡り、それと同じほどのダメージをその身に負いながら、それでもノアは倒れない。

 数十秒もの間魔術を放ち続け、先に膝をついたのは魔物の方であった。

 ノアはそれを確認し、ふらふらと川の外へ出ると背負っていたリュックから取り出したポーションを取り出し、それを身体に浴びる。


「ふぅ……」


 フリーダはノアのその様子を見て、安心したように息を吐く。

 もう大丈夫。確かに傷は深いけど、しっかり手当を行えば痕が残ることも無いだろう。彼に今なにより必要なものは安心だ。

 急いで彼に駆け寄ろうとした私の腕を、またしてもメルヒヌールが掴む。


「メルおじさん、もう試験はいいでしょう?はやく……」


 ノアくんを助けてあげないと、と続けようとした言葉は老魔術師の焦燥した表情に飲み込まれた。

 なにを、と聞く暇はない。

 横に置いていた刀を拾おうとした瞬間、ノアの身体が宙を舞った。攻撃の主はゴブリンキング。彼のことを蹴り上げたのだ、とすぐさま地面に叩き落とす。


「なんだ、アレは……。死後に発動する呪いだと?そんなものを誰が、いつ仕込んだんだ?いや、今はいい。ウィリー!」

『聞こえてます。何でしょうか!』

「ヤツを倒しノアを救出する。援護しろ!」

『はい!』


 緊急事態、エマージェンシー。

 そんな言葉が今より良く似合う事態に今までの人生で遭遇したことがない。

 焼け焦げ、膝をついていた……老魔術師の言葉を信じるなら「死んでいた」はずのゴブリンキングが活動を再開、もとい「甦った」。

 鳥がピーヒョロロ、と鳴いた直後森の奥から三体の狼が現れ襲い掛かるも、ヤツの間合い――大剣ではなく素手だ――に入った瞬間にまとめて叩き潰され絶命する。


「『火炎よ爆ぜろ、燃え盛り、焼きつくアルメル・プロパゲイション・トウ』……」


 老魔術師の放とうとした三節魔術は、それが発動する直前にゴブリンキングに殴られて詠唱が途切れてしまった。


「くそ……、はぅっ」


 悪態をつく余裕はあるようだが、流石のメルヒヌールも魔術が発動できなければどうしようもない。


「ノア、逃げて!」


 わたしの言葉が彼に届いたのかどうかは分からない。

 だけどノアの身体はピクリと動き、倒れ伏したまま何かに導かれるように右手を前へと伸ばす。


「ア、ア、ァ――」


 その行動を見過ごすゴブリンキングではない。

 今度こそノアの息の根を止めるため、その岩のような拳を振りかぶり。


「『土よ槍へ、貫けソル―アーキテクト・ペルフォーラー』」


 地面から突き出した土で形作られた槍数本が、拳を振りかぶった状態のゴブリンキングの身体を貫き、縫い留めた。


「ウ、ア……」


 魔物は槍から逃れようと呻き声を上げながら身をよじるが、微動だにできない様子だ。


(さっきの魔術は、ノアくんが……?)


 状況的にはそうとしか考えられないが、意識を失っていた彼にそんなことが出来るのか。

 ……いや、今はよそう。

 ノアに駆け寄り抱きかかえ、腰を押さえた――吹き飛ばされた衝撃でゴキリと言わせたらしい――メルヒヌールと合流し急いで森の中の家へと向かった。




 そして、その光景を彼方より見つめる影が二つ。

 黒いマントを目深にかぶり木の枝に腰かけた少女は、すぐ横で自分を見つめる青年に話しかける。


「ありゃ、やられちゃったねぇ。死んだ後にも影響する契約は面白いと思ったんだけど……。知性が無くなる分、搦手にはめっぽう弱くなるのが弱点かな?メジャーはどう思う?」

「はぁ、姉御は今日もお綺麗ですね……」

「……いやいい。オマエに聞いた私が間違いだった」


 一度敵と認めたモノは、その過程で「たとえ何があっても」殺し尽くす、という契約。老魔術師が接触する前にゴブリンキングとこの契約を結べたのは僥倖であった。

 ……あの場所にいたのは元賢者メルヒヌール、バス・イー魔術学院の天才ウィリー、どこかしらの貴族の娘、それに……。要するに、彼らが今回の任務の障害というわけだ。

 

「さて、どうするか」

 

 我らの仲間になるなら良し、そうでなければ殺すだけ。

 たとえ一対一の決闘で勝てはしなくとも、強者を突き崩す方法などいくつも存在する。

 新しいゲームを買ってもらった幼子のように目をキラキラと輝かせ、少女はフードの下で楽しそうに顔をゆがめた。

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