第4話 森の中に潜む魔物(表)
「そこ」に足を踏み入れた瞬間、空気が変化したのを感じる。
森の中、一つの戦いの余波か、周囲の木がなぎ倒されて開けた場所に「ソレ」は立っていた。
身の丈は三メートルを優に超え、ぎょろぎょろと動く眼球に、空から降り注ぐ西日に照らされるのは緑色の皮膚。岩ほど大きなその手で握るのは身の丈ほどの大剣、そこからポタポタと滴り落ちる血は、木にもたれかかって絶命している男のものに違いない。
「ノアくん、あの魔物、ゴブリンキングだよ……。縄張りは森の奥のはずでしょう?こんな村に近い場所に出てくるなんて……」
私はまだこの森のことを良く知らないが、フリーダの緊張した声からこれが非常事態だということは容易に想像がつく。
鳴らしている鈴に何の反応も示さない事からも、ソレが見掛け倒しの敵ではないことを物語っている。
「フリーダ、声を出さないで。ゆっくり、ゆっくり……ヤツから視線は外さないで、後ろに下がって」
フリーダの口をそっと手で押さえて、静かな声で注意する。ノアの言葉にこくりと頷いて、彼女は一歩後ずさった。
じゃり、というその音にソレは首だけを直角にこちらへ向ける。
「っ」
「フリーダ!逃げろッ!」
ノアはとっさに死んだ男の傍らに落ちていた刀を拾い、構え、フリーダを声の限り叱責する。
激突は、次の瞬間に始まった。
「グゥルオォ!」
ゴブリンキングが雄叫びを上げ、大剣を振りかぶり突っ込んでくる。ノアは刀を上段に構えてそれを受け止めようとするが、
(重いッ……!)
圧倒的なまでの暴力。人並みの力しか持たないノアが、肥大する筋肉と力の均衡など望むことは出来ない。
それを一瞬で理解し、ノアは攻撃を「受け止める」から「受け流す」方へ戦いの指針を転換させる。
「づ、あァ……」
大剣を受け止めた刀をほんの少し、身体ごと右にずらしてヤツの力を逸らして落とす。
「グゥルオ?」
「はっ、はっ……」
ゴブリンキングは一撃で私のことを叩き潰すつもりだったのだろう。いつの間にか一歩横に逃れていたノアに不思議そうな目を向けた。
対してノアは今の攻防で息も絶え絶えだ。体力もそうだが、何より精神が削られている。
……目の届く範囲にフリーダは見当たらない。どこかに隠れたのだろう、賢明な判断だ。流石に彼女を守りながらでは戦えない。
「グウゥオォォ!」
「くそ……」
数メートル離れた場所にいるノアに向かって、ゴブリンキングは大剣を頭上に構えて突進してくる。
胴体はがら空きだが、そこに攻撃を入れた瞬間に返す刀で私の身体はペチャンコか真っ二つ。ヤツはそのことを経験で知っているのだろう、極めて有効な戦い方だと言える。
「ぐっ、あァ!」
大剣を受け止めた瞬間に受け流す。
ヤツの振るう大剣は地面にめり込み、その隙に胴体を一度斬りつけるがその石のように硬い皮膚に攻撃を弾かれた。
「グゥゥオ」
ゴブリンキングは地面から掘り上げた大剣を三百六十度、全方位へ適当に振り回す。
その攻撃による反発を利用し、また数メートルの距離をとって刀を中段に構える。
(考えろ、ノア)
考えろ、自分の武器を。
後悔は先に立たず、転ばぬ先の杖など誰も持っていない。
だからこそ足掻くのだ。明日を迎えるために、理不尽に耐え抜き一筋の光を見つける。あの雪山で学んだのはそういうことだ。
「アンクゥドゥジュ……」
「グゥオ?」
今日の朝、ウィリーが研究室で蛇を仕留めたあの魔術。
刀による攻撃が効かないならば、残る武器はこれだけだ。
エンジンは心臓、魔力は血管を通り全身を循環する。ウィリーの使っていたような杖は無いが、右手の先に身体に巡る魔力を……血を集めるイメージ。……大丈夫、これなら発動できる。
「グウオオォッ!」
ヤツはまたさっきと同じ突進を繰り返す。
確かにその突進攻撃は脅威だが、ノアとしても律義に付き合ってやる必要は無い。刀を構える振りをして、ヤツの大剣が届くその直前に身を翻して振り下ろしを避けた。
「グオッ」
咄嗟のことに反応が間に合わなかったゴブリンキングは体勢を崩し、さっきよりも深く大剣を地面にめり込ませる。
ノアはヤツの隙だらけの身体、その左胸……ヒトで言う心臓に右手を当てて、思い切り叫ぶ。
「『
ノアの叫びに応じ、魔術は発動する。
右手から紫電が迸り、それは間違いなくヤツの左胸を貫いた。
「ギィギャアアァ!」
ゴブリンキングの悲鳴が響き渡った。
バチバチと帯電しており、口から黒い息を吐き出していることからも間違いなくノアの攻撃は効いている。
だが、ヤツは止まらない。
「ギィ、グゥオォッ!」
ゴブリンキングを突き動かすモノは怒りだ。自身にダメージを与えたモノ、すなわちノアに対する憤怒の感情。
地面から勢い良く振り抜いた大剣を、遠心力を利用してノアにぶち当てる。
「~~~っ!」
テレフォンパンチ、見え透いた攻撃だ。
だが魔術が効いたことで気が緩み、その隙をつかれた。間一髪刀でガードしたが、そんなものは何の意味もない。身体の軋む音とともに、木々をなぎ倒しながら十メートルをノーバウンドで吹き飛ばされる。
「『
痛む身体に顔をしかめながらも、右手を前に突き出して魔術を唱える。紫電が空中を走りゴブリンキングに直撃する直前で、ひょいと。
「グオォォォ!」
「な」
右に飛びのいて身をかわした。
そのままヤツは私にジャンプして飛びかかってくる。その攻撃を刀でいなして数歩後退し、チッと舌打ちをする。
「っ、くそ……」
ゴブリンキングの大剣による猛攻は止む気配がない。ぎりぎりのところで避け続けながら、ノアは思考を巡らせる。
刀による攻撃は効かないことから、ヤツを倒すには魔術を当てる必要がある。だが、少し距離が離れただけでヤツは私の放った雷を避けた。しかも、心臓に向けて撃ったにもかかわらずピンピンしたまま。
要するに、ヤツを倒すには回避不可能の位置から必殺の一撃を叩きこむしかないということだ。
(課題は得た。さて、どうするか)
頭の中に思い描くは地図。
サリュ村に行くまで睨めっこしていたから目的の場所は覚えている、が、少し遠い。
なら、逃げるふりをして誘導する。
攻撃を受けながら、一歩一歩。大ぶりの攻撃は大きく後ろに避けて距離を稼げばいい。
「っ、ふ、……はっ」
簡単に言ったが、ヤツの攻撃は一発一発が必殺の一撃。
逸らすだけでも手は痺れ、戦いの緊張感か身体に酸素が行き渡っていない。だから、ミスをする。
「づ、……がぁっ!」
「グオォォ!」
大剣の防御に気を割き、瞬きをしたタイミングで腹部に突き刺さったのはただのパンチ。三メートルを超えるゴブリンキングの、恵まれた体格から繰り出される岩のようなパンチだ。
瞬間ノアは衝撃に意識を失い、ばしゃりと、身体をひんやりとした感覚に襲われることで目を覚ました。
「ぶはっ、ここは……」
感覚の正体は流れる水。どうやら、森の中に流れる川の中に落ちたらしい。
川の中で立ち上がり――水深は膝の少し上あたり――見失ったゴブリンキングの急襲に警戒する。右か、左か、それとも。
「上か!」
「グオオオォ!」
大剣を振りかぶり、私に向かって剣を振り下ろす。それを間一髪で避けると、着地の衝撃でヤツの全身がびしょびしょに濡れた。
ずぶ濡れのゴブリンキングはそのまま両手で大剣を後ろに構え、叫び声とともに周囲の木々を枯葉の様に吹き飛ばしながらの大回転を繰り出す。
それを小さく屈みこむことで避け、生じた隙をついてヤツの左胸に右手を添え、そして叫ぶ。
「『
右手から発された紫電はヤツの左胸を貫き、そして水の流れに沿って全身に伝播する。
「ゲ、ギャアアアァァァ!」
ゴブリンキングは喚き叫ぶが、大した抵抗も出来ずに魔術による雷に身を焼かれ続ける。
「づ、あぁぁぁ……」
私もそうだ。
川の中、お互いが水に濡れた状態で放った雷は魔物の身体だけではなく、ノアの身体をも蝕む。
「う、おおぉぉぉ……!」
だが、止まれない。
身体を直に焼かれているような痛みに唇を噛んで耐えながら、それでも魔術を放出し続ける。そして、
「ゲ、ギ、グ、ギィアァァ……」
最後に喉の奥から声を絞り出して抵抗を行うが、じきに魔物は完全に動きを止めた。
それを確認してから、私は焼けた皮膚を手で押さえながら陸へと上がり、吹き飛ばされた拍子に飛ばされて無事だったリュックの中からポーションを取り出し、その傷口に垂らした。
「っ、痛い……」
さらにもう一本を口に含み、その渋みと苦さに顔をしかめる。
だがすぐにポーションの効果が出始め、数分も経った頃には傷口はそのほとんどが塞がっていた。ウィリーの作ったポーション、効果高いな……それともポーションとはこんなものなのだろうか。
「……あの魔物も、確かに意識は無かったはずなんだけど」
何もかも、記憶の無い私には分からないことだらけだ。
川の中で膝をつき、それでもその目はしっかりとノアのことを捉えている。警戒し、地面に置いた刀を拾い上げようと屈んだ瞬間、いきなり視界が黒一色に染まった。
頭に浮かんだ疑問符が咄嗟の行動を阻害する。
「ぐ……っ、あ」
ヤツに上空に蹴り飛ばされたのだ、と認識したのは空中で、体勢を立て直すための一秒に、ジャンプで跳び上がったゴブリンキングが地面に叩きつける一撃を放つ。
「……が、はッ」
だんだんと視界は薄れていき、ただ焦燥感だけが胸を支配したままノアはその意識を失った。
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