第3話 フリーダ登場

 家を出る時老魔術師に持たされた二つの道具の一つ、魔物除けの鈴をリンリンと鳴らし、もう一つの道具である自身の現在座標を示す地図とにらめっこしながら森の中を歩き続ける。


「そもそも、ウィリーもミスタ・メルヒヌールも記憶喪失の人間におつかいなんか頼むか、普通……?」


 そんな愚痴をこぼすと、それに応えてくれたのはグルルル……という獣の唸り声だ。

 鈴を大きくリンリンと振ると、どういう原理かその声は遠くへと去っていく。 

 ほっと安堵のため息をつき、地図で自身の現在位置を確認する。本当にこの道……ともいえない通り道で合っているのだろうか。持たされた地図が正しいのなら、この辺りから街道に出られるはずなのだけれど。

 その場にいったん立ち止まって辺りを見回す。


「あの光……もしかしてあそこかな」


 背が高い密集した木々に遮られてあまり光の入ってこない森の中で、少し先から眩しい光が差し込んできている。

 地図で確認。

 間違いなく、サリュ村へ向かう道はあの光の奥にある。なら問題は無い。光に向かって突き進み、周囲の確認などすることもなく森を抜ける。

 そして、ノアが街道へ降り立った瞬間のこと。


「きゃあああぁぁぁーーっ!避けてええぇぇーー!」


 すぐ横から女性の悲鳴が聞こえてきた。何事かと声のした方を見ると、もう避けることの出来ない位置に自動車が迫っている。

 どうやら私は、街道のど真ん中に警戒も無しに飛び出てしまったらしい。


「あ」


 目の前にいる自動車にいささか間抜けな声を発したノアは、身体に大きな衝撃が伝わると同時にその意識を失い。

 

 そして次に目を覚ましたとき、彼はふかふかの大きな天蓋付きのベッドに横たわっていた。


「うわっ!」

「あ、起きた!」


 その状況を飲み込めず慌てて飛び起きると、ベッドの横に椅子を持ってきてノアを心配そうに見つめていた女の子が嬉しそうな声を上げる。

 その子は私と同じくらいの年齢だろうか。肩にかかるくらいの光を反射して輝く綺麗な金色の髪に、見ていると吸い込まれそうなほど透き通った青色の大きな瞳。

 真っ白のワンピースには染み一つなく、所々にあしらわれた装飾が彼女の美しさをより引き立たせている、と感じる。


「えっと、私は……」

「大丈夫?自分の名前とか、ちゃんと覚えてる?」


 私は女の子の言葉に頷く。

 名前はノア。ちゃんと覚えている。……全く、昨日の今日でまた記憶を失うなど冗談にしてもたちが悪い。ほっと安心の息をついて、彼女にありがとうとお礼の言葉を口にした。


「いいよ、というか不注意だったのわたしの方だし……。こちらこそ、ごめん。治療はしたけど、痛いところとかない?なにかあったらなんでも言ってね?」

「は、はい」


 ぐいぐいと女の子は私に顔を近付け、彼女の綺麗な金髪からふわりといい匂いが漂ってくる。慌てて、優しく押しのけると女の子は少し顔を赤らめた。


「あ……ごめんなさい。自己紹介が先でしたよね、わたしはフリーダ。フリーダ・ベリハークと言います。あなたは」

「ノア、です」

「ノアくん、ノアくん……ん、覚えた。それでねノアくん、実はもう一つあなたに伝えないといけないことがあって」


 そう言うとフリーダはばつが悪そうに足元から汚い、それに臭いリュックサックを取り出す。

 確認するまでもない。ウィリーにサリュ村で売るためのポーションをパンパンになるまで詰められたあの年季の入ったリュックサックに他ならない。


「本当にごめん!いくつか無事なものはあったんだけど、ほとんどが事故の衝撃で壊れちゃって……。ノアくんさえ良ければわたしに買い取らせて欲しいんだけど……」


 ウィリーからは全て売るまで帰ってきてはならない、と言われている。彼女が全て買い取ってくれるとすれば願ったりかなったり……本当にそうなのだろうか。

 「ポーションは辺境の村々にまで行き届かない」とウィリーの言葉が脳裏によぎる。もし私が事故にあったせいで、今も病気や怪我に苦しんでいる人たちがいるとしたら……。


「すいません、ミス・フリーダ。ご厚意は嬉しいのですが、残っているものだけでも売りに行かせてください」

「……ん、分かった。じゃ、私もついていく。ノアくんのお手伝いさせて欲しいの。……ダメ?」


 またもや顔を近付けて、目を潤わせながら私に向かってお願いする。……こんなの、断れるわけないじゃないか。

 赤くなっているだろう頬を隠すように頷くと、フリーダは顔をほころばせて私の手を握る。


「よろしく、ノアくん。っと、父さんに伝えてくるからちょっとだけ待ってて!」


 そう言って、フリーダは駆け足で部屋を出ていく。

 あ、と呼び止めるがもう遅い。……そういえばここがどこなのか、今何時なのか聞くのを忘れていたと思い出したのだ。


「まあ、すぐに分かることか」

「いいよ、出てきてー!」


 フリーダの言葉に従ってベッドから立ち上がる。

 ……結構な勢いで衝突したと思ったのだが、特に外傷は見当たらない。治療をしてくれたフリーダには感謝しかない。

 部屋の机に置かれていた、無事だったポーション十数本をリュックの中に入れて部屋から出ると同時に感嘆の吐息を漏らす。


「すごい……」


 見たことも無い……記憶がないので当たり前だが、豪華絢爛な屋敷の内覧――宙に浮かぶシャンデリアに大理石の床、階段には赤に金の刺繍を施されたカーペットが敷かれている――に圧倒されているとフリーダに手を引かれた。


「早く行こう!市場は六時までだから、あと二時間くらいしかないよ!」

「あ、はい」

「わたし、堅苦しくない方が好きなの。いい?」

「……ん、分かった、フリーダ」


 ウィリーに対してと同じように話し方を変えると、フリーダはよしと満足気に頷いた。

 そのままノアの手を引いて、二人は田畑に囲まれたあぜ道を通り抜ける。その間にノアはフリーダと様々な会話を交わした。


「あのお屋敷って……」

「わたしの父さん、ここら一帯を治める貴族なの。ベリハーク家。……知らないってことは、ノアくんってここらの出身じゃないんだね」

「……、おそらくは?」

「なにそれ。おもしろい」


 けらけらと目に涙さえ浮かべてフリーダは笑う。

 外に出るにあたって彼女は麦わら帽子をかぶっているのだが、それがまた唸ってしまうほど良く似合っている。


「私、何時間くらい眠っていましたか?」

「うーん、そこまでだよ?二時間ちょっと。小説を一冊読み終わるくらい」


 小説……語句として理解はしているが、まだ実際に見たことは無く興味をそそられる。ウィリーの部屋にあったものは学術書ばかりだったし、帰ったらメルヒヌールに相談してみようか。


「今読んでるのはね、悲劇の賢者メルヒヌール、彼とフランチェスカの恋物語。もうこれが泣けて泣けて……あ、読み終わったら貸してあげるね」

「あ、ありがとう」

「友達だから、当然だよ」


 友達……ともだち……、誰と誰が、私とフリーダが、フリーダと私がに決まっている。


「え……ごめん、嫌だった?そしたら」


 途端に悲しそうな顔になるフリーダにぶんぶんと顔を横に振ってこたえる。


「嫌じゃない!すごく光栄だ、嬉しい。……だけど、聞いてもいい?どうして、私なのか」

「わたしを見て、なにも言わなかったから」


 それでは答えになっていない、と思ったのだが彼女的にはそれで終わりらしい。

 そして当初の目的地であったサリュ村の市場へ到着し、その話は終わりとなってしまった。


「さー、安いよ安いよ!ウチで捕れた新鮮な魚たちだ!残りすくねぇからおまけも用意してあるぜ!」

「奥さん、総菜はいらねぇか?そら、ウチの肉で作ったコロッケさ。晩の一品にちょうどいいぜ」


 市場は活気に満ちて、人でごった返している。なんでも今日は月に一度の大市場で、近隣の村からも人や店が集まっているのだとか。

 肉、魚、野菜といった食料品の他に、酒や道具、武器や防具の店まである。

 しかし、私はどこに行けばいいのだろう。ウィリーは「行けば分かる」と言っていたが……。


「あれ、あの店人いないね。どんな店でも最後まで開けておけるほどの品物は持ってくるはずだけど……」

「あー……」


 あの無人の店が私の場所だ。

 確かに行けば分かる。こんな活気のあふれる場所で、ただ一区画だけ人気のない場所があれば。


「フリーダ、あそこが私の店だ。ウィリー……私にポーション販売を頼んだ、あー、同居人?が取った場所だと思う」

「ウィリー?ウィリーってウィリー・マクドネル?」


 頷く。確かに彼は自己紹介でそう名乗っていた。

 私が知らないだけで彼は有名人なのだろうか。聞くと、フリーダは笑って答える。


「ウィリーはここ、サリュ村の出身だからね。幼い頃は良く遊んでもらって、いつの間にか魔術学院に行っちゃって、帰ってくるなりどこぞの魔術師の弟子になっちゃうもんだから!」


 フリーダはぷんすかと頬を膨らませながらもリュックから取り出したポーションを横一列に並べ終わると、これでいい?と私の方に振り向く。

 値段は……そういえば、ウィリーに値段を聞くことを忘れていた。


「フリーダ、ポーション一本の相場ってだいたいどれくらいなんだ?」

「ウィリーは一本三百メシアンで売ってるよ?」

「分かった」


 他の店を見習って、店の机にしまわれていた厚紙とペンで『一本三百メシアン』と書き、見える場所に置いておく。これで分かるだろう。

 現在時刻午後五時少し前。市場が閉まるまではあと一時間ほどしかないが、すべて売り切ることが出来るだろうか。

 フリーダとともに店に置いていた椅子に腰かけ来客を待つ。


 何もせず待ち続けることしばし。

 結局、ポーションを買いに来たお客さんは一人もいなかった。


「あー、えっと……やっぱり、わたしが買い取ろうか?」

「いや……大丈夫、平気。ありがとう、フリーダ」


 そうは言ったものの、実際少し心にダメージを受けていた。

 時間が足りなかった、宣伝が足りなかった、もしもっと商品の数を並べていれば誰かの目に留まったかもしれない、いやそもそも売っているのが私ではなくウィリーであれば結果はきっと違った。

 フリーダは関係ないのに……とは言えないが、それでも彼女にこんな心配そうな表情をさせるのは違うだろう、とも思う。

 人通りはほとんどなくなり、ほとんどが店じまいを始める中でフリーダは隣で魔術道具を売っていたおじさんに話しかけた。


「ねぇ、少しいいかしら」

「あれ、お嬢さん。こんな場所にいるなんて珍しい。あっしになにか用ですかい?」

「市場の盟主であるあなたなら分からないかしら。彼とわたしの出品したポーションがなぜ全く売れなかったのか」


 ノアはきょとんとする。

 市場の盟主、とはなにか分からないがここの権力者という認識でいいのだろうか。それでも、そんなこと彼に分かるわけも無いだろう。

 だが、帰ってきた答えは予想に反して意外なものであった。


「ええ、まあ、そりゃ」

「え!」

「それ、ウィリー坊やの作ったポーションでしょ?」


 おじさんの質問に首を縦に振って答える。だろうな、と納得したように呟き、さも当たり前の事実であるかのようにその理由を教えてくれた。


「そりゃ、昨日の夜アイツが一軒一軒尋ね回って『ポーション要りませんか?要らなくても買っといてください』って押し売りしてたからなぁ。そりゃ売れるわけねぇよ」


 おじさんの言葉はいったいどういう意味なのか、それを考えながらベリハーク家への帰り道をフリーダとともに歩いている。もちろんポーションも一緒にだ。


「ウィリー、どういうつもりなんだろ……」


 フリーダの言葉に私は何も答えられない。

 確かに彼は、ポーションを売ってきてと言って、多少の想定外はあれどあれでは私がポーションを完売できる未来は永遠に訪れなかっただろう。


「もー、あー!なんか考え出したら腹立ってきたっ!ノアくん、わたしも一緒にウィリーのところに連れてって。あいつ、一発殴ってやる!」


 しゅっしゅっ、とシャドーボクシングを行いながらフリーダは叫ぶ。

 それを横目に笑みを浮かべながら、ノアはフリーダをあの家に連れていくことを考える。メルヒヌールにウィリー、別になにも問題はない。

 そう……友達を家に呼ぶことはなんの問題もない。


「うん、分かった。けど、今から帰ろうと思うんだけど大丈夫?」


 もうすぐ暗くなるし、今日は老魔術師の家に泊まることになるけれど……ということだがフリーダは分かってくれただろうか。


「だいじょうぶ!あ、だけど父さんに報告だけしておいてもいい?きっと心配されるから」


 屋敷に到着し、中に入っていくフリーダを門の前で待つ。と、数分も経たずに戻ってきた。

 まる、と頭の上で大きくジェスチャーしていることから、無事父親の許可は取れたのだろう。くるり、とターンして楽しそうに告げる。


「行こっ、ノアくん」

「うん」


 日は傾き始め、魔物除けの鈴があるとはいえフリーダと共にいるなら真っ暗になるまでには帰りたい。

 あと一時間くらいか。行きが地図をたびたび確認しながらそのくらいだったので、おそらく大丈夫だとは思うが……。


「では、しゅっぱーつ!」


 フリーダのそんな呑気な声に先導されながら、二人は街道を経由して森の中へと入っていった。

 夜の街は危ないよ、なんて平民の常識を、記憶喪失の少年と貴族の箱入り娘が知っているはずがないのだから。

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