第2話 夢、記憶の断片

 吹雪吹きすさぶ中、雪に足を取られて地面に頭から突っ込んだ。


「貴様ァ!一体誰が休息をとっていいなどと言ったアッ!」


 その瞬間、訓練教官が待ってましたとばかりに怒号とともに鞭を振るい、私の肉をこそぎ落とす。

 私たちを教育の名のもとに痛めつける行為はヤツの生きがいであり、もし反抗しようものなら独房という名の拷問部屋で精神を殺される。

 だから、ヤツには逆らうことが出来ない。


「申し訳、ありません、教官どの」

「謝る元気があるのなら、立ち止まる必要など無いだろうッ!さっさと訓練を再開しろ!」


 全力で尻を蹴り上げられ、全身の魔力回路を稼働させて走り出す。

 現在、連続稼働二十八時間三十九分。「三十分の休息で三十時間の活動を可能にする兵士の作成」をコンセプトに私たちは集められたらしいが、その試みは失敗と言わざるを得ない。少なくとも、こんな状況でクライアントの依頼を十全に達成できる可能性は低い。


「はっ……、はっ、……うぅ、あぁ」


 私の後ろで誰かが倒れた音がして、すぐに教官が駆け寄り鞭を振るい出した。


「また貴様か、342番!貴様はいつも倒れているが、そんなにも地面が恋しいのかァ!うん?」

「……う、ぅ」


 前を走る私たちはその様子をちらりとだけ確認し、そして同じ思いを抱く。

 あぁ、アイツはもう駄目だ、と。

 ヤツの振るう鞭に反応を返せるというのは生きている証拠だ。苦痛はいかなる時にも平等に身体を蝕んでくれる。

 事実、次の日彼は眠るように息絶えた。教官はひとしきり彼を鞭で叩いた後、脈が無いことを知るや焼却炉へ放り込み、何事も無かったかのように持ち場へと戻ってくる。


「グズグズするな!貴様らゴミどもに生きる環境を下さった慈悲深き王に感謝し、来たる日のため訓練を続けろッ!」


 ああ、名前も知らないとはいえ、地獄に似た訓練をともに行ってきた同期が死に、そのことに黙祷を捧げることすら許されない。

 ……いや、違う。私はただ、怖いのだ。

 この世界に生きた証が無く、名前すら知られず、ゴミか何かのように捨てられ、数時間後クソよりまずいレーションを食べる頃には既に忘れ去られている。

 こんな人生は嫌だ、なんて。

 そこから抜け出そうとする度胸もないくせに、一丁前に私のことを助けてくれるヒーローをいつまでも待ち続けている。




「おはよう、ノア。よく眠れたかい?」

「……はい。ミスタ・メルヒヌール、おはようございます」


 地下の、私に与えられた部屋から出て廊下を進むと、その突き当たりには長い階段。それはリビングに繋がっており、メルヒヌールがソファに座って眼鏡をかけ新聞を読んでいた。


「おはよう、よく眠れたかい」

「……はい」


 彼の目の前に置いてあった椅子に腰かけ、考えるのは夢、あの雪山のこと。


(アレは一体何だったんだ?)


 アレは夢だ。だが、ただの夢じゃない。どこかで私が実際に体験した記憶の断片だ。記憶は無いが、精神が、心がそうだと理解している。

 なら、あの場所に私を知る手掛かりが残されているのだろうか。

 だが、あの場所はどこだ。窓の外に広がるこの森じゃない。文献で探して見つけられるか、いや、もしかしてこの老魔術師なら知っているのではないだろうか。

 ノアがじっと見つめていると、メルヒヌールが首を傾げて問いかけた。


「どうしたんじゃ?」

「……ミスタ・メルヒヌール。少し聞きたいことがあるのですが」


 読んでいた新聞を閉じ眼鏡を外して聞く姿勢を取ってくれた彼に、自身の見た夢の話をする。

 駄目で元々。何か少しでも情報を得ることが出来たならば御の字、というスタンスで始めた話は続けるにつれ老魔術師の表情を渋くしていく。

 ノアが一通りを離し終えると、メルヒヌールは眉間をつまんで心を落ち着かせるように薄く長い息を吐いた。


「なんでもいい、なにかご存知では無いでしょうか?」

「……『機械製造工場ファクトリー』そう呼ばれる施設があった。目的はノアが夢で見た通り、戦争においていつまでも活動を続けることの可能な兵士の作成」

「っ……それ、どこにありますか」


 ノアは椅子から身を乗り出す。

 自身の過去の可能性が手を伸ばせば届く場所にあるのだ。気が逸らないわけがない……が、メルヒヌールはそんなノアを手で制する。


「期待しているところ申し訳ないが、ファクトリーは10年も前にとある魔術師によって壊滅させられた。当時の記録も含め、今はもう残っていない」


 すとん、と力が抜けた。

 もちろん、あんな人を人とも思わないような施設が存在していい道理はない。潰れたというなら、その事実は歓迎するべきだ。

 だけど、これでまた私の記憶に関しては振り出しだ。


「そう気を落とすな、ノア。夢として見たというなら、それはお前の記憶が無意識に眠っていることの証明となる」

「そうでしょうか……」

「そうさ。ワシが保証しよう。遠からずお前さんは自身の記憶を取り戻すことが出来るだろう」


 老魔術師はにっこりと笑い、私の頭を撫でる。

 昨日眠る前にも感じた安心感がノアの心を支配する。老魔術師の口に光る金歯も、その慈愛に満ちた表情も、彼の全ての所作から他人に向けるものでは無い愛情を感じる。

 もしかして記憶を失う前、私はこの老魔術師とかかわりがあったのだろうか。

 とりとめのない話をしながら、メルヒヌールと朝食――焦げたパンにバターを塗ったもの、それに苦いコーヒー――を食べ、地下の私が目覚めたあの部屋に戻るために階段を降りる、と。


「お」

「……ウィリー、おはようございます」


 そのまま彼の横を通り過ぎようとした私をウィリーが呼び止める。


「待った、ノア。今日、今から何か予定はある?」

「いえ、ありませんが……」

「良かった。なら、少し手伝って欲しいことがあるんだ」


 怪訝な表情を浮かべる私を引き連れてウィリーが案内したのは自身の研究室……昨日、メルヒヌールが言っていた場所だ。

 そこに足を踏み入れ……いや、足の踏み場がない。書類や大量の書物、魔術に使うのだろう道具たち、部屋の端では実験動物たちがちゅうちゅうと鳴いている。

 この部屋の惨状を見て理解した。昨日ウィリーがこの部屋を共同で使うことをしぶったのはこのせいだったのか。

 しかし当のウィリーはこの部屋を見ても何も感じていないようで、ひょいひょいと僅かな隙間を縫って自身の机に辿り着く。……まさか、彼の中ではこれで「綺麗」なのか?追求すべきか、いや、やめておこう、つついてはならない蛇もいる……。


「ノア。こっちに来て」


 どうやって、という言葉を飲み込んでウィリーの通った足順で一歩一歩慎重に進む。が、途中で踏んづけたプリントに足を滑らせ背後に倒れてしまう。


「痛いっ」

「シャーーッ!」


 部屋中にまき散らされたプリントの中から現れたのは一匹の蛇だ。声を上げる暇も無く、その蛇は僕の頭の上に落ちてくる。それを、


「『雷よ走れアンクゥドゥジュ』!」


 紫電一閃。ウィリーが無造作に振るった杖から飛んだ雷撃が蛇に直撃し、丸焦げになって顔のすぐ隣に焼けて落ちた。

 確実に死んだと思われたその蛇は、もぞもぞとその身体を動かしたかと思うとすぐさま脱皮し、丸焦げになった皮をその場に残して猛スピードで部屋の隅に隠れてしまう。


「な……」

「シェードスネイク。いったいどこに行ったのかと探していたんだけど、まさかプリントの中に隠れていたなんてね」


 はは、とウィリーは笑うが、私にはなにが面白いのか全く理解できない。とりあえず愛想笑いを返しておく。

 ウィリーはその焦げた蛇の皮を掴み、机の上に無造作に十以上置かれた大きなガラス瓶の一つにそれを放り込んだ。

 その後に私を引っ張り起こして、極めて朗らかにウィリーは話しだす。


「さっきの、ちょっと危なかったね。シェードスネイクの毒は結構強いから」

「……?」

「体液一滴でも口に含めば、三日は死の淵をさまようことになってたってこと」


 彼は笑うが、そんな危ない生物を放し飼いにするなよと思うのは僕だけじゃないはずだ。

 無頓着、ウィリーを一言で表すならそれがちょうどいい言葉だ。……仕方ない、この部屋は使う前に大掃除をしよう。ミスタ・メルヒヌールに掃除用具を借りなければ。


「ま、それは置いといて。手伝って欲しいこと、っていうのはこれ」


 そう言うと、ウィリーは部屋の隅っこに天井に達するほど積み上げられていた段ボールの、その真ん中らへんを抜き出した。当然その上に置いてあった段ボールは床になだれ落ちたが、ウィリーはそれを気にする様子もない。

 促されてその中を見ると、そこにはポーションと思われる小瓶が数十敷き詰められている。


「ノアには、ここに入っているポーションをサリュ村で売ってきて欲しいんだ」


 私が顔に疑問符を浮かべていると、ウィリーが補足を始めた。


「ポーションってすごく大事なモノなんだよ。主に冒険者が使っているから勘違いしている人も多いけど、怪我や状態異常だけじゃなくて、風邪みたいな軽い病気も治せるんだ。栄養ドリンクとしても使えるし、まぁ一家に二、三本置いておいて損はない代物でね」


 ウィリーは半ば恍惚としてスラスラと言葉を紡いでいく。

 ポーション……その存在と機能は理解しているが、この部屋に置いてあるということは彼が作ったのだろうか。

 よいしょ、とそれを私の足元に置いたのち話を続ける。


「で、ノアには今日サリュ村の市場でこの段ボール一箱分のポーションを売ってきてもらいたいんだ」

「まあ……それくらいなら大丈夫ですけど」

「ほんと?ありがと、ノア」


 ノアがそのお願いをしぶしぶ了承すると、ウィリーは嬉しそうな顔ですぐそこにあった黄色いリュックサックに段ボールの中のポーションを一つ一つ移し始めた。

 その様子を見ながら、ノアはウィリーに質問する。


「ウィリーは付いて来てくれるんですよね?」

「ああいや、僕にはやる事があって……けど、ポーションって作るのに資格が必要で辺境の村には行き届かないことも多いんだ。そういう人たちがもしポーションを必要としていたら、と考えたら店を休むわけには行かなくて」

 

 ウィリーはまるで私のその質問を予期していたかのようにスラスラと言い訳をまくし立てた。

 だが、そう言われても私はポーションを売りに行く……サリュ村?がどこにあるのかも分からない。それを聞くと「ああ」と彼は頷き、さらりと答える。

 

「そのための道具は師匠が貸してくれる。とりあえず、行ってきてくれないかな」

「え、ええと……」


 ろくな抵抗も許されないまま、私はウィリーに背中を押されて階段を上る。

 いや、ポーションを売りに行くのは構わないのだが、押し付けられている感覚があってそれが少し気持ち悪い。

 重いリュックを背負わされてリビングへ行くと、新聞を読み終わったのか眼鏡を外したメルヒヌールがこちらを振り向いた。


「ノア、使いか。なら、そこの棚の二段目に入っている鈴と地図を持っていきなさい」

「えっ、あ、はい……」


 メルヒヌールの言葉通り、リビングに備え付けられたタンスの二段目には二つの道具が入っている。

 それらを手に取り、一瞬動きが止まった。どうして何も言っていないのに私がサリュ村へと向かうことが分かったのだろう……ああそうか、今の私は大きなリュックを背負っている。


「それじゃ、行ってきます」

「ああそうだ、ノア。そのポーション、売り切れるまでは帰ってきちゃダメだよ」

「え」


 行ってらっしゃい、と手を振る二人に追い出されるかのように家を出る。

 地図はこの周辺のもので、中央にこの家が、周囲は森に囲まれており、向かうべきサリュ村は北東方向へまっすぐ進んだ場所にある。

 それに、地図上にピコピコと浮かんでは消える赤い点。私に合わせて動いているが、これが自身の位置を示しているのだろう。


「はぁ……」


 私はやるといったことを反故にする気はない。

 とにかくサリュ村へ向かおう。そうすれば自ずとやるべきことは浮かんでくるはずだ。

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