第52話「復讐の時」

 アリスは涙を流し赤く腫れた顔で自らの足元に投げ出された短剣と魔王を交互にみる。


「私が……ですか? 」


「そうだ、貴様がこの王を殺すのだ。父である勇者のためにも。襲われた村人のためにもだ」


 あまりのことに聞き間違えかと思ったのかアリスが尋ねると魔王は念を押すように言う。


「私が……父の……皆の……仇を? 」


「分かっただろう。この男はクズだ、言うに事欠いて貴様の両親は殺されたことを、死んだことを幸せに感じているなどと口にした。この者はもはや宝石泥棒とは訳が違う。勇者の無念を晴らすのだ」


 もはやうつろな状態のようなアリスに魔王が再び言葉をかける。するとアリスは短剣を手に取りゆらゆらと立ち上がった。


「お父さんの……無念……」


 ブツブツと呟きながらゆっくりと歩み寄る彼女を見て王が悲鳴をあげる。


「やめろ! やめてくれ! 」


 この場で相手がゆっくりと歩み寄る場合、何か策を考える時間が生まれたと考え起死回生の一手を撃ってくるものもいるだろうが、王はそうではなく短剣を手にゆらゆらと力なく、しかし確実に一歩一歩近付いてくる彼女と死への恐怖心しかないようだった。


「そんなに怯える必要は無い。貴様も貴様が語った勇者の様にあの世で誰かと再会することが嬉しいのではないのか? この場を逃れたとして小娘に殺されかけたなどという汚名を被ったまま生きるなら死んだ方が幸せなのではないか? 」


 魔王が見下ろしながら皮肉たっぷりに言う。


 アリスが遂に玉座の前の階段へと到着した。先ほどの様にゆらゆらとゆっくりながらも一段一段を確実に登る。そして彼女は遂に王の前に立った。魔王は彼女が事をなしやすいように後ろへと退く。


「……お父さんの、メイさんの家族の……仇……」


 そう言いながら両手でガッシリと短剣を持ち構えた彼女だがその手は震えていた。むう、もう一押し必要か。そう考えた魔王は彼女の復讐心を掻き立てるべく口を開く。


「さあ、後はランにやったようにその短剣を思い切りその男目掛けて振るうだけだ。この男を生かしておいたらまた村が襲われブレドやメイのような犠牲者を生むかもしれん、正義のためにも迷わず胸に短剣を突き刺すのだ! 」


「あああああああああああああああああああああああああ! 」


 彼女はその声に従うように叫びながら短剣を下ろした。正直なところ、正義という言葉を使わずに復讐心のみで彼女に王を仕留めてもらいたかったのだがこの際仕方がない。だが正義という大義を得た者は止まらぬ。それは勇者の娘とて、いや勇者の娘だからこそ止まらないだろう。及第点と言ったところだが、これでこの娘を堕とす第一歩は完遂した。そんなことを考えながら魔王はアリスが剣を下ろすのを満足そうに見つめる。


 やがてガアン! という音が室内に響いた。確かにナイフを刺しただろうが人に刺したにしては音がおかしい、魔王は眉を顰める。不審に思いみてみるとそこには泡を吹いて失神した王と床に短剣を刺しているアリスの姿があった。


「どういうつもりだ」


 魔王が刺々しい声で尋ねるとアリスは涙を流しながら振り返らずに答える。


「ここで、この人を殺めても父も母も喜びません。それに……」


 そこまで言いかけてアリスが言いごもる。それを気にせず魔王は彼女に激しく問い詰める。


「ならばここでこの者を殺さねば、復讐を試みたこの者によりまた同じことが起こるぞ。まさか貴様は我に全ての村へと周りその度に兵士を追い払えというのではあるまいな? 」


 その眼には激しい怒りが込められていた。ここまでした彼の努力を踏みにじられたという想いが強かったので彼にしてみれば当然と言えよう。


「いえ」


 アリスは手で涙を拭いながら振り返りそんな彼の眼をみつめる。


「あの方には殺める以外の罰を受けてもらいます。そのために魔王さんの力が必要なのは否定しませんけど」


「どういうことだ」


「先ほど『ゲート』でどこかに飛ばした人達をセントブルクに解放してあげてください」


「解放してどうする」


 魔王が腕を組み見下ろしながら尋ねるとアリスは笑顔になった。


「それだけです」


「それだけだと? 」


 魔王が目を見開く。


「はい、ただ解放するだけです。それだけで恐らく先ほどの会話を聞いていた兵士の方々が街でその話をすれば、それだけで王様は皆からの信頼を失ってしまうと思います」


 アリスの言う通り、兵士達が街の人々に話せば彼らが我の言葉を信じる以上、魔王と繋がっている王など国民が許すはずがない。地位を失って処刑の考えもあるだろう、とただひとつの欠点を除いて魔王は納得した。


「だが」


 そう言って魔王は彼女の言う作戦のたった一つの欠点を指摘する。


「兵士がそうしなかったら? 忠誠心が高くそのことを最後まで抱えるとしたら? もしくは王のしたことを正しいと感じるもので我の話を信用していなければ? 」


 アリスは一瞬視線を逸らしかけたが決意したように再び見つめる。


「その時は、もし兵士の方が何も行動を起こさず王様もまた私を追ってどこかの村を襲うことがあるのならば……私が今度こそこの人を刺します」


「ほう」


 真剣な眼差しでいう彼女に魔王は納得したような反応を返す。しかし、内心では甘いと考えていた。この勇者の娘は甘すぎる、と。しかしそれと同時にそうなれば良いと考えた。どのみち人間が何人死のうが魔王にしてみれば関係ないのに加えそうなると今度こそアリスは絶望して王を殺めるだろう。そしてその時の彼女の心は今回殺すときよりも乱れるはずだ。むしろ魔王としてはそちらの方が得が高い様に感じたのだ。


「それでは帰るぞ」


 魔王はそう言って指をパチンと鳴らしてゲートを出現させようとしたが指を止めた。


「待て、その前に丁度いい時間帯だ。先に四人を迎えに行くぞ」


 アリスが頷く。このような騒動がありすっかり忘れていたが、陽は既に沈んでいてアリー達四人の勤務が終わる夜になっているのだ。加えて王の手下を解放したらたちまち魔王とアリスのことも知れ渡るであろう。そうなって彼が薦めた四人に対して危害が加えられるのは四千万ノードの苦労を考えると避けたかった。


 魔王は今度こそ指を鳴らしセントブルクへの『ゲート』を開くと中へと入っていった。
















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