地下街の希望、ナターシャ・ロレンツ
「ナターシャ 早くいかないと遅れちゃうよ」
「ハルカ わかった今行く!」
化粧室で己の身だしなみの最終チェックを終えたナターシャ・ロレンツは友人のハルカの元へと急ぎ足で向かって行った。
「はー 緊張するね ついに来てしまったって感じ」
「うん 来ちゃった...」
今日は二人の就職採用面接当日。リンク社などの名だたる企業の受付業務を担っている会社、アクセプト社の面接日なのだ。
そしてアクセプト社はナターシャの第一志望の企業でもある。それ故彼女の心の中は尋常じゃないほどに緊張していた。しかし、不安もあるが自信もあった。なんとしでも採用を勝ち取るため、アクセプト社で働いている受付の人達にアポインメントを取り、実際に採用されるにはどのような事をするのか注意深く聞いた上で、3年の歳月をかけてコツコツと求められる人物像になるべく努力をしてきたからだ。
完璧にお客様に対応できる人物像を目指すために、学校でもプライベートでも笑顔を絶やさずに相手とうまくコミュニケーションを取るように心掛けていたせいか影で八方美人だと言われていることにナターシャ自身も気付いている。
しかし、それでもアクセプト社を目指すには訳があった。その訳は就職に不利である条件でも同時にあるのだが。
それは、ナターシャ・ロレンツは純人間であるということ。そして彼女は家族と共にデイワ区地下街に張り巡された巨大な使われなくなったパイプの中に無造作に建築されたコンテナ状の箱の中で生活している。父親は改造パーツの修理を母親は掃除業務を兄は違法ドラッグの売買をして生計を立てていた。純人間ではビジネス街で働くことも出来ないと希望を失った彼らを見てきたナターシャはなんとしてでも地上で遺伝子改造人間の者達と働き生活水準を上げて希望を取り戻したかったのだ。
当初は皆にどうせ無理だと反対され、金も無いのに大学に行けるかと言われていたが、十二番目のナイト様による援助をもらうことでなんとか大学に通う事ができた。すると徐々に家族も全面的に支援してくれるようになり、今では近所の人も応援してくれている。一人の就職活動でなくなった今は絶対に落ちることが許されないのだ。さらに十二番目のナイト様は「これはボランティアではない 採用を勝ち取って皆に希望を与えなさい それが大学資金を援助することの見返りよ」と仰っていたのだ。
一方、友人のハルカは大学で知り合った遺伝子改造人間。特段ナターシャのように努力することもなく、平然と課題をこなしていく生粋の優等生だ。今だ自分が純人間であることは言えていないが、仲の良い友人である。今回の採用面接ではライバルになる訳だが、ナターシャも負けてはいないと思っている。努力をしてハルカ同等のタスク処理はできると自負しているし顔もハルカよりは美人であると思っている。遺伝子改造人間よりも美人な純人間は少ない。近所のおじさん達が割と本気でナターシャを応援してくれるようになったのはナターシャの顔がビジネス街でも通用すると思ったからだろう。
「じゃあ また後でね お互いがんばろっ!」
「うん ナターシャもねっ!」
面接会場であるアクセプト社本社に到着したナターシャはハルカと別れ、それぞれ指定された部屋へと向かった。
面接官が待っている部屋の前には三脚ほど椅子が置かれており、就活生は順次ここで待機してから自分の順番が回ってくるとあの真っ白な扉を開け、己の未来をかけた戦場へと足を踏み入れていくのだ。
ナターシャが志望した分野は勿論、受付の仕事をするお客様対応センターの部署だ。志望するだけあって椅子で待機している他の二人の就活生はどちらも美人だった。大学では割とカースト上位の部類に入っていたと思っているナターシャは顔面偏差値も70はいってると信じていたが、それも井の中の蛙。受付を志望する者は綺麗な者が前提だったのだ。企業側としては顔で判断はせずにその人の内面と将来性を見ると言っているものの裏ではそうでもない。中途半端なレベルの顔では書類審査の段階で弾かれているにちがいない。
「次の方、どうぞ」
部屋の中から面接官の声が聞こえてきた。ナターシャは意を決して戦場へと足を運ぶ。
「失礼します!」
扉を開け中に入ると、音を立てないようにそっと閉め面接官の前に置かれた椅子の後ろへと立つ。
「デイワ大学文化通信学部から参りましたナターシャ・ロレンツと申します。よろしくお願い致します」
「よろしく 私はアクセプト社で受付指導をしておりますミシマと申します。どうぞ椅子におかけになってください」
「では、失礼します」
ナターシャは背もたれに背中をつけないようにし、そっと綺麗に座った。
「早速ですが、本社を志望した動機をお教え願います」
そして、ナターシャの採用面接が始まった。
志望動機を話し、面接官のむりゃぶりに対応をし、電話対応、クレーマー対応などの簡単なテストをした。ナターシャ個人的には準備の甲斐もあってか8割型は対応できたと感じていた。手応えを感じる。それは面接官の表情を見てもこれはいい反応をされていると感じとれたからだ。
しかし、最後の質問でナターシャが聞かれたくない質問が来てしまった。
「えー ナターシャさんは遺伝子改造を受けていますでしょうか?」
この質問に対して正直に答えなくてはいけないのだろうか。大学では今まで友人にも打ち明けずに隠してきたことだ。だがここは採用面接。嘘をついても書類を見られればいずれはバレてしまう。なら答えなくてはならないだろう。嘘偽りなく。
「はい 私は純人間です」
「...そうですか...」
先ほどまで笑顔にナターシャの対応を見持っていた面接官の表情が急に曇りだしてきた。
そんなまさか、純人間であるというだけでマイナスになってしまうのか。こればっかりは努力でどうこうなる話ではない。今までなんのために大学に通い努力をしてきたというのだ。
「私が遺伝子を改造されていないということはマイナスに働く要因なのでしょうか...?」
ナターシャは面接官の反応に対して不安と苛立ちを覚え、つい質問してしまった。だが面接には逆質問と呼ばれる就活生から企業側に聞くことができる質問がある。これは問題ではないだろう。
「いえ それ自体は問題ではありません ですが、このご時勢です。遺伝子改造人間が優秀な結果を出すという考え方が広まっています それでもあなたは我が社で働きたいですか?」
なんとも不快な質問だとナターシャは思う。それでは純人間は優秀な結果を出さないから来るなと言っているようなものではないか。いまどき偏見とは昔らしいと言いたいが勿論言えず、また偏見がない時代は1秒たりとも人類の歴史に生まれていないと痛感する。
「はい その覚悟を持っているからこそ今日ここに来させていただきました」
「なるほど ですが、あなたは先ほどご自分のことを純人間と仰りましたよね? 確かに世間では遺伝子改造人間と純人間のカテゴリーに分けられてはいます しかしながら、我が社のお客様は皆様大切なお客様です。カテゴリーはありません あなたは遺伝子改造人間の方々は人間ではないと仰るのでしょうか?」
口の中の水分がなくなり、カラカラの状態になる。今まで純人間と分けられてきた自分達は明確な迫害はないものの社会進出の機会を奪われてきていた。そんな不満の矛先を遺伝子改造人間に向け、正しいのは純人間の我々だという考えのもと生きていたナターシャにとってまさか遺伝子改造人間が被害者面をされるとは予想もしていなかったのだ。純人間のことを批判された場合に対抗する方法は準備の段階でいくつかは考えてきていた。だが、遺伝子改造人間側を否定してしまった場合の返しは考えていなかったのだ。
「いえ...決してそんなことはありません 私は世間一般での言い方をそのまま言ったまでで...」
遺伝子改造をされたかどうかを聞いてきたのは面接官の方だ。それなのに遺伝子改造人間が人間ではないという論点に変えてきたのは相手の罠か。
「ではナターシャさんは世間一般の考えがたとえ我が社の方針と違っていてもそれを引用するということですね?」
返しが思いつかない。
どうしよう。
「御社の方針には従います...」
「わかりました ではこの質問はもういいです 代わりにあなたは純人間と仰るのでしたら純粋な人間とはなんでしょうか?」
面接官の顔から徐々に表情が消えていった。
怖い。
「AIの手が入らずに男性と女性に営みによって生まれてきた子供のことだと思っております...」
「では、何故AIの手が入っている人間が生まれてくるのでしょう?」
この質問は受付に関係があるのだろうか。これはナターシャが純人間だからこんな陰湿なことを聞かれるのだろうか。もはやナターシャにはその判断さえつかない。
「親が願うような能力を携えた子を欲しがるニーズが生まれたからです」
「親とありますが、誰しも親になることがあるでしょう。我が社のお客様にもお子さんを持つお客様が沢山いらっしゃいます。そのお客様の願いから生まれた遺伝子改造人間とよばれる人間はとても優秀です。故に我が社は遺伝子改造をされた方たちの求人に力を入れています。」
何を言っているのだこの面接官は
「あなたは遺伝子改造された方よりも仕事をすることができますか?」
明らかに純人間である者は採用する気がないということだ。では何故応募時に記載しない。
体裁を守るためか。
純人間なら金もないし、ネットに拡散させられるような力もないと。たとえ拡散されても消去するか、純人間の言う事を聞く者などいないと侮っているのか。
もはやナターシャの心のうちには怒りしかなかった。自分一人の就活ならここで退席するところだろう。しかしそうはいかない。
「はい 確かに遺伝子改造をされた方々は優秀です。ですが、私は努力をして彼らよりさらに御社に貢献することができます!」
「なるほど ナターシャさんは遺伝子改造された方達に偏見の目を持っておられるようですね」
なぜそうなる!
「そんなことは全くありません!」
「人間の生まれ方は違うも皆同じ人類です。しかし、あなたは遺伝子改造されたというだけで皆優秀であると決めつけ、努力のできない者だとやはりカテゴリーに分けられているようですね」
「いえ ですからそんなことはなく...」
「とても参考になりましたナターシャ様。ご意見を参考にさせて頂きます。この度は誠にありがとうございました。これからも我が社の改善に努めて参りますので。ではナターシャ様のこれからのご活躍をお祈り申しております。ありがとうございました。出口には担当の者が控えておりますので、何かご不明な点がございましたらなんなりとお申し付けくださいませ」
「えっ!? まだ–––––– 」
「ありがとうございました」
ナターシャの面接はこれで終わった。
嘘だ。信じられない。
こんなにもあっけなく終わってしまうとは。
途中に感じた達成感などとっくになくなっている。
(落ちた...)
明確な合否通知は後日メッセージによって判明する。だが、実際に面接をしてみてほぼ確実に自分は落とされたと実感した。
(どうすれば良かったの!? ねえ 誰か教えて... それとも純人間は働けない運命なの?)
帰ってから両親に合わす顔がない。そして近所の人たちはどう思うだろう。
誰もナターシャを批判する者はいないだろう。しかし、悲しむ者はいるだろう。地下街の小さな希望となっていたナターシャが落ちたと聞いたら。
だが、落ちた原因が純人間とは...。生まれてきたときに背負う運命に定められるとは納得がいかない。
自分の手を強く握り、うつむきながらナターシャはアクセプト社を後にした。
そして、三日後。
ナターシャが使っているパソコンに二件のメッセージが届いた。
一つは、
友人であるハルカからの報告で、
"内定決まったよっ! また大学で会ったときに話そうねー"
もう一つは、
アクセプト社からの合否通知で、
"ナターシャ様、この度慎重に選考を行った結果、残念ながら採用を見送りにさせて頂きます。ナターシャ様のこれからのご活躍を心よりお祈り申し上げております"
だった。
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