第51話 空を震わす勝利の鐘

 簡単な片づけを終えたイルニダの者たちは交代の少数の見張りを残し、中央広場に集まっていた。状況報告に訪れたゴスティアの自警団も一部が呼び止められている。

 広場には木製の長テーブルがいくつも並び、その上には大量の、手早く用意できるような料理が並ぶ。

 鶏肉の燻製の薄切り、焼いた豚の腸詰、干した果物、数種類の木の実とハーブを擦り潰したソースを塗ったパン、ジャムを添えたスコーンに蜂蜜入りクッキー、生食できる野菜の細切りに酸味のあるチーズを使ったディップ。ヒューたちもいくつか馬車に残っている食料を提供し、ラティオは調味料や保存食を安価で売り渡していた。

 そしてテーブルの横には、樽がいくつか運ばれていた。ほとんどが海賊が船からイルニダの空き家へ運び入れていたエール酒を中心とする酒だ。

「珍しい酒もあるぞ。遠方の島国で作られた果実酒だってよ」

「もともとは船の積み荷だったものでしょう? 飲んでいいんでしょうか」

 海賊の巨漢にやや怯えながらの制服の警備隊員に、別の海賊が笑う。

「帝国に向かう船から奪ったものだよ。これは他の積み荷からして軍へ渡るはずの物のようだから、帝国兵の口に入る予定のものがオレらの口に入るだけさ」

 そう言われると警備隊員らも納得した様子で、気兼ねなく誰もが杯を差し出すようになる。

「儂は飲めればなんでもいいぞ」

 フードを被った赤毛の青年が上機嫌でカップを手にしている。

 まさか、大打撃を受け退却した直後の帝国軍に惑いの森を攻撃する手段もないだろうという推測もあり、炎竜の希望もあって、ヒューたちも昼食の時間帯が終わるもう少しの間、レジスタンスの拠点であるイルニダに残ることになっていた。

「久々に思い切り飲めそうね」

 聖霊も意気揚々とカップに樽からの酒を満たす。

 酒をたしなまない子どもたちやソル、警戒して酔うことを避けているテューベンら一部の者には、ハーブティーや果物のジュースが配られる。

「このジュース美味しいね!」

 ララが喜んでジュースとスコーンを口にするが、その横でヒューは釈然としない顔をしていた。

「いいんでしょうか、ここで参加していて」

「我々より森の主がだな……」

「バサールさんに怒られないといいですがねえ」

 料理に手を伸ばすのもためらう彼らに、茶の入ったカップを手にしたテューベンが席を立って歩み寄る。

「あまり心配なさらないでください。増援は空から見当たらなかったのでしょう? なら、時間は充分にありますよ。ここより南の町で無事なところのほとんどはすでに、レジスタンスとともに戦うことを約束してくれました。南の大陸もです」

「へえ、オーヴァム大陸もですか」

 これにはヒューも、思わず驚きの声を上げる。

「帝都に暮らしていた仲間たちの協力もありました。正体を暴かれ脱出することになり、ジャストリオンの間者は残りわずかですが」

「そうだ。漆黒とジェラルドはどこに?」

 ソルは相手の話から、その二人に思い至ったようだ。

 図星のように、今度はレジスタンスの指導者が驚く。

「今話したのがまさに、そのお二人のことですが……今はボラキア共和国へ人を送り届けています。数日もすれば戻ってきますよ」

「それまでここにはいられないからな……ソルが惑いの森にいる、と伝えてくれ。向こうの都合もあるし、向こうはそこまで会いたがっていないかもしれないが」

「わかりました。お知り合いでしたか」

 ソルの方としては、かつての仲間に会いたくて仕方がないだろう。となりで耳をそばだてているヒューとしても、会って姉の話を聞いてみたい。しかし、まずは森に帰って無事な顔を皆に見せるのが先だろう。

「落ち着いたら、こちらから出向いてもよいでしょう。たまには息抜きも必要、と割り切りましょう」

「キミは大体息抜きをしている気がするけどな」

 その正体が判明しても好みが変わるわけではなく、ソロモンは心置きなく酒宴を楽しむことにしたようだ。

「どうぞ、好きなようにお食事や談笑をなさってください。この勝利は我々にとってとても大きなものですから」

 レジスタンスがイルニダに拠点を移し、南方大陸を含め南方の国々や町と協力体制を作り上げてからの、初めての勝利。

 それはなにものにも代え難いほど価値がある、とテューベンは説明する。不安なまま、後がないからと参加した町にとってこの勝利がどれだけ勇気を与えられるものか。また、レジスタンスへの信頼や結束が強くなるという意味においても大きなものだろう。

「このまま信頼を得ておくには、負けられませんね」

「近く南方の町の軍も合流しますし、傭兵も増員予定です。ここはこれから最前線となる。死守しますよ」

 レジスタンスの指導者の声は強い決意を帯びている。それをヒュー、それ以外の耳にした者たちもおそらく、心強く思っただろう。

 それから少しの間、酒や食事、談笑する声や音だけが響く。

 ララはひと通り好みの食べ物を味わうと、スォルビッツに石柱の森で聞いたような旅先の話をねだった。それに応じ、海賊に落ち着く前は旅暮らしをしていた美青年はさまざまな話を披露した。海上に出現した森を抜けたこと、砂漠で巨大な砂蛇に遭遇したこと。

「聞くばかりじゃなくて、キミたちも話せることがあるんじゃないかい?」

 スォルビッツの話は面白く、つい周りの者たちも引き込まれて夢中になってしまう。だが三つも話をすると切り上げて、彼は少年たちに水を向けた。

 そうだ、自分たちは〈北の果て〉から帰ったところだ――今更ながら、一行はそれを思い出す。移転前の拠点で見送ってくれたレジスタンスの者たちも、戻って来るまでになにがあったのかをまったく知らない。

「是非、我々もそれを聞きたいね」

 近くで聞き覚えのある声がする。

 レジスタンスの誰かだろうと最初は見過ごしかけたものの、ヒューはすぐに、視界に入った老紳士の正体を思い出した。

「エルリーズ博士! と、助手のスロースさん」

 もとはイルニダで研究所をかまえ、現在はゴスティアに避難しているはずの考古学博士グレン・エルリーズ博士と助手のマキシム・スロースだ。今もノヴル東の遺跡から持ち帰った遺物を預けている。

「〈果て〉で見聞きしたものなど、歴史を追求する上でも大変重要だ。その前に、これを渡しておこう。楽しく聞いているうちに忘れるといけない」

 博士は抱えていた包みを差し出し、バサールに渡してほしいと伝える。中身は受け取った遺物から得た成果だという。

 遺跡から持ち帰った資料のいくつかは、かつて存在した空中要塞の設計図の未完成のものであり、残りは魔法道具の解説や都市計画の図面らしい。魔法道具をいくつか試作したものも堤に含まれているらしい。

 ヒューはその詳細も気になったが、バサールから話は聞けるはずだ。今は、彼らの話を皆が聞きたがっている。

「楽しい話になるかわかりませんが……」

 スォルビッツのように面白くは話せない。そう思いながら、ヒューは同行者らの助けを借りながら、未知の領域への行き帰りの旅路で目や耳にしたものを語った。

 帝国の答えの前を抜け、氷竜と戦い、火山の噴火を目の当たりにし、砂漠を超えて〈最後の障壁〉を抜け――ソルやソロモンの正体に関わる部分は伏せたものの、改めて思い返せばなかなか他の旅人たちも経験できないような冒険をしてきたかもしれない、と少年は気がついた。同時にそれに見合うだけ成長していればいいが、と内心願う。

 彼の小さな不安をよそに、博士らやレジスタンスの者たちも興味深く聞いていた。ようやく話が終わった頃には太陽が傾きかけている。

「かつて、神々の目から逃れようとその力の及ばない世界へ移住した人々がいたそうだが……コーナスで得た魔法を調べたらなにかわかるかもしれません」

「調べるのはいいが、持っていると狙われるかもしれないぞ」

 眼鏡を持ち上げ助手が好奇心に目を輝かせると、ソルは懐から魔方陣を書き写した紙を取り出す。

「写して調べ終えたら燃やしてしまうことにしましょう」

 怯えたように肩をすくめるが、好奇心には勝てないらしく書き写し始める。

「神々の力の及ばない場所……冥府でしょうか」

「そうですね。この世界の全員が冥府へ移住すれば話は解決しそうですが」

 そうはいかないと知りながら、ソロモンは酒入りのカップを傾け適当な相槌を打つ。

「神々を移動させるなり封じるなりする方が現実的かもしれない。ラピスの話ではその力は弱くなってきているそうだし」

 ジャリス帝国を操る神さえ排除すれば帝国は弱体化し、あるいは、神の意思に従う必要もなくなるため侵略をやめるかもしれない。

「それにしても、帝国を使って力を得ようとしている神さまってすべての神々がそうなのかしら。神話に出てくる神々が本物なら、そうは思えないけど……」

 レジーナと同じ疑問を、幼い頃から神話伝承を耳にしてきた者たちも同じように抱く。

 神々はこの世界の生き物たちを護り慈しみ、信じるものを導く。神殿や教会では、ときに信託が下され聖なる御利益を得られることもある。それは気分の変化や思い込みなどではなく、魔力の視える者たちには確かな効力が何度も感じられている。

「今まで確認しているのは翼のある女神だけだからな……そうでない神もいるかもしれない。とりあえず、森に戻ったらバサールにきいてみよう」

 ――そうだ、バサールさんはなにか知っている。

 『この世界の神々は酷い』というあのことばは、神々の現状を知っている者のそれに思われる。そして、バサールが知っているというのなら、森の主も知っているかもしれない。そう考えてヒューが炎竜の方を振り向くと、すっかり海賊やレジスタンスの戦友らと意気投合して笑い合っている。

「盛り上がってますね」

「いいじゃない。なんなら泊っていっても」

 聖霊も新たな酒をそそぎながら、小皿にさまざまな料理を取り分けていた。酒も一通りの種類は口にしたらしい。

 満面の笑顔のそこへ、魔族の剣士はあきれの視線を送る。

「さすがにそれは帰るのが遅くなり過ぎるだろう……バサールたち古くからの森の民も、森の主を待っているだろうに。まったく聖霊というのはお祭り騒ぎにはすぐ飛びついて離れないものだ」

「なによ、楽しめるときに楽しむのが生きる上での鉄則じゃないの。というか、魔族だって変わらないでしょうが!」

 と、オーロラが指をさすソルのとなりでは遠方の地酒とやらを味わっていた白衣姿がギョッとしたように眼鏡の奥の目を見開く。

「ちょっと、こちらに飛び火させないでくださいよ……」

 となりからの視線に痛そうに目を背け、ぼやく。

 そのとき。

 ガゴン。

 一度だけだが、鐘が打ち鳴らされた。完全に意表を衝かれた人々は驚き、なかには飛び上がるようにして武器を手に掴む者もいる。

 しかし打ち鳴らし続けるような警鐘ではなく、それはあくまで注意を引くためのもののようだ。実際、音につられて見上げた大半の者たちは、晴れた空中に動くものを見つけた。

「今度はなんだ?」

 警戒は走るが、竜のように巨大な影ではない。

 大きな蛇のようでもあるが、動きはゆったりと風に流されているようで、なにか細長い布でも飛ばされているかのようにも見えた。

 しかし近づくと長い胴には小さなヒレや尾のようなものがついており、個性的な顔さえ見えてくる。

「おお、あれはシルールスじゃないか!」

 人間より視力のいい炎竜が真っ先にその名を呼んだ。

 その名を持つ相手のことは、ヒューらの記憶にもはっきり刻まれている。あまりにも忘れ難い個性的な外見だ。一行が惑いの森の住民となったその日の夜、パーティーにより迎えられていたバサールの旧友、空飛ぶ巨大ナマズのシルールスだ。

「シルールスさーん! おーい!」

 ララが手を大きく振りかけ、ふと気がついてテーブルの上に置いてあった布をつかんで靴を脱ぎ、椅子の上に立って布を回すように振り始めた。

 それが効果を発揮したのかは不明だが、巨大ナマズはゆっくり降下してくる。笑顔のナマズに、初見の者は驚き、奇妙そうな表情を浮かべている者もいる。

「おお、おぬしらか! それに、まさかここで惑いの森の主に出会うとは。なにやら空が騒がしいと思って来てみたが、そういうことかの」

 遠巻きに見つめる人々の視線を気にせず、炎竜のそばに落ち着く。

 どうやら、シルールスは空中を散歩中に異変に気がつき近づいてきたらしい。ここがどういう場所か、つい先ほどまでなにがあったのか、ヒューたちが口々に説明した。大筋はバサールに聞いていたらしく、巨大ナマズはすぐに理解する。

「なるほど、勝利の宴ということか。それはめでたい。では、わしからも贈り物をあげよう」

 そう言って軽く右手、に見えるヒレを振ると、その目の前のテーブルの上に大きな壺と布が巻かれたなにかがふたつ、唐突に出現する。

「壺に入っているのは、しばらく前に小妖精らの里でもらった魔力を秘めた花の蜜から作られたという蜂蜜酒だ。疲れを取る効果があるらしい。包みのひとつは山脈ウナギの燻製、もうひとつは山奥の秘境に伝わる傷薬だよ。わしには必要ないからな」

 テューベンが礼を言う一方、新しい酒とつまみに、炎竜を初め周りの者たちは好奇心に目を輝かせる。

「こりゃあ、本当に今日は泊りになるかもしれませんね」

 宴会好きが盛り上がるさまを前に、さすがに白衣の魔族も苦笑したようだった。

 結局、どうにか片付けまでを夕方までに終わらせ、夕食を食べていかないかというレジスタンスの者たちの誘いを振り払い、シルールスに先導され南の空へ飛び立つ。しばらくゴスティアに滞在するというラティオとはここで別れることになった。


 ボラキア共和国の首都エルメアに踏み込んだ三人の旅人は馬を降りると、頭からフードを被り、影になった目もとから門番の詰め所を見上げた。

 人相を知られたくないのではないか。日常ならばそう疑うところだったかもしれないが、この時間にこの東門に割り振られた門番たちは、事前に言い含められていた。

「人数は……こちらの皆さんがたでよろしいでしょうか?」

 それは、伝えられていた合言葉。

 三人のうちの一人が、フードの下で柔らかなほほ笑みを浮かべた。

「ええ、とても良い駿馬を手に入れたもので。ここで預かってほしいの。四日間だけ」

 応答のことばも一字一句違わずなぞられる。

 三人の門番たちの間には一瞬緊張が走るが、後の手順は難しいものではない。

「では、こちらへどうぞ」

 一人が詰め所の小屋を出て案内する。旅人の中で長身の一人が力強い大型の馬の手綱を引きながらそれに続き、残る二人がそれを追う。

 広い通りを歩いたのは少しの間だけで、一行はすぐに人込みを離れ静かな小路に入った。住宅街を抜け中心部に進んではいるものの、目ざす先は繁華街ではない。遠くでも大型船の帆が見える港を横目に石畳の坂を上り、岡の上にある石造りの丈夫なそうな建物を前にして足を止める。それも、正面玄関ではなく裏口だ。

「馬はお預かりしましょう。この先のことは中の者にお申し付けください」

「ありがとう、助かったわ」

 再び柔らかな笑みを向けられると、役目が終わり解けかけていた緊張を思い出した様子で門番は背筋を伸ばし、はっ、と小さく答えて会釈した。

 馬を引いて去る制服姿を見送り、長身のフード姿が周囲をうかがってからフードを取る。輝くような金髪と精悍な顔が外気にさらされた。

「行きましょう、姫」

「ええ、ジェラルド。わたしだけ安全な場所にいるというのはやっぱり少し気が引けるけれど」

 答える彼女の柔らかなほほ笑みに、ほんのわずかに翳りが差す。

「それは姫が気にされるようなことではありません。戦いが終わった後に、姫が無事でいらっしゃる必要があります」

 ジェラルドの声は先ほどより穏やかになっていた。

 ジャリス帝国が敗北した後、その巨大な支配を失った人々と領土を抑えきれるだろうか。国外から武力をもって侵攻してきたよそ者が新たな支配者となるのでは、現在の皇帝の動向に納得していない帝国民でも反発するかもしれない。

 しかし、皇女ペリンダが皇帝に成り代わるのなら不満は最小限になるだろう。それは帝国の民にとって自然の流れであり、人望厚い皇女が継ぐのなら望むところという者も少なくないからだ。

「それに、姫がここにいることは大きな意味のあることです。まさか、ここで遊んで過ごすわけじゃないでしょう?」

「当然よ」

 皇女は思わず、屈託のない笑い声をあげた。

「旧知のストーナー卿も、ボラキア主官もとても良いかたよ。レジスタンスにも最初期から協力している国だし、きっと力になってくれるわ。わたしはここでレジスタンスへの協力体制を整え、連携を円滑に行うための調整役になる。すぐに本拠地に入りきれないくらいの物資と人員が行くから、覚悟していて」

 翳りは完全に消え去り、その笑みには挑戦的な色さえ帯びる。

 ジェラルドもほほ笑む。こちらは安堵の笑み。

「命を危険にさらすのは、やっぱりわたしではなくあなたたちになるけれど……二人とも強いもの、大丈夫よね。漆黒、ジェラルドをよろしくね」

 皇女の目が、もう一人のフード姿へ向く。

 相手は指先で軽く前髪の上のフードの縁を持ち上げる。その名の通りのつやのある黒髪と、底知れない怜悧な光をたたえた目がのぞく。

「わたしの役目はジェラルドを守ることではないけどな。しかし目的のために必要となる可能性が高いから、助けることにはなるだろう」

 淡々とした感情のない声だ。

 それでも、皇女はその答に満足した様子で笑顔を見せたのだった。

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