第50話 イルニダ防衛戦

 雲ひとつない青空に、小気味よい乾いた音が重なり合って響く。

 ほんの一週間前も前にはまだ、イルニダの街並みはとても人が住めないようなありさまを見せていた。南のエニファー湖の向こう岸にあるゴスティアの町の人々が慎重に様子をうかがいながら、時折建物の残骸などを寄せるなどして片付け始めていたものの、まだ黒く焼け焦げた部分が大半だった。

 それがここ最近のほんの少しの間に、出入りするのに危険な建物は取り壊されて焦げた草木や柵なども取り払われ、空き地となった跡の空間には次々と簡素ながら新しい家が建ち始めていた。

 町の丘や東西と北の門の付近には物見台がいくつか立ち、広場には司令塔の置かれた大きなテントがいくつか並ぶ。そしてなにより、行き交う人々の姿が久しくこの場になかった活気を町に取り戻している。そこにいる人々の姿の大半は、とても地元の者とは思われない出で立ちだが。

「想定の倍近くの速さで進行しています。海賊のかたがたには本当に感謝しきれません」

 長い髪をバンダナでまとめた青年――レジスタンスのまとめ役である指導者テューベンが歩み寄ると、金髪をひとつに束ねた一見貴族の美青年にも見える海賊のは苦笑した。

「もう、海賊なのか何なのかって感じだけれど。まあ、力仕事はみんな得意さ。船の修繕もお手の物だし」

「なに、帝国を海から追い払ったらまた陸を降りるさ」

 近くで木材を運んでいた巨漢が声を上げる。

 彼ら、レジスタンスに合流したノヴルの海の海賊たちは船を戦火から遠い港に預け、少数の仲間を残してスォルビッツとタルボを追いかけてきた。その腕力と技術は多少の粗っぽさを差し引いても有り余るほど、建築計画を加速させた。

 海賊が入ることも含め、最初のうちは特に、イルニダがレジスタンスの新たな拠点となることに難色を示すゴスティア住民も存在した。しかし、人々も何度も帝国軍の脅威を目の当たりにしている。目と鼻の先と言っていいイルニダは滅ぼされ、帝国軍の尖兵が潜り込んだこともある。ゴスティアにいる限りはいずれ帝国軍と対決することになる、遅かれ早かれだ。帝国軍に潜入されるくらいならイルニダにレジスタンスがいた方がまだ安心――多くの住民たちは、そう考えるようになったようだ。

「どうにか、最低限の防衛に耐えられるようには……」

 テューベンが続けようとしたことばは、けたたましい音にかき消される。

 ガゴン、ガゴン。

 物見台に設置されたひと抱えほどの大きさの銅の鐘が叩かれ揺れる。誰もが手を止め身を固くした。

「一体、なにが」

 なにが起きたのかはすぐに、彼ら自身の目に映る。スォルビッツが空の一点を指さすと、周囲の視線はそこに集中した。

 青空の北の端近くに影が現われていた。それは最初は小さくぼやけているものの、すぐに形がはっきりわかるほど大きく見えてくる。

 大きな翼を広げた巨大な怪物。この大陸の多くの人々が絵や造形物の被写体として知ってはいるが、実物を目にしたことのある者は少ない。

「あれは……ドラゴン! なんでここに」

「こっちに来るぞ、どうすれば……」

 姿と同時に大きくなる風の渦巻くような音に追い立てられるようにして、混乱と恐慌がイルニダの人々を支配しかけた。それを察すると海賊の青年がよく通る声を張り上げる。

「大丈夫だ、あれは敵じゃない。味方だ!」

 ジャストリオンの超兵器を急襲した際に、彼の目にも炎竜の姿は焼き付いているだろう。そして帝国軍に大打撃を与えたその存在について、レジスタンスの大半も耳にしている。

 混乱は徐々におさまり、それでも警戒して見上げる者たちの視界の中、炎竜は速度を緩めて降下を始める。

 着陸地点に選ばれたのはイルニダ東の郊外の、木や茂みの少ない、凹凸も極力避けた一角だ。その巨体の迫力を間近に感じられるようになると、炎竜はその鋭い爪を三本突き出した手に左右ひとつずつ、馬車を軽くつかんでいるのがわかる。とても馬車を持ち上げられるとは思われない持ち方ではあるが、魔力を視られる者には、馬車が魔法の結界で包まれていることが把握できる。

 馬車の車輪と馬たちの蹄がしっかり草原の大地を踏みしめると、結界は解ける。

 その頃には、テューベンを初めとして大部分の者たちが一方の馬車の乗員たちに見当をつけ、迎えるように門へ詰めかけていた。その馬車をひくのは他に見たことのない竜馬なのだから、間違えようもない。

「〈果て〉から帰還されたようだ」

「よかった、無事のようで」

 迎える側は笑顔が並んでいたが、馬車を門まで進めて降りてきて見知った顔ぶれを見ると、不穏なものを感じた様子で口を閉ざす。

「テューベンさん!」

 レジスタンスの指導者を見つけると、馬車を降りた少年は急いだ様子で駆け寄ってくる。

「今すぐ、守りを固めてください。帝国軍がこちらを目指しています。もうあまり時間はありません」


 これまでも急いで進められてきた建築で賑やかで忙しない様相を呈していたものの、町は一気に別の作業で忙しく動き始めた。

 瓦礫も利用した石積みの防壁や物見台に弓兵が配置され、急いで武装したレジスタンスや傭兵らも持ち場につく。ゴスティアにも即座に伝令が送られ、そちらは自警団が守りを固めることになる。

 炎竜の力を借りれば簡単に追い払えるのでは、という意見は当然その場に出されていた。しかし竜の巨体が見えていては帝国軍は近づかず持久戦に持ち込むか、標的を別に定めるかもしれない。

 大抵のことは魔術師バサールが対応可能だろうが、炎竜は長い間惑いの森を離れているわけにはいかない。ヒューたちとしても家族や友人らが待つ森を手薄にはしたくないし、できる限り早く帰りたかった。

「べつに、変化するのに大した時間がかかるわけではないからな」

 目立ち過ぎるほどの赤い巨体は消え去り、代わりにそれまでは見当たらなかった姿がヒューのとなりに現われる。頭からフードを被った赤毛の青年。必要があれば、接敵した後に竜の姿を現わすことになっていた。

「魔法だけで追い払えればそれでいいけどな」

 言いながら、ソルは刀の握りを確かめる。

 魔法の使い手たちは防壁を前に陣取る。隊列の配置が完了した頃には地平線の向こうに黒く蠢く群体が見えていた。

 ただ町を侵略する目的のための進軍ではない。帝国はレジスタンスを壊滅させるためならば超兵器もためらいなく使用する。石柱の森で対峙した時のような前置きなど置かない可能性が高く、最初から殲滅を目的として攻撃するだろう。いつ相手の射程に入っても対応できるよう、ヒューらも魔法の準備のために集中する。

 魔法の使い手としては、ララもある程度戦力になるかもしれない。ただ、兄はもちろん、誰も彼女の参戦を望まなかった。本人は参加したい意志はあるものの、周りにラティオらと一緒に安全性の高い中央の広場にいるように勧められると、「ララが中心部のみんなと馬車を守るね!」と言って大人しく離れていった。一方で、その横でドラクースが不満そうに振り返りながら連れられて行ったが。

 そして、防壁前からは別の姿も消えていた。重要な戦力である弓兵の多くは防壁前に魔法の使い手や歩兵らと交互に並んでいるが、一部は門の付近に建つ物見台に配置された。

「だいぶ扱いには慣れたかしら」

 自らの得物に矢をつがえながら、レジーナは物見台に設置された大型のクロスボウに付属の望遠鏡を覗いている少年の背中に声をかける。

 すると、彼はびくっと驚いたように振り向き、わかりやすい作り笑いをした。

「そ、それは……訓練には慣れましたが、実戦経験はほとんどなくて」

 超兵器に薙ぎ払われる前のレジスタンスの拠点で、一日だけ射撃訓練をともに行った少年、ワンタだ。彼の幼馴染みのポルタは地上のヒューたちのそばにいる。

「動く標的を撃つ訓練はしているんでしょう? 敵を標的と思って撃てばいいだけよ。それとも、人を狙うのに抵抗はあるかしら」

 最初に人間を狙いその命を奪おうとしたときの感触を思い出し、レジーナは眉をひそめる。

 素性も、なぜ戦の場に出ているのかの事情も知らない相手の人生を終わらせる――その命の重さが矢をかまえる手にのしかかる。

 血を流し息絶える動物を飼ってきたレジーナですら、最初に人にボウガンを向けたときにはそれを感じていた。

「いや……それはないですよ」

 少年の否定の声は、今までより強く響いた。

「連中は武器も持たない、無抵抗の一般人も皆殺しにしてきました。このイルニダでも、友たちや友だちの飼っていた犬まで殺されたんだ。よく一緒に遊んでいたのに」

 矢を握る手は震えていた。

 命は重い、でも命の優先順位は人それぞれに違う――それはもう、レジーナの行動原理としても心に深く刻み込まれていた。ワンタの目にイルニダの炎が揺らめいているのと同様に、彼女の目には燃え上がるハッシュカルが呼び戻される。

「敵を一人でも多く倒せば救われる人も増えるわ。そう思って射ればきっと命中率も上がるわよ」

 ある意味残酷な話かもしれない、と彼女は自覚していた。

 それでもなにも後悔はしない。彼女やワンタ、その仲間たちが生き残るためにも必要なことだから。

「ええ、一人でも多く倒して見せます」

「わたしも負けてられないわね」

 遠かった喧騒が大きくなり、物見台にも空気の震えさえ響いてくるようだ。

 そして間もなく爆音が続く。遠いためかポンポンと少し気の抜けた音が連続すると、一瞬、空中を見えない壁を撫でるような青白い光のさざ波が滑り降りる。魔法の使い手たちが防御結界を張ったのだろう。

 続けざまに、今度は近くで爆音が鳴り煙が昇る。防御結界の表面で敵の攻撃魔法が炸裂したのだ。何度か攻撃を受けると結界は薄くなり、張り直される。

 すっかり全容をあきらかにした帝国軍は、馬車を駆る騎士たちと武装した馬のひく戦車が一気に距離を詰めてくる。別動隊が回り込もうと動き出したのも物見台からは視界に入る。

 しかしいつまでも眺めてはいられない。敵が防壁に接近すると弓兵の出番となる。敵方からも矢の雨が降りそそぎ、それをこちらの魔法で吹き散らす合間に地上のこちらの弓兵も射撃する、というくり返しだ。

 一方、物見台からの射撃は地上の弓兵とは違い、あまり防御の間を縫う必要はない。帝国側にはない地の利を活かして攻撃可能だ。当然相手もそれを阻もうと物見台に向けて魔法や火矢を射かけようとするが、すべてこちら側の魔法に防がれる。

 守りなど気にせず、レジーナはためらいなく次々と矢を放っていった。できる限り、ヒューたちに近づこうとする敵兵を優先しながら。

 その手さばきに見とれそうになったものの、ワンタはすぐに我に返りクロスボウに矢をつがえては狙いを定めて撃ち出す。使い慣れてはいないが、普段使用している物よりも性能も威力も上の兵器だ。三回に一度は命中させることができた。当てられなくても、相手の行動を止めたり、武器を弾く、馬を驚かせるような妨害はできる。

 数では圧倒的に帝国軍が上だ、だがそれを覆すほどの魔法戦力がレジスタンス側にいる。そのことに相手も気がつきつつある。

 近接する前に分かれていた別動隊が動きを加速する。どうやら南の湖から回り込んで攻撃しようというらしい。湖もゴスティアも戦力を置いてはいても、このイルニダ北の防衛線と比べるとかなり少数だ。

「みんなに知らせないと……」

 どう知らせようか、ワンタは一瞬迷う。矢文を思いつくが、時間がかかり過ぎるように思えた。

 すると、レジーナは彼のとなりに立ち、ある一点へ矢を放つ。

 ゴン、と小さな低い金属音が空にまで響いた。下ではもっと大きな音が届いているだろう。矢が当たった伝令用の鐘は大きく震えて、そちらに視線を集めた。その先で隊列を組んで動く帝国軍の別動隊も視界に入るだろう。

 対応したように前線にも動きが発生する。数人が防壁前を離脱して南へと駆けていくのが見えた。

「あとは、上手くやってくれるのを祈るしか……」

 伝えられはしても、どうにかできるのか少年は不安だった。人数は常にこちらは下。魔法で対抗できているとはいえ、すでに防壁の一部は崩れかけ、長引けば不利になりそうだ。

 一方、レジーナは動じない。

「大丈夫よ。みんな強いもの」

 ことばを交わしながらも、二人は撃ち続けている。

 ワンタは確信を持った少女のことばに一度は驚きの表情を見せるものの、決して疑いはしなかった。

 やがて、南方から咆哮が上がる。三階建ての建物の屋根より地上を離れた物見台でも――否、空に近いその場だからこそ、より大きく届く。

 湖の前に立ちはだかるように赤い皮膚に覆われた炎竜が姿を現わしていた。今回の部隊にそれを以前も目にした者がいるかどうかは不明だが、ジャストリオンの上空を飛来した姿やその力を伝え聞いたことのある者は少なくないはずだ。

 それに、まったく知らなかったとしてもその巨体、さらに大きな翼に鋭い牙と爪、戦意を秘めた目は恐怖を覚えるのに充分だ。

 竜が口を開く。その喉の奥に揺らめく炎を目にした帝国兵の一部が我先に逃げ出したのも無理のないことだ。

 炎が大地をかすめ、逃げ遅れた兵士たちを飲み込んだ。とっさに魔法で防ぐ者もいくらかはいるが、大半が身動きも取れなくなり戦意を失う。それを横目に確認した本隊にもあきらかに動揺が走っていた。

「もう一息ってところね」

 背後でその声を聞いた少年の表情も、少しだけ緩む。

「どうにか押し返せそうで……」

 言いながら新しい矢を取り、彼は気がつく。脇の大きな筒に、最初はきつく敷き詰めるように満たされていた矢が消えている。残りを意識しないまま撃ち続けてしまっていた。

「しまった……取りに行かないと」

 彼は顔色を変える。撃つ本数も考えながらできなければ腕がいいとは言えない――そう言われそうだと、熟練の射手から視線を逸らす。

 それに、情報を送るだけならともかく、今回ばかりは誰かが必ず物見台の梯子を通って矢を運ぶ必要がある。届きはしないが、矢や魔法攻撃が何度も向けられる中をくぐっていかなければならない。

「矢の残量はいつも悩みどころね。わたしももう少ないわ」

 ワンタの恐れに反して、少女の表情は穏やかなままだ。

「でも大丈夫よ。そろそろ戦いも終わる」

 防壁の向こうに叫びと風のざわめきが鳴る。

 丈の短い、それでも二階建ての家ほどはある太い竜巻のような風が渦巻き、人馬を吹き散らしていた。誰かが強力な攻撃魔法を使ったようだ。

 それを切っ掛けに、帝国軍は退却の態勢に移る。

「魔力による制約はあるし使い手も限られるけど、道具が必要ないところは魔法がうらやましいわね」

「やっぱり、飛び道具としては魔法に軍配があがりますか?」

「場合によるかしら。そもそも、使えないものを比べても仕方ないし」

 少し残念そうな少年に、レジーナはボウガンを敵方へかまえたままで苦笑を向ける。

「たとえ決定打は与えられなくても、決定打や、魔法で防御を固めるための隙を弓矢で作ることができたなら、それで充分な働きだと思うの」

「それは確かに」

 言って、ワンタは笑顔を見せる。自分でも少しは役に立てたのかと思うと嬉しいのだろう。それを少女も後押しした。

「わたしたちは、わたしたちの役目をちゃんと果たしたわ」

 帝国兵たちが背中を向けて退却し始める。そこを追撃はしない。レジスタンスや自警団ら、それに炎竜も油断なく見据えてはいるが。

 緊張が解けたのは完全に姿が見えなくなってからだ。

「とりあえずのところはしのげたみたいね」

 息を吐いてボウガンを下ろすと、彼女は多少乱れかけていた髪をほどき、いつもの高い位置で結び直した。

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