第49話 交錯する帰路
〈北の果て〉の町コーナスまで長旅を経てやってきた旅人たちを、町長らと町の名士たちは盛大な宴とも呼べる夕食会で歓待した。彼らにとって、外からの情報がなににも代えがたいほどに重要だ。その要望にできるだけ応えようと話をした旅人たちからいくつもの情報が伝えられ、南の火山の噴火やメロの移転も、驚きをもって迎えられた。
ヒューは馬車の荷物からいくつか本や最果ての地で珍しそうな道具や菓子を贈り、案内人たちにも礼を渡してくれるように頼んだ。すでにララが礼を贈ったラピスにも、兄妹は礼の手紙やクッキーを選んでおいた。
はるか昔ではあるが、赤い爪の民の血を引いているのなら兄妹の先祖とラピスの先祖は友人や知人、あるいは家族だった可能性もある。
翌朝、見送りには顔を見せなかったものの、ラピスに確実に渡されたことはソワレとジーグに伝言された。
見送りに並んだ顔ぶれには宿の関係者など知り合った住民だけでなく、外から来た客人を一目見たい、滅多にないこの記念すべき場に居合わせたいだけの者も多く出席した。そのなかには記念品、それに自慢の料理や商品を渡す職人や商人らも何人もおり、馬車の荷台はかなり狭くなった。
「食料の心配はなさそうね」
レジーナは苦笑するが、ララは見たことのない菓子や果物に目を輝かせる。携帯食ばかりを口にしなくていいのだから、悪いことばかりではない。
また砂漠越えが待っている。水筒はすべて忘れることなく満たしていた。準備に抜かりないことを確認し、一行は悠久の歴史を感じさせるコーナスの景色に別れを告げる。
「気をつけて」
「ここのことを、外の人たちに伝えてくれると助かるよ」
荷物の中には、いくつか手紙も預かっていた。すべては渡せないかもしれない、と告げた上で受け取っている。
「皆さんもお元気で」
「メロの人々にもお伝えしますよ」
別れのことばを交わし、早朝の陽の光の中へとドラクースにひかれた馬車は進み出す。〈最後の障壁〉を越えることも問題にならず、旅路を慎重に戻るだけでいい。まだ火山の噴火はおさまっていない可能性もあり、溶岩が流れたであろう帰り道を無事に辿ることができるのか油断はできない要素いくつもあるが。
出発以降、旅人たちは順調に帰路を引き返した。障壁を越え谷の道で時間を調節し、砂漠を再び最短距離で直進する。空にはいくつか雲が浮いては吹き散らされ、行きよりは日影が落ちる時間が多かった。
水が足りなくなることもなく、砂漠を渡りきる。
「もうコーナスのお風呂が恋しいわ」
行きよりも体感温度は上がらなかったとはいえ、砂漠を越えたときには汗と砂ですっかり不快感にまみれている。オーロラは頭上で団子状にまとめていた髪をほどいた拍子にパラパラと砂が落ちる音に眉をひそめた。
「メロではお風呂も期待できないし、せめて水浴びでもできればいいわね。ダメなら、濡らした布で拭くしかないわ」
レジーナもべたつく上にざらつく感触に辟易している様子だが、最も若い少女だけは別のことに夢中だ。ララはコーナスで持たされた見たことのない種類の菓子をひとつふたつつまんで口にしてはニコニコしながらうなずいていた。
「メロのみんなにも、分けてあげないとね」
「メロの人たちに渡す分の食料は別でもらっているから、遠慮しなくていいんだよ。まあ、子どもたちは喜ぶかもしれないけれど」
兄ことばに、妹は子どもたちに分けてあげるの、と元気よく答えて配るための菓子をまとめ始める。
妹は汗も砂の汚れも気にしておらず、魔族二名も相変わらず涼しい顔をしているが、普通の人間の少年であるヒューとしてはレジーナとオーロラに同意だった。砂漠を抜けて少しすると、馬車を止めて休憩がてらに身体を濡らした布で拭く時間を作る。砂漠でもそれほど水は消費せず、充分な量が確保できている。
休憩中、ハーブティーと一緒にコーナスで贈られた干した果実を口にする。〈果て〉の外にも同じ種類の果物はあるが、大きさや酸味の薄い風味などが異なっているらしい。
「同じ植物でも地形や気候で味もかなり変わるのね」
「ええ、果物だけでなく薬草もですね。外の世界の薬草をコーナス特有のものと交換してそれを外で売却すればそれなりに高くついたかもしれません、やりませんでしたけど」
白衣姿が医療鞄の中身を整理しながらサラリと言ったその内容に、政令は干した果実をかじろうとした途中の姿勢のまま、勢いよく振り向いた。
「あんた……それを早く言いなさいよ」
「必要な財力は足りているでしょう。なんなら、その辺の花でも摘んで『〈果て〉で手に入った記念の花』とでも銘打って売りますか」
「ここに特有の花じゃないと信用されないでしょ。それならまだ、砂漠の砂でも拾っていって見せた方が信じられたんじゃないの。ま、今はお金よりお風呂の方が魅力的だけど」
未知の土地を旅する中、氷原や砂漠を越える上でも金はあまり役に立たない。それは長い旅暮らしで、ここにいる誰もが理解している。
本来ならメロの町に入ればそれなりの宿泊設備を得られたり買い物もできたはずだが、火山の噴火を逃れて街ごと避難したばかりの今ではそれも望めない。
「最低限、回り込んで南下できる程度には噴火がおさまってくれているといいな」
カップの中身を飲み干してからの魔族の剣士のことばに、確かに、と周りも心の底から同意した。ある程度の障害物はオーロラが病院ごと移動するために使ったような魔法で対処はできるだろうが、不測の事態を考えるのなら、魔法を使わずすんなり通過できるに越したことはなかった。
レイシュワン山の噴火を逃れ、小さな湖のほとりの古い集落跡を中心に再建を始めてまだ数日。
それでも湖を囲むように、簡易な新しい家が十軒以上並び始めていた。周囲に雑然と生えていた木々は藪とともに切り開かれ、建材に加工されていく。開かれた土地には広場や畑なども作られ始めている。
まだ中心は病院であり人々の生活の場は小さい範囲だが、干された洗濯物が風になびく湖畔を子どもたちが笑い声をあげて駆け回り、食事を用意する者たちが共同で使う石組みのかまどの周りで談笑し、力に自信のある者らは家の建築や木材運びなどに精を出しあるいは汗を拭いて休憩する――そういった活気のある風景は、未開に近い自然の中を旅してきた者たちには安心感をもたらした。
しかしある意味、ここまでは予想できた範囲の風景である。近づく旅人に気がついた人々からの歓迎を受けながら土を踏み固めた幅の広い道を馬車ごと進んでいるうちに、広場に馬車と、広げられた布に並べられた雑貨や工具、日持ちする食料や調味料など――そして、それを売る者の顔を見るまでは。
「あ……」
「おや」
お互い、顔を見合わせると愕然とする。
商人はなかなか整った顔立ちの金髪の若者で、つばが幅広の帽子をかぶっていた。
「ラティオさん!」
なかなか間違えない風体だ。南方の大陸で出会い、ともにこちらの大陸へと渡ってきた魔法具商の青年に間違いなかった。
「皆さん、ご無事で……〈果て〉へ行かれたのですね」
彼はそれを予想していたらしく、ヒューたちよりは驚きが少なかった。
「ええ、ラティオさんも、よく……関所も氷原も越えられましたね」
ヒューは別れる前、相手が〈氷竜の鱗〉に興味があると話していたことを思い出した。果たして、それは手に入れられたのか。
さすがに承認が一人で氷竜のいる氷原を渡るのは危険過ぎる。一行と別れた後、新しく雇うと言っていた護衛も見当たらない。
「それが……帝国領内に入ったところで誰かが〈果て〉への関所を突破したという話を聞いてもしやと思って行ってみたところ、丁度また混乱があったようで通り抜けられたのでそのまま恐々としながらやって来られたんです。残念ながら氷竜の鱗は見つかりませんでしたが」
「あたしのはやらないわよ。……ひとりで生きてここまで来れただけで充分じゃないの」
オーロラのことばに周囲も同意する。護衛もなく氷原を越えるなど無謀にも思われる。あるいは、知られざる戦闘能力や危機回避能力、もしくは魔法具商らしく魔法の道具で安全を確保した可能性もあるが。
「お帰りになるなら、同行させてもらえると……」
ここから先へ行くつもりはないらしい。若い商人はおずおずとそう切り出した。
「もちろんですよ。ちゃんと防寒装備は持っておられますね」
ヒューは苦笑して、馬車の脇で雑草をはむ馬を見る。馬用防寒着もしっかり用意していたらしく、弱った様子はない。
「ええ、もちろん。ありがたい」
新しい護衛は雇う前だったものの、商品や道具の準備はすっかり整えていたらしい。外から持ち込まれた道具や食べ物に、メロの人々で露店は盛況だった。
「ラティオがここまで来られたということは、レイシュワン山の噴火は落ち着いているらしいな」
広場の一角の木にドラクースを縄でつなげ、馬車を広場の先客のものに並べながらソルがほほ笑んだ。
商品と引き換えに焼き立ての芋を手にした商人がそれを耳に挟む。
「火山は噴煙を上げてましたが、特に石や灰が飛んできたりはしませんね。流れた溶岩が大量に固まっているのは見ましたが、迂回すれば大丈夫です」
「案内してもらえれば通り抜けられそうですね。あとは氷原を渡って……また関所を抜けるのにひと騒動ありそうですが」
ひと騒動、と言っても関所まで至る前にバサールに連絡を取り炎竜に迎えに来てもらえばいいだけなので、手間のかかるものではない。それはラティオには知る由もないが。
「関所は詰めている人数に限りがありますし、誘導して駆け抜けることは可能かと。まあ、あちらも警戒度は上げているでしょうが……しかし、人数は本体に集中しているでしょう。その分、外へ出てからの方が大変かもしれません」
「大変、というと?」
質問してからヒューは思い至る。相手が言うには関所へ行ったところで丁度また混乱が起きたようだ、と。
「それが、帝都ジャストリオンからかなり大規模な軍隊が出陣して南下していったとか。砦周辺にいた兵士たちが話しているのを耳に挟んだところによると、イルニダを目ざしているそうです」
イルニダと言えば帝国の超兵器による攻撃を逃れたレジスタンスが新たな拠点としているはずだ。ヒューたちの脳裏にはテューベンらレジスタンスの者やスォルビッツら海賊たちの顔が浮かぶ。
「その前にジャストリオンで裏切り者が追われたとかなんとか……それが、帝国軍南下の切っ掛けかもしれませんね」
「裏切り者……気になるな」
ソルはなにかを思い浮かべるようにして空を見上げる。
「みんな無事だといいんだけど」
レジスタンス、ソルのかつての仲間たちの動向も気にはなるが、ヒューにとって最も気になるのはやはり祖父の残る惑いの森の安否だ。滅多なことでは森の主やバサールの力を打ち破ることはできないと知ってはいても、実際に目にしないと心からは安心できない。
「イルニダが制圧されたらさらに南に進軍するのかしら」
さらに南となれば、惑いの森やペルメールにもその手は伸びるかもしれない。森を落とすのは至難の業だろうが、守りを固めて帝国軍を撃退したペルメールも持ちこたえたとしても、レジーナが参加を目ざしていた射撃大会も中止の可能性が高い。
「どうにせよあたしらはもう用事も済んだことだし、少し休憩したらさっさと帰りましょう」
「ええ……手紙と荷物を渡したらですね」
どうやら、聖霊に劣らず気持ちが急いでいるらしい、と少年は内心苦笑する。危うく、コーナスからの贈り物を忘れるところだった。
ラティオが商売をしている間に病院に手紙や荷物を送り届け、広場に引き返してそこで商人と合流した上で昼食をとった。現在のこの町の状況では貨幣のやり取りより物々交換が成立しやすく、もともとの食料もあるが商人は一人で食べきれないほどの料理を手にしていた。
「これは、一緒に帰っていただくお礼ということで」
彼の前に広げられた布の上には商品に代わり、ゆで卵、黒糖が生地に使われたキノコと豆入り饅頭、焼き芋、ハーブを使ったクッキー、鳥の燻製、焼き立てのパンなどが並ぶ。
「わあ、ご馳走だね!」
レジーナが茶を入れる準備を始めるかたわらでララが喜んで馬車に駆けていったかと思えば、コーナスでもらった菓子を何種類か布に包んで持ってくる。そのうちのいくつかは分けて病院に届けた荷物に加えられていた。居合わせた子どもたちの歓声も記憶に新しい。
まだ太陽も頂点に至らない時間だが、早めに食事をして早めに出発の準備をしておく。防寒着を着るにはまだ早いが、その手前、噴火による熱や岩の破片が大地に残されているかもしれない。ラティオは馬の足に専用の靴を履かせる。
それを見て、ドラクースの足にも靴が必要かもしれない、とヒューとソルは一瞬考えてことばを交わすものの、竜馬が馬の方から胡乱げに目をそらして岩のように頑強な蹄を踏み鳴らしたのを受け、不要と判断した。
ラティオが一緒な上帝国軍の動きに対応するとなると連行は難しい。行きで捕らわれた帝国兵は当面メロで預かることになる。中には嫌々従っていたが今の帝国には帰りたくない、帰れば殺されると言う兵士もおり、監視付きながら作業を手伝いだした者もいる。
ヒューたちはふたたび、何度も繰り返したような人々との別れのことばを交わす。メロの人々は一行に感謝し、できれば少しでも礼になるようなことができれば、ともう少し引き止めたい雰囲気を出していたものの、急いでいるのを察して強く止めようとはしなかった。
メロを出てからは迂回路を知るラティオの馬車が先行する。しばらくは草原や丘を行く平穏な旅が続くが、来たときの経路を思い出してそろそろレイシュワン山が見えてくるころだと気がつくと、つい少年は身を固くする。
もう来たときとは様子は違ってるはずだ。頭ではわかっていてもあのときの緊迫感が抜けきらない。
「そろそろですね」
ヒューだけでなくララもレジーナもなにかを警戒するように口を閉ざして表情も張りつめているが、ソロモン、それにオーロラは平然としている。ソルは御者台で手綱を握っていたがおそらく同じように平然としているだろう。
自然の驚異も身を守る術を持つ魔法の使い手には大したものではないのかもしれない。自分ももっと魔法を極められれば余裕が得られるようになるのか――そうなりたいと願いつつ、そんなのはいつになるのやら、と肩をすくめる。
そうしているうちにいつの間にか、火山の姿が見えてくる。レイシュワン山の輪郭は最後に見たときよりも、ずんぐりして低くなったようだ。変わらず噴煙を上げてはいるが、その色はいくらか薄くなっていた。
来るときに人々が渡った谷にかかっていた橋が落ちているのを遠めに見ながら、荷台の馬車は火山から離れるように大きく迂回しながら進む。地震が発生することも、爆発が起きることもない。音も聞こえてはこない距離だ。
ただ、巨大な岩の根本にいくつか洞窟が空いているような自然の橋の上を渡る際、噴火の威力を目の当たりにする。
「凄い……怖いね」
谷を黒い塊が埋め尽くしている。溶岩が流れて冷えて固まったものだろう。その不気味さと迫力にはララも神妙な顔をする。
「あんなのに巻き込まれたらひとたまりもないわ」
「ああ、避難が間に合ってよかった」
幼馴染みに賛成しながら、旧メロの街並みはどうなったのだろう、と一瞬ヒューは考える。見てしまったら夢に見るかもしれない。
幸いラティオは旧メロが視界に入れない経路で南下する道のりを選び、進むうちに行く手に白いものが見えてくる。一気に気温が下がっていくのが肌で感じられる。
準備のためにラティオが馬車を止め、ドラクースも足を止める。
「さすがにわざわざ氷竜を探し出すことはできないが、道のりに鱗の欠片でも落ちているといいな」
ソルのことばに、自分の馬車の御者台を降りこちらに歩み寄っていたところだった商人は望み薄とわかった上で笑顔でうなずいていた。
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