第48話 修羅との分かれ道

 女神と相対して生き残った三名はリリアとルナを弔うと〈北の果て〉を去り、その後の行方はラピスにもわからない。そこで足跡は途絶える。

 姉の死を突きつけられたのは当然衝撃ではあるが、実際に相手と親しくなってから喪うよりは、まだ他人事に近い感覚かもしれない。ヒューは少女の話を聞き、目的の人物ではない部分も気になった。

「あの女神っていうのは……もう近くにはいないのかな」

 それが相手にわかるのかは不明だが、どこか老成した雰囲気のこの少女なら知っている気がした。

「ずっと神々は見てるだろうけれど……力が弱くなってきてるし、この辺りの結界をコーナスの術師たちで強くしたから、あまり手出ししなくなってるの。もともと、弱くなってるのが原因で召喚を利用しようとしてたし」

「召喚を利用? 召喚すると神々になにか得があるのかしら」

 レジーナが疑問を挟むと、少女はそちらを見上げた。

「召喚と同時に異世界の魔力を引き込めるし、召喚したものの魔力も吸収できるの。この世界の神々はずっとそうやってきた」

 そのことばの意味を、誰もがすぐには理解できなかった。

 だが、すぐに記憶が刺激される。

 リリアたちは、大規模召喚魔法とそれを帰還させる魔法を求めていた。

 それに、いつか聞いたバサールの『この世界の神々は酷い』ということばも、記憶の断片から浮かび上がる。

「つまり、この世界の神々は異世界からの力を取り込むことで力を増したり回復したりするわけですね」

「ちょっと、はた迷惑過ぎるわね、それ」

 白衣の魔族のことばに、聖霊はルナの墓から顔を上げた。

「この世界の神々は自立してないわ。あたしの仕える神さまたちとは毛色が違い過ぎるわね」

「遺憾ながら、その点は同意せざるを得ませんねえ」

 金縁眼鏡の奥で苦笑が覗く。

 今までのジャリス帝国の行動はすべて、神々の意思に沿っているものと思われた。それにリリアたちの行動も、最初から神々に相対したというよりは帝国の狙いを阻止しようと動いていたという方が自然だ。

「姉たちは帝国や神々の狙いを阻止しようとしていた、と。この世界のことだけを考えるなら放っておいてもいいんだろうけれど」

 この世界の神々が力を手にするなら異世界の者がどうなってもいい――とは、姉たちは考えなかったのだ。

 それにはヒューも同意だった。

 思考が整理される。ここまで来て姉らと会いたいと思っていただけで、その後のことは考えていなかった。しかし今の彼には、次になにをすべきか、行くべき道筋がはっきりわかる。

「〈嘆きの柱〉に魔法が魔導書が封じられている、ってのは本当なんですよね?」

 彼が尋ねると、どこか大人びた案内人の少女は、唯一最上まで残っている鈍い黄金色の柱を見上げた。直径がかなり太めなこと以外、神殿によくある造りのエンタシスの柱だ。

「あそこには多くの魔法が刻まれているわ」

 言われ、ヒューは意識を集中してみる。すると柱をいくつにも輪切りにしたように赤い光が層を作っている。目を凝らすと、それぞれの断面に違う魔法が記されていることはわかる。

「僕では詳しいことまでは……」

「わたしが探してみよう」

 ソルがソロモンに紙とペンを借り、該当する魔方陣を三つほど書き写した。傷が入ったり欠けている部分もあるが、過去のアガスティアの大図書館で得た情報で補足できそうだという。

「前はこうしようと思っても辿り着かなかった。はっきり覚えていないが、それを考えるとなかなか感慨深いかもしれないな……」

「帝国はすでに、これを手に入れてるんでしょうか?」

 ソロモンの疑問の答えが是ならば、召喚用の魔法はむしろ、ここから持ち出さない方がいいのかもしれない。

 しかし、そうではない予想はついていた。神々はもともとこの辺りにも干渉できていたし、帝国が神々と結託しているということは知っているはずだ。

「神に伝えられているはず。ただ、直接やり取りできるのは帝国でも一部だけだろうし、細い部分はどうか不明。それを持っていると狙われる可能性はある」

 ラピスもそう指摘する。

「それは仕方ないんじゃないですかね。強い魔力を持つ者も必要としているでしょうし、どうにしろ狙われるでしょうから」

 召喚された者を帰還する魔法もまた、帝国からすれば目的を妨害する可能性のあるものだ。それを入手した者がいれば狙われるだろう。

「そこは今までと変わりませんから、あまり気にしなくてもいいのでは。ではこれから少し町で休んで、明日帰り道に着きましょう」

「そうだな。街で少し買い物をして、花くらい手向けたい」

 魔族の赤茶の目が、複雑そうな感情を映して二つの墓を見渡す。

「そうね。せめてそれくらいしたいわね」

 聖霊もいつになく神妙な様子で彼に同意した。


 〈癒し処・虹の館〉に戻ると、一行はそこでラピスと別れる。礼を言い、ララがお礼にと惑いの森から持ち込まれた工芸品の花を象った玉石付の木工のペンダントを渡すと、『大事にするわ』と言いながらも、最後まで冷静な表情と雰囲気を崩さなかった。

 建物に入りヒューが宿の部屋を予約しようとすると主人は無料で良いと言うが、それはどこか気が引ける。そこで馬車から持ち出した物でいくつか気に入った物を渡すついでに、この町の店で売れそうな物を教えてもらう。

 珍しがられたのは惑いの森の果実や小瓶入りのハチミツ、香木などだ。それに、この辺りにはない種類の茶葉もいくつか持参していた。

「あとは、この町にある物でも普通に需要のある物は売れるでしょうね」

 ソロモンは医療鞄から、薬草の束をいくつか取り出して見せた。それは彼の言う通り、どこででも需要のある物だ。

「どうやら、お金の交換には困らなそう」

「買い物が終わったら地酒も試してみたいわね。ほら、弔い酒ってのもあるし」

「なにかお祖父ちゃんにお土産買っていきたいかも」

「色々買うのは、まず花や供えるものを供えてからにした方がいいでしょ」

 レジーナのことばに同意しかけるが、宿を出て太陽が高いところにあるのを見上げると、急にヒューは空腹感を覚える。

「ソルさま、大丈夫ですか?」

 ソロモンが考え込んでいるような様子のソルに尋ねる。

 姉のことばかりに気を取られていたが、ラピスに見せられた記憶の光景は彼にとっても衝撃だったはずだ。ヒューは、あまり落ち込んでないといいけれど――と心配になった。

 ソルは顔を上げるが、まだどこか遠くを見ているような顔。

「うん……まだ、消化できていない部分はあるが、明日出発するまで短い間だから、色々な場所を見てみた方がいい気がする。その方が思い出す切っ掛けになるから。例えば……」

 その目がある方角の建物の並びに向けられる。

「向こうにしばらく行って右に曲がったところにケーキの種類が多い食堂があって、そこで食事をした記憶がある。昼か朝か……いつかはわからないが」

「ホント? 行ってみましょ」

 聖霊が勢い込んで提案し、皆もそれに乗った。

 その少し後には、一行は〈カフェ・草原の風〉という看板の下をくぐる。メニューには確かにさまざまなケーキが並び、店主の女性も以前に訪れた顔ぶれを覚えていた。

「ルナっていう娘は、この栗のお饅頭がとても気に入ったみたいで、ふたつほどお持ち帰りしていましたね」

「確かにあの娘の好きそうな。今回もふたつ包んでもらいましょう」

「リリアは確か、いつもハチミツ入りの花のハーブティーを飲んでいたよ。花の種類はあちこちで違ったが」

 この店ではこれだ、とソルが教えると、特に意味はないかもしれないがヒューはそのハーブティーを注文する。ララも同じようだ。

 ソルはこの店で起きたことをかなり詳細に思い出したようだった。そこでの会話によるとリリアはイスコルデで帝国兵の会話を聞いているのを見つけられ、追われて逃げている最中にソルとルナを召喚したらしい。

 ――なんだか、僕とあまり変わりないな。

 ヒューは聞きながら密かに苦笑する。

 〈赤い爪の民〉の血筋を引く帝国軍人ジェラルド、そして彼に召喚された漆黒と狐白――志を同じくした一行はやっとここまで来た、と、この店でささやかな祝杯を挙げたという。

「リリアが立ち聞きした帝国の者たちの会話というのが、大規模召喚魔法についてだったらしいな」

「なるほど……」

 姉は最初から帝国の狙いを知り、それを阻止するために動いていた。そこはヒューたちとは順番がかなり違うようだ。

「とりあえず、できれば例の帝国についている神とやらに一発かましてやりたいところね。まあ、ヒューたちの安全が一番というなら仕方ないけど」

 オーロラもソルも、もう元の世界に戻る手段を持っている。この世界に残るのは兄妹の安全のためだ。

 しかし、オーロラとしてできればルナの仇を討ちたいのだろう。

「その……ルナさんの本体って元の世界にあるのよね? では、そっちで生きてるっていう可能性は……」

 レジーナのことばにヒューも思い出すが、聖霊は首を振る。

「元の世界に戻った時点で生きてはいても弱っているだろうし、きっとそのまま亡くなったんだと思うわ。そうでないなら、ソロモンが戻ってきたソルと再会したようにあたしとも元の世界で会っているわよ」

 生きて元の世界に戻れても、瀕死ならそこがベッドの上や人目のある場所でなければ身動きできないまま衰弱死する可能性が高い。

 それを想像するとヒューはやるせない気持ちになる。

「まあ……あの娘らしい最期だったし、きっと後悔はないんじゃないかしら」

「あんなに探してたのに、案外さっぱりしてますね」

 料理を注文し終えた白衣姿が、人間ならば無遠慮に思われるような指摘をする。

 しかし聖霊は気にした様子もない。

「ほかは知らないけど、ルナは生きてるならこちらに接触して来そうだと思っていたし……まあ、覚悟は多少してたわ」

「確かに、我々は目立ちますからね……」

 こちらが向こうの足跡を追えるなら向こうもこちらの情報を得て追って来れそうなものだ。ソルがいることがわかれば接触しようとするだろう。

 実際、ソルに接触してきた元同行者もいた。

「狐白はなにがあったのか……ほか二名はもともとの目的のために動いているように思えるんだけれども」

 料理の注文も忘れて思い出そうと天井のあたりを見上げるソルを、となりからソロモンが軽く指先で突く。

「少しずつ思い出せばいいでしょう。無理して一度に呼び起こすことはありませんよ、ソルさま。食事を楽しむ余裕も必要です」

「あまり食欲はないんだけどな……」

 渋々メニューを見るものの、色々なケーキを注文して分け合いたいララやレジーナに勧められ、結局彼もハーブティーとチーズケーキ、ジャムパイを頼むことになった。


 闇に溶け込むように、二つの人影が道を急ぐ。

 土地勘のある者でなければ存在すら気がつかないような入り組んだ小路だ。それに人々の寝静まっている時間帯でもあり、影は誰に見咎められることもなく街並みの端まで辿り着く。

 門のない、ほかにも何ヶ所か存在する、壁が他より少しだけ低くなっている部分だ。近くの納屋の裏にもともと隠していた梯子が掛けられる。

 それを見上げた後、黒いフード付マントを頭から被った人影のうち、長身の側が街を振り返る。布が持ち上げられ、碧眼に影を落とす金髪が月明かりに輝いた。

「もう戻れないかもしれないと思うと、少し寂しくはあるな」

 夜の空気を乱さないよう、ささやくような小声だった。それでも声色には、やるせないような複雑なものが聞き取れる。

「いつかこうなることはわかっていた」

 となりからは、無感動な女の声。

「だからこちらはもう、少数しか残っていなかったんだろう」

「それはそうだけどな……」

 肩をすくめ、青年はなにか言いかけるが、結局ことばにしなかった。今はそれどころではない。

 彼は無言で梯子を登り始める。急がなければ、普段よりも増やされているであろう見回りが来てしまうかもしれない。

 壁の上まで登ると、彼はロープを取り出して壁の凹凸に縛りつけて垂らす。その間に同行者は軽々と梯子を登り切っていた。

「わたしにはロープは必要ないが、まあいい。先行しよう」

 彼女は片手にロープを軽く握りつつも、ほとんど飛び降りるようにして壁の外の地面に着地する。

 それを羨望の目で眺めてから、青年は両手でロープを握り、足で壁を伝いながらゆっくり降り始める。

「仕方ない……こっちは、身体が重いんだから」

 ぼやきは、壁の内側よりさらに暗く静かな虚空へのみ込まれる。

 照明となるものは月明かりだけであり、闇と同化した草原の草木もどこか不気味に二人を手招いているようだった。

 生温い風が吹き、青年は慎重に大地へ足をつける。

 その一瞬だけ彼は安堵した。

 キン、と高い金属音が鳴る。いつの間にか女の手に抜身の刀が握られていた。月光が照り返され、ナイフが空中を舞う姿をあきらかにする。

「待ち伏せ、か?」

 青年の手がマントの下で腰へ伸びる。

 相手は姿のないままだが、女剣士の漆黒の目は闇の中のある一点を捉えている。

「お前だろ、狐白。邪魔をするならそれなりの覚悟はあるんだろうな」

 その声に、闇の中に浮かび上がってくるような白い少年の姿。

「おお、怖い」

 顔の一部を仮面に覆われた白髪の少年は、わざとらしい笑みを口もとに浮かべておどけたように言う。

「漆黒には怖いものはなさそうだ。ジェラルド、キミは普通の人間だと思うけどね。家族や友人を失うかもしれないよ」

 それは紛れもない事実だからか。ジェラルド、と呼ばれた青年は一瞬だけ黙る。しかし、迷いはすぐに振り払われた。

「そんなことは承知の上だ。だから、しばらく家族とも友人とも接触していない。疎遠になったり嫌われた相手もいるが……それも含め覚悟はできている」

「下らぬ問いだな。覚悟とは恐れを乗り越えてするものだ。お前は恐れを越えられなかったようだな」

 月光を照り返す刃の先を向けられ、かすかに少年の顔が強張る。

「さすがは鬼神……かつての仲間でも平然と斬れそうだ」

 刃から逃れようというように、彼は後ろへ飛んで少し間を空ける。それが無意味な行動だとは知った上で。

「おかしなことを……わたしの使命は修羅に堕ちた魂の粛清。お前が恐れにのみ込まれ道を踏み外したときから、わたしがお前の命を刈ることは決まっている。しかし、それもまたおかしなことだ」

「おかし……!」

 少年は大きく上体をひねる。

 その顔の仮面に横一文字の傷が入り、傷から下の部分は砕け散った。浅く皮膚にも至ったのか、血の球がいくらか舞う。

「そうだろう? お前はこの世界の神々への恐れに負け、当然こうして相対することになる粛清者を恐れなかった、ということになる」

 女剣士が一歩踏み出す。

 明白に、少年の表情が歪んだ。

「ちが……ボクはただ、身を守る力が欲しくて」

「それで?」

 刀がかまえられる。

 その刃に白く細長い布がいくつも伸びた。巻き付いて動きを止めようというように。

 銀光が無数の布をまとめて切り裂く。

 白い布の切れ端が舞う。その向こうに刃が向けられる。

 だが、わずかな間に少年は夜の闇の彼方へと消えていた。

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