第47話 約束の地

 まばらに木々が生えて茂みの多い草原は、草があまり長くない部分を選びながら進まなければならず、見慣れない種類の草の形が混じっているのもあり、未開の地を強く印象付けた。それでも時折、獣道のように草が踏み倒された箇所も目に入った。

 鳥はさえずり、木々の枝に小動物が見え隠れする。いくら〈北の果て〉の奥地へと足を踏み入れたとはいえ、そこは今までと地続きだ。異世界ではないのだから、そう身がまえることもない――

 自身に言い聞かせても、ヒューは無意識に緊張してしまう。

 ふととなりに目をやる。すると、妹は大きな目を輝かせて流れゆく外の景色を眺めている。

「凄いね。みんな来れないところに来れたんだから、父さんも母さんもきっと羨ましがっているよ」

 彼女はいつも自分とは違う視点を持っている。そういう考え方もあるのかと、兄は感心するとともに少し張り詰めたものがほぐれるのを感じた。

「地図にあるとおりなら町は北へ直進すれば見えるはずだけど……なかなか真っ直ぐには進めなそうね」

 幼馴染みが本を開き、〈最後の障壁〉より北の地図が載る項を指さしていた。聖霊と医師もそれを覗き込んでいる。今手綱を握るのは怪我もほぼ完治したソルだ。

 ドラクースが自然の妨害を避けるたび、一行は目的地の方角を確認していた。しかし見晴らしは悪く、確信は持てないでいる。

「あそこに丘が見える。一度高いところから眺めてみるか?」

 御者台からの声に、誰もが救いを見たような顔をする。

「そうですね。町が見えれば安心です」

 当然反対する者はない。早く進んだ方が目的地にも早く到着するだろうが、本当に進んでいるのかどうかくらいは把握しておきたいのだ。

 ただ、高いところに向かう、見晴らしが良い場所へ行くというのは周囲からこちらも発見されやすくなるということだ。外敵がいれば攻撃されるかもしれない。

 もうしばらく、油断はできない緊張の時間が続くのだろう――

 そうヒューは思っていたが。

「おーい」

 丘の最上部へのなだらかな登り坂を進み始めて間もなく、少し遠いがはっきりと、緊張感のない呼びかけが響いてきた。

「誰か近づいてくる」

 ソルはできるだけ周りの地面が平らな場所で馬車を止めた。ヒューは御者台の御者のとなりに移動し、レジーナとオーロラも顔を出して様子をうかがう。

「おーい、旅のかた!」

 次に声がかけられたときには、もう木々の間から相手の姿が見えていた。

 近づいてくると枝葉の緑の向こうから二人の男とそれぞれが乗るものが覗く。最初、少年は二人がずんぐりした茶色の大型犬に乗っているのかと思ったが、それは見たことのない、小型の馬の一種らしい。

 男たちは額に縦の筋のようなものが見え、ことばにわずかに訛りがあった。

「我々、この先のコーナスの町の者です。〈最後の障壁〉に近づく気配を感じたので遣わされました」

 メロの者に聞いた話が一行の脳裏をよぎる。障壁を挟んで文字で向こう側の住人とやり取りしている、と。

「信用しても良さそうだな。この限られた地域に野盗もいないだろうし」

「そうですね。案内してもらえるならありがたい」

 となりの魔族に同意すると、少年はナイフに伸ばしかけたまま止めていた手を挙げて場所を知らせる。

 黒髪の男と灰色の髪の男はあと数歩のところで馬を止めると、御者台の顔ぶれを見て目を丸くした。

「おや……? 確か、数ヶ月前にも外から来たのを見たような」

「わたしを知っているのか?」

「姉はどこに?」

 二人は身をのり出す。

「いや、街に入ったのを見かけたくらいで、いつの間にかいなくなってたからね」

 驚きながらも、黒髪の男が言う。そのことばにもう一人の男が補足を続けた。

「当時の案内人もいらっしゃるから、町に着いてから紹介できますよ」

 それは、一行にとって願ってもない申し出だった。


 地形を知り尽くした二人の案内人、黒髪のソワレと灰色の髪のジーグに先導されて馬車はすんなりとコーナスに到着した。

 道中に二人の案内人が説明したところによると、ここの住人は妖精の血を引く者が多く、人間の多くは召喚士の末裔だという。召喚士はかつて〈赤い爪の民〉と呼ばれた一族だ。

 コーナスは木製の柵に囲まれた、古の匂いを漂わせた街並みを広げていた。

 新しい家々は木造でメロのものと大差ないが、古い家や公共施設らしいもの、それに地面は黄金にも似た鈍い黄土色の石を切り出して作られていた。また街並みの向こうには三本の柱がそびえている。三本のうちの二本は途中から折れて失われているが。

「あれが〈嘆きの柱〉ね」

 道は広く馬車も進むことができるが、手綱を握るソルとそのとなりに座るララ以外はもっと街をよく見ようと、降りて歩いていた。

「あちらの方にも、紹介する案内人が連れて行ってくれるはず。ここには宿はひとつしかありませんので、そこぉ行くように伝えておきますよ」

「ありがとうございます、助かりますよ」

 ソワレとジーグは馬を町の入り口に預け、歩いて中心街に先導する。

 通りの脇には様々な店が並び、それは今まで目にしてきた街並みと変わりない。町内でしか経済は回らないはずだが、貨幣による交換はここでも活きているようだ。

「買い物もしたいけど……外のお金って使えるのかしら?」

 レジーナが当然の疑問を口にする。宿代も払えない、などという事態が起こりかねない。

 真剣な疑問だが、そうと知りつつ思わずソワレが笑う。

「外からの旅人とわかればみんなオマケしてくれるし、宿代もタダ。外のお金も珍しがって、買い物も自由、させてくれる思います」

「それに、銀や金はこちらでも貴重ですからね」

 教えられて、レジーナは安堵したようだ。

 貨幣だけでなく、馬車には外から持ち込んだ、この辺りにはない食料や香辛料もあるかもしれない。いざとなれば取引も可能だろう。

「着きましたね、ココね」

 ソワレが見上げたそこには丸太を重ねたような造りの大きな平屋の建物があり、入り口の上に〈癒し処・虹の館〉と看板が掲げられていた。

「確か……日帰り温泉があるとかいう」

 なにかを思い出したのか、ソルが独り言のようにつぶやく。

 旅人など滅多に訪れない場所にある宿だ。普段は町内の客を相手に商売しているというのは自然なことだが、外側からは温泉の匂いもしない。

「おや、ご存知でしたか。まあ前もここに泊まられたんでしょうから」

「前の案内人、連れてきますよ。しばらくここで休んでいてください。馬車も、主人に言えば預かってもらえる。夕食は、村長と一緒になるので夕日の五つの鐘が鳴ったあとはここにいてください」

 二人の男たちは朗らかに言い残し、街並みの中央の方へと姿を消していった。

 オーロラは商店街に酒屋を見つけていて気にしていたが、勝手な行動をとって行き違いになると面倒だ。ヒューは言われた通りに入り口を開ける。すると温泉特有の匂いが漂ってくる。

「ああ、外からのお客さんね? 話は聞いてるよ」

 入ってすぐにあるカウンターの奥、流暢な共通語で話しかけてきた主人はターデン族の黒髪の男だった。馬車を預けたい旨を告げると、彼は後方にいた若い男に声をかける。

 青年はすぐに外へ回った。こちらは長身で人間のようだが、左手の親指の爪が赤みがかっている。

 彼は最初はドラクースに驚いたものの、襲いかかってきたりはしないのを確認すると、普通の馬のように扱うことにしたらしい。手綱を引いて裏にある小屋へと誘導していく。

「長旅で疲れただろう。どうぞ、良かったら一風呂浴びていくといい。お題はいらないよ」

「それはありがたいわね」

 とりあえず、聖霊の酒屋への未練は断ち切られたらしかった。砂漠を抜けて野宿してからのやっとの街なかだけに、ほかの顔ぶれも砂や汗を流したい気持ちは大きい。

 汗や砂の影響を受けていない魔族二名は温泉には入らず入口のすぐにあるロビーに残り、男湯にはヒューだけが、女湯には女三人が入る。

 女湯では入浴の際はレジーナのブローチをどうするのか考え、ララの発案で丈夫な紐をピンに数ヶ所巻き付けながら通すことでペンダントのように工夫してこと無きを得ていた。

 ほかの利用者に混じって湯から上がり身体を拭いて、長椅子が四角の縁になるように並ぶロビーに四人が戻ったときには、魔族二名はとなりに座ったアヴル族らしい青年と何かを話していた。彼が案内人だろうか――とヒューが思ったのは一瞬で、青年は手を振って離れていく。

「本当に、色々な種族がいる町ね。人間の方が少ないわ」

 視界に入る姿も多くは妖精らしい者だ。それは温泉の浴室でも更衣室でも変わらず、聖霊の尾もさほど目立たなかった。聞こえてくる会話も共通語より、妖精のものらしい聞き慣れない言語が多い。

「こういう町だから、昔のソルさまたちも結構、埋もれているようですね……一人だけ覚えているかたがいただけです」

「それも、案内人と一緒に歩いているのを見た、というくらいだ」

 どこかで買ったのかもらったのか、ソルは飲み物が入っているらしい小ぶりのひょうたんを手にして振っていた。

 一体どんな案内人にどういう顔ぶれが一緒にいたのか気にはなっても、それはこれから現われる当人を見ればいいだけだ。

 間もなく、カウンターの主人から案内人が外で待っていると告げられる。

 一行は顔を見合わせ、無言で建物の外に出た。

 そこで一瞬、彼らは驚く。

 待っていた案内人はかなり若く見えた。ララよりは歳上だろうが、ヒューやレジーナよりはいくつか下に見える少女。

 緩やかに波打つ長い赤毛にどこか達観した光を映す薄紫色の目。人形のような雰囲気のある少女だが、左手の小指の爪は薄紅に染まっている。

「わたし、ラピス。〈赤い爪の民〉の子孫の一人」

「あ……初めまして。僕らは外から来た旅人で――」

 ヒューは簡単に自分と同行者の顔ぶれを紹介し、旅の目的をかいつまんで話した。自分に似たリリアという姉やルナという少女、それにソルのいる顔ぶれの旅人たちの足跡を辿っているのだと。

「確かに、その人もいたし、ルナという人もいた……案内したの、覚えてる」

 ラピスはうなずき、断言した。

「〈嘆きの柱〉に隠された大規模召喚魔法と、それを使用後に召喚した者たちを帰す魔法……それを探したい。だから案内してほしい、って言ってたわ」

「案内、ということは〈嘆きの柱〉に?」

「そう。その後のことは……たぶん、見た方が早いと思う」

 ソルのことばに応じ、少女は背中を向けて踏み出す。足が向くのは柱の並んでいるのが見える北の方だ。

 当然、彼らにはついていく以外に選択肢はなかった。


 かつて神殿だったらしい丘の上の残骸は、長い年月を感じさせた。

 鈍い黄金色の床は半ば崩れ落ち、残りも大部分が土に埋もれている。残された柱は三本で、天井は見る影もない。床には儀式に使われるであろう、大きめの台座があった。

 神殿の向こうには木々がまばらに生えた、淡い黄土色の荒野。さらに向こうには青々とした山並みがぼんやりと浮かび上がる。

「ここへ来たとき、神が現われたの。たぶん、ずっと狙われていたんだと思う」

 そう告げると、ラピスは呪文を唱え始める。

 それが終わった直後、有り得ない光景が広がった。空の色は変わり、今までまったく存在しなかった姿がいくつも出現していた。

 ――幻術……?

 それが過去の光景であることはすぐにわかる。

『ラピスさんは、離れていてくださいね』

 そう告げたのは茶色の髪の法衣姿の少女。彼女は安心させるようにほほ笑むと、すぐに表情を引き締めて背後へ駆け寄る。

「ルナだわ」

 オーロラが目を見開く。

 ヒューは、それにララも、ルナのとなりに立つ少女に目を奪われた。銀色の髪の、どこか兄妹に面影が似た部分のある少女、リリア。

 リリアの向こうにはソルが並び、三人の後ろには白髪の少年、鎧姿の青年、長い黒髪に黒衣の女剣士。

 六人が相対しているのは長い金髪を二つに束ねた、有翼の少女。肩には見覚えのある、砲台型兵器をかついている。

『神か』

『ここまで来れたのは驚きだけど、あなたたちの役目は終わりよ。未熟な召喚士さん』

 砲門に魔力の光が収束する。

 幾重かの防御結界が張られるが遅かったのか、強度が足りなかったのか。血飛沫と悲鳴が上がる。

 リリアは倒れ、白髪の少年が膝をつく。咄嗟にソルが火球を相手へ投げつけるが女神は軽くかわし、再び魔力を収束させていく。

『ルナ、リリアを連れてさがれ』

 ソルが刀を抜き、女剣士もそのとなりに出ようとする。

 しかしこのとき、すでに次の一撃が砲門から放たれようとしていた。

 リリアのそばに屈み込もうとしたルナの目に、光に満たされた砲門が映る。それが狙い定める先に気がついた彼女は動く。それは、反射的な行動だったのかもしれない。彼女は錫杖を放して咄嗟に両手でソルを突き飛ばした。

 彼女の姿はまばゆい光に覆われ、直撃は逃れても爆風に巻き込まれたソルも弾かれ、床の途切れた大地の上に転がる。

『ルナ…… !?』

 鎧姿の青年が振り返るが、立ち昇った土煙が晴れた向こうには少女の血の一滴、髪の一本すら残されていない。ただ、台座の中央が大きくえぐられており足もとの近くに錫杖だけが転がる。

 唖然とする女剣士と青年、倒れて顔を血に染めたリリア、顔を押さえて苦悶する少年。そして荒野に横たわるソルからは魔力の光が粒となって舞い始めている。召喚士が死亡すると召喚された者は還っていく。

「うわあぁっ!」

 白い法衣姿の少年が悲鳴を上げる。右目を押さえた両手の指の間から、鮮血をしたたらせながら。

「こうなったらもう……時間を巻き戻して」

 金髪の青年が鎧の懐に手を入れようとする。それを黒衣の女剣士が止めた。

「よせ、それは使うな。連中の思うつぼだ」

「まったくね」

 同意するのは、気楽そうな女神の声。

 女神が白い翼を広げ、砲門から細い煙の筋を昇らせた兵器を肩に担いだまま空中に静止していた。

「わかってない。それとも……もっと最悪の結末が欲しいの? ま、どうにしろあなたたちは消えるけどね」

 女神が肩に担いだ砲門は、三たび、光を収束し始めている。

 ――それが放たれる前に幻術は消えた。

「あ……」

 自分の声で我に返り、ヒューは知らず握りしめていたナイフの柄から汗ばむ手を放す。まるで、自分が女神と対決していたかのように緊張していた。

 それほど臨場感があったのに、信じられない気持ちだった。否、信じたくなかったのかもしれない。

「……今のが、ここであったこと」

 ラピスの平静な声で、皆が我に返る。生き証人である彼女が、信じたくない過去を事実として突きつける。すべて彼女の作りごとである可能性も存在するが、そんなことをする理由が思い当たらない。

「あなたは消えてしまったの。そして、生き残った人たちはお墓を作った」

 一度ソルを見てから、アメジストのような目は柱の向こうを見透かすように動く。

「墓? それはルナたちの?」

 ルナが消し飛ぶ光景を目の当たりにしてしばらく茫然としていたものの、聖霊は案内人のことばに喰いつく。

「こっち来て」

 答える代わりに少女は歩き出す。

 ヒューは重い足を踏み出そうとして、妹に手を伸ばす。会えたかもしれない姉の死を除いても、特に幼い妹には刺激の強い光景だっただろう。

 しかしララは目に涙を溜めながらも気丈に口を結び、兄の手をしっかりと握った。

 神殿の床の上を降りたところ、土を盛った簡単な墓が二つ。墓には一つに錫杖が、もう一つには木の棒を十字に組んだうえでペンダントが掛けられていた。

「ここに眠っているのね」

 聖霊の声で、誰もが現実を確かめた。

 それを受け入れるために、しばらくの間、一行は風の音を聞くだけの時間を必要とした。

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