第23話 明日より先にある過去

 金髪碧眼、切れ長の目に長身で整った顔立ちという、典型的なアヴルの青年が木々を背後にたたずんでいる。

 種族の特徴のせいで、人間の目には妖精アヴルの判別はしにくい。だが、さすがに同じ種族が複数いる場面では差が見つけやすい。それも、似た特徴のある者と見比べられれば。

「クラリスか……確かに、サーラに似ている。会うのは二度目になる」

「わたくしは、会った記憶はないのですが」

「ああ、最初に会ったのはまだキミが赤ん坊の頃だったからね」

 少し意外そうな少女に、青年は懐かしむように口角を上げた。どうにか声が届くくらいの距離では、相手には見えなかったかもしれないが。

「もどかしいわね。駆け寄って抱き着いたりはしないのかしら」

「クラリスはそういう性格じゃないんじゃないの」

 木の陰に隠れて父娘の邂逅を眺めるのは、レジーナと聖霊、ソロモン、ララの四人。

「まあ、今は距離を測ってるのでしょう。静かに見守りましょう」

 ソロモンは親のような視線で助手の背中を眺めている。

「一人でここで来たということは……サーラは?」

「母は亡くなりました。わたくしは、恩のあるお医者さまの助手として、過ごしやすい土地を探して旅をしてここに辿り着きました。街はわたくしの身体には合わないようですから」

「そうか……キミが一五になったときに、会いに行く予定だったんだけどな」

 サーラを亡くしたと耳にして、アヴルの青年は眉を下げる。

 なぜ彼が妻子に会いに行くことができなかったのかは、容易に想像できる。クラリスが一五歳になる数年前には、ジャリス帝国が周囲への侵攻を開始している。この森とも、その当時から何度も小競り合いを繰り返している。

「それでもこうしてここで出会う巡りあわせになるとは……血は呼び合うものなのかもしれないな。わたしはなにもしていないが、サーラのおかげか、それにキミ自身の力もあるのだろうが、もう立派な大人だ。どんな道を選ぼうと、わたしはキミを祝福しよう」

 そう言ってアヴルの青年、サリックスは右手の革手袋を取り、手を差し出す。

 少女はためらいなく歩み寄って相手の手を取った。もう、彼女の心はすっかり決まっているらしい。

「これからよろしくお願いします……とその前に、果たすべき目的がありますが」

 クラリスは後方で眺めていた四人を振り返る。

 ここへ辿り着くことも父に会うこともクラリスにとっては大事な目的に違いないが、同行者たちの本来の目的は別にある。

 呼ばれて妖精の前に出た四人、それに合流したヒューも交え、ここへ来た本来の目的を説明する。

「それなら、ここで遺跡の研究をしているティタラスの専門分野だな。出土品も彼が管理している。わたしから伝えておこう。明朝、キミたちを訪ねるようにと」

 木々の葉の間から見える空は、すでに陽も傾きかけている。

 そこでやっと、ヒューは昼食をとっていないことに気がついた。気がつくなり、今まで感じていなかった空腹を自覚してしまう。

 それは妹や幼馴染みらも同じらしい。

「だいぶ遅いけど、ソルさまのところで軽い昼食にしましょうか」

 サリックスを見送ると、レジーナがそう提案する。空き家は自由に使って良いと族長に言われていた。

 ソルを起こしてしまうのでは、とヒューは少し気が引けたが、彼らが戻ったときにも魔族は目を開けて迎えた。どうせまだ寝ていないならと、全員で昼食をとることにする。

 食事は、ゴスティアで買った干し肉と木の実を挟んだ硬いパンにホワリ茶という簡素なものである。時間が経っているため硬くなり美味くはないが、携帯食などそんなものだ。

「ソルさま、ベッドで寝ればいいのに」

 二段ベッドには藁にシーツ、毛布と枕が用意してあった。硬い木の長椅子よりは、かなり快適だろう、と少年は思う。

「ララやレジーナ、聖霊が使うだろう。わたしはどこでも眠れるよ」

 そういえば、ソルは馬車の上でも平然と眠れるのだった――ヒューはエルレンでの体験を思い出していた。

「あんた、変なところで紳士的ね」

 と、聖霊が言うのを見て、ソルはカップを手えにしたまま表情を変える。

「そう言えば、あの召喚士が我々を元の世界に戻す方法を知っていてすぐに戻れる状況の場合には、すぐに帰るつもりか?」

 ヒューとの会話が気になっていたのが、彼からそう切り出した。

「なによ、もう少しこの世界でのんびり過ごしたいってわけ?」

「この世界に残って、のんびりになると思うのか……のんびり過ごせるなら、それはいいが」

「オーロラさん、違うんです。これは、僕の都合でして……」

 あきれたような声のソルにオーロラが目をさらに吊り上げるのを、ヒューが割って入って説明する。ララやレジーナはもちろん、聖霊と魔族がいてくれる方がいい、という反応だ。

「賑やかな方が楽しいし、もっと一緒に色んなところに行ったり、楽しいことしたいよ」

 幼い少女の無邪気なことばには、思わず聖霊の頬も緩む。

「そうね……もう少しこの世界に残って、あの娘を探してもいいかもしれないわね。それと、炎を消す手段も」

「炎を消す手段?」

 オーロラが帰る場所の状況については、彼女とレジーナしか知らない。不思議そうな顔をしている面々にオーロラが簡単に説明する。

「持ち物も移動できるなら簡単じゃないか。両手にバケツ提げて、頭にタライをのせて帰ればいいんだ」

 いかにもいいことを思いついた風に魔族は笑うが、その笑みには悪戯めいたものが混じっている。実に楽しそうだ。

「そんなことしたら、首を痛めるでしょうが! それにあたしそんな怪力じゃないわよ」

「まあ、大量の水も、魔法石にそういった効果のある魔法を封じてあれば簡単に運べるでしょうし、魔法の道具にはもっと便利なものもあるでしょうね」

 ソロモンが告げると、聖霊は気を取り直したようだった。

 夕食の時間までの間に、妖精の担当者が必要そうな物をいくつも運んできた。人数分の毛布や枕、動物の毛皮を加工した敷物、食器や薪など。族長ジュグムは客人を丁寧に扱うように指示したらしい。

 当然、夕食も大切に運ばれてきた。キノコと団子入りのスープ、焼き立てのパンにジャム、木の実をハチミツで和えたもの、根菜のピクルス。一人一人に充分な量が当たる。

「おそらく、我々に恩義を感じてくださっているようで。やりやすくて助かりますね」

 出会いは排他的に思える反応だっただけに、ヒューもソロモンに同意する。クラリスはともかく、ほかの種族を追い出す妖精たちの住む森、というのは耳にしたことがあった。

「鍵も手に入りそうだし、目が覚めたスクリーバさんも協力してくれると嬉しいですね」

 聖霊も魔族もしばらくこの世界に居てくれるとわかった今、彼は心から、召喚士が有力な情報を持っていてほしいと願った。

「そうだな。ソロモンを追いかけてきた人間を除いては、みんな協力的かもな」

 夕食のために起こされたソルが、棚から見つけ出してきた料理の本を開いたまま言う。

 暖炉に薪をくべていた医師は手を止めた。

「あ」

「……そういえば、そういう女性がいたわね。忘れていたわ」

「今まで会いませんでしたね……」

 森に入ってからここまでの間、人間は目にしなかった。惑いの森とは違い、人間の居住区というものはないらしい。

「妖精たちも知らなそうってことは、どこかで迷っているのか、引き返したとか」

「目撃情報が間違いというのが、わたしには一番ありがたいですね」

 女性が森に入ったのが事実なら、いずれは出会うことになるだろう。

 そんな予感を抱いてか、医師ははかない望みを口にするとともに木の天井を見上げて嘆息した。


 明くる日の朝も、アヴル族やウィデーレ族といった妖精たちが朝食を運んでくる。魚の燻製の薄切り入りのサラダにチーズリゾット、気分をすっきりさせる効果のあるハーブティー。

 ついでにティタラスがもうすぐ下に来ると伝言を伝えられ、朝食を終えると一階に降りる。白いバンダナを頭に巻いた小柄なターデン族の男が七人を迎えた。

「鍵なら沢山発見されてるよー。遺跡の近くの研究所にあるから、ついて来るといいよ」

「はい、よろしくお願いします」

 陽気なターデン族の青年ティタラスは大木の家を出ると、身軽に木の根や倒木を跳び越え、森の深くへ分け入っていく。

 爽やかな鳥のさえずりが聞こえ、朝露に濡れた森が陽に輝くが、案内される側は景色を楽しむ余裕なく、ついていくのに精一杯だ。途中、ララはレジーナの手を借りていた。

 目的地への距離は幸い、それほど遠くはなかった。徐々に木が減り始め行く手が見通しやすくなる。

「おお……」

「あら」

 木の葉の陰からのぞくものに、思わず洩れる歓声。

 石を切り出したような灰色の石柱が三本、空高くそびえ建っている。古い遺跡の一部でありこの森の名の由来だ。

「もっと近くで見たいな!」

 少し進むのに苦労していたララも目を輝かせる。

 目的地の指標となる石柱が見えてからは早く感じられた。ティタラスが足を止めたのは壁の板も腐りかけているような小屋だ。研究所、という単語から想像できるものとはかけ離れている。

「あったあった。これだ」

 小屋に入ったターデンの青年はすぐに出て駆け寄ってくる。その手には古そうな鍵を輪に通して集めた束をのせて。

 鍵はどれも形が大きく違い、発見した物をそのまますべてまとめておいたものらしい。

「ここから探せってこと?」

「まあ、実際に合うかどうか、これで試してみましょう」

 鍵のかかった本を鞄から取り出してヒューが携えると、ティタラスは目を輝かせる。

「なに書いてあんだか、気になるよー。でも、そういう魔力を秘めた錠は、魔力を注ぎ込みながら鍵を回さないと開かないはずだ。おいらじゃ無理さ」

「わたしがやってもいいが……ここで開けてしまっていいのか?」

 ソルが鍵に手を伸ばそうとして、思い出したように遠慮がちに問うた。

 思い出されるのはユーグで怪盗キュラートに魔力を秘めた玉石に触れさせられたとき。あの玉石には魔獣が封じられていた。

 この本にも、魔獣やそれ以上に危険なものが封じられているかもしれない――そう思うと、ヒューはただの本の感触でしかないそれを持つ手が緊張してしまう。

「危険かもしれないけど……結局、どこかでは開くんでしょ? 開かないと中身はわからないし」

 ボウガンを手にしながら、レジーナはすでに警戒のかまえだ。

「それなら、かえってここはいい場所かもしれません」

 クラリスも同意する。街中などでは無関係な者を巻き込むかもしれない。

 顔ぶれを見回すが、異論はないようだ。ここまで来て本を開く方法を見つけたからには、止めるという選択肢もない。

「覚悟を決めましょう。ソルさま、お願いします」

「ああ、本を渡せ。少し離れてろ」

 ほんと鍵の束を左右の手に、ソルは小屋からやや距離をとる。いつものことながら、危険に自らさらされるソルに、少しヒューは申し訳ない気持ちになる。

 当の魔族は、臆することもない。束から鍵を取り、本の鍵穴に差し込もうとして合わず、別の鍵に替える――という作業を何度か繰り返した末、やがて赤い色の鍵が奥まで差し込まれ、ガチャリ、という音がヒューたちの耳にも届く。

「開いた!」

 ティタラスに負けじと、ソルも古代の遺物に興味津々だ。錠から解放された分厚い表紙を嬉々としてめくる。

 めくった途端に何かが出現したり、煙が噴き出すようなこともない。差し迫った危険はないと判断し、周囲の者たちも近づく。

 本の最初は、白いページに走り書きのようなものが書かれているだけの単純なものだった。ソルが文字を目で追いながら読み上げる。

『明日より先にある過去から、まだ道半ばにある者たちへ伝える。真実を求めるなら〈果て〉に向かえ。そこに必要なものは存在するだろう。知りたい答、帰り道。それがどれほど過酷なものでも、自ら選ばなければなにも進まない』

 その次のページからは、〈果て〉までの地図や細い注意点が書かれているようだ。

 パラパラとめくって全体を把握すると、ソルもティタラスも考え込む。

「果てを目指すのは召喚士が多いって話だったと思うし、昔、召喚士が後世の人のために書いたものなのかしら……?」

 レジーナの予想はあり得そうなものだ。しかし、ヒューはなにかが引っ掛かっていた。『明日より先にある過去』といった表現だけではない部分でも。

 ソルはしばらくして、あきらめたように首を振る。

「どこかで見たような気がしたが、思い出せないな」

 そう言えば、彼はこの森に既視感を覚えていたのだった。やっとヒューは思い出す。しかし今は自身も似た感覚が湧いていた。

「僕も、この文字の筆跡に覚えがある気が……なにか魔法関係の本で見たのかもしれません」

「なかなかない内容だねー。果てに行って生きて帰ってきた召喚士は少ないし、みんな行き方は秘密にしたがるから」

 ティタラスは少し驚いた顔をしていた。

 この本の書き手も、手の込んだ錠のついた本を使っている以上、ある程度は読み手を絞りたかったのだろう。それは、召喚士たる魔力を持つ者を想定したのかもしれない。

「あたしは、『帰り道』ってのが気になるわね。どうにせよ、召喚に関わる本なら持っておきましょう」

 聖霊はその一文を気にしたようだ。

 ソルが本を閉じ、ヒューに返す。

 ガサッ。

 背後の茂みが不自然に音を立て、魔族は反射的に刀の柄に手をかけて振り返る。

 一度は、静寂が辺りを包む。

 ――風の悪戯かなにかだったのか。

 そう思わせるだけの時間が過ぎたあと、なにかが茂みを飛び出した。

「覚悟!」

 鋭い声をあげ飛び出したのは一人の女性。長柄の戦斧を両手にかまえ、青い目に長い亜麻色の髪を団子状に頭上にまとめ、軽く丈夫そうな革鎧を服の上に着た若い娘。

 彼女の目と武器が狙うは、白衣に眼鏡の姿のみ。

 標的へ突進するその進路上にソルが入り、簡単に戦斧の柄を片手で捉えて制圧する。それなりの武装はしているものの、一流の使い手というわけではないらしい。

「は、放せ!」

 ソルが腕を抑える間に、オーロラが術で木にからみついていた蔦を操り、女を縛りあげた。

「この医者が恨まれているのはありそうな話だけど、一応、話を聞かずに目の前でっていうのも寝覚めが悪いからねえ」

「しかし、命まで狙われるとは……一体なにをしたんだ?」

 異世界の住人たちの冷たい視線が突き刺さり、引きつったような笑みを浮かべていた医師は慌てて首を振る。

「いえ、あいにくわたしには覚えがないのですが……どこかでお会いしましたか?」

 猫なで声のソロモンを、女はずっとにらみつけている。まるで目で噛みついているようだ。

「嘘をつくな! アタイ、確かに聞いたんだ。姉さんが洞窟にこもるようになったのは、ソロモンっていう名前の医者が町を訪れて去ってからだって近所の人たちが言ってた!」

「洞窟……?」

 姉が誘惑されたというような話ではないらしい。それがヒューたちには少し意外だった。姉が去っていった医師に心を奪われたというなら、洞窟にこもる必要はないだろう。

「洞窟にこもるというと、人に見られたくないとか……?」

「そうですね。あとは場所によりますが、日光に当たりたくないとか、なにかの生贄になって身を捧げる……とか」

 レジーナのことばに、クラリスが続ける。

「先生が去った後に洞窟に、ですから、それを診察の結果とするなら、日光に当たるとよくない持病が見つかったとか、顔に大きな障害が残る病気になったとか」

「顔に跡なんてない! 昼間洞窟の外には出たがらなかったけど……」

「身体だけでなく、広場恐怖症といった精神的な原因もあり得ますよ」

 女が少し勢いをそがれたところで、ソロモンが付け足す。

「そ……それじゃあ、姉はなにか病気で……」

「いえ」

 ソロモンはきっぱりと遮る。

「ですから……わたしは、あなたのお姉さんにお会いしたことは一度もないんですってば。女性と楽しくお話しするなら、お姉さんや妹さんは紹介していただきますから」


 名をエリスという娘は、クラリスが入れた茶をすすると少しは落ち着いたようだ。彼女は東のアネッサという町で姉のセラと暮らしていたが、二年の間、旅に出て離れていたという。

「帝国が怪しい動きをしているから、傭兵として腕を磨いたあと、町を守る力になろうと思って……ここまで帝国が勢力を拡大しているとは思わなかったけど」

 どこか遠くへ避難した方がいいかもしれない。そう思い故郷へ帰り姉を探したが、その姿は家ではなく近くの洞窟にあった。

『わたしはここで生き、ここで死ぬ運命なの』

 姉はそうとだけ言い、決して洞窟から出ようとはしなかった。食事は夜のうちに食用できる野草や、川魚を捕るなどしてまかない、町にはすっかり顔を隠して極まれに買い物に行く程度だという。

「夜には外に出るってことは、出ようと思えば出られるのね。となるとやっぱり、人目か日光を気にしているのかしら。見た目が変わりないなら日光に関する病気?」

「病気とは限らないですよ。魔法的な原因もあり得ます」

「魔法的……?」

「それより、わたしはわたしの偽者が気になります。眼鏡をかけた白衣の医者くらいなら沢山いるでしょうが、ソロモンという名はあまりないでしょう」

 ソルの疑問には答えず、ソロモンは大げさなほど力説した。いつになく、その金縁眼鏡の奥には執念の色がのぞく。

「確かに、ソロモンという名前は珍しいけど……」

 レジーナも少し気圧されたように同意する。

「というわけで、ヒューさん、行きましょう。セラさんを救うためにも」

 ガシッ、と急に手を握られ、ヒューは驚く。

 一体、この勢いはなにが理由か――と思っていると。

「汚名を晴らしたいのね、つまり」

 聖霊のことばが図星のようだ。

 ソロモンが無実なら、確かにエリスに誤解されたままというのは煩わしいだろう。しかし、ソロモンの名を騙る者がいるなら、結局誰かに恨まれていることにならないだろうか?

 その疑問を、少年はとりあえずのところは胸にしまっておくことにする。

「ちょっと遠いけど、まあ、ついでに行ってもいいでしょう。どこかで馬車を借りられると楽なんですが」

「それは難しいと思う。まあ、アタイが道案内すれば二日くらいで着くよ」

 エリスが請け合う。惑いの森を出て予定よりすでに日数がかかっているが大丈夫なのかと、ヒューは内心不安になった。

「では、わたくしはお弁当を作っておきましょう」

 その声に、皆が顔を上げる。

 もう、彼女の顔を見るのも残り少ない。

「あ……クラリス」

「まだ用事があるでしょうし、お別れは見送りのときでいいでしょう」

 エリスの登場で注意を逸らせていたが、まだ目的のすべてを果たしたわけではない。召喚士スクリーバは朝の時点で意識を取り戻し、広場で待ち合わせることになっている。

「そうだったわ。広場に戻りましょう」

 大事なことを思い出したという様子で聖霊はカップを空にし、立ち上がる。

 広場の前で、一行はクラリスとティタラスと別れた。広場は昨日に比べて周囲にある妖精たちの姿は減っているが、それでも出入りする姿はいくらか目に付く。

 その中の一人が気がつき手招きした。

「旅のかたがた、スクリーバさまならお待ちですよ。どうぞこちらへ」

 言われるがままついていくと、老召喚士は椅子に座り待ち受けていた。

 案内人に礼を言って向き直ると、ヒューは威圧感を覚える。相手は長い年月を重ねてきた熟年の召喚士だ。原因の多くは外見ではあったが。

「あの、えーと……確か、バサールさんの紹介状が……」

 思い出したように、懐から手紙を取り出す。

 それを見たスクリーバは豪快に笑いだした。

「律儀な坊やだ。そんなものなくても、恩人の頼みくらい聞いてやるぞ」

 外見ほどの気難しい人物ではないようだ。それにほっとして、ヒューは事情を説明する。一応、ソルが魔族であることは省いた。

「異世界からの召喚魔法か」

 たてがみのような髭を撫で、彼は続ける。

「聞いたことはある。確か、昔は召喚するための魔導書の写本と返すための魔導書の写本の両方が存在したが、返す方の写本は火事で燃えたはず」

「えっ、それじゃ……」

 まさか、手段は失われたのか。ヒューはギクリとする。

「いや、写本、ということは元になった魔導書は失われていないんだろう?」

 ソルの冷静なことばに、スクリーバはうなずいた。

「あるにはある。〈果て〉だと言われているがな」

 召喚士が目ざす場所。

 結局、すべてはそこに通じているのかもしれない。鍵のかかっていた魔導書の内容を思い出し、ヒューは息を吐く。

「あなたは果てへ行ったことはあるの?」

 オーロラがそう尋ねる。

「いや、ないな。これでも妖精の血を引いているから、あまり自然を歪めない魔法を使うようにしている。しかし帝国があのようなものを持ち出してきたとなると……もう少し強力な魔法を用意しておこう」

 果てへ行くための情報は、本に頼るしかないようだ。

 すでに行くことを決めている自分にヒューは苦笑する。しかし、聖霊と魔族を帰すために必要ならいつかは行かなくてはいけない。それが、自分のためにもうしばらくこの世界にいようと決めてくれた二名への最低限の報いだ。

「どうした、お嬢ちゃん」

 スクリーバの声で、やっと気がつく。妹が老召喚士をじっと見上げていることに。

 ララはにっこりと笑った。

「とても立派なお鬚だね。ねえ、触ってもいい?」

 幼い少女の意外な申し出に、スクリーバは破顔一笑して髭を近づけてやった。


 長であるジュグムのはからいで、昼食は小さな宴が催された。死傷者が出たばかりなのもあり、空き家で妖精たちの要人と食事をする程度だが。

 ジュグムはアネッサに向かう旅人たちのために、ユニコーンを使った馬車を貸してくれるという。本の絵でしか見たことがないユニコーンの名を聞いて少年少女たちは目を輝かせるが、聖獣の名にソルは渋い顔をしていた。

 食事を終えると、出発地点に早速それが用意される。

 ユニコーンは白い毛並みと青白いたてがみ、そして額に長い角を持つ大型の馬に似た聖獣だ。青い目は宝石のように美しい。

 一方、荷車は簡素なものだった。木を組み合わせたもので、丈夫そうではあるが外見は廃材のようだ。

「ユニコーンはこの森の奥地の泉の縁で飼われている。野に放てば自力で泉に帰ってくる。荷車は薪にでもしてくれ」

 ジュグムのことばで、ヒューたちが薄っすら抱いた疑問は解ける。

 森を出発する一行を、多くの妖精たちが見送りに出ていた。そこにクラリスと、サリックスもやって来る。手に大きな麻袋を持って。

「これは、ヒューさんに合いそうですね」

 クラリスが袋から取り出してのは、木と革を組み合わせ中央部を鉄版で補強した円盤状の小型盾、いわゆるバックラーだ。腕に固定するための太いベルトが裏につけられている。

「これはサリックスさんが……?」

「ああ、森の防衛力を上げるために色々と作っている。遠慮なくもらってくれ」

 アヴルの技術者は次々と袋から作品を取り出した。飾り紐のついた丈夫そうなブーツ、手の甲から腕までを保護する革の手甲、腰の左右につけるベルト付きポーチ、ポケットの多いベスト。

「あら、いいじゃない。ブーツはレジーナに合いそうね。あたしはポーチがほしいわ」

「ベストと手甲はどう見ても大人向けですが……」

「わたしはあまり重くなるのは着けたくないな」

「では、わたしが白衣の下に着けるとしましょう。随分と武骨な医師に見えそうですが」

 ヒューはバックラーを腕に着けてもらい、レジーナも嬉しそうに履き替えた。彼女の今まで使っていた飾り気のないブーツは、かなり底がすり減っている上、洗っても取れない汚れで黒ずんできていた。

「それと、ララちゃんにはわたくしから」

 と、クラリスが差し出したのは折り畳まれた上着だ。暖かそうな毛皮が袖や襟につけられ、胸もとには可愛らしいぼんぼりも付いている。

「凄い、かわいい! ありがとう、クラリスお姉ちゃん!」

「これから寒い季節になってきますからね。ララちゃん、風邪ひかないように、元気で」

 喜ぶ少女にほほ笑み、半妖精の少女は身を引いた。

 ここでお別れなのだ――そう実感すると、初めて寂しいような、隙間風が過ぎていくような肌寒さを感じ、ヒューは相手の姿を目に焼き付けようと思う。

「寂しくなるわね。でも、あなたはここでも自分の力を生かせそうだけどね」

 聖霊の目が向くのは、少女の背後に立つ父親。最初に見たときよりも、その娘を見る視線は柔らかく感じられた。

 クラリスの手先の器用さは父親譲りの部分もあるだろう。気の合う父娘になりそうだ。

「帝国の襲撃が落ち着いたら、服飾品を作って暮らそうかと思ってますよ。そういうの、少し得意なんです」

 わずかにだけ得意げに胸を張り、表情を変える。

「こんなご時世なので、そうなるまで時間がかかりそうですが……皆さんも気をつけてくださいね」

 全員を見回したあと、その黒縁眼鏡は医者に向く。

「先生、ここまでありがとうございました。先生は間違いなく怪しい人ですが、悪い人ではないと信じています。たぶん」

「はあ……あなたも、末永く元気で」

 否定すべきか肯定すべきか迷ったのか、医者はやや曖昧な返事をする。

 次に少女の目が向くのは銀髪の少年。

「ヒューさんは慎重派なので無茶をして周りを危険に巻き込むことも少ないと思いますが……まあ、周りのために生きるのと心のままに生きるのを選べるとして、どちらが正しいかはわたくしが決めることじゃないですけれどね」

 ヒューは見透かされているような気がした。慎重と言えば聞こえはいいが、自分は優柔不断だという自覚がある。

 黒縁眼鏡は異世界の住人たちに向く。

「ヒューさんに召喚されたお二人は無条件にヒューさんの味方として信頼しています。オーロラさんは、ヒューさんとは逆に少し慎重さが必要かもしれません。なにかに気を取られていると思わぬ落とし穴にはまったりするかも」

「ああ……気をつけるわ」

 覚えがあるのか、聖霊は表情を引きつらせて目を逸らす。

「ソルさまは安定してますが、なにかあったら無理せず周りを頼ってくださいね」

「頼れるならな……」

 魔族は釈然としない様子で同行者たちの顔ぶれを見渡す。すると、ソロモンが満面の笑顔で両手を差し出した。

「わたしはいつでも大歓迎ですよ、ええ」

「却下」

「そんな、取りつく島のない……」

 医師が残念そうに肩を落としている間に、クラリスはレジーナのそばに歩み寄って何事かを耳打ちした。聞いた側は目を見開き、かすかに頬を赤らめる。内容は二人だけの秘密らしい。

 最後に、クラリスは屈み込んで幼い少女と目を合わせた。

「では……皆のことは頼みましたよ、ララちゃん」

 ほほ笑ましく周囲の皆は見守るが、幼い少女は真剣な眼差しで応じる。

「大丈夫。ララがすぐに強い魔法使いになってみんなを守るからね!」

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