第21話 森震わす胸騒ぎ
闇がうごめき、逃げ惑う鹿たちをのみ込んでいく。
それは平原と青空の狭間に夜が現われたかのようだった。手足も目鼻や口もない不定形の闇が覆い被さるように三頭の鹿の姿を隠す。
その黒一色から、バリバリ、ぐちゃぐちゃ、と生々しい音が流れてきて、一部始終を監視していた二人の兵士たちは顔を見合わせた。彼らが身に着けた鎧には、ジャリス帝国の紋章が刻まれている。
「酷いな……ほんとにこんなのを使うのか」
兵士の一人が話すなり、血の臭いが彼らのもとまで漂ってきて軽くむせる。生き物に見えない外見でも、確かに捕食を行う生物に違いはないのだ――それを思い知らされる。
「こんな得体の知れないものと一緒に行動していたら、寝首をかかれかねないぞ」
「一応、魔術師には操作できるらしいが……その魔術師が裏切ったらどうなるんだ? 寝てる間に勝手に動いたりしないのか?」
骨ごと粉砕するような激しい音が途切れ、再びそれは動き始めた。その気配に兵士たちはビクリと慌てた様子で振り返る。その生物には、本能的な警戒心を掻き立てられるような異質な気配があった。
「ま……一緒に出かけるのはオレたちじゃねえ。さっさと報告したらおさらばだ」
その生物はズルズルと体を引きずるようにして、地面に置かれた一抱えほどの大きさの壷に向かっていく。そして、とても入りきらない大きさに見えるその巨体を流し込む。どうやら伸縮自在にできているようだ。
「まったく……上層部もとんでもないことを考えるもんだぜ」
単に壷だけが草の上に置かれている。ただそれだけの風景を未だ緊張した様子で兵士たちは注視している。
「過去の時代の兵器と召喚魔法を組み合わせた怪物……〈業魔精〉とは」
ゴスティアの町は夜になっても、それなりの賑わいを見せていた。観光のためにやってきた旅人たちには、夜こそ本番、という者も少なくない。さらに、今夜は〈料理自慢大会〉の打ち上げなどを行う姿も飲食店街にあふれている。
街の喧騒を少し離れれば、周囲はほぼ本来の静けさに戻るが、それでも、湖に近づけばチラホラと人の姿が目につく。それもそのはず、夜空の星々を水面に映すエニファー湖は評判になるのも納得の美しさだ。
「……いた」
空にも湖面にも星が瞬くさまは、まるで星空の中にいるような錯覚を引き起こす。レジーナは少しの間それに目を奪われたが、すぐに湖畔の木々の間に目的の姿を見つける。
近づいて声をかける前に、少女は足を止めた。闇に溶け込みそうな魔族の姿に、キラリと光るものがある。遠目には星のひとつに見えていたきらめきは、抜き放たれた刃に映るもの。
両手に刀をかまえたまま、ソルは目を閉ざしたたずんでいる。
不意に風が通り抜け、湖面にさざ波が立つ。
同時に木々が枝葉をざわめかせ、何枚もの葉が舞い落ち、ヒラヒラと不規則な放物線を描いて地上へ降りそそぐ。
それが一瞬にして、細かな四角に切り刻まれる。それに、チン、という済んだ金属音が続いた。レジーナの目には刃が辿った軌跡は見えず、ただ花びらのように舞い散る葉のかけらが落ちきるまで、思わずその光景に釘付けになる。
そのまま、相手の側が振り返る。
「どうした? なにか用か?」
声をかけながら、手近なところに横たわる岩の上に腰を下ろす。声をかけられた側は少し安堵したように息を吐いた。眼前の風景がまるで侵入できない異世界のように見えていた。
「ソロモン先生に出かけたって聞いて。……もう大丈夫なの?」
「もともと大したことはない。それだけのためにここに来たのではないんだろう? なんの用事かはわからないが、わたしは料理のことはわからないぞ」
「料理のことは聞かないわよ」
苦笑して、話しながら歩み寄る。夜の冷えた空気に妙に緊張していたのがほぐれる。
「あのときはまだあなたを信用してなかったからああ言ったけど、これはあなたが持っていた方がいいと思うの」
彼女の差し出す手には、いつも身に着けている白い翼を模したブローチがのせられている。
それを見たソルは、少し怪訝そうな表情。
「それは大事なものなんだろう? それに、わたしは別にそれが欲しかったわけじゃない。到底似合わないだろう?」
「飾りとして使わずに持っているだけでいいの。これには持ち主を守る力があるらしいから。わたしより、あなたが持っていた方がみんなの安全のためにもいいだろうし」
ブローチをヒューにもらい、彼女は兄妹を守るためにそのブローチの力を使うことにした。自分が無事である限り、兄妹を守り続けようと。
しかし、今、兄妹を守る最も大きな力を持っているのは、そばにいる者の中ではソルに違いない。
「わたしを盾にしようということか」
特に感慨もなく言ってから、彼は小さく笑う。
「しかし、そんなものがなくてもわたしは死んだりはしないぞ」
「そう言う気はしていたけど……わたしの気が済まないの。なにか起きたときに後悔しそうって思いながら過ごしていたら落ち着かないでしょ。それに、あなたが元の世界に帰るまで貸すだけよ」
引き下がるつもりはないと見えた。ソルは少し考えたものの、あきらめたように差し出されたものを受け取る。服に着けることはせず、懐に仕舞った。
「本体はこの世界にないらしいから、これの世話になることはないだろうけどな。それにしても……」
魔族はもう一度ブローチを取り出して確かめるように眺める。片翼を象るブローチには相変わらず四つの小さなくぼみがあり、そのうちの二つで玉石が輝いていた。間近で見ると、その光は玉石の中で燃えているようで、普通の鉱石などとは違っている。
「どうかしたの? ……ああ、どこかで見覚えがあるって話?」
「ああ……この感触も……まあ、それよりも強い魔力を秘めていそうなのに、なにも感じられないのも不気味だな。わたしの目を誤魔化せるほどの高度なものなのか」
「遺跡から出たものだろうし……それも、博士に見せた方がいいものなのかも」
ノヴル東の島の遺跡の遺物にばかり目を向けていたが、もしかしたらそのブローチは凄い遺物なのでは――レジーナはやっとその可能性に気がつく。
「それなら、わたしが魔界に帰ってからにしてくれ。学者に見せると調査のために時間がかかる可能性があるからな。これはもう、わたしが借りたものだから、帰るまではほかの誰にも渡さないぞ」
誰にも取られないようにするかのように、懐に急いでブローチを隠す様子を見て少女は苦笑する。
「さっきまでとはえらい違いね」
「一度手にしてから奪われるというのは、なかなか理不尽に感じるものだな」
魔族は笑い、星空を映す湖面に目を細めた。
「北の森……ですか」
朝食後にグレン・エルリーズ博士のもとを訪れ、資料を調べた結果を耳にしたヒューは少し慎重に聞き返した。いくら目的を成し遂げるのに労力を惜しまない彼からしても、ここより帝国に近い北に向かうことには抵抗がある。
一方で、北の森にはクラリスの父が住んでいるはずだ。それも彼の脳裏にはよぎっていた。危険があってもいつかは行かなくてはいけない、その縁への驚きの返事だ。
「確かにここより北は帝国の領地と化していますが、それは平地の話です。エニファー湖の湖畔から少し北西に行くだけで森の内部に入れます。ただ、妖精たちの居住区へは二日かかりますが」
マキシムが地図を広げながら説明する。彼の説明通り、森の南端はほぼエニファー湖の北西の端にかかるように細く伸びている。林より少し木々が濃い程度の地帯が続くが、少人数が身を隠しながら移動するには問題なさそうだ。
しかし、未知の森の中を二日も無事に歩き続けられるのか――とヒューが思っていると、黒縁眼鏡の少女が口を開く。
「森の歩き方ならわたくしが先導できますよ。なにか魔法的な罠などがあればオーロラさんやソルさまが気づくでしょうし、オーロラさんの嗅覚があれば迷う危険性も少ないでしょう」
「まあ、確かに森の住人も居住区にじっとしているわけじゃないでしょうし、妖精らしき匂いを辿れば誰かには会えそうよね」
聖霊が胸を張る。その自信満々な様子は信頼がおけそうだが、そもそも、正体不明の発掘品のためにそこまでする必要はあるのか、と少年は思っていた。クラリスの表情を見るまでは。
半妖精の少女は淡い笑みを浮かべながらも、眼鏡の奥の瞳は強く輝いていた。必ずこの仕事をやり遂げて見せる、という強い意志の光。
彼女の旅の目的は安住の地を見つけることだ。その彼女がここで止まるはずがない。なにしろ、目的地が目の前に迫っているのだから。
誰かが止めても、一人で行こうとするかもしれない。
「わかりました。行ってみましょう」
ほかに急ぐべき用事もない。ヒューが決断すると、反対する者はなかった。
森について情報を集め、森を歩くのに必要そうな道具などを購入すると、ヒューたち一行は早速、エニファー湖の周りに沿って森を目ざし始める。
簡潔に説明するとそれだけだが、その間に得られた情報により、顔ぶれには気分の上下が表われている。
森の内部の様子などのほかに得られた情報のひとつは、森に住むアヴル族の中には強い魔力を持つ者が多く、有名な召喚士もいるはずだ、というもの。
もうひとつは、とある医師を探しているという女性が森の中へ入っていった、そろそろ妖精たちに会っている頃だろうというもの。
それを聞いて異世界出身の者たちは意欲を出し、医師は足取りを重くする結果となった。
「あのー……どうしても、今日でなくてはいけませんか?」
折れた木の枝を踏み越えながら、ソロモンは何度目かの無駄な抵抗を口にした。
しかし、先頭を行く少女の耳には届いてもいないのだろう。草刈り鎌を片手に、足取り軽く進んでいる。まるでこの森も自分の庭のようだ。
「それにしても、医師を探している女の人って一人でここに入ったんでしょう? 普通の娘さんなら怖くてとても一人でなんて入る気にならないと思うんだけど、よほど勇気があるのか、相手を探したくて仕方がないのか、なんでしょうね」
歩きながらレジーナが疑問を口にする。
確かに、荒事にある程度慣れているヒューたちと違い、一般の娘一人が森に入るのは胆力が必要だろう。それに、体力と知識、獣を打ち払うだけの腕も。
しかし、実際にその女性がどういった人物かは不明なので、腕の立つ大柄な女戦士といった可能性もある――ヒューは頼もしい半妖精の少女の背中を負いながら考える。
「もしかしたら、ムキムキの怪力女かもしれないわね」
「少なくとも、わたしが出会ってきた女性たちにそういう人物はいないはずですが……」
「へえ、出会ってきた女性たちって随分大勢いそうな口ぶりね」
頭上で揺れ生い茂る葉の隙間から差し込む木漏れ日の下を、主に聖霊と医師が雑談しながら歩いていく。街から近い辺りは人の手が少しは入っているらしく、草もそれほど伸び放題ではない。
しばらく歩くと、クラリスは開けた場所を見つけて休憩を提案した。どれほど早く目的地に着きたくても、幼い少女も含まれる一行には無理はできない。医師の助手として、それも重々わきまえているようだ。
木がまばらで陽の降りそそぐ一角に、ヒューとクラリスが手際よく布を敷く。レジーナは周りの枝に張っていた古い蜘蛛の巣を払い、薪を集める。
「さ。これも練習よ?」
なにを期待されているのか、ヒューは即座に察知する。
――これくらい、しっかりできなくては。
しかし、焦ると集中が乱れてしまう。少年は枯れ木を組み上げた中央の、積まれている枯れ葉のうちの一枚に意識を集中する。ポケットの中の魔力石が少し熱を持つのが布越しに感じられた。
変化はすぐに目に見える。枯れ葉は赤い炎に包まれ、それは周囲を巻き込み、パチパチと音を立てて焚火を形成していく。
「やるじゃない。これくらいの術は、もうお手のものかしら」
「いや、まだまだ慣れなくて……」
少し照れながら、彼は振り返る。ソルの反応を見たかったからだ。
最後尾を歩いていた黒衣の姿は木の根もとに座り込み、ぼんやりと葉の合間からのぞく青空を見上げながら、なにかを考えこんでいるように見えた。
「ソルさま、お疲れですか?」
声をかけると、やっと気がついたように目を向ける。
ヒューは昨日のことを思い出していた。ソルが一人、百を超えるだろう帝国兵を相手にして疲労困憊していたときから一晩しか経っていない。
「どおりで、さっきから大人しいと思ったら」
「いや」
オーロラが眉をひそめて歩み寄ると、ソルは首を振る。
「なんだか……この森に来たことがある気がしてな」
魔族は確かめるように、森の景色を見渡す。
「この世界は初めてなんでしょ? こんな森の景色なんて、似たようなところいくらでもあるじゃない。魔界にも森くらいあるでしょ?」
聖霊のことばに、周囲の者たちも同意のようだ。森の中を行く景色など、どこの森でもさほど変わり映えがしないだろう。
しかし、魔族の記憶と重なるのはそれだけではないらしい。
「この先に泉があって……その近くに墓石がある。ここから少し歩いたくらいの距離だ、と思う」
ティーポットを用意していたクラリスの手が止まる。
ソルは出任せを言うような性格ではない。それはわかりきっている。となると、早く彼のことばが本当なのかを確かめたくなるものだ。
「どこかの森と似ているだけじゃないの?」
聖霊は疑問を口にするが、目は奥の方を気にする。
休憩もほどほどに、ソルの示す方向へ歩みを再開する。木も葉もそれほど入り組んではおらず、進むうちに小さな水音が耳に届く。流れではなく、雫が跳ねるような音だ。
鳥のさえずりか、葉の擦れ合う音をそう錯覚したのかもしれない、という想像はすぐに払拭された。木々の並びが途切れ、澄んだ水をたたえた泉が目の前に現われたのだ。
そして、泉の直径より大きな岩を刻んだような墓石がそばに立っている。分厚い壁に似たそれの表面は滑らかで、大きな文字列が刻まれていた。
「ほんとにあった……」
「どういうことなのかしら」
ララとオーロラが驚く間、ソルは墓石に歩み寄って文字列を見上げる。墓石に刻まれている文字は古いものなのか、ヒューには読めないものだ。
「森の守護者アメルフィナ、ここに眠る……聞き覚えがあるような」
読み上げてこめかみの辺りを押さえ、なにかを思い出そうとしている様子だったが、結局成果は得られなかったようで首を振る。
「思い出せない。ずっとなにかは引っ掛かってるんだけどな」
「実は予知能力を持っててそれが目覚めたとかじゃない限り、昔ここに来たってことになるけど……そんなこと、有り得るの?」
「わたしがききたいくらいだ」
魔族は嘆息し、墓石に手を置いたまま目を閉じる。が、そばから肩に手をのせられてすぐに見上げた。
「無理して思い出そうとする必要はないですよ。ここへ来たことがあるのなら、いずれ自然と思い出す可能性もあるでしょう」
「それはまあ」
ソロモンに同意して、ソルは墓石から目を逸らす。
「これのことは覚えて行こう。でも、ずっと考え続けていて油断していても危険だ。どうせ考えるなら楽しいことを考えよう。魔法の封印がされた本の中にはなにが書かれているのか、とかな」
鍵穴のある錠に封じられたその本は、エルリーズ博士に返されてヒューが鞄の中に持ち歩いている。中身は全く読めないためなにについて書かれているのかは不明だが、施された仕掛けからして、かなり高度な魔法の使い手によるものだろう、と博士は予想していた。
これほど手間のかかる封印を施しているのだから、よほど重要なことが書かれているに違いない。と博士も助手も目を輝かせていたのが思い出される。
「有益な情報か……もしくは、歴史的なことでも、大きな発見になるような内容だと嬉しいですね」
鞄の中に薄っすらと魔力の気配を感じながら、ヒューは頬を緩ませる。彼自身も本の内容は気になっていた。父が探索を中断した遺跡にあった出土品というのも興味をそそる。
しかし、少なくともこの場では、彼はそれよりもソルの不安を和らげたかった。ソル自身のためもひとつの理由だが、ソルが不安そうだと周囲の皆も不安になる――そのようなことは、当人にもわかりきっているだろうが。
「まあ、そのうち答えに行き着くだろう」
心配するまでもなく、魔族はそう気を取り直す。
それから休憩を挟みながら進むにつれ、森は深く入り組んでいく。ところどころに道らしき痕跡があり、住民の存在を感じさせる。たまに獣と遭遇することもあるが、幸い、出会うなり逃げだす程度の小さなものだ。
道中、特徴的な木や小川などがあるとソルは少し考え込むような素振りを見せるものの、特に話すことはなかった。
天気にも恵まれ、一行は順調に森を北上した。行く手の木々の間に大きな動物の影が見えることもあるが、草食動物らしく、人の気配に驚きすぐに逃げ去っていく。
この森は惑いの森のように結界に護られているわけではなく、独自の生態系を築いてはいない。動植物、虫も外界にいるものと変わりない。茂みに見慣れた花が咲き、ヒューたちが幼い頃から目にしている種類の蝶が飛ぶ。
森を深く入れば入るほど、植物は形を整えられていた。できるだけ傷つけないようにしながら蔦が誘引され、そばの木の枝に固定され、垂れ下がった枝は持ち上げられて別の枝の上に置かれ、ときには、縄や杭で狭い木々の間が広げられている。
あきらかに意思ある何者かの手で、道が作られていた。
「そろそろ、獣じゃない生き物の匂いが増えてきたわね」
一晩を過ごし、朝食にゴスティアで購入しておいたサンドイッチと森の中でクラリスが採集した食用の野草や薬草を使ったサラダ、ハーブティーという朝食を終えたところで聖霊が鼻を小さく動かした。
匂いだけではない。さらに進めば進むほど、目にも明らかになっていく。道が確保されているだけでなく、見張り台のようなものが木の枝の上に作られていたり、荷物が吊るされていたりするのが映る。
いつ遭遇するのか、という段階に近づいているようだ。
やがて、遠くの鳥のさえずりや虫の音が途切れて静寂が周囲を包む。草を踏みしめる音、衣擦れのかすかな音だけが耳に届く状況に、違和感を覚えヒューが足を止める。
ヒュッ!
瞬間、金属が擦れ合うような音。
ソルが刀を抜いて二歩踏み出した。ヒューもとっさに短剣の柄に手を伸ばすが、なにが起きたのかは理解していない。
銀光が飛来した細長い物を弾く。弾かれた物は大きくしなりながら回転し、近くの木の幹に突き立つ。羽根の代わりに植物の穂を使った木の矢だ。
「腕に覚えがあるようだな」
正面から声がかかる。
枝葉が揺れ、矢をつがえた弓をかまえた長身の青年が姿を現わす。それも、正面だけではない。方々に、七人ほど。
七つの鏃の先が狙い定められているのを見て、一行は動きを止める。それは、相手が話の通じない相手ではない、と見てのことでもあるが。
弓矢をかまえる七人は全員長身で切れ長の目を持ち、耳の先は尖っていた。森の妖精アヴルは理性的な種族だ。
「あの、僕たちは……」
怪しい者ではありません、と言いかけてヒューはことばに詰まる。少なくとも、聖霊と魔族の外見はかなり怪しいのではないだろうか。
しかし、アヴル族の目は別の方へ向かったようだ。
「少なくとも、帝国の者ではなさそうだ」
少し緊張した様子で見上げている幼い少女の姿は、妖精たちの警戒をやや解いたらしい。そして次に、正面の木の上の青年は白衣の姿に目を留める。
「そこの白衣。もしかして医者か?」
「はい、いかにも」
軽く両手を挙げて戦意がないことをを示しつつ、ソロモンはことばを返す。
ソルは抜き放ったままの刀を納めてはおらず、いざ戦いになれば対応できるようにしているのは彼だけではないが。
どうするかと考えるようにアヴルの青年たちが視線を交わす中、クラリスが口を開いた。
「わたくしたちは、この森の住民に害をなすために来たのではありません。この森に、サリックスという職人はいませんか? わたくしは、サリックスとサーラの娘、クラリスです」
少女が声を張り上げて名乗ると、アヴルの者たちは動きを止め、再び目を見交わす。
「確かに、サリックスはいるが……少し待っていろ」
七人のうちの一人が木の枝から降り、奥へ走り去っていく。おそらく、サリックスに確認するつもりなのだろう。
とはいえ、サリックスの名を知っていることと訪問者たちの顔ぶれからして、危険はないと判断したのか。森の妖精たちは矢の先を下げる。
「この森がたびたび帝国の攻撃を受けていることは知っているだろう、人間たちの町も襲撃されたようだし。そんな中でここまで来るとは……よほどの用事でもあるのか? 父に会いに来ただけか?」
「わたくしはそれもありますが、それだけではないのです」
クラリスに続き、ヒューが鞄の中を探りながら口を開く。
「僕たちは、エルリーズ博士にこの森に鍵をお持ちの方がいると聞いてやってきたんです。遺跡から見つけてきた、この本の中身を調べたくて」
取り出して掲げて見せた本に、妖精たちは目を丸くする。アヴルは魔力に秀でた者が多く、彼らの目にも本の魔力が見えているはずだ。
「それは……かなり高度な魔力が込められているようだ。確かに、森の中の遺跡で鍵が発見されたことは何度かあるが」
彼らも、かなり興味をそそられたらしい。
「どうやら、目的は果たせそうだな」
ソルがやっと、刀を納めようとしたとき。
カーン、カーン、と金属音が打ち鳴らされ、森に響き渡り始めた。警戒の緩みかけていたアヴルの青年たちの顔が、一気に険しくなる。
「またか……敵襲だ!」
「しつこいな。とにかく、準備に取り掛からないと」
状況のわからないヒューたちも、彼らのことばで察しがつく。
「敵襲って、帝国の……?」
「こんなときに、また厄介な」
聖霊が息を吐いて見上げた上空では、枝葉に隠れていた鳥たちがけたたましい鐘の音に驚き、一目散に逃げ去っていくところだった。
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