第17話 雌伏の叛逆者たち

 まだ陽が山並みにかかる程度の時間だが、すでに辺りは夜のように暗くなっていた。

 しかし、木々と岩に囲まれたその一角は充分に明るい。焚火がいくつも焚かれ、それを囲むように男たちが酒を酌み交わしている。

 運河にかかる桟橋には、その全長に対し少し大き過ぎる帆船がつながれている。船の側面からは大砲が三門、並んで突き出しているのが見える。

「すっかり気を抜いているわね。まあ、長く放置されているみたいだし当然か」

 木々の間に身を隠し、声をひそめてオーロラがささやく。

 ララとクラリスは近くの岩に囲まれた窪みに隠れている。残り五人が林の木々の間に身を潜め、傾斜の緩やかな岩の崖下を見下ろしていた。

「しかしまあ、あちらは真面目にやっているようで」

 ソロモンが手で示した方向には、崖の上の岩にカンテラの灯が揺れている。明りの中に見えるのは二つの影。

「気取られないように無力化する必要があるな」

「もう少し放っておけば、下の連中は大体寝そうだけどね」

「そうね、もう少し待ちましょうか」

 しばらく待っているうちに、海賊たちは夕食として用意したシチューやパンを切り分けたものを口にしながら酒を飲み談笑していた。見張りと、その交代要員らしい一団は酒を口にしない様子だが。

 周囲に夜闇が降り始め、そろそろかと見ると、ヒューとソル、ソロモンは移動を開始する。レジーナとオーロラは崖の上に残り、ボウガンと法術で援護する手はずになっていた。

 男性三人は息をひそめて見張りへ近づいていく。気がつかれて下に知らされると作戦は破綻だ。ヒューは身を屈め、足もとの草や枯れ枝が立てる音にも気をつけながら歩く。

 カンテラの明かりが届いてくる手前ぎりぎりまで近づくと、ソルは刀の柄に手をやり、ソロモンは鞄のポケットから布を取り出した。布には催眠効果のある薬品が塗られているという。

 ヒューの仕事は二人の援護だ。まだ一人で一人を相手にできないのは仕方がない。

 近づくと、岩の端に大きめの鐘が吊り下げられているのがわかる。異変があるとそれを鳴らし、仲間に知らせるのだろう。

 機会を待つうちに、見張り二人ともが背中を向ける。

 ――今だ!

 三人とも同時に飛び出す。ヒューも遅れずにソロモンに続いていた。

 ソルが刀の柄で見張りの一人の後頭部を突いてあっさり気絶させ、ソロモンは布でもう一人の鼻と口を塞いだ。

 薬品が効いてくるには少し時間がかかるらしい。見張りはもがき、手足をバタつかせて逃れようとする。その手にハンマーが握られていることに気がつき、ヒューが急いでもぎ取った。鐘とは少し離れているが、投げられてでも当たれば音は響くかもしれない。

 ソロモンの拘束した男が崩れ落ちた頃には、ソルは気絶した相手を縛り上げ、岩に座らせていた。下から見られても不審に思われないためだろう。

 ヒューは慌てて身を屈め下をうかがう。今のところ、異変に気がついた者はいないようだ。

「すぐに襲撃自体は発覚するのですが、その前に不意を突かないとですね」

 医師は鞄から煙玉を取り出した。煙幕を張り、混乱に乗じて相手を無力化しようという作戦だ。

 念のため、それぞれ二つずつ煙幕を持ち、焚火へ投げ入れるように放り投げる。いくつかは狙いが外れたが、充分な煙が噴き上がった。

「行くぞ」

 急いで崖を駆け下り、煙の中に入る。起きている者は当然異変に気がつき声を上げる。その声を頼りにヒューは煙の中を走り、短剣の柄で相手の頭を殴って昏倒させる。極力無駄な動きをしないように気をつけながら、それを何度か繰り返す。

 煙幕は時間が経つにつれ薄れていく。残っていた動ける者が襲撃者を見つけて攻撃しようとするが、崖の上からレジーナとオーロラの援護攻撃で倒される。

「なにごとだ!」

 あらかた片付いた――そう見えたのは一瞬で、船から五人の男たちが降りてくる。

 五人のうち四人は海賊という人種らしい姿だが、もう一人の姿はこの場には異質過ぎて目を引いた。

 長い金髪をひとつに束ねた、長身痩躯の美青年。

「海賊の本丸のお出ましらしいな」

 ソルが刀をかまえ、切っ先を青年に向ける。

「どこかの国や町の警備隊にも、傭兵にも見えないな。盗賊でもなさそうだけど、我々からなにかを奪いたいのなら、こちらは降りかかる火の粉は払わないと」

 下がれ、と指示するように周りの四人に目をやってから、彼は金属製の槍を握った。風に丈夫そうな草色のマントがなびく。貴族か上流階級の旅人のような服装に、印象的な赤の目。その異質さに驚き、ヒューは動きを止める。

 しかし、ソルは怯むはずもない。

「海賊が盗賊を降りかかる火の粉とはお笑い草だ」

 一気に踏み込み、斬りかかる。それを相手は槍の柄で受け止めた。

「お前たちの所有物はもともと誰かから奪った物だろう」

 刀を引くと、ソルは切っ先から青白い雷撃を放つ。魔法に海賊たちは驚くが、槍使いの目の前で雷撃は散る。

 ――相手も魔法使い、か。

 背筋に冷たいものが走るが、ヒューには手出しできないどころか、目で追い切ることも難しい。彼だけでなく、周囲の皆も。

 ソルは鋭い突きをかわし、さらに飛来した光球を片手で地面を突いて跳び上がって避け、落下しながら刀を相手に打ち下ろす。槍使いは跳び退き槍で払おうとするが、柄を蹴られて一度身を引き立て直す。

 シュッ――

 魔族の手から素早く黒い光線が伸びた。普通なら避けられない速さだが、槍使いは偶然にしか思えないような瞬間の動作で上半身を傾けた。その髪が数本散らされる。

 かまわずそのまま突進する足もとを氷の触手が狙うが、炎が蒸発させる。遮るものなく槍の穂先を撃ち込む。

 肩へ伸びた一撃を刀身で払い、ソルは相手の懐に飛び込むようにして反転させた刀の柄でみぞおちを狙う。ガチリと音が鳴り、槍使いは石突で受けながら跳び退き火球を放つ。

 それはあきらかに、手出し不可能な戦いだった。

 反応速度もそれぞれの動作も人間同士とは思われない。魔法攻撃の余波で河淵の岩が吹き飛び、崖の一部は切り裂かれ、ヒューたちも海賊たちも距離をとった。

 人智を超えた戦いにも、やがて終わりは訪れる。

 ソルの放つ突きが槍使いの手の甲を捉え、槍が弾き飛ぶ。直前に槍の先は魔族の肩を突き、槍使いの足が地面スレスレを払って体勢を崩させる。

 魔族は転がりながら離れて膝をつく。槍は宙で何度も回転し、槍使いの目の前の地面に突き立つ。

「厄介な魔法剣士がいるものだね……しかし、どうやら誤解があるようだ。オレたちは誰彼かまわず奪っているわけじゃない」

「義賊なんて話は聞いてないがな」

 ソルは立ち上がり、再び刀をかまえる。地面へ血が滴るが、意に介さない。

「確かに奪った物はほとんど自分たちで使ってはいるけどね。それも、必要以上には奪っていないよ。オレたちが奪う相手は帝国と、その取引相手だけだ」

 槍使いのことばに刀の切っ先も止まる。

 海賊がどういった船を襲っていたのかまでは調べていなかった。しかし、ヒューはひとつ思い出すことがある。

「そういえば……海賊の襲撃で死者が出たって話はなかったような」

 ノヴルの酒場で話を聞いたとき、水夫たちは漁場に近づけないことに文句を言ってはいたが犠牲者が出たとは言っていなかった。死者が出ていたら、漁場を気にするどころではない。

 それを横目に、ソルはわずかに目を細める。

「それは本当だろうな……? いや、本当だとしても引くわけにはいかないぞ。我々には船が必要なんだ」 

「船を奪うために海賊を襲うことにしたのか。随分大胆な者たちだ」

 槍の柄に手をかけたまま、槍使いは笑う。

 そう思われても仕方がないとヒューは思うが、ソルは少し苛ついたように刀の切っ先を突き付ける。

「笑うな、わたしが無謀みたいじゃないか。できないように見えるのか?」

 そう脅すように魔族は言うが、ヒューは内心冷や冷やしていた。この槍使いは強敵だ。たとえ勝てても、ソルが致命傷を負う可能性もそう低くはないと見える。

「そこまでして船を奪いたいということは、正規の手段では立ち入りにくいところに行きたいんだろう。条件次第では協力を考えてもいいよ、オレは」

 幸いと言うべきか。相手は戦いを続けたいとは思っていないようだ。

 ソルは眉をひそめるが、先にヒューが口を出す。

「僕たちは東の島へ渡りたいんです。でも、船を借りられるようなお金は……僕らに出せる礼金は五〇万レジーくらいです」

「東の島? 危険なだけでなにもないはずだけど、なにしに行くんだ?」

 その問いにどう答えるべきかヒューは一瞬だけ迷った。邪魔をされる可能性があるかもしれない。しかし嘘をつき通す自信はなく、この槍使いには本当のことを言った方がいいような気がした。

「あの島には遺跡があって……そこで探したい物があるんです。もし、そこで不要な財宝を発見したら、礼金としてお譲りしてもかまいません」

「いいのか、それで?」

 魔族がかまえを解かないまま、確認する。

「僕たちの目的はあくまでも、魔力石や魔法石ですし……それに、それくらいのお礼は必要かと」

 これ以上の争いは避けたい。それが本音のところだ。

 そしてそれは、海賊たちも同じことのようだった。槍使いは海賊の中の、一番体格のいい男を振り返る。

「タルボ、それでいいか。オレは遺跡に興味があるが……それとも、腕試しが必要かい?」

 そのことばに、大男は慌てて首を振った。

「とんでもない。オレには無理だ、その魔法剣士は」

「決まりだな」

 槍使いは槍を抜き、布で穂先を軽く拭いて背負う。戦意は完全に失ったようだ。警戒は解いていないが、ソルもやっと刀を下ろす。

「俺はスォルビッツ。スォルビッツ・アルフィだ。信用の証としてこれを見せよう。キミたちは帝国側には見えないしな」

 そう言って、彼は懐から一枚の巻物を取り出して見せる。

 書かれているのはとある契約の内容だ。ボラキア共和国は海賊の邪魔をしない――国の印とともに、そういった内容が記されている。

「まだ大々的に旗を揚げるほどには力をつけちゃいないが、この海賊は反帝国の組織の一角、といったところだ。集めた資金や武具はいずれ戦いの役に立つだろう」

「一角……ということは、ほかにもあるんですか?」

 少しの間目を丸くしていたが、強く興味を惹かれて少年が問う。

 スォルビッツは、中性的な整った顔にほほ笑みを浮かべた。

「すでに帝国内の多くの町でもレジスタンスが活動しているよ。このことは街中で誰かに聞かれることがないようにね。帝国の間者が潜入しているかもしれないから」


 船は波を切り、海上を順調に進んでいた。深夜に降った雨のため、海水の色は泥が混じっているかのようによどんでいる。

 雨は上がったものの、まだ上空には黒雲が多く見え、海上にも薄く霧がかかっていた。それでも大丈夫な範囲だと判断し、海賊たちは出航を決めた。向かう先はノヴル東の島だ。

「そうか、ハッシュカルか。帝国軍に焼き払われたとは聞いていた。大変だったね……オレたちはハッシュカルのような町を増やしたくない」

「それは、僕も同じ考えです」

 異世界の者たちを元の世界に帰したら、反帝国組織に協力してみてもいいかもしれない。少年の考えに、スォルビッツはことばを挟む。

「それにしても、召喚した者を返したいとのことだけど、それだけでいいのかい? わたしがキミの立場なら、帝国の脅威が取り除かれるまでは一緒にいてもらうかな」

 それはヒューも考えたことのある話だ。今までにも、聖霊にも魔族にも何度も助けられてきている。この先も帝国の脅威がある以上、なにがあるかわからない。

 それでも早く帰そうというのは、感情面が大きい。

「それはそうかもしれませんが、二人とも帰りたいでしょうし」

「優しいね。相手の都合か。でも、それなら守るための手段を見つけることだ。見つけているなら、無理はしないことだね」

 守るための手段はすでに見つけている。安全性を考えるなら、惑いの森から出ずに帝国の脅威が消えるまで待てばいい。妹ら家族の安全も考えればそれが一番だ。

 しかし心のどこかにもどかしいものを感じる。帝国の脅威はいつ消えるのか。そもそも帝国は消えずレジスタンスが壊滅し、周囲が帝国の支配下に置かれる可能性も少なからずある。

 ――それに、スォルビッツさんみたいに帝国と戦っている人たちがいる中、森にひきこもっていていいんだろうか。

 故郷の人々は帝国に無残に殺されたのだ。できることなら自分の手で罰を下してやりたいという感情も、見て見ぬふりをしてきた心のどこかでは存在する。

 しかし、周囲を危険にはさらせない。彼はもうしばらく、見て見ぬふりをすることにする。

「ええ、生きていなければ元も子もないですから」

 声に小さな歓声が重なる。

 潮風が吹き抜け、頭上をカモメが三羽飛び去っていく。

 彼らが話しているのは甲板だ。ララだけでなく海を物珍しく思う同行者が多かったのか、全員、船べりから海を眺めていた。

 ただ、医師とその助手は少し離れたところにいる。森の妖精の血を引く少女には船上は苦手分野のようだ。

「わたくしとしたことが……」

「誰にも苦手なものはありますよ」

 医師は苦笑しながら船酔いに効果のあるという薬草を煎じた薬を器にそそいだ。

 クラリスを除く者たちは特に船上を苦にしていない様子で、楽し気に海を見ている。

「こんなに沢山の水、初めて見た。凄く深そうだよ」

 ララは台を持って来てその上に立ち、海の底を見透かそうとしているようだ。ハッシュカルは内陸の町であり、川や泉に釣りや泳ぎの練習に行くことは何度もあるが、海に馴染みのある住人は少なかっただろう。

「あたしは何度も見てるけど、魔界では海は珍しいようね」

 熱心に海原を見渡す上級魔族を見て、聖霊は少し不思議そうに言う。

「魔界に海はないが、外の世界を覗いたときに何度か見たぞ。大きな河や湖はあるから、泳ぐのは得意だけどな」

「元の世界じゃ空中も水中も術でビューンと行けばいいんじゃないの」

「それはそうだが、便利だけを追求するのは味気ないし、ワビサビがないじゃないか」

 ソルのなんの気ないことばに、オーロラは強い衝撃を受けた様子で目を見開く。

「このわたしが魔族にワビサビを指摘されるとは……不覚。そうね、ワビサビは重要ってよく言われていたのを忘れていたわ……」

 負けたような気分なのだろう。聖霊は肩を落とすが、魔族は首を傾げる。

 しかし、視線を前方に戻すと目に入ったものに顔色を変える。

「あの影は島じゃないか?」

 彼のことばにつられ、周囲の者たちも行く手に視線を向けた。薄く漂う白い霧の中に、黒く盛り上がったような影が浮かんでいる。

「お、そろそろ到着する頃だし、あれがそうだろうな。この辺りから少し波が荒れるから揺れるぞ。気をつけてろ」

 そう声をかけたのは、舵を握るタルボだ。もともとこの海賊たちの頭領は彼であり、スォルビッツは外から来て気に入られたのだという。

 船が大きく揺さぶられ始める。平衡感覚がおかしくなりそうで、ヒューは自分もクラリスのように酔うんじゃないかと心配になりながら船べりにしがみついた。

 船は荒波の洗礼を受けながら島に近づく。ある程度接近すると目的地の様子がわずかに見えてくる。外周は大部分が岸壁だが、船はわずかにある砂浜に備え付けられている桟橋へ向けて進入していった。

 島も霧がかかっているが、砂浜が芝生に変わった向こうには木々や茂みが生え放題になっているのは見える。その中でも、一部は雑草が少なく丈も低くなっていた。巫女たちが通るための道だろう。

 桟橋に横付けすると、縄梯子が下ろされる。

「色々と噂は聞いているが、ここで待っているよ。獣が来たところでどうにかなる船でも乗員でもないからな」

「ありがとうございます」

 スォルビッツのことばを頼もしく思いながら桟橋に降り立ち、ヒューは少しギョッとした。砂浜に白い骨が埋もれているのが見えたのだ。

「まったく、野蛮な風景ね」

 聖霊が木の枝を拾って頭蓋骨をどかす。鋭い歯の形状と突き出た顎からして、どうやら動物の骨のようだ。

 少し安堵して砂浜を歩く。海に縁のない者にとっては踏みしめる感触も慣れないもので、ララは何度も地面を踏んで確かめる。

「とりあえず、巫女が通る道を辿れば途中までは安全には行けそうでしょうか。獣が外から目撃されているのが気になりますが」

「獣の臭いはプンプンするわよ」

 医師のことばに、聖霊はわずかに鼻を動かして空中の臭いを嗅ぐ。

「すぐそこにいてもおかしくないくらい」

 言われてヒューやソルらも周囲を見回すが、少なくとも視界に入る範囲には獣の姿は見当たらない。

 しかし、長く伸びた雑草や棘のある黒っぽい蔦の絡み合った植物など、隠れられそうなところはいくらでもある。

「警戒しながら進まないとね」

 レジーナはボウガンを手にかまえながら歩くことにしたようだ。

 獣は火を嫌がるかもしれない。それほど暗くはないが、オーロラが燃える木片を頭上に飛ばしながら進む。

 歩き出して間もなくバサバサと音が鳴り、慌てて見上げると、海鳥が飛び去って行くところだ。遠くでは遠吠えのようなものが聞こえ、虫の鳴き声のようなものや、チチチ、と舌打ちに似た鳥のさえずりも響く。

 多数の野生の生物に囲まれていることを自覚し、ヒューは気を引き締めた。踏みしめる草の間にもなにが隠れているかわからない。蛇や毒を持った虫などが潜んでいる可能性もある。

 幸い、すぐに足もとは石畳に変わった。ところどころ草が隙間から生えているが段違いに見易く歩き易くなる。

 石畳は地図によると、そのまま祠へと通じているようだ。左右に茂みや木々はあるものの石畳の道は広く、見晴らしも良い。

 ――さっきよりは少しは安全か。

 そう思われたところに、獣の息遣いが聞こえてくる。前方、右脇の茂みの向こう。

 ソルが刀の柄に手を置き、足もとにあった石を蹴り上げた。石は曲線を描いて茂みの向こうに落ちる。

 その直後、小型犬より少し大きい程度の四つ脚の獣が慌てて走り去っていった。

「色々な動物がいるみたいね」

「今の、ちょっとかわいかったなぁ」

 少し気が抜ける。人を食らうほどの獣はこの辺りに身を隠すのは難しいようだ。たまに鳴き声や唸り声に足を止めるものの、一行は島の中心に続く石畳の道を進んでいく。

 行く手に近づいてくる祠は、大きな岩をくり抜いてできているようだ。くり抜かれた穴の内部には石を彫り込んだ女神像が建てられている。祠も石像もところどころ苔むして、それなりに年季が感じられた。

 なんとなく、ヒューは持参していたハチミツ入りスコーンを台の上に供える。ソルは少し嫌そうに目を逸らした。

「調査書によると、この裏の方に遺跡に続く下への階段があるらしい。探すのに時間がかかりそうだな」

 祠の裏の方など人間が分け入ることはほぼ皆無だ。草は伸び放題で、海岸付近でも見た黒っぽい蔦の絡み合う植物が群生している。

「切り払いながら行くしかないわね」

「鎌があればよかったね、かさばるけど」

 短剣を抜き、ヒューは祠の裏へ足を踏み出す。

 すると、急に喉の奥に引っかかるようなものを感じて咳き込んだ。

「大丈夫?」

 答えようとするが咳が止まらず、不意にクラリスに手を引かれて祠の横まで下がる。そうすると咳も落ち着いた。

 クラリスの目は蔦の絡み合う植物に向いている。

「もしかして、毒のある植物かもしれません。わたくしも見たことはないのですが、家にあった図鑑で見た毒草に似ています。花粉に毒があり、しばらく吸い続けると息ができなくなって死に至ることもあるとか」

「ああ、これですね」

 ソロモンは持ち歩いている小型図鑑のページをめくる手を止め、開いて見せた。この辺りの一部の海岸や島に生える毒草らしい。

「布で口を覆って、風上から回り込みましょうか。魔法でなんとかできそうならそれでもいいでしょうが」

「焼き払うのは後が面倒だな。風の刃で切り開こうか。ある程度花粉が舞うだろうからみんな下がっていろ」

 ソルに言われて他の皆は下がる。

 風の刃が魔族により低い位置から放たれ、雑草も蔦も茂みも、人が十人は並べるくらいの幅を切り飛ばして毒草の群生する範囲の端まで突き抜ける。

 切られた植物は風の刃のまとう強風に吹き飛ばされ、花粉ごと彼方へ散る。

「これだけ幅があれば充分ですが、用心するに越したことはありません」

 ソロモンは鞄から布を取り出す。

 風はなく、残る毒草からは離れてはいるが、念には念を入れて悪いことはない。布を畳んで鼻と口に当てながら、速足で進んでいく。

 ――その辺りに、人骨なんて落ちてないよな。

 この島を訪れて帰れなかった者たちがいる。獣に遭遇することも荒波に揉まれることも危険だが、知識がなければこの毒草はかなりの脅威になるだろう。ここで命を落とした者もいるかもしれない。

 ヒューは人骨などが露出していないことを祈りながら歩いた。幸い地面が露出している範囲にそれらしいものはないようだ。

 祠の裏から真っ直ぐ歩き、数十歩。

 地面に表面の滑らかな岩が埋もれ、その表面に四角い溝が走っていた。

「少し離れていろよ」

 なにが飛び出してくるかわからない。離れながらもレジーナはボウガンをかまえて狙いをつけ、オーロラは炎を板のそばに浮かべる。ヒューも短剣を手にいつでも駆け寄れる姿勢だ。

 ソルの手で蓋が開かれる。なにかが動いて皆は一瞬身を固くするが、小さな黒いトカゲのようなものが逃げ出していっただけだった。

 照らし出されたそこには、石造りの階段が下へと続いている。幅は大人一人が通れるくらいだ。

「わたしが先に行く」

 ソルが火球を飛ばし、抜身のままの刀を手に階段に踏み出す。

 少なくとも、階段を下りているうちは背後から襲われる心配はない。ヒュー、レジーナ、ララ、オーロラ、クラリス、ソロモンという順で続く。

 途中で短い踊り場を挟みながら、しばらくの間階段は下へ続いていた。辺りは静かで、たまに虫が壁を這うくらいだ。

 やがて階段は、大人三人並べるくらいの幅の廊下に至る。真っ直ぐ続いた奥に、右へ分かれ道がある。天井は高く、罠を警戒してソルは一度火球を高く飛ばして確認した。

「調査書によると確か、踏み込んだ範囲の罠は外したらしいですね」

 口を覆っていた布を外し、ヒューは調査書を取り出す。そこに簡単な地図も描かれており、この先に見える分かれ道の先にはなにもなく、真っ直ぐ進んださらに先にまた分かれ道があるようだ。

「気をつけていこうね」

 ララの目は好奇心に輝いている。

 一度兄妹の両親らが探索した遺跡であり、二度目の訪問がしやすいように罠や鍵は外されている。ただ地図に従い進めばいい。

 それをありがたく思うと同時に、両親の探索の続きを引き継いでいるのだと思うと、ヒューは気が引き締まる思いだった。

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