第16話 塞がれた海

 陽が昇り朝食が済んだ頃には、ペルメールから毎日交替で来るという調査隊の本隊がやってくる。その手伝いをしている間に聞いた話では、ペルメールは防御を固め、傭兵を募集して戦力を集めているという。

 エルレンのような小さな村とは比較できないのは当然だが、逃げるのではなく戦うという選択肢があることに、ヒューは少し驚いた。

 午前中に手伝いと必要な物の運び出しを終えると、早々にイリオたちと別れてハッシュカルを発つ。長期滞在できる準備はしてないし、エルレンの人々を待たせるわけにもいかない。エルレンからシルベーニュまでの道のりを考えれば、この先もそれなりの時間がかかる旅路だ。

「今度来るときは、墓に備える花くらいは用意したいわね」

 馬車の荷台の上、小さくなっていくハッシュカルを眺めながらレジーナが息を吐く。

「イリオさんたち、綺麗にしてくれていたね。いずれ、森の避難しているみんなともここに戻りたいね」

 それは家族や友人を失ったことをはっきりと突きつけることでもあるが、いつかは受け入れなければならない。再びここに戻りここで暮らしたいなら必要なことだ。

 二台の馬車は来たときと同様に丘に沿って進み、エルレンでクラリスらを回収してシルベーニュをめざす。昨日に比べて雲が多く、気候としては過ごしやすい日になっていた。

 長い間馬車に揺られているうちに、ソルは遺跡の調査書はすべて読み終えたようだ。半分以上は既出の情報で、読み飛ばすことになってはいたが。

「バサールと話していた候補はひとつに絞れていたが、この新しい遺跡はまだ手が入っていないようなら対象にしても良さそうだな。他よりは近い」

「近いって、惑いの森からですか?」

「ああ。と言っても、片道三日はかかるが。シルベーニュの東の港町、ノヴルから無人島に渡るんだ。そこに遺跡があるという」

 ノヴル、という名にはヒューも引っ掛かるものがある。

 ――確か、両親が向かった最後の旅だったんじゃないだろうか。

「戻ったらバサールさんに調べてもらいましょう。調査書が役に立つと嬉しい」

 両親の苦労が報われる気がして、少年は思わずそう続けていた。

 翌日に惑いの森に到着し、同行者たちと別れると、ヒューたちは少し休憩を取った後、早速バサールに相談する。大魔術師は数時間後、夕食時の食堂に現われた。

「例の無人島とやらだが、近隣の者は遺跡があるという話も知らないようだ。年に一度、島にある祠に巫女を連れた船が行くが、立ち入る住人はいないという」

 ノヴル東の無人島の周囲は海流が速く、船は滅多に近づかない。そして、不用意に無人島に上陸した者は呪われ、十日近く寝込んだり、酷く弱った者には亡くなった者もいた。

 兄妹の両親は冬に上陸したと、調査書に書かれていた。寒さは大敵だが獣や毒を持つ植物も姿を消している季節だ。

「呪いね……額面通りにも、そうでないものとも受け取れるわね」

「どんな危険が潜んでいるかわかりませんが、とりあえず内部はほぼ手付かずではあるようですね」

 慎重なオーロラに対し、ソロモンは期待も込めた声色だ。彼も兄妹の父が書いた調査書を読んでいる。そこには遺跡の細部までが記されていた。

 ただ、遺跡には足場が遠く離れた場所や、頭上高くに置かれた箱、崩れた道などがあったため、両親は先に進めずに引き返した。魔法があれば進めるだろうが、そこから先は未知の世界だ。

「個人的にはレンフィギアの島の遺跡を勧めようと思っていたが、あそこは遠いからな。途中の村もノヴルも小さなところだから、シルベーニュで準備をしていくといい」

「ありがとうございます」

 大魔術師は楽し気に去っていく七つの後ろ姿を、あきれ半分、羨望半分で見送った。


 惑いの森の東へ徒歩一日ほど行ったところに、メニという小さな村がある。エーノンの心遣いで馬車で送ってもらえたヒューたちは、早朝に出て昼には村に到着できた。

 家々の周囲に田畑の並ぶ小さな村だが、中心部には数軒の店や公園もあり、旅人らしい姿も行き来している。公園では行商人が広げた布の上に商品を並べているところだ。

「おや、美しいかたがた。新作の櫛はいりませんか?」

 公園で昼食の弁当を食べようとしているところに、商人が声をかけてくる。

「悪いけど、必要な物はシルベーニュで買ってきてしまったの」

 布の上に並ぶ綺麗な装飾品に目を奪われそうになりながら、レジーナはそう断る。しかしその横から、眼鏡を光らせて身を乗り出す者があった。

「これは有用かもしれませんよ」

 ソロモンが目を付けたのは、大型、中型、小型と取り揃えられた、銛に似た鉤爪付きのロープ。

 その並びを目にしてソルも歩み寄る。

「さすがに大きいのはかさばるだろうが、離れているところにある物を引っ掛けるくらいなら小型の物でも大丈夫だろう。吊り上げることが必要なら丈夫な方がいいが、調査書を読む限りはいらないな」

「それなら、わたくしが中型を持ちましょう。支払いは先生で」

 クラリスが提案するとソロモンは苦笑するが、異論は口にしなかった。

 小型の方はヒューが支払い、レジーナが持つ。彼女は兄妹の父が使っていたリュックサックを背負っており、まだ収納に余裕がある。土色のリュックサックはポケットが多く、丈夫で実用的にできているようだ。

 ほかに必要な物はシルベーニュで購入してある。探険になにが必要か調べるにも、兄妹の父の調査書が役立っていた。

 昼食用に持たされていた弁当を食べ、食後にクラリスが入れた茶を行商人にも振る舞う。

「やあ、ありがとう。ノヴルの無人島へ行くんだね。そりゃ、船を探すのが難しそうだな。皆、怖がっているから」

「最悪、船だけ借りて渡るしかないわね。お金がかかりそうだけど」

「そりゃ、十万は下らないね。船をなくすかもしれないし」

 十万というのは小さな釣り船のような小舟の値で、実際は実用に足る船を借りるには百万レジーを預け、無事に戻ってこれたら数十万レジーを返す、というやり方が多い、と行商人は説明する。

「そもそも、誰が船を操るんだ。馬車は操れるが、わたしは扱えないぞ」

「渡し舟程度はともかく、わたしも帆船は無理ですよ」

 そうなると、水夫ごと船を借りなくてはならない。百万レジーと聞いてヒューは頭が痛くなる。ソルの持つ金貨や宝石の原石を計算に入れてもせいぜい五〇万程度だ。

「船がないなら、海賊の船でも奪っていくしかないな」

 半ば冗談のつもりだったのだろう。行商人が笑いながら言い、ハーブティーを飲み干す。

「海賊? ノヴルの海に出るの?」

 金髪美女の食いつきに、行商人は少し身を引く。

「あ、ああ、たまに。ノヴルよりは北の運河によく出るみたいだけどな。アジトはノヴルの北の林にあるらしいが、ハチの巣を突きたくなくて、誰も近づかない」

 無理のない話だとヒューは思う。大きな国の後ろ盾があればともかく、ここは自治都市の領域だ。小さな町ひとつで海賊をどうにかしようとは思わないだろう。

「海賊って何人くらいで構成されているの?」

「二、三〇人、って話だよ」

「その人数ならなんとかなるかしら?」

 話を聞いた聖霊が振り返る。

「一度に相手にするなら多過ぎるが、全員が戦闘要員でもないだろうし、一気に相手をする必要もないだろう」

「煙幕や罠を使えば分断は可能でしょうね」

 背後の大人たちの会話に、ヒューはやっと気がついた。

 ――そんな無茶な。

 信じられないような心境の少年をよそに、後ろで話は進んでいく。

「準備の必要はあるだろうが、どうにもできない人数ではないな」

 なにについての話をしているのか思い至り、行商人も目を見開いた後で豪快に笑う。

「こりゃ驚いたな。本気で海賊を襲撃しようという人たちがいるとは」

 彼は無茶にも思われる計画を立てている者たちを気に入ったのか、無料で縄をひとつ譲ってくれた。捕らえた海賊を縛るのにでも使うといい、と言う。

「すみません、こんな良い物をいただいてしまって」

「いや、いいんだよ。美味しいお茶もご馳走になったことだし」

 昼食を終えると、一行は行商人と別れ公園を出る。ここでは馬車は見つけようがなく、ノヴルまでは歩くことになる。海賊船を奪うことになるとしても、まずは真っ直ぐアジトに向かうことはせず、正攻法からだ。

 そして、その前に難関がある。徒歩で一晩野宿をして、二日かけてノヴルまで行かなくてはならない。

 シルベーニュで大体の物はそろえたが、ヒューはメニで携帯食を追加購入しておく。父の調査書などには、食料はできるだけ現地調達にして荷物を少なくすべき、と書かれていたが、どうしても心配になってしまうのだった。

「あまり重くなると、歩いている途中で疲れるわよ?」

 案の定、少年が鞄を膨らませているのを見てオーロラが言う。

「そうなんですが、食料が手に入らなかったらと思うと」

「仕方ないな。わたしが少し持とう」

 医師とその助手は大きな鞄を抱えているし、ヒューとレジーナも荷物を鞄に詰めている。幼いララに荷物を持たせるわけにいかず、残るは異世界の出身者二名だけだ。

 皆の安全のためにはソルは身軽な方がいいのでは、とヒューは思うが、邪魔にならない程度の食料くらいなら平気だという。彼は今までほとんど使っていなかった腰のポーチに携帯食を入れた。

「あたしは、お金なら持ってあげてもいいわよ」

「渡したらすぐに物に変わるんじゃないのか、それは」

「まさか。荷物は増やさないわよ。次に増えたらあたしが持たされそうだし」

 店を出て村の外へ向かう道すがら、聖霊のことばにクラリスは小さく笑う。

「荷物は増えなくても、身体は重くなりそうですね」

「ん、どういうこと?」

 すぐには意味をはかりかねた彼女に、黒縁メガネの彼女は言う。

「オーロラさんは、物よりもお酒や食事にお金を使いそうだなって」

 言われた方は納得した様子だ。

「確かに。服とか装飾品よりは、美味しいものを食べてパーッとお酒飲んで楽しくやる方がいいわね。でも、簡単に太ったりはしないわよ」

 それは人間ではないからか、それとも単なるでまかせか。真偽は不明のままだった。

 少し歩くと、田畑の間を抜けて郊外に出る。木々のまばらに生えた草原を土を踏み固めただけの道が横切っている。ハッシュカルからペルメールへの道に少し似ていた。

 ヒューとレジーナが獣を警戒しながら歩き、オーロラがララの手を引く。その後ろにソロモンとクラリス、最後尾に周囲を見渡しながらソルが続くという隊列だ。

 陽の高いなか、休憩を挟みながら無理をせず歩く。体力を使い果たしてしまっては不測の事態に対応できない。そこに気をつけながら、ヒューは急ぎ過ぎない速さで進んでいた。

 やがて陽は傾き、空も草原も夕日に染まる。人の姿のない風景が暗く沈んでいく様は美しく魅力的でありながら、どこか恐ろしい。

「できれば、水場のあるところがいいんですが……無理そうですね」

 医師が肩をすくめる。彼は野宿の経験もあるらしい。

 ヒューも、草原の真ん中では妥協が必要だと思い知らされた。川も泉も気配すらない。彼は前方の木の根もとを指さす。

「あそこで野宿にしましょう」

 明かりがなくても進める限界ほどまで粘ってみたものの、それ以上の場所は期待できないようだ。木の根もとに辿り着くとヒューとソルで邪魔な草を刈り、ソロモンが慣れた様子で敷物を敷いて座れる空間を確保する。

 枯れ枝や干せた草を集め焚火を起こした頃には、陽は沈み空には星々が目立ち始めていた。

 ハッシュカル北の平原ほどではないが、見晴らしはよく、獣や野盗も簡単に近づいてくることはないだろう。食事を終えると、ララを除く一人ずつで見張りの順番を決める。

「まだ寝るには早いわね。そういやソロモン、煙玉は用意してあるの?」

 海賊を襲撃するときに、惑いの森の遺跡のときのように湿気っていて効果がない、ということになれば大惨事を招きかねない。

「大丈夫です、シルベーニュで予備も新調しましたし。まあ、お試しはできませんが一度に何個か使えば安全でしょう」

 と、ソロモンがオーロラに見せた小袋の中には、十個以上もの球体が入っている。

 薬品や医療器具の間に煙玉が大切に仕舞い込まれている光景にどこか奇妙さを感じながら、ヒューは本を開いて読もうとしていたソルに剣術指導を頼んだ。

「すみませんが、間が空くとせっかく身体で覚えたことも忘れるような気がして……」

「いや、わたしはかまわないよ。熱心なのはいいことだ」

 ソルは笑って本を閉じる。

 魔族が少年と剣術の訓練をしている間、教える相手を失ったオーロラはララとレジーナに術の使い方を教えていた。もともと、ヒューが術の訓練をしている間に手が空いていれば二人も真似て訓練に付き合っていた。

 その結果。

「見て見て、お兄ちゃん!」

 しばらくして、ララが兄に駆け寄ってくる。その小さな手のひらを向かい合わせた間には、小石が浮かんで静止していた。

「凄い、ララも術の才能豊かだね」

「どうやら、向こうの方が進みが早いらしいな」

 ヒューが驚きソルが笑うと、少女は胸を張る。

 妹の能力が開花するのは喜ばしいが、同時に、兄としては少し悔しくもなる。

「僕だって、魔力があればそれくらいは……きっと。せめて、もう少し強力な魔力石があればなあ」

「そのための遺跡調査だ。そう焦ることはないさ」

「まあ、それはそうなんですが」

 と、焚火の方へ目をやると、オーロラに術の訓練を受けていたレジーナが胸の前にかざしていた手を下ろし息を吐く。

「わたしの方はどうやら才能が……という以前に、魔力がないみたいね」

 幼馴染みのことばに、ヒューは少し悪いことを言った気になる。

 魔法を扱うには、扱いやすい法術にしても多少の魔力は必要となる。しかし世の中には魔力が少しもない人間というのが少なからずいる。正確な統計が出されたことはないが、魔法に詳しい者の間では人間の半分以上は魔力が備わっていないとされていた。

「仕方がないわね、こればっかりは。努力でどうにもならないこともあるもの」

「そうね、術はあきらめるわ。わたしにはやっぱりこれの方が合ってるわね」

 言って手にしたのは、手入れの行き届いた小型ボウガンだ。毎日動作を確認した上、レジーナは時間があると命中精度を落とさないために訓練をしていた。彼女は、ほぼ百発百中でなければ満足できない性格のようだ。

 的となる木の板を枝に吊るし、ボウガンの練習に集中する幼馴染みの姿を見れば、ヒューも今できる最大限をやろうという気になる。

「よし……ソルさま、お願いします」

 熱心に剣術を訓練するヒューにボウガンを訓練するレジーナ、法術を習うララ、それを指導する聖霊に魔族。

 その光景を、医師と助手は茶をすすりながら眺めていた。

「みんな熱心ですね。わたくしたちは気楽なものです」

「医者は怪我人が出て初めて働きますからね。そう考えると、なかなか因果な商売ですね。しかし、まあ、誰も怪我なく終わるならそれが一番、医者は暇が一番です」

「そうですね。因果と言えば、先生を追いかけてたっていう女性はどうしたんでしょうね」

 助手のことばに、ソロモンは茶を吹き出しかけて咳き込んだ。

「シンドーンさんがいつ彼女と会ったのか知りませんが、できればすでに忘れて平穏に暮らしていることを願います」

 星空を見上げた医師は、心からそう願った様子で嘆息した。


 慣れない潮の匂いが心地よくて、ヒューは少しの間、深呼吸した。

 彼は海を見るのは初めてではないが、幼い頃のおぼろげな記憶があるだけだ。妹のララの方は、海を見るのは初めてである。

「ね、お兄ちゃん、早く港に行ってみようよ」

 賑わう商店街の店にも目をくれず、少女は兄の手を引いて少しでも街並みの向こうに青々として見える水面に近づこうとしているようだ。

 時刻はそろそろ昼になろうかというところ。食事のついでに足を休めたいところだったが、ほんの少し、海までの間を歩くくらいはどうとでもなる。七人は港へ行き、その近くの店で昼食をとることにした。

 石を積み上げた岸壁に並ぶ船はほとんどが漁船だった。ただ、端にはもう少し遠方を行き来するものと見える大型船がつながれている。

「北のエルメアとの定期便があるみたいね。人も物も運ばれて行ったり来たりしているとか」

 看板に書かれた文章を読み上げ、レジーナが説明する。

 エルメアからノヴルへ乗って来る者の数は少ない。ここからエルメアへ向かう者の方が多いが、それも、高額な船賃を払える者は限られている。

「きみたち、船に乗りたいのかい?」

 看板を見上げる七人の背後から声がかかる。振り返るそこにいたのは、水夫らしい若い男。

「エルメア行は今は休止だよ。海賊が出ている影響でね」

「いえ……僕ら、あの島に渡りたいんですが」

 目的地の島は遠くの波間に見えていた。丸に近い形の小さな島は低い丘があるくらいで、時折波に隠されながら黒い輪郭をのぞかせている。

 少年のことばに、水夫は目を見開いた。

「とんでもない、あんなとこ行く船はないよ。危険な話ばかり聞くし、最近、船から望遠鏡で大きな獣を見た者もいるようだよ」

 行商人のことばから予想できた通りの反応である。しかし、もちろんヒューたちとしては引き下がるわけにもいかない。海賊と戦わずに済むならその方が良い。

「でも、どうしても行く必要があるんです。船を出してもいいと言ってくれるかたに心当たりはありませんか?」

 尋ねてみると、水夫は少し悩んだ様子で、

「一応きいてみるけど、あまり期待するなよ。少し待ってな」

 そう言い残して港の端にある小屋へ走り去っていく。

「あまりいい返事は期待できなさそうですね……」

 クラリスが肩をすくめる。

 良い感触でないのはわかり切っていたが、駄目でもともとだ。尋ねずに海賊退治に乗り出すほど強気にはなれない。

 しばらくして、水夫は戻ってくる。

「一人だけ行ってもいいっていう船主がいたけど、島に降ろしたら船は引き揚げ、半日後に再上陸する条件で、礼金は前金五〇万、成功で八〇万だそうだ」

 八〇万レジー。

 その金額に、一瞬ヒューは絶句する。行商人の予想からそれほど外れてはいないが、実際にその選択肢だけを提示されると唖然としてしまう。

「さすがにそんな大金はないな」

 懐に手を入れて金貨の感触を確かめたものの、ソルは首を振る。どうやっても用意できる金額ではない。

「それでも必要最低限なんだ。あの島に上陸するにはそれなりの船が必要だから、安い釣り船で行くってわけにもいかない。船が壊れたときの保障や命もかかってるからな。出せないならあきらめな」

 漁師は一般人であり、本来は命の危険など必要以上には冒す必要のない者たちだ。水夫のことばは全くの正論である。

 礼を言って去っていく水夫を見送ると、とりあえす、昼食を求め食堂を探すことにする。

「結局、海賊を襲うしかないみたいね」

「まずは情報が必要だな。しかし、あまり航海には向かない天気になりそうだが……」

 見上げる空には雲が増えつつある。夜には雨が降ってきてもおかしくない。

「目くらましにはいいんじゃない。海に出るのは晴れるまで待った方がいいでしょうけど」

「というか、本当に海賊を襲うんですね……」

 今更かもしれない少年のことばに、聖霊が振り返る。

「あら、怖いの? なんなら、外で待っていてもいいのよ」

「いや、それはさすがに……」

 なにもせずに安全なところでただ待つのは気が引けた。しかし、彼はどこか踏み切れない心境だった。

「ヒューは別に、自分が戦わないことに負い目を感じることはないんだぞ。キミは召喚士でわたしたちは召喚されたものだから、キミの魔法と同じだ。それとも海賊であっても船を奪うのは嫌か?」

 魔族に言われ、ヒューは後ろめたいような、踏み切れない気分の原因に思い当たる。

 相手が海賊とはいえ、これは守るための戦いではない。自分たちの都合のために奪うのを目的とした戦いだ。

「なにを甘いことを……件の海賊って義賊とかじゃないんでしょ。人の物を奪って海を荒らす連中を、連中の流儀にのっとってとっちめるだけよ」

「確かに、困ってる人たちは喜ぶでしょうが」

「なら、困ってる町や船主に礼金を出してもらえるように掛け合ってから行く? そうすれば立派な人助けっていう大義名分が確立されるわよ。それに、充分、礼金をもらってもおかしくない仕事に違いないじゃない。うん、依頼主を探しましょう」

 彼女は話しているうちに、それはいい考えじゃないか、と思い始めたようだ。

「いや、待ってください。納得しましたから!」

「今はから依頼人を探しに行くんじゃ遅くなり過ぎるだろう」

 ヒューとソルのことばに、聖霊も渋々納得する。

 船を待つ富豪でも海賊退治に金を出してくれるなら島へ渡る船についての問題も片付くだろうが、存在するかどうかもわからない依頼人を探すのは不毛だ。

 一瞬よぎった考えを振り切り、ヒューは港近くの食堂を見つけてそこで昼食をとることに決めた。

 〈海の星〉亭と看板を掲げた店はそれなりに広く、水夫など港で働く者の姿を中心に賑わっている。

 メニューは海産物が中心で、しかも他の町で食べるよりも安い。焼き魚や刺身定食、海藻サラダ、貝柱のハーブ焼きなど、ヒューたちは束の間、海の幸を楽しんだ。刺身を注文したオーロラは箸が欲しかったようだが、この店には用意されていなかった。

「まったく、海賊どもがいなきゃもっと大漁なんだが」

「運河を管理しているのは共和国なんだから本腰入れて退治すればいいのに、腰抜けめ」

 水夫たちのテーブルからはそういった会話が洩れ聞こえる。

 ノヴルの北の入り江からは運河が通り、ボラキア共和国が管理している。ノヴルと定期便のあるエルメアも共和国の港町のひとつだ。

「アジトもわかってるし、たかが数十人の集団だろうに」

「数十人の集団でも、安全に確保するには百人以上の兵が必要だからな。金をかけて批判されるのが嫌なんだろう。あの辺の町も」

「なら、船持ってる金持ちが傭兵でも雇えばいいだろうに、みんなケチだな」

 どうやら海賊についての情報はそれなりに知られているようだ。オーロラが水夫に一杯奢ると言い、アジトの場所などを聞き出した。

 話によると、海賊たちはかつて北への渡し守が住んでいた家と、そのそばにある洞窟をアジトとして利用しているらしい。役所に行けば地図を書き写させてくれるだろうと言われる。

「家はせいぜい五人泊まれるくらいだし、洞窟は改装していたとしても三人だな。倉庫に使ってるって話だが。船はせいぜい三〇人だ。遠出はあまりしないらしいから、船室は人数分より狭そうだな」

 充分な情報が得られ、ヒューは水夫たちのテーブルに一杯ずつ酒を奢った。酒二杯で一人分の食事代にもなると思えば五人分でかなりの出費だが、必要経費と割り切っていた。

 食堂を出ると役所へ行き地図を写させてもらう。紙は少々値は張るが購入した。今後も必要になるかもしれず、少し長めの巻物だ。ペンはソルがバサールにもらった物がある。

 海賊たちのアジトは北の運河沿いの岩場にある。歩いて行っても数時間で到着する距離だ。

「どうする、夜襲をかけようか?」

「夜に船を出す可能性は低いでしょうし、その方がいいでしょうね。できれば寝ている時間がいいです」

「でも、少し様子を見るため早めに行きたいわね。手前に林があるみたいだから、隠れられるところはありそうだし」

 地図を眺め、レジーナが河沿いの岩場の手前にある林を示す。

「そうね、血が流れるだろうしララちゃんが隠れるところも探さないと。様子を見るなら陽が落ち切る前に到着したいわね」

 日没まで七時間近くはある。細かい作戦について打ち合わせながら、二時間ほどノヴルの公園で過ごしてから街を出る。

 シルベーニュからノヴルまで土肌の道が続いていたが、道のない草原だ。それもそのはず、危険な北に向かう者など普通はいない。雑草は伸び放題で、できるだけ歩き易そうな部分を選んで進むものの、時折、長い草を刈りながら進まなければならなかった。

 陽が傾いてくるが、西日は増えつつある雲に遮られる。予想よりも早く暗くなりそうだ。

「少し急ぎましょう。と言っても、なかなか難しいでしょうが」

 道なき道を進むのは時間がかかる。途中でソルが交代して先頭に立ち、刀を鎌の代わりに振るって道を作り進むことにする。ヒューの短剣で切り払うよりは早い。

 ――もっと役に立てるといいな。

 歩きながら、ヒューはこの先に待ち受ける海賊襲撃を想像して、緊張とともに、どこか浮足立つような気分になる。

 最初は腰が引けていたものの、今は自分の力を試してみたい欲もある。術の訓練は生かせないだろうが、ソルに剣術を習い始めて数週間。少なくとも、ハッシュカルの自警団で型通りの訓練ばかりしていた頃や、ペルメール西の洞窟で正体不明の怪物に尻もちをついていた頃よりは、かなり成長したはずだと自覚していた。

 いくら自分が使っている魔法だと言われても、聖霊や魔族に頼りきりではいられない。そのままでは、二人を帰した後にどうやって妹を守るのか。

 近づく林を前に、少年は強くなりたいと願っていた。

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