第14話 未来へつなぐ記憶
ユーグの街は相変わらず賑わってはいたが、昨日の日中に比べて出歩く者の姿は少ないようだった。
祭りの後というのも一因だが、最大の理由は一目で知れる。上空に、今にも雨を降らせそうな黒雲が我が物顔で覆い被さっている。
「早めに済ませた方がよさそうね」
オーロラのことば通り、一行は手近な装飾品店に入る。時間があれば店の品ぞろえも見比べて買いたいところだろうが、そこまで時間はかけられないし、レジーナもクラリスも贅沢を言う性格ではない。
ヒューとララは午前中は王城に滞在していた。残る五人がソルの引換券を使うために商店街を訪れていた。
悩んだ末、レジーナは丈夫そうな腕輪を、クラリスは中に小物が入れられる大き目のペンダントを選ぶ。
「なんだかんだで、二人とも実用性を重視しているみたいね」
聖霊のことば通りではあるが、それなりに値の張るものだけに装飾品としても充分に足る物だった。レジーナの光沢のない金色の腕輪には模様が刻まれ、歴史を感じさせるような品格がある。クラリスのペンダントは楕円形の中心に玉石がはめ込まれていた。
「怪盗に盗られないように気をつけて」
店主はそう冗談を言って一行を送り出した。
怪盗キュラートは未だ捕まってはいない。パーティーの間にソロモンが聞いた話では、四年前から魔力や不思議な力を持つ石を狙って活動しており、盗んだ物を後で戻しておくこともあるという。
「なにか、特定の物を探しているのかもしれませんね」
「あたしたちと同じく、強力な魔力石や魔法石とか?」
通りを歩きながら、五人は王城へ向かっていた。そろそろ正午の鐘が鳴る頃だ。
「あ」
ポタリ、と首筋に冷たいものが落ちた。それはポツポツと周囲の地面に無数の染みを作り始め、すぐに絶え間ない水滴のカーテンに変化する。
五人は急ぎ、門の下へと避難。
「濡れちゃったわね。できれば風呂にでも浸かりたいところだわ」
「傘なんてないし、移動中さらにずぶ濡れになりそう」
「それは術でなんとかできるわ。あとは、どこかで服を乾かせるといいんだけど」
門の下へ入るまでの間に、五人ともかなり濡れていた。長時間そのままでいると風邪をひいてしまいそうだ。
「いらない服を売ればそれなりの宿代か、風呂代になるんじゃないか」
女装に使った服は次に使う機会もなく、ただ荷物になるだけである。ソルの提案に、鞄に服を入れたままのソロモンも同意した。
傘がないのはヒューとララの兄妹も一緒なので、まずは迎えに行こうと聖霊が懐から一枚の緑の葉を取り出し、宙に放り投げた。それは彼女の頭上を覆う程度の大きさになるが、呪文を唱えるとさらに数倍にも大きくなる。
「ほら、法術って便利」
「魔法にも似たものはあるが、こんなことにいちいち魔力を使ってられないから、些細なことは聖霊にやらせるに限る」
「この魔族め……」
ことばでは争いながらも、雨に当たらないために異界の住人二名を含む全員身を寄せ合いながら門の下へ出る。その中にいながらクラリスが苦笑した。
「お二人とも、仲がよろしいですね」
「どこが!」
二つの声が重なる。息の合った返事に医師も苦笑した。
「ほら、兄妹も来たようですよ」
兄妹は城の扉が開かれたものの、雨で出られないといった様子だ。
そこへ、五人が迎えに行く。大きな葉の下に合流したところで、丁度正午の鐘が鳴った。
「取りあえずお昼にしますか」
ララはドレス姿のままだが仕方がない。それ以前に、頭上の葉のせいでかなり周囲の視線を集めるが。
ヒューはもう、目立つことには慣れ始めていた。オーロラとソルが一緒なだけでもかなり目立つ。
あまり高そうではないと理由で入った店で昼食を済ますと、彼らは二度と着ないであろう服を売った。美人選定祭で使った服をすべて売ったわけではないのは、レジーナやクラリスは別のところで使う機会があるかもしれないと手放さなかったからだ。
そして、ララのドレスもそのままヒューが持っておくことになっていた。こちらは、着ている姿を祖父に見せたいから、という理由である。
「今夜発つなら日帰りの温泉でもいいんだけど、この雨だとなかなか外へ出る馬車も見つからなそうね」
「馬車を借りられるなら、わたしが御者をやってもいいんだけどな」
ソルはまだ十万レジー金貨も宝石の原石も持っている。金をかけようと思えば馬車を用意することもできる。
「うーん、まず温泉を探しましょうか。このままだと風邪をひきそうですし」
幼馴染みが寒そうに腕をさするのを見て、ヒューはそう決めた。
濡れた者も食堂にあった暖炉のおかげでかなり乾きはしたが、天候のために気温自体がかなり下がっているようだ。肌が露出している部分は肌寒い。
人の姿が一気に少なくなった通りを、宿や娯楽施設の多い並びへ向かう。いつの間にか周囲はだいぶ暗くなっていた。
「あれ、なにかしら」
宿屋の屋根の下の壁にある掲示板の前に数人が集まっている。その目が向けられているのは植物製紙に書かれた新聞だ。
その前を通りがてら、オーロラが首を伸ばして内容を読み上げる。
「怪盗キュラート、東の塔の魔法石を入手宣告、だって。通常運行みたいね」
「知っている魔法石について尋ねてみたいですね。有力な情報を知っているかもしれません」
「知っても入手が難しいのは変わりないですがね」
助手のことばに医師が続ける。
「正規の手段で手に入らないから盗んでいるのかもしれませんし。世に名前が出るような魔法石などはすでに所有者がいて、大金で購入するしかないんじゃないでしょうか」
誰の所有物でもない魔法石など魔力を秘めた道具を手に入れようと思えば、手つかずの遺跡などから新たに発掘するか、大きな手柄でも立てて権力者にもらうしかない。
「そのうち、遺跡を調べてみましょうか」
「それなら、わたしが調べておこう。わたしは温泉に入らないからな」
ソルが提案したときには、温泉の湯気を模した絵柄の刻まれた看板が目の前に迫っていた。
ゆっくりと温泉に浸かり身体を温めた六人は、ヒューがソロモンから水を弾く革製の上着を借りてソルを探し、残りで馬車を探すことにした。
水を弾くとはいえ、水に触れると冷たいのは革の上からでもあまり変わらない。ヒューはできるだけ屋根の下を歩きながら進む。
行先はわかっていた。すぐに大きな図書館の建物が見えてくる。
玄関に入ってすぐに、目的の人物がこちらを向き立っていた。
「ああ、ソルさま。丁度良かった」
相手も合流しようとしていたのだろうと彼は思っていた。しかし、それは思い違いらしい。
「今、サーカス団の者に会ったよ。早朝まで待てば、南門からシルベーニュへ馬車が急行するらしい。医者が同乗するとありがたいという話だ」
その馬車は病人を移送するためのもので、団長の知人の親子が乗るのだという。
「そうだったんですか……みんなが他の馬車を見つけていなければ話してみましょう」
二人が図書館を出た頃、実際に日が暮れてきているのもあるだろうが、辺りはもう夜のような暗さになっていた。雨はソルの魔法により空気の層に包まれて当たらずに済むものの、空気は冷たい。
他にはほとんど通行人のいない中、彼らは足早に南門近くの馬車組合へ向かう。
皆はまだ、探している最中だった。
「いやあ、それは医師としては捨て置けない話ですね」
ソルの話を聞いたソロモンは即断する。クラリスも同意見のようだ。
「いいんじゃないかしら。早朝出発なら着くのも早めでしょう。もう一泊くらいする余裕はあるでしょうし」
帰りの馬車代が浮くのなら、宿代の心配もそれほど必要はなくなる。ヒューはレジーナのことばで方針を決めた。
「では、今夜は一泊して早朝に馬車に乗りましょう。明日は五時には起きないといけないので今夜は早く寝ましょうね」
「お兄ちゃん、遠足の引率の人みたい」
ララに言われてヒューはそれを自覚し恥ずかしくなる。周囲からは笑い声が洩れた。
「まあ、ヒューは召喚者だから仕方ないわね」
「この世界のことはよく知らないからな。知ってる者に従えば間違いないだろう」
と、聖霊と魔族は言う。レジーナとララはもともとヒューを信頼しており、ソロモンとクラリスは勝手についてくるという状態のため、いつの間にかヒューがまとめ役となっていた。
その状態に誰も異論はないらしい。そのことに彼は安堵する。
昨日までの宿は安いが、やや門から遠い。少し値は上がるものの、できるだけ南門に駆けつけられる位置にある宿を確保することができた。
宿に入る直前、ソルが足を止める。
「わたしは少々、他に行くところがある。実は図書館で、遺跡や出土品に詳しいという者にも会った。色々と教えてくれる代わりに、見て意見を聞かせて欲しい物があるという」
「一人で行くおつもりで?」
ソロモンが尋ねる。
ヒューも少し悩む。今のソルは怪我をしているわけでもなく、決して頼りにならないわけでもないが、バサールが言っていたことも気になる。それに、異世界人はこの世界について不案内なのも気にかかる。
ソルは当然、一人で行くものと思っていたらしい。
「そのつもりだが……夕食をご馳走しようと言われているし、皆で押し掛けるわけにもいかないだろう?」
「それなら、その辺で暇している屋台で買っていけば安くしてくれるんじゃないの」
と、オーロラは開店休業状態の屋台の並びを示す。
「どうせヒマだし、魔法石や遺跡の話ならあたしたちもいた方が手っ取り早いでしょ」
「それはそうだが……相手が気分を害さないといいけどな」
魔族はあきらめたように肩をすくめた。
聖霊のことば通り屋台の店主は代金を安くしてくれ、売れ残りもおまけしてくれた。手のひら大の饅頭に焼き肉や野菜のみじん切りを詰めて蒸したもので、この辺りの名物らしい。
相変わらず雨の降りしきる中、七人は速足で歩いた。雨音はうるさく視界は悪く、せっかく温泉で温まった身体が芯から冷えそうなほど寒い。
だが、途中でソルは足を止める。
「捕まえろ!」
雨音を切り裂くほどの怒声。
見上げると、時計塔の鐘が見えた。そこから黒い影がとなりの建物の屋根へと跳び移る。下にいる警備隊らしい制服姿たちがとり囲もうとするが、すぐに影はまた、別の家の屋根へ軽々と移っていく。
「怪盗キュラートね」
「捕まえられそうにないわね、あれは」
壁に貼られた新聞の見出しを思い出し、レジーナとオーロラは正体を口にする。その間にも人影はもう、雨の間に姿を消していた。
見失ってもなお周囲を捜索しようとする警備隊たちも散り散りに姿を消し、ソルは再び歩き出す。目的地はそれほど遠くはなかった。時計塔の近くの小さな石造りの家を訪れ、玄関前のノッカーを鳴らす。
すぐにドアが開き、灰色の髪の壮年の男が顔を出す。
「来ていただけましたか。そちらのかたがたは?」
同行者の姿を認めると、笑顔にわずかに疑念の色がさす。
「旅の同行者だ。彼らも話を聞きたいと言ってな」
「僕らのことはおかまいなく」
ヒューが言うなり、家の主の顔には笑顔が戻る。
「外は寒いでしょう。どうぞお入りください」
彼は暖炉でしっかり温められた部屋に七人の客を迎え入れた。部屋は少し古いものの、落ち着いた調度品とよく似合っている。
客人にソファーを勧め、男はペッカトールと名のった。
「実は、ソルさんを魔術師と見込んでご覧いただきたい物があってお呼びしたのです。わたしは骨董品を集めるのが趣味なのですが、先日貿易商から手に入れた物の中に奇妙な物がありまして」
それは、青く輝く宝石だという。それを売りに来た商人の話では、鑑定人いわく魔力を秘めた物で、同じく高い魔力を持つ者が触れるとなにかが起きると伝えられているとの話だった。
「魔力を秘めた宝石……魔力石や魔法石などか」
「わたしもそれらのうちのどれかだと思いますが、わたしが触れてもなにも起こりません。どうぞ実物をご覧になってください」
立ち上がり、ペッカトールは奥の階段に先導する。どうやら二階にあるようだ。
壁と同じ素材の石の階段を登ると、広い屋根裏がある。物置代わりらしいがかなり片付いていて、ほぼ中央に木製の台があり、布の上に手のひらにおさまりそうな大きさの青く輝く六角形の宝石が保管されている。
ペッカトールは宝石の向こう側に回ると、よく見せるように布を持って宝石を傾けた。
「いかがでしょう、なにかわかりますか?」
問われ、ソルは目を細める。
「確かに強い魔力は感じるな。しかし、純粋な魔力ではなさそうな気配だ」
「ということは、魔力石ではなさそうでしょうか。魔法石か魔封石か、もっと別の物か……触れても大丈夫そうですか?」
「それは、触れてみないことには。……少し離れていろ」
魔族の声にわずかに緊張が走る。
その手が慎重に伸ばされ、指先が宝石に触れた。
刹那。
白い煙が一気に広がり部屋に充満する。視界のない白の世界で、ヒューの脳裏に浮かぶのはオーロラとソルが召喚されたときのことだ。
案の定、煙が晴れたそこはには今までなかったはずの姿。
石を彫り出したような大きな獣。本に描かれたのを見たことのある、サイという動物に似ていた。だが目つきは鋭く牙も長く、たてがみのように何本もの角が耳の上下に生えているのが特徴的だ。
その姿が現われるなり、一瞬ソルが消えたかのようにヒューの目には見えていた。しかし、それは違う。ソルは獣の前脚の下敷きになっている。
「ソルさま! 大丈夫ですか?」
魔族は倒れたまま、押し付けられてくる牙をどうにか相手の顎を押し上げることで遠ざけている。
「大丈夫、だ……けど、重い」
この世界ではあまり腕力はない――そう言っていた魔族も長くはもたないだろう。ヒューは短剣を抜いて駆け寄ろうとした。
「待て!」
ソルが叫んだとき、少年の目にも映っていた。
獣のたてがみのような角が鋭い先端を真っ直ぐ立てるように動かしたのだ。
ヒューはとっさに短剣を両手にかまえる。
バババッ!
耳慣れない音ともに射出される角が五、六本。
目で捉えきれるものではないが、ヒューは自分に向かって来たものをとっさに二つ払いのける。残りは背後に抜け、振り返るとオーロラが張った法術の結界が角を防いでいた。
抜けた角はすぐに生えてくるが、獣の注意がわずかにそちらに逸れた間に、ソルが巨体の下から逃れて転がり出る。
立ち上がるなり、居合いで斬りつける。
角が斬り飛ばされた。しかし、刃はその先の岩のような皮膚には食い込むことはできず、せいぜいかすり傷しか与えられない。
「硬いな。普通の斬撃は通じないか」
「離れて」
レジーナが声をかけ、ソルは獣から距離を取る。ボウガンの矢は獣の目を狙ったが、目はそれを弾く。目すらかなりの硬度らしい。
それならばとオーロラが木片を燃やし投げつけるものの、表面で燃え尽きる。
「火力が足りないんだろう」
ソルは軽く剣の刀身を撫でる。すると、刃は炎に包まれた。
獣が警戒したように向き直ろうとするが、それを待たずに魔族は鋭い突きを放つ。切っ先の一点に熱と力を集中した一撃は硬く分厚い獣の体内まで刺し込まれた。
ヴォォォ、と鳴き声ともつかない音が鳴る。
直後、獣は白い粒子のような、獣のようなものと化して蒸発した。
「消えた……」
「そうらしいわ。でもヒュー、よく刺されなかったわね」
幼馴染みは少し驚いたような口調だ。
「うん、訓練の成果が出たみたいだ」
突然飛んできた角にも固まらず、反射的に弾き飛ばすことができた。それも、訓練で何度も木片が降ってくる経験をしたおかげだろう。
少し嬉しくなってソルの方を見ると、魔族は剣を手にしたまま、宝石の向こう側を見回している。
「ソルさま、お怪我は?」
「大丈夫」
ソロモンに答え、彼は振り返る。
「ペッカトールはどこだ? 姿が見えないが」
あ――とヒューも気がつき室内を見回す。
宝石の向こう側にいたはずの紳士の姿はどこにもない。
まさか、獣の代わりに宝石の中に封じられた、などということは有り得るのだろうか。もしくは、獣が出現したときに、なんらかの攻撃で消されていた、などということは。
「ここですよ」
上からかかる、穏やかな声。
見上げたそこには、ペッカートルとは似つかない姿が梁に腰かけていた。黒い服に黒いマント、顔には目の周りを覆うようなアゲハ蝶に似た黒の仮面。黒目黒髪の、顔立ちは見覚えのある若者だ。
「キュラートだな」
「あの美しいお嬢さんが、こうも恐ろしい魔法剣士だったとは」
怪盗は苦笑した。
「まあ、おかげで宝石の中身を確認できました。これも、ボクの求めるものではなかったようだ」
「求めるもの? あんたが狙っているものって一体なんなのよ?」
聖霊が問う。怪盗は答えるべきか一瞬考えたらしいが、すぐに口を開く。
「記憶石ですよ。古代の上級魔術師はほとんどが膨大な知識を記憶石に封じ、思い出したいときには石に触れ集中すればよかったという」
記憶石は現代でも五つは出土し、存在が確認されている。その中のひとつだけでも手に入れたい――それが怪盗キュラートの目的だという。
「目的はわかったが……なんのために?」
ソルのことばに、怪盗は小さく笑ったらしかった。
「さすがにそれは、もっと信頼できるとわかった相手でなければ。その機会が訪れる可能性は薄そうですがね」
手袋に覆われた右手が懐に入る。
「では、ごきげんよう」
煙玉が近くの柱にでも投げつけられたのか、一気に煙がぶわっと広がる。オーロラがとっさに木の葉を放ち、巨大化させて扇ぐが、煙が吹き散らされたときにはもう怪盗は立ち去っていたらしい。
いつの間にか、青い宝石も消えていた。代わりに布の上には緑色の玉石が収まっている。
「お礼のつもりでしょうか」
「盗品なんじゃ……」
恐る恐る布ごと持ち上げてみる少年に、幼馴染みが歩み寄る。
「いえ、これはもらうべきだわ、うん」
目を輝かせる聖霊に医師がとなりで苦笑した。
「警備隊に盗品としてそのようなものがあるか確認してはどうでしょう。どうせ、ここのことを報告しなければならないでしょうし」
この家が本来のキュラートの寝ぐらだとは考えられない。おそらく、空き家を勝手に利用したものだろう。調度品を持ち込んだのなら、怪盗はそれなりの富豪らしいと推測できた。
通報してやって来た警備隊に話を聞かれ、玉石も少なくともキュラートが盗んだ物で把握されている物にはないと教えられる。それでも普通は没収されるだろうが、聖霊に言いくるめられ、警備隊は情報料代わりに見逃すことにしたようだ。
それを鑑定屋に持ち込むと、八万レジーの値がつく。
換金して明日の朝以降の食料を購入し、宿に戻ったときには夕食時はとうに過ぎている。暖炉に火を入れ温まりながら食糧をテーブルに広げた。
「大金も手に入ったし夕食くらいパーッとやりたいけど、これ、もったいわないわね」
「パーッとやるのはまたの機会にしましょう。これだって充分美味しそうでしょう」
クラリスは持ち歩いている鍋を暖炉にかけ湯を沸かし、ついでに饅頭を温めなおしてそれぞれにカップ入りのハーブティーとともに配る。
それなりの代金を払って食べるご馳走も魅力的だが、安売りしていた饅頭も負けないぐらいに美味しい。確かに名物となり得る味だ。
肉汁の染み出す餡を口にして、ヒューは心からそう思っていた。
そこそこ豪勢な朝食を求めたものの、早過ぎて食堂はどこも開いていないためありつけず、宿の朝食を早めに出してもらい、礼金をいくらかけつけて一行は門に出発した。南門で間もなく馬車と合流する。
病人が乗る馬車だ。車内は静まり返り、外は雨の音に包まれている。ソロモンとクラリスが患者と時折ことばを交わすくらいで、兄妹や聖霊は半分寝ながら過ごす。雨の中では獣も襲ってくることなく、馬車は休みながら谷と洞窟を抜けていった。
一晩過ぎ、昼を過ぎた頃に雨はあがる。
「やっと太陽が見られますね」
運び込まれた簡易ベッドに横たわる女がほほ笑む。一晩も一緒にいると母子ともだいぶ打ち解けていた。子の方はまだ十歳にもならない男の子でやや引っ込み思案な性格らしいが、ララや優し気な女性陣のいる一行には気を許したようだ。
「日光に当たった方が少しは身体にいいでしょうね」
馬車が休憩のために止まると、クラリスが出入り口の厚手の布を巻き上げる。幌の内側が少しだけ明るくなった。
谷の中の、少し開けた場所だ。周囲の様子を見ようとソルとヒューは外へと降りる。草木はまだ雨に濡れて雫を滴らせていた。
この様子では動物も皆、巣にこもったままだろう、とヒューは安心していた。しかし、ソルはなにかを探すように周囲を見回している。
「ソルさま?」
「ああ……雨の後というのもなかなか厄介だからな。雨は色々なものを洗い流してしまう」
足跡やなにかの通った痕跡、臭いや落とし物。激しい雨は確かに情報の元となるものを奪っていってしまう。
少し甘かったかもしれないと、ヒューは気を引き締めた。
「でも、ほとんど隠れられそうなところもなさそうですね」
「まったく無いわけではないけどな」
ソルは大きな岩の前で立ち止まる。その岩が気になったらしく、裏を覗き込もうとする。
途端に、二つの姿が岩の裏から跳び出した。
獣ではない。人間だ。ソルより大きな男。その姿を認識するものの、ヒューは気ばかり焦って動けない。短剣を抜こう、いや、一度距離を取ろう、でもソルさまも気になる――思考だけが巡り渋滞を起こしている。
男の一人はソルへ、もう一人はヒューを明確に狙う。
ソルは相手の懐に入るようにして振り下ろされた刃を避け、そのまま伸ばされた腕をつかんで投げ飛ばした。そして視線の先、ヒューに向かう背中に火球を投げつける。
「あちィッ!」
呻いて倒れながらも、その右手から勢い良く小型ナイフが離れる。
ヒューはとっさにしゃがみ込もうと頭のどこかで思うが、わずかに上体を引くだけで精一杯だ。それでもナイフの狙いはかなり逸れ、少年の腕を浅く切るだけに終わる。
「大丈夫か、ヒュー?」
倒れた男を踏みつけつつソルが駆け寄ってくる。少し大げさな反応だ――と、少年は不思議に思う。
「痛いけど、ほとんどかすり傷ですよ」
そばまで来た魔族は真剣な目をしていた。
「毒が塗られている可能性もあるんだぞ」
言われ、少年はギョッとする。
「はい、一応診ますよ」
いつの間にかソロモンが近づいていた。その背後、レジーナやオーロラらも馬車の外に姿を見せている。外の物音に気がついたのだろう。
どうやら毒は塗られていないようだ。治療の間に、ソルは気絶させ転がした男たちから武器を奪う。
「盗賊だな。しかしシルベーニュもユーグも遠いし、このままにして行くしかなさそうだ」
男たちを端に蹴り転がし、肩をすくめる。
「そうですね……それにしても、すみませんね、色々と鈍くて」
まだまだ自分は甘過ぎると、ヒューは反省する。
「経験を積めば判断も早くなるだろう。あとは、なにがどうなったらどうするのかをある程度想定しておくことだな。想定は経験の代わりになる」
「はあ、勉強になります」
「想定通りのことができないと意味はないが。ま、まだまだこれからだろう」
そう言われると、ヒューは気が軽くなる。毒もなく、傷はあっさりとソロモンの術で消えてなくなった。
「なんかすっかり師弟関係って感じね。でも術の使い方でも教えた方が帰るのには早いんじゃないの」
聖霊のことばに魔族は肩をすくめ、
「魔力がなければ術の練習もはかどらないんじゃないか? ……ま、教えたければ自分でやればいいだろう」
と、あまり興味のない様子で馬車に向かう。
その背中を見送った聖霊は少し考え、腰に手を当てて近づいてきた。ヒューは迫りくる威圧感に、身動きが取れない。
「あたしは厳しいわよ、覚悟しなさい」
その笑顔に秘められた底知れない恐ろしさを、それから少年は散々に味わうことになった。
一行がシルベーニュに到着したときには、すっかり空は晴れ渡り太陽が力強い日光を地上に降り注いでいた。
馬車は門で同乗者たちを降ろし、母子を乗せたまま病院へ向かっていく。それを見送ると、シルベーニュでできるだけ森にはない物を見つくろい、買い物をする。選んだのは大量の肉団子とまだこの大陸では流通し始めたばかりのチョコレート、そしていくつかの調理器具だ。
時間はまだ朝食時間の前。森に帰り真っ直ぐ店に顔を出すと兄妹の祖父は少し驚いたが、歓迎して朝食を作ってくれる。
「丁度良かった。皆が帰ってきたら明日からハッシュカルを見に行こうと話していたところなんです。お疲れならもう一日伸ばしますが」
話を聞きつけてエーノンが顔を出す。ハッシュカルへ行くことはエルレンに寄ることにもなり、自宅が気になるエルレンの者も多い。
「僕は明日で平気ですよ。今日一日ゆっくりできそうですし」
ヒューのことばに、誰も異論はなかった。さすがに震動の中ではベッドほどぐっすりとはいかないが、馬車の中では半日近く寝るかただ座っているだけだったので、体力はそれほど消耗していない。
「ああ、今日はゆっくり休むといい。その前に、忘れずにララのドレス姿は見せてくれよ」
木製の皿を拭きながら、店主は孫と通じ合ったように笑みを交わす。
「ララは、この先大変かもね……」
大事にされているのは確かだが、今はともかく将来、彼女の魅力に惹かれた男が現われたときなど、祖父と兄はどう反応するのだろう。
レジーナは、少しだけ少女の将来が心配になった。
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