第13話 宝石を狩るもの
翌朝になってまずヒューたちがしたことは、前日の衣料品巡りの際に訪ねておいた受付の場所へ行き、登録を済ませることだった。
王城の門の脇にある入城登録受付の建物に専用の窓口ができているが、ヒューが代表で並んだ時点でかなり列が伸びており、彼は早めに来て良かったと息を吐く。
登録を済ませて離れるころには、さらに列は伸びている。
「夕方ギリギリだと間に合わなかったかもしれないし、朝来たのは正解ね。先に宿探しも済ませましょう」
「できれば今回もお風呂付がいいけど、難しいわよね」
オーロラの言う通り、風呂付の宿は宿泊費がかなり高くなる。今夜は安い宿に泊まりたいという部分はヒューは譲れない。
結局、街の外れの安い宿を見つけて予約した。素泊まりで前日泊まった宿の三分の一程度の料金の宿だ。掃除はされているものの建物も古く、本当に泊まるだけを目的としたような宿である。
「明日は早起きしなきゃだけど、ちょっと時間もあるし、どこか見てみる?」
まだ昼前だ。せっかく大都市に来ていながら南区だけで動くのももったいないような気がしていたのはレジーナだけではない。それに街全体がお祭りの雰囲気に包まれていて、あちこちで芸術や美にまつわる催しが行われ、単純に便乗商法で〈お祭り割引!〉や〈期間限定おまけ付き〉を掲げた店も多い。
しかし、観光気分や祭りを楽しむ気分になり切れない者もいる。
「あの娘たちもそうかしらね」
足早に通りを去っていく二人連れの若い女たちを見つけ、聖霊の目が鋭く細められる。
宿のあるこの辺りは人通りが少ないが、街の賑わう辺りの通りでも若い女の姿が多かった。それに、衣料品店を回っていたときには服を選ぶ娘らも多く目にしている。ヒューたちが現場にいるときにはなかったが、この時期には服の奪い合いでつかみ合いの喧嘩が起きることもある、と店員が話していた。
「あの列、見たでしょう? あれが、いやあの何倍もが競争相手だからね。ありゃあ、予選でかなり落とされるわ。あなたたち、美しい仕草も頑張るのよ」
「なかなか難しいことを……なら、参考のために美術館でも見ますか」
ソロモンが提案する。
西区には美術家や宝石を使った装飾品の展示会場など、美術品の展示を行っている施設が多いという。過去の宝石的美人選定祭の優勝者の肖像画が飾られた美術館もあり、参考にしたい女たちもよく訪れる。
「美術館も有料だろう? じゃあ、図書館で美術の本を見た方が良くないか?」
魔族のことばに聖霊は再び目を細める。
「本を読みたいだけじゃないの、あんたは。魔界でも毎日本をめくる仕事でもしていたのかしら」
「わたし、文官じゃないぞ。読書はあくまでも趣味だ。読書のおかげで色々なことを知ることもできたがな。文官が扱う書式も、さまざまな魔法、法律、動物や植物や歴史なども」
「なんか……あんた、図書館の読書週間の広告塔にでもなりそうね」
胸を張って話すソルから、オーロラはあきらめたように目を逸らす。
「美術館も、無料のところを聞いておきましたから。その後に用事がなければ図書館に参りましょう。それでいいのでは」
ソロモンは抜け目なかった。
西区へ移動し始めて間もなく、正午を知らせる鐘が鳴る。ヒューは屋台の並ぶ商店街に入った。食堂に入るより、屋台の簡単な料理の方が安い場合が多い。
薄焼きパンに腸詰と野菜を挟んで串に刺したものや、大きなミートパイを焼いて切り売りしている店、肉の塊を串焼きにしたもの、果物を割ったものやまんじゅうなども売っている。
その中から、ヒューはできるだけ安いものを選ぶ。
「味付けは今まで食べたのと違うけど、これもなかなか……」
レジーナはミートパイを一切れ買い、ヒューやソルは薄焼きパン、オーロラは串焼きと小さなパン、ソロモンとクラリスは自分たちでサンドイッチを買っていた。
「わたしには、これは多過ぎるからな」
ソルは薄焼きパンを串から外してララに半分渡す。それだけでも魔族には充分な量らしい。
昼食を安く済ませて、西区の通りに入る。ソロモンが聞いてきた展示会場というのは塔の中にあるらしく、迷うことなく辿り着く。
立て看板の出ている会場は入り口から狭く、あまり混んではいないが、それなりの見物客の姿があった。
塔の内部に螺旋階段があり、階段を登りながら壁に飾られた絵画を見るという形式だった。途中に扉があるが、鍵がかけられている。
絵は人物画もあるが、見たことのない風景が多い。どこかの島や、巨木のある草原、人の気配のない古城など。なかには上下左右がよくわからないような、異次元を感じさせる絵も何点かある。
絵をいくつか見て、ヒューは異世界の風景、オーロラやソルの世界の風景はどんなものなのだろう、と興味を抱いた。しかし、似ている世界から選ばれたという点や二人のこの世界への反応を考えると、それほど変わらないのかもしれない。
「なかなか趣のある会場と作品でしたね。個人的には、もう少し人物画が欲しかったですけれど」
「綺麗と言うより、神秘的な絵が多かったですね。独創的というか」
感想を口にしながら屋上に抜ける。
そこからの景色は、絵よりも幼い少女の心を惹きつけたようだ。
「わあ、すごーい!」
ララが柵の近くにまで駆け寄る。塔としてはそれほど高い方ではないらしいが、眺めは地上からの視点とは比較にならない。
「ほら、あそこにサーカスが見えるよ」
少女が指さした先には広い公園があり、真ん中に赤黄二色の縞模様の大きなテントが張られている。そのそばには、見覚えのある三台の馬車も並んでいる。
「シンドーンさんのサーカス団だ。今日は東区で公演するみたいだね」
テントの周りには入場待ちらしい人の列ができていた。かなり盛況なようだ。
「機会があれば見てみたかったけど、今回はなさそうだね」
「うーん、残念」
兄妹が話す横手で、なにかの気配が動く。そこで初めてヒューは屋上のほかの気配をはっきりと意識した。何組か、先にいた客たちも景色を眺めている。
「困ったものだ。早く捕まるといいが」
「例の怪盗か? さすがにこの塔は狙われないだろうけどね」
男二人が話しているのが聞こえてヒューは思わず振り返るが、二人はもう下へ向かうところだった。
彼らの会話が聞こえていたのはヒューだけではない。クラリスが首を傾げる。
「昨日もどこかで聞きましたね。宝石を狙う怪盗がいる、っていうくらいですけど」
世界中から、宝石の買い付けのために宝石商がやってくるような都市だ。大金が動くところには当然それを狙う悪人たちも集まってくる。怪盗だけでなく、過去には強盗団の宝石店襲撃が頻発したこともあるらしい。
この国の治安は決して悪くはない。難民が増えつつある地区では、多少はいざこざが起きているが。
「怪盗を捕まえて宝石を奪えば、その中に魔力石はないかしら?」
「それはまかり間違えば警備隊に追われる身になりそうですし、怪盗も、もう売ってるんじゃないでしょうか」
思いつきを口にするオーロラに、ソロモンが言う。
「捕まえた礼に一回使わせてもらうとか……難しいかしらね。真っ当に手に入れる近道は、とりあえず美女選定祭で優勝ね」
その目は王城に向き、燃え上がっているように輝いていた。
一行の安宿から王城までは遠い。太陽が山並みから顔を出してすぐに起きだし、七人の旅人たちは着替えを始める。
「ほら、綺麗になったでしょ?」
オーロラに差し出された鏡に映った自身の顔を見て、ヒューは不思議な気分になる。傷跡のない自分の顔を見るのも、化粧をするのも、女物の服を着るのも当然初めてだ。
『今年の審査員は全員、庶民に近い人たちだ』――そう情報を得ていたのもあり、紺色のベストと裾の広いキュロットを合わせ、髪の左側には紐を蝶々結びにしていた。活発な少女に見せようという狙いらしい。
「ヒューはともかく、こっちは無理があると思うのですが」
「大柄な女性好きもいるかもしれませんよ?」
惑いの森のパーティーでの格好と似たような大人びた服装のクラリスに、白いワンピースにどうにか肩を隠そうとケープを巻いたソロモン。髪は団子状にまとめ、体格以外は女性に見えなくもない。
「あたしも着替えてくるわ。あの子たちの方も気になるし」
と聖霊が部屋を出て行ってしばらくして、ララの手を引いたレジーナが入ってくる。彼女はエルレンの図書館で見た本の中の人物に近い格好をしていた。高い位置で結んだ髪の根もとに花をリボンで束ねたような髪飾りをつけ、クラリスにもらったスカーフを巻いている。花柄のワンピースのスカートに、腰に飾り紐を結んでいた。
ララの方は、彼女に合う余所行きの服の種類が限られていたので〈庶民的〉という方向性から外れていた。大きなリボンに桃色のドレスは、絵本の中の姫のようだ。それはよく似合っていたし、誰もが一目見て頬を緩めるほど可愛らしいが。
二人にすぐに続き、オーロラが戻ってくる。尾を隠すためのチューリップ型スカートとカーディガンを青で統一し、交差させるだけの簡単なリボンのついたブラウスも庶民に馴染みがあるものだが、塔のように結い上げた豪奢な金髪がどうしても〈庶民的〉から外れた印象を与える。
彼女はヒューのそばに寄り、そっと耳打ちした。
「ほら、どう、ヒュー? いつもの見慣れた顔でも、こうして新しい格好で見ると発見があるんじゃない?」
「オーロラさんはいつもドレスだから、あまり印象が変わりませんね」
「そうじゃなくて! あっち!」
聖霊が指さすのは、幼馴染みと妹の姿だ。
ヒューは極当たり前のことのように口を開く。
「可愛いし、似合ってますよ。でもララが可愛いのはいつもだし、優勝できなかったら審査員の目を疑いますよ」
「あんた……。ま、まあ、妹だもんね……」
はっきり言い切る少年の様子に、聖霊はなにかを悟った様子だった。
そのとき、ドアが開いて最後の一人が顔を出す。
「これはこれでいいのか……?」
袖や襟もとに白いレースを飾った黒のワンピースのロングスカート姿のソルは、どこかの令嬢のように見えた。頭には黒い羽根と花の飾られた小さめのベレー帽を留めている。
頬の紋様は化粧で消されており、誰もが見惚れるような美人に見えた。
「これは期待できそうですね」
「間違っても手を出さないでね、色男」
熱い視線を向けるソロモンに聖霊は白い目を向ける。
「いえ、まさか。ソルさまに手は出しませんよ」
「あんたは、美しいものには種族も性別も関係ない、って系統に見えるけど」
「ええ。美しいものに種族も性別も年齢も国も文化も関係ないと思っていますが、ソルさまには手を出しませんよ」
ソロモンがきっぱり否定することばが聞こえてか、歩み寄っていたソルは首を傾げるが、それよりも胸の重さが気になるようだった。
「これ、もう少し軽くならないのか?」
彼だけでなく、ヒューもソロモンも女性の体形に近づけるため胸に詰め物をしている。
「小さいのが好みの審査員もいるでしょうけど、そうすると形が崩れやすくなりそうよ。女性じゃないってバレたら優勝は無理でしょうし」
予選は朝だが、本選は夕方以降だ。終わるのは夜のパーティーの中頃で、それなりの長丁場になる。
仕方がない、とソルは肩をすくめた。
「ああ、それとあんたたち、しゃべり方とか仕草も気をつけなさいよ。自分の名前も忘れないように」
前日の参加登録時に名前を書く必要があることはわかっていたので、その前に男性陣の偽名は決めていた。ヒューはヒュレーア、ソルはソアラ、ソロモンはソリアンという名で登録している。
準備を終えると、宿を出て王城に向かう。
通りには他の参加者たちの姿もある。七人はできるだけ、その姿に近づかないように移動した。過去、移動の間や予選から本選までの間に、服を汚されるといった妨害が発生したこともあると聞いている。
――やっぱり、勝負ごとは甘くないんだな。
たまに突き刺さるような視線を感じ、ヒューは女の戦いの一端を垣間見た気がした。
王城の門をくぐると案内役がいて、何組かに分かれて城内の一室に案内され、そこで予選が行われる。
参加者は百名を超えているのではないかというほど多く、それだけに、予選は三名の審査員の前を歩くだけの簡単なものだ。流れ作業のように次々と終わり、昼前には結果が控え室前の廊下に貼り出される。
そこに書かれた名前一覧には、ヒューリア、ソリアン、クラリスとは書かれていなかった。
「わたしはともかく、クラリスが落ちるとは……」
「どうやら、審査員に眼鏡属性好きの人はいないみたいね」
クラリスは少し肩を落としたものの、仕方なさそうに周囲を見回した。
「まあ、他の参加者のかたもお綺麗ですし」
彼女のことばの通りだ。顔に自信があるのはもちろん、かなり凝った装飾や髪形をしている者、一目で相当金を掛けているとわかるドレスを着ている者も何人もいる。
控え室へ戻ると、本選に出る二〇名ほどが思い思いの席で休憩している。ただそれだけのことであり室内は静かだが、どこか空気はピリピリして息が詰まりそうで、ヒューは居心地が悪かった。
「本選まで外に出てもいいみたいだし、どこかで食事しますか。早く着替えたいし」
「そうね。あたしたちは、汚さないように気をつけなきゃだけど」
案内役から参加証を受け取り、一行は控え室を出る。本選のパーティーは参加者だけでなく関係者も出られるようになっている。
噴水のある公園を見つけ、ヒューとソロモンはそこで化粧を落とし、木の陰で着替えた。その間に上着を着る者は服の上に羽織っている。汚れないようにとの配慮だが、ララは着られる上着を持ち合わせていない。
「ララちゃんのも買っておくんだったわね」
オーロラのことばに、しかし幼い少女はあまり気にはしていない様子だ。
「うん、大丈夫。汚さないよう、気をつけるね」
と、丁寧にスカートを摘まんで、布を敷いていた長椅子から立ち上がる。
汚れたくない状態で露店を巡るわけにもいかず、昼食は少し小綺麗な食堂に入った。料金は数割増しになるが、ヒューは必要経費と割り切る。実際、店内は清潔で服を汚さないための布もテーブルに用意されており、無事に昼食を終えることができた。
その後は、ソルの希望もあって図書館で時間を潰す。服も汚れず静かに過ごすにはいい場所だ。
「こういう服でも良かったかもしれないわね」
「このケープなら作れるかもしれません。覚えておきましょう」
女たちが服飾の本を眺める一方、ソルは遺跡や魔力を秘めた道具について、ヒューは召喚魔法の本を眺めていた。しかし、手に取った本は少し彼には難し過ぎた。
図書館でもたまに、他の利用者がじっと着飾った姿に視線を向けてくることはあるものの、声を掛けられることはなかった。
夕方になると王城の控室に戻る。
相変わらず張り詰めた空気にヒューは身じろぎもし難く感じるが、同行者の本選出場者で緊張していそうなのはレジーナくらいだ。オーロラは誰よりも堂々としているし、ララとソルは普段通り泰然として、ソルが借りてきた挿絵の多いこの国の歴史の本を二人で眺めていた。
「準備が整いました。こちらへどうぞ」
案内役が呼びに来て、控え室の面々は廊下を先導され、広い会場へ通される。
普段は舞踏会などが開かれるのであろう大広間で、天井には大きく美しいシャンデリアが二つ。その下には料理の並ぶテーブル。楽団の後ろに十人の審査員の席があり、背後の大きな窓の向こうは夜色に染まりつつある。
テーブルの左右には貴族らしい姿が十人近くあった。参加者が一列に並び番号札をつけられると、審査員たちは何ごとかを耳打ちし合う。
「では、これより宝石的美人選定祭を開催いたします」
進行役がそう宣言すると、遠くで爆音のような音が連続する。ヒューたちが驚き目を向けると、窓の向こうの夜空に花火が射ちあがる。人々はしばらくそれに見とれた。城外でも歓声が上がっているのが風に乗って聞こえる。
色とりどりの花火が十発ほど夜空に消えると、見惚れていた人々の間からおのずと拍手が起きる。
「では、しばし料理とご歓談をお楽しみください」
花火が終わると、代わりのように楽団が上品な舞踏用の曲を演奏し始めた。貴族の参加者たちもテーブルに歩み寄ってくる。
「あれ、もう審査は終わり?」
「待っている間の所作や仕草も審査に影響するみたいですよ。よほどのことがなければ、外見が一番の材料だそうですが」
拍子抜けするヒューに、となりでクラリスがささやく。
ララは元気よく、「あんなに美味しそうな料理がいっぱいだよ、お兄ちゃん」とテーブルに駆けていき、レジーナは慌ててそれに速足で寄る。オーロラは酒の入ったグラスの並びに目を留めるものの、さすがにすぐにそちらには向かない。
ソルは早速踊りに誘われたものの、よく知らない曲だからと断った。すでに何人かの女性たちが貴族からの誘いに乗り踊っている。ここで伴侶を見つける貴族もいるという。
「では、お飲み物をお持ちしましょうか」
「お酒はあまり……」
「では、一番弱いのをお持ちしますよ」
いかにも貴公子然とした金髪の青年がトレイに載せて運んできたのは、グラスに入った果実酒と、果実のコンポートを使ったタルト、チーズと野菜とハムにソースをかけて厚く切ったパンにのせたもの、ローストしてハチミツをからめたナッツの盛り合わせ。
「はあ……どうも」
差し出された物を受け取らないわけにもいかない。相手もグラスを取って乾杯を促されグラスを合わせると、ソルは一口含んで眉をひそめる。
「あら、美味しそうなタルトじゃない。いただいてもよろしいかしら?」
唐突にオーロラが割り込み、少し怯みながらも「ええ」とうなずく貴族の手にするトレイからタルトを取り、ソルの手を引く。
「ほら、あっちにも美味しそうなのがあるわよ、行きましょう。ごめんあそばせ」
呆気にとられる青年の前から、金髪の美女は素早くソルを連れてテーブルを離れた。ソルは戸惑いながらも引っ張られていく。
「良かったのか、あれは……?」
充分離れて足を止める聖霊に、魔族は首を傾げる。
「あのね、お酒が苦手って言ってる女の子に酒を勧める人間なんてロクなもんじゃないわよ。しかもこのタルトのコンポートも他の物も酒の匂いがプンプンするし」
「匂いはわからなかったが……そういうものなのか」
「あんた、こういう宴会は出たことないの?」
こういう宴会、は惑いの森で行われた自由なもののことではない。それは魔族にも通じたようだった。
「いや、何度も……と言っても、どれも周りに信頼できる者が沢山いたから、状況は違うけどな……」
「結構、箱入りなのね。ま、貴族だっていうならそうか」
ソルは手にしたグラスの酒も思ったより強いものだったらしく困っていた。それもオーロラが受け取ってやる。
「近くで見ててあげるから、変な男について行っちゃダメよ」
「うん……ありがとう」
戸惑いながら素直に礼を言うその姿は可愛らしく見え、オーロラはチラチラと審査員たちに視線をやった。どうやら、何人かはその瞬間を目撃したようだ。
それに気づき、オーロラはにやりと笑う。ソルは不思議そうな表情。
一方、ララを踊りに誘った老紳士がいた。
「大丈夫なの?」
レジーナも、少し離れたところで見ているヒューも心配になる。踊りを習った経験などあるはずもない。
だが、幼い少女は自信満々に、
「大丈夫だよ。妖精さんたちが踊ってたの覚えてるもん」
老紳士の手を取り踊り始めた。それは独創的で曲に合っているとは言い難いが、楽しげでほほ笑ましいものだ。
周囲の笑顔でレジーナもヒューも安心する。
「踊りを楽しむのもパーティーの醍醐味ですよ」
レジーナにも手が伸びる。オーロラ、ソルにも。
「大丈夫ですよ、ボクがしっかり誘導しますから」
ソルに声をかけたのは、黒い燕尾服の青年だった。茶色の髪と目で、先ほどまでは会場内におらず、新しく加わったばかりの姿のようだ。
誘われた側は少し迷うものの、近くでオーロラが手を引かれていくのを見て差し出された手を取る。
直後、その身体は浮遊感に包まれる。
「――え?」
抱え上げられると、驚いている間にさらに引き上げられる感覚。
燕尾服の男は黒衣の美女を抱えたまま、シャンデリアの上まで跳び上がったのだ。細いロープかなにかをもともと垂らしていたのだろうが、離れている者の目には飛んだかのように映るだろう。
会場がざわめく。ヒューとソロモンがシャンデリアの下に駆けつけ、警備員たちも取り囲むように動いた。その中の一人が声を上げる。
「貴様……怪盗キュラートだな?」
怪盗キュラート。それが燕尾服の男を表わすものに間違いはないらしく、呼ばれた青年は不敵に笑う。
「手紙は受け取っていただけたようですね」
「その人は関係ないだろう。放しなさい!」
「美しい女性には宝石以上の価値がある。それがこの審査の発祥ですね。なら、美女には優勝賞品の宝石と同じ価値があるわけです」
怪盗と警備隊員が話している間、ソルは大人しく抱えられたまま青年の顔を見上げていた。すでに逃げ場はないかに見えるが、怪盗は余裕の表情だ。
しかし、その表情も審査員席からの声で崩れる。
「宝石が賞品になるのは優勝者だけだ。発表には少し早いが……今日の優勝者そちらのかたではない」
発せられたことばに怪盗は驚き、会場はざわめく。ざわめきのいくらかは、女性参加者たちの期待の声。
ざわめきはすぐに途切れる。次のことばを待っているのだ。
静けさの中、審査員は続ける。
「今年の優勝者は……登録番号一四番、ララさんです」
そのことばにまだ静けさが続き、
「……幼女好きがいたらしいわね」
「当然の結果ですね」
オーロラとヒューの声を皮切りに再びざわめきが広がる。歓声がほとんどだが、不満の声も混じったものだ。
しかし、幼い少女が会場の真ん中に走り出ると、それも黙る。
「ララが優勝なの? ありがとう、審査の人たち!」
少女はスカートを両手に摘み、優雅に一礼した。そのほほ笑ましい仕草を見ると、誰も異論を口にできなくなってしまう。
驚いていた怪盗も苦笑した。
「これは想定外でした。ボクとしてはこちらのお嬢さんをいただいてもいいのですが、ここは素直に失敗を認め、お嬢さんはお返ししましょう」
言うなり、抱えていた身体を放す。
真下にはソロモンがいたが、ソルは受け止められるまでもなく宙で体勢を立て直し、ひらりと床に着地する。
その間に怪盗はもうひとつのシャンデリアに跳び移ると、煙玉を追いすがる警備員たちに投げつけ、文字通り追っ手を煙に巻いた。
「ソルさま、大丈夫ですか?」
「なんともない」
ヒューは一応尋ねたものの、平然とスカートについた埃を払う黒衣の魔族が無傷なのは一目でわかる。
「あまり悪人という感じじゃなかったが……宝石の方を狙わないなら、そっちは期待できなそうだな」
間もなく、彼らはその予想通りの結果を目にする。
怪盗の出現もあり、賞品の授与式も早めに行われた。優勝賞品は予想より大きな宝石のペンダントだ。ひし形で表面は平たく、鏡のように滑らかになっている。薄紫色の上品な外観といい大きさといい、ララの胸もとには大き過ぎる印象だった。
引き渡す際に使い方を教えられる。石の表面になにかを映しながら左右両方の尖った先を押すと、映したものをそのまま記録して映しておくことができる。
「魔力石じゃないとは思っていたけど、なんだか……微妙な」
ララは喜んでいるが、レジーナは素直に感想を口にする。
誰かを探す、伝言を記録しておくといった用途には使えそうだが、どれも別のなにかで代用できそうな機能に思えた。
「これでも一応、古代文明の遺物のひとつです。大事な思い出を記録しておくこともできますよ」
記録しておけるのはひとつだけで、新しく記録すると上書きされてしまうが、何度でも繰り返し使えるらしい。
「これを作った文明の者たちは、これをなにに使っていたんだろうな」
ソルは少し興味を引かれた様子でペンダントを見下ろす。
「日常的な、ちょっとした記録に使っていたとも、強力な魔封石の試作品だとも言われているようですね。記憶を固定できる魔法石というものもあるそうですし、強力な魔封石は高度な召喚魔法も封じておけるそうです」
宝石の管理を任されていた管理官は、魔封石についてそれなりの情報を与えられているらしい。
「へえ、召喚魔法も……?」
オーロラの目が光る。魔力石でヒューの魔力を強化しなくても、召喚魔法を魔封石に封じることができれば、新たに召喚した者を返すための魔法なり儀式なりが使えるかもしれない。
入手難易度は、強力な魔力石も強力な魔封石も変わりないが。
「あんたはなにもらったの?」
賞品は参加者全員がパーティーのお土産のごとくもらっていた。優勝の他にも準優勝、技術賞、色気賞、雰囲気賞があり、洩れた者も参加賞が与えられる。
ソルは準優勝の賞品を取り出し、ヒラヒラと振って見せた。
「ユーグ国内で有効な装飾品引換券、十万レジー相当だと。わたしはいらないな。レジーナとクラリスで使えばいい」
それは彼にとってはただの紙切れだが、少女たちは驚き目を輝かせる。
パーティーも予定より早めに終わり、帰るときには以前のピリピリした空気はどこへやら、女性たちも和気あいあいとしていた。ヒューは不思議な感覚を抱くが、勝負が終わればそんなものなのかもしれない、と思う。
明日は、優勝者は描かれて絵を飾られることになる。ララはもう一度、同じ姿でここへ来る必要があった。
「結構長居することになったわね。とりあえず今日のところは早く戻りましょ。これの味も気になるし」
参加賞は小さめの瓶入りの地元産葡萄酒か焼き菓子の詰め合わせを選べるが、当然、オーロラは酒を選んだ。
「オーロラさん、パーティーでも散々飲んでいたのでは……」
「あれとこれとは別腹よ。これは仕事の後の一杯ってやつ」
「いいけど、飲むなら静かに飲んでほしいものね」
参加賞を持ち上げソロモンに答える聖霊に、眠たげなララの手を引くレジーナもあくび交じりにそう要望した。
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