第12話 目ざす先はきらびやかに

「ユーグ行きは、今朝発ってしまったねえ」

 馬車の集まる、門の脇にある乗合馬車組合の受付の男はそう短く答えた。

 尋ねた少年は表情を曇らせる。ユーグ行きの馬車に便乗するのと新たに馬車を借りるのとでは、必要な料金に雲泥の差がある。

「片道二日だから、馬車を借りるとなるとほとんど旅費がなくなるかもね」

 レジーナのことばにヒューは徒歩を考えるが、行きを歩くと四日後にはへとへとになっているだろうし、帰りに歩くとハッシュカルへ様子を見に行くのに間に合わない可能性がある。それ以前に、慣れない険しい道を歩くのは危険に違いない。

 どうしようか、と視線を巡らせるヒューの目に、窓の外の風景が入る。

「なんでしょう、あれは」

 クラリスも眼鏡を押さえて目を凝らす。

 建物の外は乗り合い馬車の待合所がある広場になっている。そこに、四頭立ての屋根付大型馬車が三台、並んで入ってきたところだ。小窓からは動物の顔らしいものや、鮮やかな色の布がのぞく。

 ヒューたちも初めて見るが、さまざまな馬車を見てきたであろう受付の男も目を丸くする。

「おお、珍しい。あれは旅のサーカス団ですね」

 サーカス団、と聞いてヒューの脳裏に浮かぶ光景がある。

 サーカス団は四年ほど前、ハッシュカルにも訪れたことがある。家族六人でやっているという小さなサーカスだったが、広場で公演があった日には大変な盛況だった。見物料が用意できないヒューとララは、代わりに祖父の作ったシチューパイとキャラメルナッツのタルトを持って行ったが、非常に喜んで前の方で見させてくれた。

 その楽しい記憶を思い出したか、ララは窓にかじりついた。

「ね、お兄ちゃん、もっと近くで見ようよ」

「そうね。ここにいても仕方ないし」

 大人たちも顔を見合わせ、建物を出て広場に馬車を止めた一団に近づくことにする。

 馬の世話をしたり身体を伸ばして休憩したりと、馬車の外に見える姿は十名。そのうちの何名かは肩に尾の長いリスや鳥を乗せていたり、首に蛇を巻いていたりする。

 ヒューたちが近づくと、相手方もすぐに気がついたようだ。

「おお……そちらの女性は獣人の血を引いているのかい?」

「まあ、そんなものよ」

 言われたオーロラは茶を濁す。さすがに初対面の相手に正体は明かせない。

「それに、そちらは医者と見えるし、そちらは剣士と見える」

 灰色の髪の老人は、少し嬉しそうにソロモンとクラリス、ソルとヒューへの上へと視線を移していく。

 一体、なにが言いたいのか――と、一行が次のことばを待っていると。

「実は、護衛とお手伝いを探しているんだ。この先の谷ではたまに盗賊や獣が出るそうだし、道中も険しいし人手が必要なんだ」

「この先、ってどこへ向かうんですか?」

 谷を通るような行先は限られるだろう。ヒューは期待を込めて問う。

「北西のユーグだよ。とても大きな都市だそうだし、たくさんの人たちに見てもらえるだろうからね」

 期待していた通りの返答。

 老人が彼らを護衛に誘ったとき、断るという選択肢はあるはずがなかった。


 休憩と必要な物の買い出しを終えると、馬車は陽が傾く前にシルベーニュを出発し、惑いの森を迂回するように緩やかな坂を下っていく。ここは道が整備されており、石畳のため移動は円滑だ。

 ヒューたち護衛は先頭の馬車に兄妹とオーロラ、ソル、クラリス、三番目の馬車にレジーナとソロモンが乗り込んでいる。

 馬車は出入口も木製のドア付きで密室だ。檻に入れられた動物もいるが、放されている小動物もいる。

「すみませんね、騒がしくて」

 くすんだ金髪を束ねた女性が檻の中にエサを入れながら謝る。彼女はサーカス団員唯一の同乗者で、名をヘルヴァという。

「いいえ、賑やかなのもいいものです」

 頭の上に乗った小さなサルに髪を引っ張られ、ヒューは苦笑した。

「これだけ動物が多いと世話も大変よね。逃げ出さないように気をつけないと」

 ヘルヴァは動物の種類に合わせて異なるエサを与えている。慣れなければ、エサを覚えるだけでも大変そうだ。

「ここの子たちは臆病ですから……道中なにもないといいのですが」

「それはまあ、一応こうして護衛がいるわけで……主にソルさまに期待ですけど」

 と少年が目を向けると、ソルは背中を向けている。

「ソルさま?」

「うん……?」

 声をかけると、ソルは生返事をする。座り込んだその膝の上で毛玉のようなものがもぞもぞと動く。彼とララは人懐っこい四匹の黒猫の兄弟と戯れていた。

「動物、好きなんですね」

 ヘルヴァに無邪気に言われると、ソルは少しの間考える様子を見せ、

「動物は嫌いじゃないぞ。余計なことは言わないからな」

 と答えることにしたようだった。

 余計なことを言うものって、とオーロラが突っ込もうとしたが、魔族は猫に夢中で相手にしない。

 馬車は山並みにかなり近づくと、夕食休憩をとる。行く手に別の馬車が先行するのが見えたが、サーカス団は身軽ではないので、無理をしない進行だ。

 ヒューは祖父にもらった弁当とフリウにもらった包みを取り出す。サンドイッチと森の木の実のタルト、疲労回復に良いと言われる楕円形の果実が人数分ずつ包まれている。

 クラリスが持参しているハーブティーを入れ、馬車を降りて食事をとる者たち皆に振る舞った。サーカス団の者たちもシルベーニュで買ったパンや串焼きなどで夕食を済ます。ヒューたちもこれ以降の食事はシルベーニュで買った保存食だ。

 サンドイッチを食べ終えたヒューは、いつの間にか自分の果物が手もとなくなっていることに気がつく。

「あっ」

 元凶はすぐに目に入る。

 彼らが馬車を降りたときにこっそりついてきたのだろう。小サルが果物を手に、馬車の御者台の手すりに上って果物を持ち上げていた。

「アリム、返しなさい!」

 ヘルヴァが声をかけるが、小サルはむしろ挑発するように果物を振って見せる。取れるものなら取ってみろ、と言いたげだ。

 さらにヘルヴァが駆け寄って手を伸ばすと、ひょい、と馬車の屋根の上まで登っていく。

「ラチがあかないわね」

 オーロラが立ち上がった。威嚇するように尾が逆立つ。

「コラ! 返さないとオシオキするわよ」

 腰に両手を当てた聖霊が、小サルを指さしながら鋭い視線で睨みつける。

 小サルは動きを止め、御者台まで降りると恐る恐る果物を置き、逃げるように離れたところにいた団員の服の背中に隠れた。

「動物に服従されるようで……」

「百獣の王といったところでしょうか」

「狂暴そうな獣に見えたんだろう」

 口々に言うクラリスとソロモン、ソル。

「あんたたちねえ……」

 さらに目を細めて振り返るものの、団員が連れていた大型犬を撫でる同行者たちを目にすると、つい怒る気もそがれてしまう。

「動物の威力って凄いわね」

 腹もいっぱいになり、皆、淡い夕日の中で食後の茶を飲みながら談笑し、あるいは動物と触れ合っているという気の抜けた時間だ。ソルやレジーナなどは時折、周囲を警戒するように見渡しているが、見晴らしのいい草原の真ん中で迫る危険は限られる。

 カップの茶が空になると、不意に老人が顔を上げた。最初にヒューたちに声をかけたその老人はシンドーンという名で、このサーカス団の団長だ。

「そういえば、どこかで聞いた名だと思っていたけど……思い出した。お医者さんは、ソロモンさんだったね」

「ええ、そうですが」

 なにか予感でも覚えたのか、医師は手を止めてかすかに表情を硬くする。

 それに気がつくことなく、団長は続けた。

「前に訪れたとある町で、『ソロモンという名前の医者を探している』という若い女性がいての。美人さんだったがえらい剣幕で、『許さない、見つけてひどい目見させてやる』とか物騒なことを言っていたが」

「はあ……」

 冷汗をかく医師に、白い目が向けられる。

「あんた、ちゃんと責任取んなさいよ」

「いやいや、待ってください。身に覚えのないことです」

「ソロモンさんにはなくても、優しいことばで本気になった相手を捨ててきたとか、そういう恨み方はされそうかもね」

 レジーナが的確な推理をして、ソロモンのとなりに視線をやる。

「ソロモンさんは覚えてなくても、クラリスはどうかしら?」

 少女が、ソロモンと行動を共にしている黒縁メガネの助手に尋ねる。

 クラリスはカップを片付けながら首を傾げる。

「わたくしが先生と旅をしているのは、まだ三ヶ月くらいですし。その間には覚えがないですねえ」

「そうなんだ? 一緒に旅してもっと長いのかと思ってた。ソロモンさんのこと、よく知ってる感じだったし」

「三ヶ月もあれば……いえ、もっと短い間でも、なんとなくの人となりくらいはわかります」

 クラリスはほほ笑み、眼鏡の端を軽く上げた。

「例えば、レジーナさんは時間を大切にしていますね。毎朝日付を確認していますし。それに髪の結い方ひとつとっても、とても几帳面な方だとわかります」

「あ、それ以上はいいわ! なんか恥ずかしいし」

 レジーナは赤面して早々に馬車へ戻っていく。

 クラリスは次の獲物を探すように見回すが、目を合わせようとする者はいなかった。

 間もなく馬車は出発し、ちらほらと降り出した雨の濡らす石畳の道を進む。太陽は山々の向こうに沈み、周囲は闇に閉ざされ近づく山並みの不気味さを増す。

 ユーグは山に囲まれているが、南からユーグに向かう道は山を越えては行かない。洞窟をくぐり、谷の間を進む道だ。

 雨が強くなったり弱まったりする中、夜が更け切らないうちに最初の洞窟を抜けてしまおうという予定になっていた。

 洞窟の前になると、カンテラに火が入れられ馬車の前後に吊るされる。

「生き物の気配はなさそうだな」

 洞窟に入って間もなく、窓の外を眺めていたソルが言う。

 ヒューはそれを聞いて少し安堵した。ソルの見立てなら信用できる。

 洞窟内のこもった音はどこか異質な音のように響き、聞いていると心地よい音楽のようで眠気を誘う。洞窟を出る前に、ララは猫たちと一緒に眠り始めていた。

 やがて洞窟から谷に出ると、すっかり雨は上がっている。この先も洞窟と谷を何度か抜けることになる。

 途中、ぬかるみに車輪を取られた馬車を押し上げるといった事態はあったものの、概ね順調に谷を抜け、もうひとつ洞窟を出てさらに続く谷の真ん中まで至ったとき、団長が合図を出して馬車を止めた。

「ここで夜営にしよう」

 周囲は他より少しだけ広い空間になっており、視界を遮るものはあまりない。そこで焚火を起こし、倒木や丁度良い岩を転がして来て椅子代わりにする。

 火を囲み、二人一組で交代で見張りに立つことに決まる。人数が多いと眠れる時間が多くて嬉しいと団員たちが笑うのを見て、ヒューは自分も一応役に立っているらしい、と密かに嬉しくなった。

 彼はヘルヴァと同じ組になり、身の上話をしているうちに時間が過ぎていた。ヘルヴァは捨て子で孤児院で五歳まで育ったが、孤児院が閉院になり行先に困っているときにサーカス団に出会い、団長に拾われたという。

 もともと動物が好きなので今の仕事は天職だ、と彼女は笑っていた。

「まったく、大変だったわ。ずっと話を聞かされて」

 一方、団長と一緒の組になったオーロラは、朝には少しうんざりした様子だった。

 夜も朝も、特に異常のないまま過ぎていく。谷の底は昼間でも薄暗く、時折、段になった岩肌にヒカリゴケのようなものが輝くところなど、神秘的な風景が浮かび上がる。生き物は小さな蛇やトカゲがたまに馬車に驚いて姿を見せる程度だ。

 休憩時間になると、ヒューはシルベーニュで買ったクッキーを団員たちにも振る舞う。香ばしい風味と甘過ぎない味は皆に好評だ。

「そういや、ヒューさんたちはユーグにはなんの用事があったの?」

 ヘルヴァがクッキーを味わってから、思い出したようにきく。二日も行動をともにしていると、団員たちもかなり打ち解けてきている。

 ヒューは素直に目的を話す。ユーグでなにかを競う祭りがあり、優勝すれば魔力を秘めた宝石がもらえると。

 すると、団員たちは顔を見合わせる。

「なにかを競う、っていうとあれか?」

「時期的にも〈宝石美人選定祭〉のことだよな」

「宝石美人……?」

 耳慣れないことばにヒューが聞き返すと、団長たちが説明した。

 十年近く前、五人の王子の見合い相手を決めるために、国内外から美しい女性を集めてパーティーを開いたのを最初に、毎年開催されるようになったという。審査員十名が判定し、最も美しいとされた女性には魔力を秘めた宝石が贈られる。

 優勝者以外にも商品の当たる部門賞などがあり、最近は参加希望者が増えているため、当日の朝に予選が行われる。

「参加登録は前日の夕方までだったかな。このまま行けば充分間に合うね」

「優勝できるかはわからないけど、お嬢さんたちならいいとこ行くんじゃないか」

 団員たちは談笑するが、ヒューたちは少し戸惑っていた。なにかを競い合うとは聞いていたが、それが容姿についてだとは思っていなかったのだ。

 それに、目的のためには『いいとこ行く』では不充分だ。目的は魔力を秘めた宝石であり、狙うのは優勝だ。

「まあ、詳しいことはユーグに着いてから考えましょうか」

 そう口にしたソロモンはどこか嬉しそうに眼鏡の奥の目を光らせる。

「ま、わたしは見目麗しい女性たちを見られるだけでも満足ですがね」


 三台の馬車は障害もなく進んでいた。谷の底や洞窟内では時間感覚が鈍くなるが、御者たちはしっかり太陽の位置を見極めて夜営の場所を定めた。

 オーロラの要望で見張りの組が変えられ、オーロラとソルという組み合わせを双方が嫌がるなどのいきさつを経て、ヒューはソルと組むことになっていた。

「ほう。なかなかやるじゃないか」

 焚火を囲むように配置された倒木のひとつに座りながら、上級魔族は評価した。

 彼の視線の先では、短剣代わりの木の枝を手にした少年が落ちてきた木片をすべて弾き返したところだ。その数はせいぜい十数個ではあるが。

 それでも一種の達成感に、少年は小さく喜びを表わす。

「まあ、まだ実戦にはほど遠い訓練だけどな」

「なら、実戦に近い形の練習もしてみたいんですが」

 ソルと模擬戦をしてみたいと、ヒューは前々から思っていた。勝てないことは当然承知の上だが、剣術というものを知り始めるにつれ好奇心が湧いている。

「わたしと戦って訓練になればいいが。これでも魔王軍の剣術指導、戦術・戦略指導もしている。どうやらこの世界じゃ人間の肉体と同じような制約を受けているようで、あまり腕力はないけどな」

 彼の腕力は華奢にも見える外見通りのもののようだった。本来は外見は意味を持たないのが魔族という存在だ。

「しかし、なければないなりの戦いの方はあるが」

「魔法は使わないでくださいよ」

 丁度良い枝を見つけて拾い上げるソルを見て少年は苦笑する。

 ――だが、魔法どころか枝もソルには必要なかったかもしれない。ヒューはどうにか隙を見つけようとするが、そもそも隙があるのかどうかも判断はできない。結局自分からは枝にすら触らせてもらえないまま転がされて終わる。

「参りました。基礎から違い過ぎる」

 動きを目で追うことすらまともにできなかった。

「一回でそれがわかったなら上出来だろう」

 言って、小さく笑うその表情が、すぐに変わる。

 ウオオーン――

 長い咆哮が響いた。谷の静かな空気の中ではそれははっきり聞こえ、馬車の動物たちにも怯えたように鳴き声を洩らすものもいる。

 それほど近くはないが、二人は咆哮のした方を警戒した。

「獣がいるのか。大抵、火を恐れるものだけども」

 ソルは枝に焚火から火を移し、咆哮のした方へと足を向ける。

 風はほとんどないのに、ガサガサと音がした。しかし明かりに照らされた茂みはどこも動いていない。

 暗闇に数も正体もわからない相手が潜んでいる。ヒューは一気に空気が冷えるのを感じた。

 音が鳴る。すぐ近くだ。

 ガサッ、という音に地面を叩く音が続く。

「伏せろ!」

 言われて、ヒューは前のめりに倒れた拍子に軽く顎を打つ。頭上を熱と大きな気配が通過した。

 顎をさすりながら振り返ると、大きな狼に似た獣が腹の部分の灰色の毛を焦がしながら地面を転がり、体勢を立て直したところだった。

 鋭い牙を剥いて睨むその目は焦点が合わず、口からはよだれが垂れている。あきらかに様子がおかしい。

「なにか病気にかかっているらしいな。直接は触れない方がいい」

 それを聞き、ヒューは慌てて後ずさりして距離をとる。

「逃げてくれないなら仕方ないな」

 炎も獣の目には映っていないと見て、ソルは手にしていた枝を焚火に投げ入れた。

 思考力など持っていないらしい獣は自分に近い動くものを獲物と定めた様子だ。獣は黒衣の姿へ突進していく。

 その姿は地面から噴き上げるように現われた紫色の炎の中に飲み込まれ、あっという間に見えなくなる。

「追い払えるならいいが、そうでないなら灰になってもらう。人間に影響する病気じゃなくても、サーカス団の動物たちに病気が伝染しても困るだろうからな」

 窓から様子を見ていた団員たちが馬車を出て駆けつけたときには、獣はもう骨まで灰になっていた。


「また、どこかで」

「帰りが合ったら、一緒に帰りましょうね」

 大都市ユーグの門をくぐった一団は、別れのことばを口にして元の二つの集団に分かれた。サーカス団はこの都市のあちこちで公演を行う予定だと言い、ヒューたちと帰りが合う可能性は非常に低かった。

 ユーグは東西南北の区に分かれており、それぞれの区が街に匹敵する大きさを誇る。その中心の中央区に公共施設や岡の上の王城が建つ。さらに、いくつかの塔が都市のあちこちにそびえていて歴史と壮麗な景色を演出している。

 南区の門から皆と一緒に入ったヒューは、近くの広場を見つけ、そこでこの後のことを相談しようと提案した。

「受付は明日までなんでしょ。じゃあ、今日のうちに準備を終えないとね」

 長椅子や花壇の端に全員が座ったところで、オーロラが皆を見回す。

「いい。勝ち抜くためには全員で参加するわよ」

 全員で。

 ヒューたちがその意味を把握するのには、少し時間がかかった。

「全員……ってことは、僕もですか?」

「そうよ。顔の傷や模様だって、化粧で隠せばいいし」

「確かに人数が多いほど入賞確率は増えるかもしれませんが、少々無理があるような気がしますが……」

 ソロモンは長身で肩幅もそれなりにある。細身とはいえ女のそれとは違い過ぎた。

「わたしはかまわないよ」

 唯一、ソルは気軽な調子で応じる。

「あら、意外にあっさりと受け入れるのね」

「容姿も武器にするのが魔族の流儀だ」

「あんた……自分が美人だってわかってないと言えないことを」

 目を細めて顔を歪める聖霊に、魔族は涼しい顔で、

「わたしも自分の顔は選べなかったが、作られた存在だからな。それに本来、魔族に外見は意味をなさない」

 そう告げることばに、ああそうか、と周囲も納得する。

 どこまで思い通りに外見を設計できるのかは不明だが、少なくともソルを作った者たちは、魔神に相応しい外見を想定していただろう。

「でも、全員分の服や装飾品を買うとなると、かなりお金がかかるんじゃ……」

 ヒューは懐具合を気にした。ユーグには最短でも三泊はすることになるだろう。それだけでもかなりの出費になりそうだ。本気で一泊は郊外で野宿をしようと提案しかけていたところである。

 それなら、とソルが懐に手を入れ取り出すと、二つの石が手のひらにのせられていた。赤と緑の石で、一部は半透明な宝石のように結晶化している。

「バサールにもらった石だ。少しはいい値段で売れないか?」

「宝石の原石のようですね……」

 そう言ってソロモンが振り返ったところには、買取もやっている宝石屋の建物があった。

 ユーグは周辺の山々での宝石の採掘が盛んで宝石に関わる店も多く、鑑定家も目が肥えている。しかし、ソルが大魔術師に渡されていた原石はこの辺りにもない宝石のようだ。

「これは珍しい。妖精の住む森の泉にしか生まれない石に、古代の地層から出土する樹液からできた石だ」

 少し興奮気味に説明を終えた鑑定家は赤い石に四〇万、緑の石に二〇万の値をつけ、その高額に皆は唖然とする。

 結局緑の石を売り、十万レジー金貨が一枚と一万レジー銀貨を十枚手に入れる。

「それはソルさまが持っていてください。その方が安全だし」

「あんた、石とお金、落とすんじゃないわよ?」

 ソルは硬貨の重さにわずかに顔をしかめながら、布に包んで懐に入れる。

「まあ、買い物をすれば少し減るか」

「うらやまし……ああ、そうだ。この辺りに古い貨幣を鑑定する人はいないの?」

 店を出かけて、オーロラは思い出したように振り返る。

「貨幣は専門外だな。この辺りは骨董より宝石や金って感じだし。西のニジェリカの町とかのが扱ってる鑑定家が多いんじゃないか?」

 ニジェリカはユーグに劣らない大都市で、ハッシュカルにも定期的に商隊が訪れていた。しかし、ここからはかなり遠い。

「そうか。ありがとね」

 少し肩を落としながら聖霊は店を出る。

「資金もできたし。じゃ、次は服と装飾品を買いに行くわよ」

「楽しみですね。ここは種類も多そうで」

 街も祭りに浮足立ったようで飾り付けがされ賑わっているが、商店街へ向かう女性陣の足取りも弾む。幼馴染みも実に楽しげで、やっと思う存分お洒落が楽しめるのがそんなに嬉しいんだ、とヒューが思っていると、

「ヒューに似合いそうな服はわたしが選ぶからね」

 レジーナは楽しそうに振り返る。

 もはや、彼女らの興味は自分たちの服よりもいかに男性陣を美しく女性的に仕上げるかの方に盛り上がっていた。


 本来ならもっと安い宿を探したいところだったが、この夜はそこそこの宿に二部屋を取る。服や装飾品と合わせると、すでに一日で十万レジー近い出費だ。宝石を売った代金でまかなえたものの、金銭感覚がおかしくなりそうだ、とヒューは息を吐く。

 しかし、彼もこれ以上歩きたくなかったので、この宿をとったことに後悔はない。衣料品店や装飾品の店を渡り歩き、いくつも試着、荷物持ち――単純に平野の道を歩いて旅する方が、距離は長くてもずっと疲れない気がしている。

 店に入るたび着せ替え人形状態だったソルは、すでにベッドの上で丸くなっていた。

「この宿、温泉がついてるみたいよ。服だけじゃなく身体も綺麗にしないとね」

 ユーグは山の恵みが豊富だ。温泉もそのひとつだった。

「ソルさまは?」

 眠ってはいないが、ソルはベッドの上に寝そべったまま動かない。

「みんなが入り終わって誰もいなくなってから入るよ」

「なに、裸見られたくないの? 恥ずかしがり屋か」

 温泉は男湯と女湯に分かれているが、この世界でも同性同士の裸の付き合いに慣れている者はそれほど多くはない。

「人間はともかく、魔族は性別が二種類ではないですから」

 と、ソロモンが口を挟む。

「はあ……ってそうなの? まあ、じゃ、放っておきましょうか」

 聖霊は少し驚きながらも一応納得はしたのか取り繕うように言い、ドアを閉める。直前までララは不思議そうな顔をしていたが、特に尋ねることもなかった。

 部屋には上級魔族だけが残される。彼はしばらくの間ベッドの上でまどろんでいたが、ようやく気がついたように身を起こす。

「なんでソロモンがそれを知ってるんだ……?」

 その問いかけに答える者は当然なかった。

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