第11話 見送られる者たち

 見たことのない模様の蝶が飛び交い、変わった鳥の鳴き声が森の奥からこだまする。

 歩きながら、ヒューたちは色々なものに目移りした。

 一行のなかにはレジーナの姿もある。パーティーの準備はかなり整ってきたらしい。彼らが遅い昼食をとったのも、どこかからテーブルと椅子が運ばれて来た神殿の地上一階だ。そこが会場となる予定のようだ。

「あ、人がいる!」

 泉が近づいてきたとき、ララが指をさす。

 確かに人間の姿があった。黒目黒髪で、ヒューより少しだけ年上、ソルよりやや年下に見える、まだ若い青年だ。相手もこちらに気がついて驚いたようだ。

 ――どんなに珍しい草花や虫よりも、人間がこの森にいる方が驚くな。

 それが少しおかしい気がしながら、ヒューは声をかけた。

「こんにちは。あの、召喚士のかたですか?」

「ああ。召喚士っていうか、まだ見習いだけどな」

 普通に対話が可能な人間が相手だとわかると、青年も安心したようだ。

「この先にある泉に行ってみたものの、精霊なんて一体も見えなくてさ。オレ、才能ないのかなあ」

 泉には精霊たちが集まり、契約を結びたい召喚士がよく訪れる。精霊が最近、突然消えたという話も出ていない。

「召喚士って簡単になれるもんじゃないんでしょう? まあ、精霊を見ることができないなら還し方もわからないわよね」

 オーロラは少し落胆した様子で肩をすくめる。

「まあ、もともと精霊を還すのとはわけが違うだろうし。ただ、精霊ならソルさまが呼べるんじゃないかしら」

「呼ぶだけなら呼べるだろうな」

 レジーナはエルレンへの丘の途中で見たものを忘れていなかった。

 精霊が見られるなら一緒に行きたい、という召喚士見習いも連れ、一行は泉へ向かう。それはすぐそこだった。草の刈られた道が続いており、地図の通りの場所でもあるため、迷うこともない。

 周囲の木々が開け、澄んだ水をたたえた泉が緑の葉と白い花を浮かべていた。泉は円形に近いが、中央に向かい桟橋のように突き出た部分がある。

「まあ、呼び出して話を聞くくらいはできるか」

 ソルが突き出した岸へ進み出ると、水面に向けたように歌い始める。それは、ヒューたちにとってはどこか遠い異国の言語で書かれた歌詞の歌のようだが、精霊たちには意味は通じるらしい。

「あっちの世界では、ソルは優秀な召喚士らしいわね」

 聖霊が声をひそめて言ったつぶやきには、かすかに感心の色がにじんでいた。

 すぐに風もないのに泉の表面が泡立ち始め、水中をなにかが泳ぎ回るのが見える。

 水中に現れたもののひとつが、水飛沫をあげながら水面上に上半身を突き出した。半透明な身体の人魚の少女だ。

「水の精霊ウンディーネだ」

 召喚士見習いの青年が少し興奮気味につぶやく。

「美しい歌ね。でも、あなたは契約できないみたい。魂がこの世界にないのね」

 精霊の目は、魔族にだけ向いていた。

「契約はしない。話が聞きたいだけだ。異世界の者を元の世界に戻す方法を知らないか?」

「それができたのを見た旅人がここを訪れたことはあるわ、だいぶ前だけど」

 そのことばに、異世界から召喚された者たちは身をのり出す。

「どうやって戻したんだ?」

「術者が亡くなったそうよ」

 これには、見るからに二人とも落胆する。

 術者が亡くなれば帰ることができると聞いて、ヒューは複雑に思う。ハッシュカルでソルは庇わなければ帰れたはず。しかしもちろん、死ぬわけにはいかない。

「ただ、遠くから召喚するのも遠くへ返すのもそれなりの魔力を消費するわ。返す方法は知らないけど、それは確か。魔力が弱いと精霊の声さえ聞こえないわよ」

「じゃあ、オレは……」

 と召喚士見習いの青年が口を開くと、水の精霊は今初めてその存在に気がついた様子で目を向けた。

「全然ダメね」

 容赦のない一言。

 青年はがっくりうなだれる。それは、ヒューにとっては他人事ではない。

「魔力を高める方法ってあるんですか?」

 返すために魔力が必要なら、今のままではどうにもできないかもしれない。召喚できたのだから返せそうなものだが、確実とは言えない。

「道具で魔力を高めることはできるわ」

 魔力を高めてくれる魔晶石や魔晶石を加工した道具、魔力を溜めたり取り出したりできる魔力石、魔法の効果そのものを封じておける魔封石といったものも存在する。

 しかし、どれも貴重で手に入りにくいものだ。

「地道に魔力を高める方が安全で確実でしょうね」

 それは時間がかかり過ぎるのでは――とヒューは思うが、青年の方は納得したようだ。

「そうだな。まずは地道に法術から頑張ってみることにするよ」

 精霊に礼を言って泉を離れると、青年は一行と別れ惑いの森の外へ続く道を辿っていった。最後に手を振るその表情は、吹っ切れたような清々しさも感じさせた。

 見送った頃には陽も傾きかけている。標高の低いところにある町には、もう山並にかかって見えるところもあるだろう。

「夕食までもう少しあるけど、少しくらい手伝いますか」

「そうですね。食前の運動をした方が料理も美味しいかもしれません」

 オーロラのことばにソロモンが同意する。

 一方ヒューは、魔術師バサールの友人がどんな人物なのか気になっていたが、口には出さなかった。実際に目にした方が早い。

 その瞬間はもう間もなくだった。


 すっかり陽は遠くの山々の彼方へ沈み、惑いの森は昼間とはまた違う神秘的な風景を見せていた。湖の上を蛍に似た淡く光る羽虫がふわふわと飛び交い、岩や神殿の柱にこびりついたヒカリゴケの一種もぼんやりと輝く。

 明かりはそれらと星月、そして料理の並ぶテーブルの中央に灯されたロウソクの明かりくらいだが、それで充分だった。

「お兄ちゃん、お菓子がいっぱいだよ!」

 とあるテーブルに載せられた料理を目にするなり、ララは目を輝かせて駆け寄っていった。そのテーブルはデザートが並んでおり、少女はどれから食べようかと目移りしている。

 『好きな物を好きなだけ食べていいよ』――そんなことばを掛けられたのが初めてなのは妹だけでなく、その兄も同じことだ。幼馴染みも同じに違いない。

 その幼馴染みはクラリスとともに、ウィデーレ族の女性フリウの部屋に連れられて行っていた。パーティーに出るからには少しはおめかししないと、と服を借りることになっていた。

 パーティーを楽しむ人々の向こうから見慣れた顔が近づいてくると、思わずヒューは目を丸くする。

 レジーナは左右の髪を編み込み、大きなリボンを頭の後ろにつけている。青いゆったりしたスカートに、上にはフリルのついた白いブラウス。普段とは真逆の雰囲気の、お嬢さま、ということばが似合う服装だ。

 一方のクラリスは髪を団子状にまとめ、緑色のワンピースのスカートをまとっている。普段より大人っぽく見えた。

「あら、二人ともお似合いじゃない」

「普段とは全然雰囲気が違いますね」

 右手に酒入りのカップ、左手に溶けたチーズに漬けて冷ました一口串揚げパンという格好のオーロラと、一応森の主に届けられることになった酒瓶をテーブルに並べているソロモンが感想を口にした。

「二人とも見違えたよ。凄く似合ってる」

 ヒューも素直にそう声をかける。レジーナは恥ずかしそうに頬を染めた。

「こ、これはフリウさんの服の選びがいいから……」

「服、汚さないようにしないとね。ほら、美味しそうなもの、いっぱいあるよ」

 続いたヒューのことばにオーロラはガクッと肩をすくめるが、当のレジーナはというと、嬉しそうに幼馴染みと一緒に料理の並ぶテーブルに向かう。

「色気より食い気の年頃なのかしら……」

 腑に落ちない様子でつぶやくと、聖霊は視線を祭壇の方に移す。

 祭壇の手前には他より新しめなテーブルが置かれ、バサールとその客人、それに異界の話を求められたソルが席についている。

 バサールの友人シルールスの姿は、人間の少ないこの会場でも異様だった。

 一言で表わすと、空飛ぶ巨大ナマズ。

 その黒い巨体が髭をなびかせながら現われ、『やれやれ、尾を食われかけたわ』と自然な声でぼやいたときには、初対面の者たちは目と耳を疑ったものだ。当人は周りの反応など気にしていない様子で、機嫌良く席について長い髭を手のように器用に使い料理を楽しんでいた。

「異世界の話が聞きたいそうだけど、魔界の話ばかりじゃ一般的な異世界の話にはならないだろうし、それが普通の異世界だと誤解してほしくはないわね」

 話が一段落したとみて、聖霊は主賓のもとに歩み寄っていく。

「おお、美しいお嬢さん。こちらとしても色々と話を聞けるのはありがたいよ」

 シルールスは愛想良く聖霊を迎える。外見は最も異質だが、人々の受け入れられやすい性格のようだ。

 そのとなりに呼ばれていたソルは少しぼんやりとした目をしていた。

「代わってくれるならわたしはその方がいい。もう眠くなってきた」

 パーティーでは、森で造られている酒も振る舞われている。果物やある種類の木の樹液から造られた酒など口当たりの柔らかい酒が多く、ソルは一番酔いにくい物を頼んでいたが、それでも彼には強かったらしい。

「なにか食べたら、薬を飲んでお休みしましょうか。宿泊用に個室を用意してくださったようですし」

 いつの間にかソロモンが近寄っていて、立ち上がるソルに手を貸す。席には替わってオーロラが呼ばれた。

「おや、サーラさん?」

 一際大きな声に、周りの注意がそちらに向く。

 声を上げたのはアヴルの男性で、声を掛けられたのはクラリスだ。妖精の血を引く少女は眼鏡の奥の目を丸くする。

「サーラは母の名前ですが……ご存知なんですか?」

「ああ、どおりで若いと思った……昔、何度か会ったことがあるよ。北の森にいたとき、友人のサリックスのところをよく訪ねていた」

 次に彼が出した名前は、どうやらクラリスの父の名のようだ。少女はさらに驚き、相手に詳しい話を求めた。

 話によると、北にある石柱の森で知り合ったアヴルの青年サリックスのところによく訪ねてくる人間の女性がいたという。サリックスは腕のいい職人で、丈夫な植物や木の皮、動物の革や爪などを利用した防具や装身具、家具などを作っていたという。

「あの辺は帝国からそう離れていないし、小競り合いがあるみたいだから今はどうしているかなと、たまに思い出していたんだよ」

「そうだったんですか……」

 クラリスは父の居場所を初めて聞いたようだった。今までは特に気にしているような素振りも見せてはいない。しかし、

「お父さんの無事が気になってきましたか?」

 ソロモンが尋ねると、少女は素直にうなずく。

「ええ、父に一目会ってみたくなりました。なかなか難しそうですが」

「旅を続けていれば、いずれは会えますよ」

 優しく語り掛けるような医師を、となりでソルが見上げる。

「……なんだか、嬉しそうだな」

「いえ、もともとこういう顔ですから」

「ふうん……」

 納得はしていないものの、魔族は追及はしない。

 パーティーは夜更けまで続く。酒が回ると踊りだす者もいて、誰かが楽器を持ち出した。竪琴や小太鼓の音に合わせ、小妖精たちが舞い様々な種族が手を取って踊るのは、それはそれで神秘的な光景だったが、ヒューたちは早めに喧騒を離れる。

 今日一日も、それなりの距離を歩いて体力を使っていた。それに、幼い少女は妖精たちの踊りに喜びながらももう何度も目を擦って眠そうにしている。

「お菓子も余りそうだし、そしたら明日もくれるってさ」

 兄のことばを聞くと一瞬喜ぶものの、ララは手を引かれないと歩くこともできず、その場で眠ってしまいそうにすら見える。

 階段を下りて個室の並ぶ通路に入ると、兄妹と少し遅れてやってきたレジーナとオーロラの目に、先に来ていた魔族と医師の姿が入る。

 ソルは用意されていたらしい、裾の長い白い寝間着に着替えていた。その姿は普段より女性的に見え、その手を取るソロモンの姿も別の意図があるように見えてしまう。

「……なんか、犯罪臭」

 静けさの中では、聖霊のつぶやきもはっきり響く。

 ソロモンは一瞬、ギクリと手を引き戻そうとして堪えた。

「犯罪なんてそんな。わたしは真面目ですよ。今夜ですっかり怪我を治してしまおうと思いまして……ええ、わたしは真面目ですから」

「二回言わなくてもわかったわよ……」

 強調されるとむしろ不審に感じられるが、皆も眠いので追及しない。ソルも軽く首を傾げるだけでほとんど反応しなかった。

「じゃ、おやすみなさい」

「おやすみ」

 口々に挨拶を交わし、それぞれの部屋へ。

 ――なんだか、ララ以外も家族みたい。

 ベッドに入るまでの間、ヒューはそんな不思議な感覚を抱いていた。


 銀色の甲冑で身を固めた男たちが、鍛え抜かれた馬にまたがり手綱を操る。二〇名はいるであろう一団が土埃を巻き上げて近づいていくと、門の前に並んでいた者たちも振り向き、動きを止める。

 町への入場許可を持つ者たちの最後尾に、一台の馬車が止まっていた。商人らしき男が手綱を握り、荷台には食糧が満載されている。甲冑の騎士たちはその馬車を取り囲んだ。

「その食糧は帝国軍が差し押さえる。大人しく引き渡せ」

 騎士たちの中の一人が口を開くと、商人は目を丸くした。

「え……こ、困ります。これは町の中のお店に引き受け先が決まっているんです」

 怯えながらも商人は抗弁するが、大剣が抜かれたのを見ると、転がり落ちるように御者台を離れていく。

「最初からそうすればいいものを」

 門が開かれる。馬車を離れた商人を含む人々は蜘蛛の子を散らしたように一斉に逃げ込んでいく。

 ただ、一組の母子が残された。転んでしまった幼い少年が泣き出してしまい、その母親が守るように抱きしめたまま動けないでいる。

 無情にも、門はすぐに閉じられ始める。母親の顔には絶望の色が浮かぶ。

「どうやら、その母子は我々のものらしいな」

 騎士たちの間から笑い声が洩れる。一人が怯える母子に近づいていき、不意に足を止めた。目の前に止まった大きなその姿に、少年も泣くことすらできず怯えて見上げるのみ。

 そのとき、すでに大人一人が通れる程度まで閉じていた門の扉から、外へと出てくる人影が見えた。

 この状況で町に入るのではなく出てくるなど、一体どのような無謀な人物なのか――帝国兵たちが注視する中に現われたのは、黒尽くめの女。

 夜の神の巫女でも紺色の法衣を着るが、その人物が着る法衣に似た衣は黒一色だ。長い黒髪にその目も黒く、腰に吊るす刀の鞘も黒塗りである。ただひとつ、胸もとに揺れる青い玉石だけが飾り気になっていた。

「ずいぶんと騒がしいと思っていたが……無法者が暴れているのか」

 女剣士が歩み寄る。動けない母子のもとへ。

「無法者? 誰のことだ?」

 馬上から騎士が問う。演技かかった、誘うような口調だ。

「お前たち以外に誰がいるんだ」

 女剣士のことばは騎士の待っていたものそのままだったが、その声はこの場には異質なほど淡々としていた。

「無謀なお嬢さんだ。痛い目を見ないと理解できないらしい」

「殺すなよ。従順な人形にしてやろう」

 近くにいる騎士が大剣を抜く。

 女剣士は目を細めた。

「剣を抜いたからには、斬られる覚悟はできてるんだろうな」

 スラリと刀が抜かれる。その右手に握られた刀は刃までが黒い。

 はあ、と騎士は笑う。

「そんな細い剣、へし折ってやる!」

 大剣が振り下ろされるが、刃がかみ合うことはなかった。

 大剣が弾かれたように勢い良く宙を飛ぶ。手甲に覆われた騎士の右手ごと。

「――っあああ!?」

 一拍置いて、騎士は叫ぶ。血飛沫を上げながら。

「き、貴様!」

 大剣の柄に手をかけ、ほかの騎士たちが駆けつける。

「言っただろう、斬られる覚悟があるのかと。死ぬ覚悟も背負えぬようなら、剣など他人に向けるな」

 女剣士の口調も表情も、姿を見せたときとなにも変わってはいない。

 斬り慣れているのだ――それを察することのできる者が、帝国兵の一団のなかにも存在していたらしい。

「ただ者ではない……ここは退くぞ」

 女剣士の底知れない漆黒の目とたたずまいを前に、誰も異論を口にすることなく、来たときと同様に土埃を舞い上げながら馬を走らせて去っていく。

 剣士は血払いをして刀をおさめ、母子を振り向く。

「町の中にいればしばらくは安全だろう。当面は、だろうが」

 目の前で行われた血の惨劇に母親は表情を引きつらせていたが、声をかけられると少し落ち着いた様子で、ためらいながら口を開く。

「わ、わたしたち……どこまで逃げれば……」

 それは、答えを期待していないただの嘆きだったかもしれない。

 しかし予想外に、女剣士は具体的なことを口にした。

「逃げるのなら東のユーグがいい。行くまでの道は険しいが平和なところだ。間違っても北東のムジカへは行くな。弱い者は食われるだけだ」

 東は極楽、北東は地獄――そんなことばが町の者のなかでも流行りだしていると母子が知るのは、もう間もなくのことである。

 伝えるべきことだけ伝えると、女剣士はそのまま立ち去ろうとする。足が向かうのは北だ。

「あ、あの……ありがとうございます。どうか、お名前を教えてください」

 我に返り、叫ぶように尋ねる女性に、女剣士は振り返りもせず答える。

「漆黒。修羅の向こうへ足を踏み外した者に静寂を与える鬼神の名だ。早く忘れる方が幸せだろう」

 未だ舞い上がる土埃の中にかすみ、黒い姿はまるで幻のように消えていった。


 極力凹凸をなくした短い木の枝を両手にかまえ、少年は耳を澄まして頭上の木々の葉に集中した。今日は日光が雲に遮られており、ここ数日の中では見つけやすい方に違いない。

 やがて、葉の間から木片が落下してくる。ひとつ、ふたつ。

「このっ……!」

 最初の二つは、難なく弾き飛ばせた。

 だが、次々と木片は落とされる。大きさもまばらな木片が、ときには同時にいくつも。

 取りこぼしが増える。木片が頭に当たり「痛っ!」と叫んで跳び退く間にも、木片はバラバラと草の上にそのまま降りそそぐ。

「ちょっ、そんな無理だって!」

「あら、やり過ぎた?」

 雨のような木片に音を上げると、枝葉の間から二体の小妖精フェアリーたちが顔を覗かせる。

 木片の雨が止むと、木の根もとに寄りかかって眺めていた黒い姿が立ち上がり、笑いながら歩み寄る。

「無意味ではないだろうが、今やっていることに数はあまり関係ないからな。すべてに反応できる必要はない」

「そうなの? 沢山当てた方がいいんだと思ってた」

「そりゃあ、すべて弾けるならそれに越したことはないけど」

 近くの木の陰から見ていたララのことばに、魔族は少し声を和らげる。

「今やっているのは、不意討ちへの心がまえだよ。そこまで力量に差がない場合、ほとんどの戦いは最初に不意を突いた一撃を入れられれば勝負がつく。逆に言えば、命が惜しければまず不意を討たれないことだ」

 彼の話は幼い少女には少し難しかった様子だが、その兄や周囲で見学していた者たちには意味は伝わる。それでも、頭にタンコブを作ったヒューは少し不満気だ。

「どうせなら、ソルさまが相手をしてくれれば……」

「わたしの相手をするにはもっと基礎体力も腕力も脚力も必要だな。最低限、湖の周りを百周くらいは……」

「やっぱりそれはそのうちにします」

 遮って即座に言い切るヒューに、ソルは苦笑する。

「ハッシュカルにいた頃に比べれば、ちょっとは鍛えられたと思うんですが……」

 ハッシュカルからの避難民が惑いの森の居住区に受け入れられて一週間。

 その間、ヒューも家を造るのを手伝っていた。多くが大きな葉や干し草を屋根や外壁としたテント型だが、骨組みの運搬や組み立て、外壁用の葉や干し草を縛りつける作業だけでも、かなり筋力を使う。

 もともと居住区にいた人間たちも、妖精たちも避難民を歓迎してくれた。惨劇を経験した者の多くも笑顔を取り戻しつつある。

「ま、数日ほどでできるものじゃない。継続が重要だからな」

「魔族のクセに、ほんと堅実なこと言うわね」

 クラリスが作った木の実のクッキーをつまみながら、光の聖霊はのんびりと周囲を眺めていた。

「わたくしは最近、魔族は勤勉で神に仕えるかたは意外に適当なのではないかと思い始めていますよ」

 ハーブティーをカップにそそぎながら、クラリスが言う。

「……それはつまり、あたしが適当に見えると?」

「さあ、どうでしょう」

 眼鏡の少女は笑顔を崩さないままはぐらかした。ソロモンの助手をやっているだけに、この少女もどこか食えない雰囲気があった。

「ま、聞かなかったことにしましょう」

 オーロラが顔を上げると、運動を終えたヒューとその妹、ソルも歩み寄ってくる。

「せいぜいララちゃんを守れるくらいに強くならないと、そのうちララちゃんの方が強くなったりしてね」

 聖霊に言われてヒューは苦笑する。ララは嬉しそうに枝を振り回した。

 一方、ソルは思い出したように黒衣の懐に手を入れる。

「そうだ、これを渡すんだった。これは、身に着けた者に悪意ある者が触れると、一瞬だが電撃が流れるらしい。気休めだが渡しておこう」

 彼がララに差し出したのは銀色の指輪だ。飾り気のない物だが、少女は喜ぶ。

「指輪だ! ソルさま、ありがとう!」

 彼女には大き過ぎる指輪のため、親指にはめることになる。

「あんた、それどうしたの?」

「話をしに行った帰りに、バサールがなにかをくれるんだ。きれいな石とか、インクのなくならない羽根ペンとか」

 ソルは毎晩、バサールのもとに呼ばれていた。大魔術師の使いの大鷲に乗って行けば、遺跡の通路を通らずに谷の底の塔へ向かえる。

「綺麗な石って、まさか魔力石ってことはないわよね」

「いや、魔力を感じたのはその指輪だけだ。だからそれを調べたんだ。〈警告の指輪〉というらしい」

「なんだ。それをつけてソロモンで実験したとかじゃないんだ」

「ソロモンは別に悪意は持っていないだろう……たぶん」

「そこで弱気にならないでください」

 この場にいなかった医師が、丁度戻ってくるところだった。彼は苦笑しながら、右手に提げたバスケットを持ち上げてみせた。

「お店で昼食をいただきました。レジーナさんもすぐに来るでしょう」

 すでに、この森の中でも兄妹の祖父は店を始めていた。客席は一部に木と木の間に渡したなめし革を張り天井代わりにしているだけで、ほぼ吹きさらしだが。

 森の食材に詳しい者たちにも協力してもらい、元の店にあったメニューも半分近くが再現されている。肉が必要な分は、シルベーニュで購入できた。

 後から来たレジーナは、シチューパイに目を輝かせる。

「生地の食感が少し変わったけど、これはこれで美味しいわね」

 シチューパイに、ハチミツと木の実の餡が入ったまんじゅう、野菜ときのこのスープという献立だ。まんじゅうは小妖精が食材を持ち込み『これで美味しいものを作って!』と頼まれたときに作られたのが最初で、そのままメニューに加わったものだ。

 同じ居住区内の人間も訪れるが、店は料金を取っていない。代わりに、客は食材や花など、なにかを置いていく。それでもこの森での暮らしには金がかからず、祖父は料理を出して食べてもらえれば満足した。

 しかし、ここの平穏な暮らしに満足しているわけではない。ハッシュカルの人々はハッシュカルに、エルレンの人々はエルレンにいつか戻ることを夢見ている。

「もう少し落ち着いたら、大人たちはハッシュカルに様子を見に行きたいと話していらっしゃいました。葬れる者は葬りたいと」

「そのときは、僕も行きます」

「危険ですので、我々も皆で行きましょう。しかし、もう一週間先のことになりそうですね」

 これまでの一週間、それなりに彼らも忙しく過ごしてきた。人々の受け入れ準備や伝令役、家の建設や食事の準備といった、さまざまな手伝いなど。

 しかし、すでに避難民もここでの生活を確立しつつある。

「それまでの間、あたしたちはのんびりしてるの? 魔力石ってのが元の世界に戻るのに必要そうなら、それについて調べてみたいんだけど」

 魔力石については、魔術師バサールにもすでに尋ねていた。バサールも持ってはいるが、ほんの少し魔力を溜めておける程度のものしかないという。強力な魔力を溜めておける、しかも魔力が充填された状態の魔力石となるとかなり価値が高く、大金と引き換えか、危険な山奥の洞窟などに自分で見つけに行くしかない。

「わたしは、もう一週間くらいはのんびりしていてもいいな」

「そんなに魔術師の話し相手が楽しいの?」

「遺跡の研究資料を見せてもらっている。あれもなかなか楽しいものだ。遺跡はなんのために造られたのか、そこに暮らしていた人々の生活はどうだったのか、意見を出し合ったり」

 ソルは楽しげに話す。

 この森にある遺跡は、水に関わる大規模な実験らしきものを行うための施設だったらしい。塔のある谷からはいくつもの居住区も見つかっており、それほどの人数を使うからには大掛かりな目的だったのだろうが、なにが行われていたのかの詳細はまだ判明していないという。

「谷にはまだ埋もれた部分や、発掘はされたが内部は調べられていない部分もあると。遺跡探険も面白そうだろう?」

「遺跡探険!」

 ララが声を上げる。なにしろ、それはこの幼い少女にとっての夢なのだ。

 兄妹の父は遺跡を探険し調査を行うことを仕事にしていた。遺品にはそれにまつわる本も多く、発掘調査の記録をヒューもいくつも読んでいる。

 興味が湧かないはずがない。

「いいですね……でも、お二人をお返しすることを考えると……」

「機械文明の遺跡だと可能性は低いらしいが、一応、魔力石が出土した例もあることにはあるらしいぞ」

「なら、機械文明じゃない遺跡を探した方がいいんじゃないの」

 聖霊のことばに、魔族はピタリと動きを止め、

「そ、それはまあ……」

 と答えて足もとの雑草をいじり始める。論破されていじけたらしい。一方、聖霊は胸を張って勝利の表情。

「まあ、具体的に目ざすところがわからないのは変わりませんけどね」

 助手が入れたハーブティーを苦笑しながらすすり、ソロモンは息を吐く。

 それを眺め、少し迷うように間をおいてレジーナが口を開いた。

「それが、有力な情報がどうかわからないけど……フリウさんが旅の召喚士に聞いた話だと、北西のユーグでなにかを競うお祭りがあって、それに優勝すると魔力を秘めた宝石がもらえるとか……それで、次の開催は四日後だとか」

「え、それって今から行って間に合う?」

 オーロラが身をのり出す。レジーナは少し怯んだように声を弱める。

「いや……間に合うけど、魔力石とは限らないわよ? 詳しいことは不明だし」

「でも、なにも手掛かりがない中では貴重だわ。それに召喚士に聞いたっていうことは、それを狙った召喚士が同じように向かうこともあり得るじゃない」

 それは確かに――と、レジーナは思い直したようだった。

 魔力石を手にしたところで、それで異世界の住人を元の世界に戻せるようになるわけでもないだろう。そう思っていたヒューも興味が湧く。同じ境遇の召喚士がいるかもしれない。

「でも、競技って?」

 それがヒューは気になって仕方がない。

 武術などはソルが、医術はソロモンが、家事や森の知識などはクラリスが、猟に関わることはレジーナが、法術が必要ならオーロラが対応できるだろうが、もし、まったく縁のない分野だったら。無駄足に終わるのでは。

「わからないけど……フリウさんならいいところ行くだろうって言われたとか」

 フリウはウィデーレの女性だ。背が高く顔立ちも整い、服装を選ぶ目も良く、森の食材について詳しく料理も上手い。

「んー……それだと、技術的な話なら、大体、クラリスがいればなんとかなりそうな」

「そうですかね……」

 と、クラリスは少し自信のない表情。

「ま、皆で行けばなんとかなるでしょう」

「それもそうだな」

 気を取り直したソルもソロモンに同意する。

 いつの間にか医師とその助手も常に行動を共にする一員となっているが、すでに誰も違和感すら覚えない。

「じゃ、早速準備しないと」

 ヒューは立ち上がる。

 ユーグは山に囲まれており、馬車でも片道丸二日はかかるところにあるとされている。行くにはそれなりの準備が必要だ。

 ソロモンとクラリスとともに馬車で来た商人夫妻は、ハッシュカルとエルレンの人々が安全な場所に避難したのを見届けると、故郷へ旅立っていった。馬車が必要ならエルレンからのものを借りるか、シルベーニュで代金を払い乗せてもらうか借りるしかない。

 エルレンの方はなにかに使う用事があるかもしれないと、結局、シルベーニュでユーグ行きの馬車を探すことにする。ペルメールで手に入れた資金はほとんど手付かずだ。

「天気が怪しいですが、馬車なら大丈夫でしょう」

 見送りに出たオズマが雲の多い空を見上げて言う。すぐには降り出さないだろうが、少しずつ雲は厚みを増しているようだ。

「道中、気をつけて」

 フリウは果物の入った袋を、兄妹の祖父からは弁当を渡される。それが旅に出る際の恒例になっていて、ヒューは渡された袋の重みに勇気づけられる気がした。

 さらに、見送りには魔術師バサールも姿を見せていた。大きな、空を飛ぶ亀のような生き物の甲羅の上に。

「お主は少々、警戒心が薄いところがあるからな。これでも持って行くといい」

 ソルに差し出されたのは、手のひらに収まる程度の大きさの札だ。模様が描かれており、それは淡く発光しているように見えた。

「警戒心が薄いつもりはないが、もらえなるならありがたく……と言いたいところだけど。まさか、神への祈りでも込められていないだろうな?」

「まさか。そんな護符はこの世にはない」

 受け取るのをためらう魔族に、老魔術師は断言する。

「この世界の神々は……酷いぞ」

 その声をひそめたことばに、皆は目を丸くする。

 意味を測りかねて、ソルも首を傾げる。

「それは、どういう」

「いや、聞かずとも、お主らはそのうちわかるだろう。きゃつらは地獄耳だからの。この森の結界も用をなさないかもしれん。これ以上は口に出さぬがお互いのためだ」

 有無を言わさぬことばに、誰もそれ以上追及できなくなる。神話以上のなにがあるのだろうと、ヒューたちこの世界の者も皆、気にはなったが。

 とりあえず神の力を借りるような物ではないと知り、ソルは護符を懐に仕舞い込む。

「じゃ、お祖父ちゃん、皆さん、行ってきます」

「お土産でも手に入れば持ってくるわね」

 木の枝の門をくぐる一行を、見送りの者たちは口々に「気をつけて」と声をかけ、あるいは手を振って送り出した。

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