第3話 不穏な遭遇

 静かな石畳の道の上を男二人に抱えられ、大きな布で包まれた人間大のものが運ばれていった。

「また救えなかったが……」

 この辺りでは年長だという老人が力なく嘆く。

 何度も繰り返された光景であることは、周囲を見れば一目瞭然だった。教会の周りは木材を組み合わせた簡素な墓が何十と並んでいる。

「五〇名近い患者を受け入れたが……もう半分以上が亡くなった。薬を手に入れるには帝国の侵攻する地域を通らなければいけない。誰も怖がって行きたがらない」

「ほかに治す方法はないのか?」

 新しい墓の前で話を聞いていたソルがそう尋ねる。

「今のところほかの治療方法はない。もっと初期の段階なら手の打ちようもあったかもしれないが……あとは、神に祈るだけだ」

 老人は手を組んで教会の屋根の上を見上げる。そこには翼のある女神の像が壷を掲げた姿で飾られていた。

「神に祈る、か」

 つまらなそうに言って目を逸らす魔族の視界に、丁度教会への門をくぐって入ってきた二人連れの姿が入る。

 一人は、長身の美青年だった。長い黒髪に金縁眼鏡の優しいまなざしの男で、ゆったりした白いコートをまとい、大きな鞄を脇に抱えている。

 もう一人は栗色の髪の少女だ。こちらは黒縁の眼鏡をかけ、やはり大きな鞄を抱えている。

 最初に目に入ったためか、青年が教会に似つかわしくない黒尽くめの姿に声をかけた。

「すみません、疫病患者が運び込まれている教会というのはここでしょうか。中に入りたいのですが」

「疫病患者のいる教会は確かにここだが、わたしはこの教会の者ではない。この老人に話をするといい」

「おお、そうでしたか」

 青年は少し大げさなくらいに驚く。

「では、あなたも教会で手伝いをしようとやって来たのですね。お優しい」

「なっ」

 ソルは心外そうな顔で目を見開いた。

「違う、わたしは話を聞きに来ただけだ。誰がそんなことを……」

 苛立った様子で否定する彼の肩に、青年は手を置いてほほ笑む。

「大丈夫ですよ、照れなくても。わたしたちは医者です。心配しなくても、きっと治して見せましょう」

「誰が照れるかっ」

 ソルは手を振り払うが、となりで聞いていた老人は弾かれたように顔を上げ目を輝かせる。

「医者ですと……! これはありがたい。すぐに中へ案内しましょう」

 早口で言い、弱った脚で慌てたように走り出す。一刻も早く病人のもとに辿り着きたいのだろう。

「では、参りましょうか」

 声をかけられ、ソルは首を傾げる。

「なんでわたしが……?」

 文句を言いながらも、あきらめたように肩をすくめて歩き出す。

 教会内はもともとあったらしい長椅子や机が退けられ、何十名もの病人が床に敷いた布の上に横たえられていた。並ぶ姿は老若男女さまざまで、ボロボロのぬいぐるみを抱えた幼い少女の姿もある。

 皆、静かに暗い目をしていた。すでにすべてをあきらめたように。

 しかし――

「皆さん、お医者さまが来てくださいましたよ!」

 老人がそう告げると、にわかに顔を上げる者も見える。

 だが重症らしい者は、反応もなく眠っていた。その腕も顔も包帯が巻かれている。

「治せるのか?」

 患者の脇に屈み込んだ医師に、ソルが尋ねる。

「全力を尽くします」

 言い切った眼鏡の奥の目は先ほどまでとは違い、鋭く細められていた。

 この疫病は、腕や足、首などに発疹ができ、それがひび割れ出血を伴うものだった。血が冒され、やがて内臓を悪くして死に至るという。

 医師は鞄から干した薬草を砕いて瓶詰にした物を取り出す。

「それは……一体どうやって?」

 老人が目を見開く。手に入れるには、危険な地域を渡らなければならないはずのものだ。

「わたくしたち、あちらの方から来ましたので」

 助手らしき少女がにこやかに説明した。一見、死地を切り抜けるのには不向きそうな優男と少女だが、それなりのしたたかさは秘めているらしい。

 薬草を水筒の水に溶かし、手分けして患者全員に飲ませるように医師が指示する。ソルも文句を言いながら手伝っていた。

「まだ終わりではありません。患部に溜まった悪い血を抜く必要があります。でないとせっかくの薬の効能も無駄になってしまうかもしれない」

 ではどうするのか。医師はナイフを取り出してロウソクの火で消毒すると、青紫の発疹が出ている患部を切る。黒ずんだ血が流れ出すが、患者は痛くはないらしい。

 溜まっていた血が流れ出ると、細く鮮血が流れるだけに変わる。

「傷を塞ぐなら、手伝ってやっても……」

 仕方なさそうにソルが申し出るが、医師はにこやかに首を振る。

「大丈夫。あなたよりも上手ですよ」

「なにを……」

 少しムッとした顔をするソルだが、医師が手をかざして手のひらから光を放つと、少し目を見開く。

「術が使えるのか」

 光が薄れたときには患者の傷跡はきれいに消え、発疹もなくなってる。

 確かに治癒の術を使い慣れているらしく、彼は次々と手際よく切っては直していく。発疹が消えて包帯が取られると、生気のなかった病人たちの表情も明るくなる。

「あとはこの薬を毎日朝夕の食事の後に飲ませて、すっかり発疹が無くなっても数日は様子を見てください。それと、栄養のある食事をとって清潔に過ごすように注意してください」

 医師のことばに教会の者たちは何度もうなずき、何度も礼を言っていた。中には嬉し泣きの涙を流す者、声を抑えきれずすすり泣く者もいる。

 明日をも知れない身、家族や友人とも二度と会うこともできないかもしれないと思われていたところに、突然降って湧いた希望だ。教会は感動と感激に包まれている。

 それを一瞥して、ソルは静かに教会を出た。

 少しずつ日が傾いてきている。建物の周囲に並ぶ墓がいびつな十字の影を長くしていた。

 人通りの少ない道を、影が近づいてくる。それを見送ろうとソルが待っていると、見覚えのある姿が彼の視界に入る。

「あ、ソルさま」

 兄妹と光の聖霊が周囲の墓に少し驚きながら、教会の門をくぐる。

「魔族が教会にいるとはね。ま、この光景は魔界感はあるけど」

「話を聞いていただけだ。めぼしい情報はなかったが」

 かつてこの町にも召喚士が訪れたことはあったが、五〇年以上も昔の話な上、当時の時点でかなり高齢だったという。

「召喚士の話ですが。聞いたことがありますね」

 背後からの声にソルが素早く向き直る。教会の大きな両開きの扉が開き、医師とその助手が出てきたところだった。

 ヒューの耳に、秘かにオーロラの「あ、美男子」というつぶやきが届く。

「なにを知っている? 教えてくれ」

 ソルが尋ねると、相手は眼鏡の奥の目を光らせて笑みを浮かべる。

「教えてもいいですが、一つ条件があります」

「じゃあ断る」

「ちょっと!」

 即答した上級魔族に、オーロラが慌てて口を挟む。

「内容も聞いていないのに判断が早過ぎるわよ」

「いや、絶対にろくでもない条件だろう」

 決めつけるソルのことばに、医師は苦笑した。

「ちょっと手間はかかりますが、ろくでもなくはないと思いますよ、たぶん」

 医師とその助手は疫病の薬草を入手して戦地を抜けてきたが、それは彼ら二人だけでの話ではなかったという。二人は商人の馬車と一緒にこの町まで来ていた。

 そうまでしてなぜ商人がやって来たのかというと、親戚のいる南東の町エルレンに食糧を届けるためだ。ここからもハッシュカルからも遠くない町だが、畑で野菜の不作が続き、困窮しつつある。

 ここから短い旅だが、大荷物を積んだ馬車である上、途中に抜ける林の中の道ではたまに野盗が出るらしい。

「短い道のりではありますが、はるばるここまでやってきたのに野盗に積み荷を奪われるような事態は避けたいですし」

 護衛を頼みたい――というのが彼の条件だった。

「そういうことならわたしはいいが、帰りが遅くならないか?」

 問われ、ヒューは少し考えこむ。自分一人ならともかく、妹も一緒では危険ではないだろうか、と。

 しかし、やはりソルとオーロラがいれば大丈夫だろうとも思う。それに、自分も妹一人守れないようでは自警団が務まるとは言えない。

「エルレンなら近いし、一泊くらいなら……レジーナも賛成してくれると思う」

 ヒューの決断を、医師は笑顔で受け入れた。

「では、よろしくお願いします。わたしはソロモン。こちらは助手のクラリスです」

 医師が紹介すると、少女も笑顔で頭を下げる。

「よろしくお願いします」

 人数が増えたところで、まずはレジーナのもとへ向かう。すでにイノシシの解体にも充分な時間が過ぎていた。

 レジーナと合流すると、一万レジー銀貨五枚と、一抱えほどの防腐効果のある大きな葉に包まれた肉の塊がヒューの手もとに来る。

「お祖父さんのところで料理してもらおうと思っていたのだけど、間に合うかしら?」

 レジーナは肉が腐らないかが心配らしかった。

「日陰に置いておけば、この葉の中なら二、三日はもちますよ。心配なら、切って焼くところまでやって行きますか?」

 飲食店に頼めば簡単なことだった。今なら礼金も払えるだろう。

 しかし、ヒューは二、三日もつというソロモンのことばを信じることにした。簡単に散財していては祖父に怒られてしまう。

 しかし、滅多にない機会だ。通りにはさまざまな店が並んでおり、手もとの小銭だけでも小物や少しのお菓子くらいなら充分に買える。

「ララ、百レジーくらいなら買い物しても大丈夫だよ。好きな物を選んでおいで」

 妹に声をかけると少女は目を輝かせ、

「あ、あたしもあたしも!」

 ついでに狐目の美女も手を上げる。

「おい……」

「あたしたち、この世界のお金なんてないししょうがないでしょ。それもこれも、召喚士の責任なんだし、これくらいいいじゃない」

 あきれた様子のソルと口を尖らせるオーロラをよそに、レジーナが医師たちに二人の出自を説明している。

「小銭も結構あるから……みんなで百レジーずつ持っても平気ですよ」

 妹とオーロラだけに渡すというわけにもいかない。ヒューが全員に同じ額を渡す。百レジーと言えばそれなりのお菓子がひとつ買えるかどうかという程度の金額だが、それでも一部は楽し気に店の並びを物色し始める。

 その中で、美形医師は若い女性店主のいる駄菓子屋に目をつけたようだった。

「美しいお嬢さん、ちょっとよろしいでしょうか」

 彼が優しく声をかけると、店主はかすかに頬を赤く染めた。

「は、はい」

「同行者の幼い子どもたちに、美味しいお菓子を買ってあげようと思いまして。しかし、手持ちが少ないのです。なにか安くて良いお菓子はないでしょうか」

 美男子に間近でささやくように言われ、店主は少し口ごもった後、

「安いお菓子でいいなら、わたしから差し上げます。形の悪い物とか、割れてしまった物とかありますから……」

「本当ですか。心優しいかた、ありがとうございます」

 手を握られて覗き込まれ、店主は真っ赤になる。

 その少し後には、ソロモンはクッキーの入った袋とハチミツを固めた物やナッツの入った袋を両手に抱えて店を出た。

「さすが有能……」

「……」

 感心している美女と、あきれの目で医師を見る魔族。

 その間にも、ララは楽しそうに店の商品を見て回っている。その様子が見られただけでも来て良かった――と、その兄は思う。

 レジーナは早々に買い物を済ませた。彼女が選んだのは薄手の小さな袋だ。あまり丈夫ではなさそうだが、ちょっとした物を持ち運ぶのに使えそうだ。

 買い物しないヒューやソル、クラリスは通りの端にあった木の椅子に座っている。レジーナとソロモンもそこに戻ってくるところだ。

「ソルさまはなにも買わないので?」

「そっちも買ってはいないだろう……非常食が必要な状況でもないし、荷物を増やすといざというときにも差し支える」

 医師のことばに、魔族は腰に吊るした刀の柄を軽く叩く。

 馬車の護衛の主戦力も彼であり、確かにその動きの障害になりかねない荷物は持てないだろう。

 オーロラは刺繍入りの布を購入した。少し大きめのハンカチのようだ。

「こういう物って土産にもなってお手軽よね」

 と、まるで観光気分である。

 最後まで悩んでいたララは結局、小袋に色とりどりの飴が入った物を買った。味に種類はないが、見た目には可愛らしいお菓子だ。

「おやつの時間に食べるんだ」

 大事そうに飴入りの袋をポケットにしまう幼い少女の笑顔に、道行く人々も顔をほころばせていた。

 買い物が終わると、ソロモンが同行する馬車へと案内する。着いた先は門の近くにある、裏に馬小屋のある食堂だ。そこで一休みしていた熟年と見える男女が馬車の主人の商人夫妻らしい。

 夫妻は護衛を歓迎し、ソロモンに礼を言った。

「ここで一泊してから出発することも考えましたが、エルレンの備蓄がどの程度残っているかもわかりません。できるだけ早く出発しようと決めたところです」

 黒い口髭を生やした商人が早速、店で預かってもらっていた馬車を取りに出る。

 馬車は二頭立てで、荷台は丈夫そうな幌に覆われた立派なものだった。荷台にはところ狭しと荷物が並び、座れる場所は限られている。

 レジーナ、クラリス、ララが荷台に乗り、ほか四名は馬車の周りを警戒しながら歩く隊列となる。

「場合によっては野宿かもな」

 一行がペルメールの門を出たときには、すでに陽はかなり傾いていた。間もなく完全に山並みに落ちるだろう。

「まあ、わたしとしてはそちらの方がやりやすくはあるけどな」

 薄暗くなりつつある空を見上げ、ソルはニヤリと笑う。

 夜が深くなると人の気配のない場所には妖魔がさまよう。夜道の一人歩きは闇の世界の住人のいいカモだ、などと、この世界の子どもたちは大人たちによく忠告されたものだ。

「この魔族と野宿は勘弁してほしいわね。野宿ってだけで嫌なのに」

「獣にはおあつらえ向きだろう」

「獣じゃないっての!」

「まあまあ、怒った顔をしては美人が台無しですよ」

 ソルにつかみかからんばかりの聖霊を、ソロモンが抑える。オーロラはハッとしたように表情を変え、少しぎこちないながらもほほ笑みを浮かべた。

「もう少し落ち着いたらと思っていましたが……道中ヒマですし、今のうちに話してしまいましょう」

 話を聞いている間は喧嘩も起こらないはず、という配慮もあったのだろう。ソロモンは召喚士について話し始める。

 この世界の召喚士はかつて、神に選ばれし者だけがなれる神官や巫女に近い存在だった。しかし、あるとき一人の召喚士が無断でその術の秘儀について書き記して広めたと伝えられている。

 それから召喚士は魔力と努力が届けば誰でもなれる存在になった。しかし召喚魔法に必要な魔力は膨大で、今でも珍しいには違いない。その珍しい存在の一人が、ソロモンの行く先々でも痕跡を見せる。

 ソロモンとクラリスがよく話を耳にした召喚士は、人助けをしながら〈北の果て〉を目ざしているらしかった。

「北の果てっていうと、〈嘆きの柱〉があるっていう……」

 ヒューが口を挟むと、ソロモンも肯定する。

 北の果てには、召喚士が神の使いだった時代に大きな神殿があったという。神殿は神の怒りで破壊され、今は大きな柱しか残されていないが、そこには古の秘術が隠されているとされた古文書もある。

 歩きながら話を聞き、オーロラは何度もうなずいていた。

「召喚魔法なんて強力なんだから、神の管理下でってのは納得のいく話ね。そして秘術を求める召喚士がいるなら、北の果てへ行ってみれば、そこで召喚士に会える可能性も高いと」

「それはそうですが、凄く遠いんですよ」

 召喚士としての責任を果たすのなら、長旅をしてでも北の果てへ向かった方が誠実かもしれない。しかしヒューは妹と祖父のもとを離れるわけにはいかない。

「なんなら、あたしたちで行こうか? 召喚士からどれだけ離れることができるかわからないけど」

「わたしは近場で探して待つだけでもいいけどな」

 そうことばを挟んだソルに、オーロラは目を細める。

「あんた……魔族のくせにやたらのん気なこと言うわね」

「少なくともしばらくは退屈しなそうだし、なにか後のためになる知識や技術、道具を得られるかもしれないだろう」

 召喚されたその日の夜も、彼は熱心に店の二階の書斎にある本を読んでいた。

「せっかく来た異世界なんだから、もう少し楽しんでから帰ろうみたいな? まあ、それはわからないでもないけど……」

 という彼女の懐にも、この世界を楽しんだ象徴のひとつである、土産にと買った布が入っている。

「まあな。光の勢力を駆逐する方法が見つかる可能性もあるし」

 笑みを浮かべる魔族のことばに、聖霊は目を見開く。

「そんなことさせるもんですか。先に闇の勢力を滅ぼす方法を見つけてやるわ」

 そう対抗するが、オーロラとソルはそれぞれ別の世界から召喚されている。対立勢力と争っても直接相対するわけではない。

 歩きながら話している間にも陽は沈み、周囲は暗くなっていく。オーロラが術で光球を飛ばし、御者台で商人の夫人がカンテラに火を入れた。ヒューは何度か荷台の様子を見たが、ララは陽が沈むと間もなくクラリスの膝を枕に眠っていた。

 レジーナはしっかり整備したボウガンをいつでも手にできる木箱の上に置き、油断なく馬車の後方を眺めていた。後方は任せてよさそうだ。

 そのうちなんとなく、馬車の一方にヒューとソル、反対側にオーロラとソロモン、という風に分かれる。

「そろそろ林です。気をつけていきましょう」

 商人が言ったときには、黒くこんもりとした影が前方に近づいている。どこからか獣の遠吠えが聞こえてきて不気味さを増していた。

 夜に野盗のいる場所を通るというのは、襲ってくれと言っているようなものだ。そのためこの状況では明かりを消して移動する者もいるが、それは身軽な旅人の話で、慎重に操る必要のある馬車が一緒では難しい。

 道が林の中に入ると、月の光も遮られず上も一気に暗くなったように感じられる。木々の間には見えなくても生き物の気配が感じられ、時折、不気味な唸りや息遣いも聞こえた。

 野盗だけではない。食べ物の匂いにつられた獣がやってくるかもしれない。ヒューは短剣の柄に手をかけたまま、周囲を見回して警戒していた。

 林の半ば辺りまで来たとき。

 ヒュッ!

 どこからか風を切るような音が夜の空気を震わせたかと思うと、ソルが刀を抜きざまに宙を斬る。

 真っ二つになって地面に落ちたのは矢だった。

「来たか」

 立て続けに物音が鳴る。草や茂みを踏み倒して近づく複数の足音に、やがて飛び交う声。

「なんだ、女子どもばかりじゃねえか」

「できるだけ殺すなよ、その男たちも高く売れそうだ」

「よし、やっちまえ!」

 号令を合図に、ヒューの目に映る迫りくる姿は五人。物音からして、反対側にも同じくらいの数はいそうだ。

 盗賊たちは皆、手に武器を持っている。剣、ナイフ、棍棒、ナタなどさまざまだ。そのどれにも勝てるとは思えないが、少年は短剣を抜いてかまえる。

 ――ララを守らなければ。

 つばを飲み込むが、足がなかなか動かない。

 一方で、ソルは迎え撃たずに自分から突っ込んで一人を蹴り飛ばすと、刀を振ってナイフを弾き飛ばした。背後から剣を手にした野盗が跳びかかるが、突如足もとから飛び出した氷の塊に跳ね上げられる。

 その中で、棍棒を手にした男がヒューめがけて突進していた。

 圧倒的に相手の方が武器の間合いが広く、腕力も上だろう。少し怯んだヒューは逃げようか迷うが、そのうちになにかが風を切る。

「ぎゃっ!?」

 男の腕に、短い矢が突き立った。レジーナだ。

 その隙に、ヒューは思い切って相手に向け足払いをかける。無防備だった相手は簡単に転倒した。ヒューが棍棒を奪ったころには、最後の一人もソルに転がされていた。

 ――できた!

 内心の歓喜を隠しながらオーロラたちの方はどうかと駆けつけると、野盗たちは全員近くの木から伸びた太い蔦に巻き付かれていた。

「終わったけど……この人たちどうするの?」

「ペルメールの警備隊に届ける時間もありませんし、連れてもいけませんので……」

 ペルメールはともかく、エルレンに野盗たちを受け入れる余裕などない。

「じゃ、しばらくこのままで、後でペルメールに使いをやって警備隊に来てもらおう。一日放置くらいなら平気でしょ」

 レジーナのことばに野盗たちは不満げな顔をするが、それを配慮する理由もない。

 馬車は再び動き出す。もう大した脅威もなく、ヒューも気を楽にして歩くことができた。

 やがて林を抜けると前方には、夜闇の中にぽつりぽつりと窓の灯らしきものが並んで浮かび上がっている。

「エルレンです。もう少しです」

「できれば着いたらすぐご飯食べてお風呂入って寝たいとこだけど、そうもいかないんでしょうね」

 腕を伸ばしながらオーロラはあきらめたように言う。

 風呂は都会でなければ滅多に街中の家にはない。昼間に見つけたような温泉は貴重だった。

「荷物を降ろしたら、すぐに夕食にしますので……親戚のエーノンも家内も料理がうまいんです。ご馳走しますよ」

「それは良かった。ちょっと気が引けますけど」

 ソロモンが遠慮がちに言う。エルレンの人々が飢えている中では、あまり食事をしている姿もさらせない。

 やがて、ほとんど村に近いような小さな町に入る。目的地は門に近い牧場らしき建物だ。

 商人が訪ねると彼の親戚の男エーノンは驚き、皆を迎え入れて話を聞く。

 この村は一時期は畑の農作物が壊滅状態だった。最近植えた物は今のところ順調に育ってはいるが、非常時のための備蓄はすぐに尽き、人々は食用可能な野草を採ったり、少し離れたところにある川から川魚を釣ったり、獣を狩ってどうにか食いつないでいるという。

 しかし、採れる量にも限りがある。となりのハッシュカルから援助ももらっているもののとても全体には行き渡らず、多くの人々が痩せ細っている。

「今回運んだ分でも全体には行き渡らないでしょうが、弱っている人くらいにはある程度行き渡るといいね」

 商人に親戚の男も同意し、早速、馬車の荷物を運び出し始める。ヒューたちもそれに駆り出された。

 ある程度食料が運び込まれると、木箱や袋の蓋が開けられ、エーノン夫妻や商人夫人が嬉々として料理を作り始め、レジーナやララも、クラリスも手伝った。

 もう荷物を置くところもないから続きは明日に、と言われて力仕事をしていたヒューたちが戻ったころには、野菜とハムを挟んだパンや薄く切ったチーズにナッツや果物を載せたものなどが大量に並んでいる。

 料理はとりあえず、子どもや老人、身体の弱い者のいる家庭を優先して配るという。

「あとはわたしたちがやりますので、どうぞお食事をなさってください」

 配られるものと同じ料理がヒューたちにも渡る。野菜とハムを挟んだパン、ナッツと果物を載せたチーズ、オレンジに似た果物の四分の一に、温かいハーブティーがつく。

「すみません、護衛していただいたのにこれくらいしか出せなくて」

 護衛は命がけの仕事だ。それを考えれば、確かに実入りは少ない。

「いいんです、もののついでだし」

「一応、欲しい情報は手に入れたしな」

 ヒューとソルが言うと、商人は礼を言い、忙しく食事を配りに家を出ていく。

 食事を終えると、ララはすぐにまた眠ってしまう。エーノンは毛布やベッドを貸してくれるが、とても人数分はない。ベッドはララに、長椅子はクラリスに譲り、レジーナとオーロラは毛布に包まって暖炉の前に転がる。

 ヒューとソル、ソロモンは家を出た。馬小屋もそれなりに広いとエーノンから伝えられている。

「まだ寝るには早そうだが。少し訓練でもするか?」

 と、ソルは外に出たところで刀の柄を叩く。

「それはありがたいところですが……」

 ヒューは少し怯んだ。自分の剣の扱いは半人前にもほど遠く、これほどありがたい話はないが、正直、朝から歩き詰めで足も少し痛み眠くて仕方のない状態だった。

「子どもの体力、人間の体力ではもうお疲れでしょう」

 ソロモンが助け舟を出す。

 すると、あっさりソルは引き下がった。

「それもそうか。じゃあ、わたしは少し散策しているから、先に休んでいるといい」

「ええ、気をつけて」

 魔族を一人自由にしていいのか迷うが、ヒューは気にしないことにした。まさか、召喚士に無断で悪さをしないだろうという希望的観測のもとに。

 それに、彼はそういう種の性格ではないとも少年は感じている。ただ、好奇心旺盛なのかもしれないと。

 残るヒューとソロモンが馬小屋に入ると、飼い葉の山に布が被せられていた。馬の入っている個室からは遠く、匂いもそれほどなさそうだ。

「なかなか悪くない感触のようで」

 感触を確かめ、ソロモンは大きなソファーのような藁の山を背中にする。ヒューも少し離れて座った。

 ベッドとは当然比較にならないが、舌も背中も藁のおかげで柔らかく、温かく、寝るのに支障はなさそうだ。

 なにより疲労が強力な睡眠薬になり、ヒューはすぐに眠りに落ちた。

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