「お客様、随分と変わったご趣味をお持ちのようですね」


 リーゼは男と離れたまま近寄って来ない。暗くてはっきり分からないが見たところ一人しかいないし、片手に灯りを持ってはいるが武器は無く丸腰だ。

首から手が離れてようやく呼吸が出来るようになったハルは、激しく噎せながら横目でリーゼの姿を見ていた。


「あまり褒められた趣味では無いわね」

「そんな感じで娼婦の命を奪ったのかしら」


その言葉で男は急に険しい表情になり、ハルから離れリーゼの方に向かってゆっくりと歩き始める。


「上流階級のワシが娼婦の命など知った事か」

「上流階級と言う割にはお世辞にも上品な方とは言えないわね」


リーゼが男の怒りを焚きつけるような言葉を言うと、男はまた謎の文言を言いながら歩み寄って行く。魔術の詠唱だ。ハルは何とかリーゼに注意喚起をしようとするが声が出ない。


「貴方のやりたい放題にさせるわけにはいかないのよ」


 灯りを持ったまま全く動かないリーゼの横から、何の前触れも無く何かが凄い勢いで飛び出してきた。それは真直ぐに男に向かい、左足の太ももに深く突き刺さった。

ハルはその様子を見て何が起きているか理解した。飛んできた物は氷の刃で、暗くて分かり辛いがリーゼのすぐ背後に重なるようにミアがいるのだ。リーゼは何も動かず、無詠唱のミアの魔術が死角からやってくるので男は身構える事も出来ない。

 呻き声と怒りの言葉を発しながら男は腰をかがめる。すると、ハルに対する集中力が切れて蔓が消滅し、ハルは自由になった。

すぐさまスカートを捲り上げ隠していたナイフを取り出す。そのまま男の背後に飛び掛かり、男の首を羽交い締めにして眼前にナイフを突きつけた。

 ハルの背後からは、リーゼと男がやり取りしている間に、暗闇の路地を忍び寄った売春街の代表が音も無く現れて、男の胸に下げられていた大きなペンダントを手で引きちぎった。

そしてペンダントをリーゼに向かい放り投げると、用意してあった枷で男を拘束する。ようやく動き出したリーゼは目の前に落ちたペンダントを、足で思い切り踏みつけて破壊した。ペンダントが魔術の触媒で、これで男は無力化した。


「こんな事をして許されると思うなよ。ワシを誰だと思っているんだ。お前たち後悔するぞ」


 いかにもやられ役のセリフだな、と思いつつハルは男から手を離し、舐められた顔を力いっぱいゴシゴシと服の袖で拭いていた。思い出しただけで身の毛がよだつ。何でも良いから早く顔を洗いたかった。

男の素性は分からないが、身なりからして相当な権力者のように見える。ハルは男の言う通り売春街そのものが逆襲されないか少し心配だった。

 男はやがてぞろぞろと現れた娼婦たちによって連行されていった。娼婦ではなく外部の傭兵であるハルたちはこれ以上介入出来ないしするつもりも無い。

 リーゼは男の素性を大方予想していたようで、ハルを囮にしたのも魔術が使える事も承知の上だったようだ。魔術は周囲の一定の範囲でしか発動しない事も知っていて、男をハルから離れさせるためにリーゼの方からは近寄らずに、男から近づいて来るように誘導した。

 そんな話を帰宅途中で聞かされ、ハルは半泣きになりながら怒った。心底恐怖だったし気持ち悪かったし最悪だった。リーゼは何度も謝りながらも、敵を欺くにはまず味方からというような事を言ってハルを更に泣かせてしまった。

そんなハルの頭をミアが撫でて慰めながら三人は帰途についた。

 夜が明けると町中に娼婦総出で大量のビラが撒かれていて、王都は大変な騒ぎになっていた。

ビラには特権階級というべき最高議会議員のこの男の起こした殺人と性癖についてが赤裸々に書かれていて、王都中の人間、特に中流下流階級の人たちがビラの内容に憤慨し、売春街の人間とその支援者の扇動もあって王宮前庭に押し寄せたのだ。

王宮も最高議会もこの事態に困惑し、暴動に発展する事を恐れて、その前に騒動を収めようと男の解職を決めた。

 家の前にも大量に撒かれていたそのビラの一枚を手に取り、目を通すとミアの表情はみるみる強張っていった。


「ヴィレンベルグ……アウレリア・ヴィレンベルグ。アウレリアのお父さんだ」

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