第70話 戦いの終わり

黒雷の龍を打ち破った紅蓮の刃は何物にも遮られることなく、まっすぐレーゲンスを貫いた。

神威の刃が瘴気を切り裂き、神の業火がその漆黒の身体を焼き尽くす。


「見…事……ッ!!」


レーゲンスは毅然とした表情のまま、ただ一言だけを呟いて、力尽きるように仰向けに倒れた。

それが“神の敵”として生きた者の最後の言葉だった。

そして、一瞬だけ遅れるようにして、極大な力のぶつかり合いによって生み出された凄まじい爆発が、その渦中にいた虚霊の王とホムラの神を飲み込んだ。


ホムラ全体を揺るがす地響きが起こり、広間の天井が雪崩のように崩れ落ちてくる。

度重なる戦闘の衝撃によって、この空間そのものに限界がきていたのだ。

そして、連なる衝撃の連鎖は止まることなく、側面の壁や地面に至るまで亀裂を走らせていった。


「うわっ……!?」


その衝撃は広間の隅に控えていたヒオリたちの所にまで届き、まともに立っていられないほどの揺れが二人を襲った。

――――この場所はすぐに崩れ落ちる。

そうヒオリたちが一瞬で気付くほど、絶大な衝撃波だった。

そして、バキンッと耳をつんざく破裂音が鳴り響き、堰を切ったように広間全体が崩壊をはじめた。


「ユズル様は……?」


ヒオリは不安げな表情のまま、誰に言うでもなく小さくつぶやいた。

戦いは終わったにも関わらず、彼らの主であるユズルが戻ってくる気配が一向にないのだ。

傷を負っているのか、はたまた神威の使い過ぎで身体が動かないのか、それとも―――――。


(ダメだ…あたしが弱気になってどうするのよ!)


ヒオリは最悪の状況を思い浮かべた後、すぐにその考えを頭から振り払った。そして、すぐにユズルを助ける方法を考える。

傷を負っていても、気を失っていても、ヒオリとミツキが力を合わせれば抜け出せるはず。

どちらにしても、すぐに見つけ出してこの場を離れなければ、このまま全員揃って生き埋めになってしまう。


「ユズル様――――っ!!」


ヒオリは反動で重くなった身体を引きずりながら、舞い上がった土煙の中をかき分けて、必死に主の姿を探しはじめた。

だが、いくら声を張り上げても、返事がくる気配はない。

そして、ヒオリの行く手を遮るように、天井からは巨大な岩石が降り注ぎ、足元には奈落に落ちるような地割れがあちこちで発生していた。

普段ならなんてことはないが、この疲れ切った身体では、落ちてくる岩石を打ち砕くどころか避けることさえ難しい。直撃すれば、それこそ致命傷になりかねないだろう。

そんな無謀な行動をする姉を、見かねたミツキが止めに入った。


「姉さん!いくら何でも無茶だ…!」

「でも、ユズル様はあそこにいる!あたしたちが行かなくてどうするのよ!」

「それはそうだけど――――くっ…!」


ミツキはヒオリの腕を掴んで止めようとするが、その前に頭上からいくつもの岩石が降ってきて阻まれてしまう。

ヒオリはそのままミツキの制止を振り切り、さらに土煙の奥へ奥へと進んでいく。


「今度はあたしが、守るんだ…!絶対に…!」


あちこちに巨大な岩石が落下してきており、もうこの空間が土砂に飲み込まれるのも時間の問題だった。

だからこそ、ヒオリは焦っていた。

諦めそうな心と疲れ切った身体に鞭を打ち、必死に土煙をかき分けて広間の真ん中へと向かう。

そして、ついにヒオリは煙の奥に主の姿を見出した。


「ユズル様、大丈夫で――――…っ!?」


けれど、ヒオリはその姿を見た途端、言葉を失った。そして、同時に思わず涙がこぼれ落ちてくる。

ユズルは立っていた。

地面に刀を突き立て、倒れまいとする姿勢まま気を失っていた。

身体は傷だらけになり、限界を超えた自らの炎でボロボロになりながらも、決して折れなかったのだ。


「もう…大丈夫ですから…っ!」


ヒオリは止め処なく溢れてくる涙をこらえながら、ゆっくりとユズルの元へと歩いていく。

本当ならすぐにでも抱きしめたいところだが、今は一刻も早くこの崩れ落ちる広間から抜け出さなくてはならない。

だが、そこでヒオリはある違和感に気付いた。

既に戦いが終わったにも関わらず、その身体からも、地面に突き立ててある神威の刀からも、絶えず炎が燃え盛っているのだ。


「炎が…これは一体………?」


ヒオリの脳裏を嫌な予感が駆け抜けていく。

ユズルの神威は限界を超えていたはず。それなのに未だに炎の力を使い続けているというのは明らかに異常だ。

そもそもユズルは気を失っている。こんな状態で神威を使えるはずがない。なら、どうやって…。

その時、あれこれ思案をしているヒオリの耳に、ミツキの切羽詰まった声が突き刺さる。


「姉さん…っ!上だ!!」

「え――――――――?」


ミツキの言葉に上を見ると、ヒオリの身体の数倍はある巨大な岩石が真上から落ちてきていた。

それを見た瞬間、ヒオリはすぐに“どうしようもない”と直感で悟った。

限界を迎えている身体では避けることもできず、受け止めることなど到底不可能だ。


「…………………っ!!」


ヒオリは終わりを覚悟して、思わず目を瞑る。

だが、その時、小さな影が割って入り、巨大な岩石を蹴り飛ばしてみせた。

真っ白い耳と尻尾を持つ小柄な少女―――ノラだった。


「お主ら!無事じゃったか…っ!それにしても、この状況は……」

「ノラ様…!?無事だったんですね…!」

「心配をかけて済まなかったの…。レーゲンスの奴に特殊な力で捕らえられておったのじゃ。っと、そんなことを話している場合ではない。さっさとこの場を離れるのじゃ、生き埋めになってしまうぞ」


そう言うと、ノラは素早く神威の力で動けなくなっているミツキを持ち上げ、早急に広間から抜け出そうとする。

だが、ユズルの異変に気付いていたヒオリが声を上げ、ノラを呼び止めた。


「ノラ様、それよりもユズル様の様子が…!」

「ん…?これは…っ!!」


ヒオリの声でユズルの異変に気が付いたノラは、その姿を見て驚愕した声を上げた。

ユズルの身体から漏れ出していた炎は時間が経つにつれて次第に大きくなってきており、身体全体を覆い尽くすほどにまで膨れ上がっていた。


「“ホムラの炎”を継承したのか…!じゃが、力が抑え切れずに漏れ出しておる…。このままでは自分の身体まで燃やし尽くしてしまうじゃろう」

「そんな…っ!やっと戦いが終わったのに…!」


ヒオリは無慈悲な現実に打ちひしがれたように地面に崩れ落ちる。

過酷な戦いの末にレーゲンスを打ち破り、ようやく平和が訪れるはずだったが、そこにユズルの姿がないのでは意味がない。

だが、茫然自失となっているヒオリとは違い、ノラは表情を一切崩さず、ただじっとユズルの姿を見ていた。

そして、おもむろに項垂れているヒオリに声をかける。


「ヒオリ、お主の剣でわしを斬れ」

「斬れって………いきない何を言うんですか!?そんなことあたしにはできません!」

「今はあれこれ説明している時間はない!ユズルの命を救うためには、これしか手はないのじゃ!」

「………わかりました。いきます!」


ノラの有無を言わさない鋭い声に叱咤され、ヒオリは意を決して、神威の大剣をノラに向けて振り下ろした。

鋭い刃は少女の柔肌を切り裂き、縦一線に深い斬り傷を刻み込んだ。


「ぐっ………!」

「ノラ様………っ!?」


傷口からは赤黒い血が流れ出し、ノラの身体を真っ赤に染め上げていく。

ヒオリが思わず悲痛な声を上げるが、ノラは無言のままそれを手で制した。


(わしもこれをやるのは初めてじゃが、これしか打開する方法はない…!)


レーゲンスによって限界手前まで神威を吸い取られていたノラにとって、この傷はまさに命を削るものだった。

けれど、だからこそ、この傷には大きな意味があるのだ。

そして、ノラは鋼の精神で痛みを堪えると、静かに言葉を紡ぎはじめた。


『偉大なる我らが神よ、我が根源の力を呼び戻し賜え』


莫大な光の渦がノラの身体を包み込んでいく。

命を落とす危険がある時に外すことができる、守神にのみかけられた制約を解き放つ言葉。

圧倒的であるがゆえに封じ込められていた力が解放される。


「これは……っ!?」「なにこれ…!?何が起こってるの!?」


突然の出来事に、ヒオリとミツキが戸惑いながらノラの様子を眺める。

そして、ノラの身体を包んでいた光の渦がほどけるように散っていくと、そこには妙齢の美しい女性が立っていた。

きめ細やかな白い装束を身に纏い、ひと目見て感じ取れるほど圧倒的な神々しさを放っている。

だが、その頭にある耳と白くたおやかな尻尾はたしかにノラだった。


「ふう…なんとか成功したようじゃな…」

「ノラ様、その姿は……?」

「一応これがわしの本来の姿なのじゃが、今はあれこれ説明している場合ではないからの」


ノラは自分の身体を試すように少し動かし、力の解放に問題がないかを確かめた。

そして、呆然と見上げるヒオリとミツキを横目に見ながら、ノラはおもむろに掌を天に上げた。


『光よ』


巨大な光の柱が崩れかけていた天井もろとも、その上にあったレーゲンスの城も巻き込んで、全てを消し飛ばした。

その圧倒的な力は留まることを知らず、そのまま空高く浮かんでいた雲までも貫通し、まさに天まで届く光の柱となった。

そして、広間の形をした巨大な穴が、ホムラの“町”の中心にできたのだった。


「「え…………?」」


あまりにも圧倒的すぎる力を前に、ヒオリとミツキは何も二の句が告げずに固まっていた。

「凄い」とか「素晴らしい」とか言っていられないほど規格外であり、はっきり言って異常なまでの威力である。

そして、二人は本物の神が放つ神威の力を痛感しながら、ただ茫然と遥か頭上に見える青く澄み切った空を眺めていることしかできなかった。


「さて、次はユズルを助けねばな」


ノラは地上にある城ごと天井を吹き飛ばしたことなど微塵も気にすることなく、視線をユズルへと向けた。

そして、ゆっくりと掌を燃え盛る火炎にあてがうと、優しげに言葉を紡いだ。


『癒しよ』


すると、柔らかい光の衣がユズルの身体を覆うように包み込み、溢れ出していた“ホムラの炎”を抑え込んでいった。

さらに光の衣は炎を抑え込むだけでなく、ユズルの身体中にある傷も全て癒していった。

切り裂かれた傷も、炎に焼かれた火傷も、ユズルが負ったあらゆる痛みを洗い流したのだった。

やがて、気を失っていたユズルの身体は支えていた力を失い、ゆっくりと前のめりに崩れ落ちた。

そして、ノラがその身体を優しく抱きとめる。


「力を継承している以上、ここから再び溢れ出すことはないじゃろう」


ノラは抱きとめたユズルの様子を眺めながら、そばに控えるヒオリたちを安心させるように伝えた。

正式に“ホムラの炎”を受け継いでいるのであれば、拒絶反応も出ることなく、やがて身体に馴染んでいくことになる。


「よかったぁ~…」


ヒオリがノラの言葉を聞くと、へなへなと力が抜けたように地面に座り込んだ。

隣にいるミツキも、無言のまま、気が抜けたように息を吐いた。

これでようやく全ての戦いが終わりを迎えたのだ。


「本当によく頑張ったのじゃな…」


そう優しくつぶやくと、ノラは慈しむようにユズルの頭をそっと撫でた。

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