第65話 目覚め

有無を言わさない漆黒の槍が、項垂れたままのヒオリに向けて振り下ろされる。

ヒオリはそれを受け入れていた。

もう、この死を逃れる術はない、と。

しかし、その鋭い刃が少女の身体を貫くことはなかった。

輝くように燃え盛る炎が、レーゲンスの槍をヒオリに届く寸前で防いでいたのだ。


「――――――――――」


ヒオリはその熱と輝きを感じて、思わず目を見開いた。

美しかった。

時を忘れて、見惚れてしまうほどに。

赤や黄色を基調とした炎らしい鮮やかな色彩と、青や緑の艶やかな色彩が混じり合い、それこそ“神の炎”と称するに値するほどの神々しさがあった。


「この炎は一体…?」


突如として現れた煌めく炎はまるで掴むようにレーゲンスの槍の柄を横から覆い、ヒオリに突き刺さるのを止めていた。

いや、ただの炎ではない。よく見てみると、それは何者かの“手”だった。

そして、巨大な炎の塊の中から突き出すように伸ばされた腕は、同じく炎に覆われ、真っ直ぐに力強く漆黒の槍を捉えていた。


(この手はもしかして……!)


その中心に立つ者の姿は炎に遮られ、全く見えなかったが、ヒオリにはすぐにそれが誰の手であるかわかった。

なぜなら、今まで何度も導かれ、何よりも待ち焦がれていた者の手だったのだから。


「ホムラの神たる力が目覚めたか…」


レーゲンスは憎らしげにつぶやき、突然現れた巨大な炎―――槍を掴んでいる者を睨みつけた。

そして、力任せに槍を掴んでいる手を振り払うと、そのまま巨大な炎へ向けて叩きつけるように槍を振るう。

轟音。

漆黒の槍と煌めく炎が激突する。

しかし、その漆黒の軌跡は炎を断ち切ることができず、幾重もの炎の壁に阻まれたのだった。


「なんだと……!?」


レーゲンスは思わず驚愕の表情を浮かべた。

これまで瘴気を取り込んだレーゲンスの攻撃は大気を切り裂き、その圧倒的な威力を以て立ち塞がるもの全てを破壊してきた。

もはや何物も止められはしない。

そう思えるほど、他の追随させないほど抜きんでた力を発揮していた。

しかし、ついにその攻撃が防がれたのだ。


「邪魔だ」


短い一言。

そして、その言葉とともに、巨大な炎の中心から燃え盛る炎を纏った斬撃の波がレーゲンスに向けて放たれた。

ありふれた、ただの斬撃波。

けれど、その大きさと速度が普通ではなかった。

レーゲンスの身体を優に超えるほどの巨大な斬撃波が、目にも止まらぬ神速で放たれたのだ。


「――――――ッッ?!」


炎の壁とせめぎ合っていたレーゲンスは、不意打ちで放たれた斬撃波にも辛うじて反応し、槍で真っ向から受け止めた。

しかし、さしものレーゲンスと言えど、この一撃を容易くはじき返すことはできなかった。

それだけの威力、そして、鋭さが備わっていたのだ。

さらに追い打ちをかけるように、斬撃波が纏っている煌めく炎が溢れるように燃え広がり、レーゲンスへと牙をむく。


「ええい!鬱陶しい…っ!」


斬撃波の威力を完全に消し飛ばすことができないと判断したレーゲンスは、紅黒いオーラの波動を放つことで何とか相殺する。

そして、その瞬間、斬撃波は炎を方々に撒き散らしながら爆発した。


「ぐっ…忌々しい奇跡の炎め…。死の淵から這い上がって――――!?」


レーゲンスは爆発の勢いを殺し切れず、吹き飛ばされるように後退る。

そして、悪態をつきながら視線を元に戻すが、そこに件の炎はなかった。

一瞬の逡巡。

視界に敵がいないことで、判断に僅かな迷いが生まれた。

すぐに気配を察知するが、レーゲンスが行動を起こすよりも早く、背中に炎を纏った手が置かれる。


「少し、黙っていてくれ」


直後、幾重にも連なる炎の渦がレーゲンスを飲み込んだ。

まさに灼熱の監獄。

煮え滾るような業火が蛇のように絡みつき、悶え苦しむ虚霊を掴んで離さない。

その神々しい炎は漂っていた紅黒いオーラすらも焼き払い、全てを燃やし尽くした。

そして、そのまま広間の壁へと激突する。


「もう、大丈夫だ」


炎の中心に立つ者はそう静かに言うと、全身に覆っていた炎を解き放った。

解き放たれた炎がはじけるように小さな火の粉となって辺りを照らし、その奥にいる者の姿を露わにする。

そして、その炎を纏いし者はゆっくりとヒオリたちの方へと振り返った。


「ユズル様…っ!!」


ヒオリはその顔を見て涙ながらに呼んだ、自分の主の名を。

純白の装束、そして、ひときわ目を惹く白髪。

その姿は見紛うことなき、ヒオリが待ち望んでいた主神そのものだった。


「主…様……っ!?」


すぐ隣でミツキが痛みに顔を歪めながらも、驚愕の表情を浮かべていた。

まるで目の前で起こっている出来事が夢であるかのように、受け止め切れていない様子だ。

それほどまでに、今この瞬間にユズルが立っていることは奇跡なのだ。


「ありがとう。お前たちの声、たしかに受け取った」


炎の神威をはためかせながら、ユズルは優しく微笑んだ。

神威だけではない。身体からも溢れんばかりの火の揺らめきが見え隠れしている。


「その御姿は…?お怪我は大丈夫なんですか?!」

「ヒオリ、落ち着くんだ。まずはミツキの怪我を治す」


ユズルは興奮するヒオリを冷静に手で制した。

そして、すぐに足元で倒れ込むミツキへ駆け寄り、その身体を覆うように神威を放つ。

鮮やかな青い炎がユズルの手を伝ってミツキの身体へと広がり、すぐに全身を覆い尽くした。


「ユズル様…っ?!」

「大丈夫、これは治癒の炎だ。ひとまず腕を繋げないと危ないからな」


ユズルは最初から炎の使い方を知っていたかのように巧みに扱ってみせた。

そして、戸惑うヒオリをよそに、青い炎――治癒の炎をミツキの斬り落とされた腕へ重点的に当てる。

まるで身体を燃やしてしまうかのような炎は、その輝きで以て痛々しい傷を優しく包み込む。


「傷が……」


炎に触れた部分から、ミツキの腕の傷がみるみるうちに治っていく。

すぐ隣で見ているヒオリでもはっきりとわかるほど、驚異的な治癒力だった。

今までのように神威で直接治している場合と比べても、その治癒速度は異常なほどだ。

そして、あっという間にミツキの腕は元に戻り、傷痕はおろか、血の痕すらも全て飲み込んでいった。


「ミツキ、腕は動くか?」

「はい…その、特に問題ありません」


ミツキは信じられないというような表情で、治った自分の腕を上下左右に動かしていた。

あまりにも違和感がなく、うまく二の句が継げないようだ。

ユズルはその様子に満足すると、ヒオリの方を振り返り、無邪気に得意げな顔をした。


「だから大丈夫だって、そう言っただろ?だから、今度はお前たちが少し休んでくれ」

「休め…って、ユズル様はどうされるんですか!?」

「俺は戦う。お前たちが繋ぎ止めてくれていた火を絶やすわけにはいかないからな」

「そ、そんな…!あたしもまだ戦えます…っ!」


ヒオリは自分に戦う力がほとんど残っていないことを自覚しながらも、懸命にユズルに食い下がった。

たしかにユズルの様子は少し変わってきている。何かのきっかけで新たな力を得たのだろう。

けれど、もうこれ以上独りにさせるわけにはいかない。

無性に泣きそうになる気持ちを抑えながら、ヒオリは縋りつくようにユズルの袖を引いた。

すると、そんな姉を止めようと、ミツキが割り込んでくる。


「姉さん、あまり無茶は――――」

「ミツキは黙ってて!」


咎める弟を一言でぴしゃりと押し留めると、ヒオリは睨みつけるようにユズルを見つめる。

色々な感情がごちゃ混ぜになっているせいか、ヒオリ自身も怒っているのか泣いているのかよくわからなくなってきていた。

この主はいつだってそうだった。

無茶をして、苦しんで、それでもまた無茶をする。

そして、いつもヒオリたちの前を歩いてくれていた。

だからなのか、置いていかれるのが、嫌だった。

いなくなってしまうのが、嫌だった。


「いなくなったりしないさ」

「………………っ!!」


不意の言葉に、ヒオリは思わず息を呑む。

そして、自分の胸の内を見透かされた恥ずかしさと、どうしようもなく溢れてくる暖かい感情に包まれた。

なぜなら、その言葉はヒオリが最も待ち望んでいた言葉だったのだから。


「それに、俺はもう独りじゃないってことがわかったから。今度はもう大丈夫だ」


ユズルが静かに、そして、優しく言葉を紡ぐ。

ヒオリには、その言葉が嘘ではないことがよくわかっていた。

そして、この主が呆れるほど生真面目で、誰よりも戦っていることもよくわかっていた。

だからこそ、ヒオリにはもう一度その言葉を信じることしかできないのだ。


「………ユズル様はいつもズルいです。今度はちゃんと、迎えに行きますから」


ヒオリは俯きながらそう言うと、掴んでいたユズルの袖をそっと離した。

本当は離したくなかった。

けれど、もう我儘は言っていられなかった。


ユズルはそれを見届けると、すぐさまミツキに声をかける。


「ミツキ、ヒオリを頼む」

「はっ!」


そして、ヒオリはミツキに手を引かれながら、すぐにその場から離れるのだった。

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