第63話 狭間
深い深い微睡みの中にいた。
ゆったりとした時間の流れとふわふわとした意識の狭間でぼんやりと浮かんでいた。
『ここは何処なのだろう?』とか『俺は何をしているんだろう?』とか、そんな取るに足らない疑問が泡沫となって浮かんでは消えていく。
本来なら慌てふためいてもおかしくない状況なのだが、俺は不思議なことに懐かしさと優しさを感じていた。
そして、そんな何処とも知れない暗い空間で、密やかな安らぎを享受していた。
(俺は…負けたのか…)
少し落ち着いてから、そう、はっきりと実感することができた。
けれど、敗れたことへの悔しさよりも、張り詰めていた緊張の糸が悉く断ち切られた感覚の方がはるかに大きかった。
魂が抜けていく。この感覚を何かに例えるのなら、それが一番近いだろう。
熱いほどに燃え盛っていた感情は水をかぶったように冷え切り、あちこちにガタがきているようだ。
そして、俺はまるで身体を動かす糸を全て取られてしまった人形のように、暗闇の中で不恰好なまま地べたに倒れていた。
(我ながら無様だな…)
自分の滑稽な姿に思わず苦笑が漏れる。
皆を守ろうと必死になって糸を手繰り寄せ、雁字搦めになった結果がこれか…。
一人で抱え込んで、背負い込んで、挙げ句の果てに全部台無しにしてしまった。
力が足りなかったとか、意志が弱かったとか、そういう目に見える部分の問題だけじゃない。
絶望的なまでに生きるのが下手なんだ、俺は。
きっと誰でもよかったんだろう。誰かを守れる者になりたかった。
心を支えられる者になりたかった。
生きていてよかったと思える、そんな幸せを感じられる者になりたかったんだ。
それでも、俺は本当に恵まれていたのだろう。
ノラやミヤ、ヒオリとミツキも俺にはもったいないぐらい光に満ち溢れていて、こんな俺を惜しげもなく支えてくれていた。
前を向いて歩いていけるように、背中を押してくれていた。
だからなのか、誰も失いたくなかった。
犠牲になるのは俺だけでいいとさえ思っていた。
レーゲンスに一人だけで挑もうとしたのも、それが本当の理由だった。
もちろん深い因縁もあったが、そんなことはどうでもよくて、仲間を守ることしか頭の中にはなかったのだ。
レーゲンスも、ホムラに蔓延る虚霊たちも全部一人で叩き潰してやる。
大袈裟かもしれないけれど、俺は本気でそうしてやろうと思っていた。
なぜなら、一度奴に敗れた後、俺は決意したんだ。
皆を守る、そのためにこの神の力を使うのだと。
そして、その正しさを貫き通すためならば、立ち塞がる輩は何者であろうと打ち倒してみせる、と。
けれど、今思い返してみれば、俺がしていたことは結局仲間を信じ切ることができなかったのと同義だった。
気持ちを背負うだの託された想いだのと言っておきながら、俺自身は誰にも自分の想いを託してなんかいなかったのだから。
それに気付いた途端、俺の心を組み上げていた何かが音を立てて崩れ去っていった。
これまでの自分を無理矢理引き上げていた何かが消えたのだ。
必死になって皆の想いを背負い切ろうと足掻いていた気持ちが綺麗にはじけ飛び、もう何も今までの俺を支えてくれるものがなくなってしまった。
そんな錯覚に陥る。
そして、心のどこかでせっせともう一度組み直そうと頑張る気持ちが、ほんの僅かだけ湧いてくる。
縋りつくように、泣きつくように。
けれど、いくら力を入れてもピクリとも動かないんだ。
腕も足も動かなければ、指すらも固まってしまったかのように動かず、ただじっと虚空を見つめているしかなかった。
“精一杯頑張った。やれるだけのことはやった”
心の何処かでそう思っていたのだろう。
もう誰かの心を持っていられるだけの余裕が俺にはなかったのだ。
結局、俺は平和を齎す神にはなれなかった。
悪を打ち破る正義にもなれなかった。
自分の生を全うすることさえできなかった。
それが現実で、異世界に転生したことなんて夢だったんだ。
そう諦めてしまうことが最も楽で、最も賢いやり方なのだろう。
膝を丸めて、顔をうずめて、何も見ていないふりを決め込んで、眠ってしまうのが一番楽なんだ。
――――でも、本当にそれでいいのか?
ドクン。
止まっていたと思っていた何かが動き出す。
冷え切っていた身体に、燃えるような熱の奔流が浸透していく。
苦しいぐらいに呼吸が激しくなり、叫びたくなるような堪え切れない何かが溢れ出してくる。
『――――――――』
その時、声が聞こえた。
それは音ですらなかった。
けれど、たしかに心に響いていた。
その声なのか響きなのかわからない何かは、俺の中にある衝動を真っ直ぐ突き刺すように貫いていたんだ。
そして、気が付けば、それに向かって叫んでいた。
ただただ、胸の内から溢れる言葉ではない何かを、声が枯れるほど叫んだ。
やがて、途絶えるように声が消えた。静かに、そして、驚くほど自然に。
それでも、まだ胸の鼓動は止まっていなかった。
むしろ、もっと叫びたいという気持ちだけが抑え切れないほど高まっていた。
先へ進みたいという衝動も、立ち止まっている時の焦燥感も、刀を握る手の疼きも。
俺の中にある心の火は消えてはいなかったんだ。
そして、俺は初めて目を見開いた。
そこには、世界を埋め尽くさんとするほどの光が満ち満ちていた。
そのどれもが眩いほどに輝いていて、互いに寄り添い合うように世界を照らしていた。
ここは暗闇なんかじゃなかったんだ。
俺がただ目を瞑っていただけなんだ。
きっと、世界は最初から寄り添うようにそこにあったんだ。
そして、気付いた。
前へ導いてくれている人の手を振り払い、独りだけで進むことが成長じゃない。
自分の支えてくれている人を退かして、独りだけで立つことが進歩じゃないんだ。
そう思った途端、さっきまで全く力が入らなかった身体がスッと軽くなった。
俺が想いを背負うだけじゃなく、誰もが想いを背負ってくれている。
俺が誰かを守ろうと思っているのと同じように、誰かが俺を守ろうとしてくれているんだ。
そして、その誰かが、きっと今も、俺を守ろうと戦っている。
なら、俺はただ守るだけでも、守られるだけでもなく、共に戦うべきなんだ。
想いを抱えきれないなら、分け合えばいい。
喜びも悲しみも苦しみも、分かち合えばいい。
それが生きることにおいて、最も大切なことなのだから。
そして、気が付けば、目の前に燃え盛る炎があった。
触れれば身を焦がすような、美しく、恐ろしい神秘的な輝き。
それはかつて俺の心を焦がし尽くしていた、重く苦しい想いの炎だった。
けれど、いま、この炎は俺の心を燃やす重荷じゃない。俺をもっと先へと導いてくれる灯なんだ。
そして、俺はその輝きを掴むように、まっすぐ手を伸ばした。
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