第62話 迷い

「はぁっ―――――!」


ヒオリは地を蹴り上げ、再びレーゲンスへと肉薄する。

空間だけでなく心までも埋め尽くす黒いオーラの中を、必死に掻き分けながら駆け抜けていく。

そして、闇を切り裂くように、そのまま横一閃に大剣を振り切った。


「―――――甘いな」


だが、そんな一撃をレーゲンスはいとも簡単に槍の切っ先で受け止めた。

絶望的なまでの力の差。

一歩も動くことなく、ほんの僅かな動作だけで、全ての攻撃が防がれる。

そして、刃と刃の衝突から少し遅れて、耳をつんざく金属音が響き、空気が軋むように揺れた。


「やぁぁぁああああ!!」


いくら神威を込めようと、鋭い斬撃を放とうと、まるで歯が立たない。

それでも、ヒオリは一心不乱に剣を振り続けた。

腕を振り上げ、目の前に立ち塞がる闇を見据え、歯を食いしばって叩きつける。

それは暗い暗い水中の中で、必死にマッチの火を付けようとするようなものだった。

いくら光を求めても、深すぎる暗闇の前では無意味なのだ。

そして、その全ての斬撃をレーゲンスは片腕に持った槍だけで受け止め切った。


「フフ…立ち向かってくるのであれば、それもまた一興。君たちを倒せば、それも私の存在価値の証明になる。君たちの意志が強ければ強いほど、それに打ち勝つ私の力もまた強いということだ」


レーゲンスは心底可笑しそうに、目の前で足掻く神の使いの姿を見下ろしていた。

自分の価値を確かめるように、じっくりと。

そして、振り下ろされた大剣を無造作に弾くと、一気に攻勢に打って出た。


「―――――――精々愉しませてくれたまえ」


光も、希望も、全てが黒く塗り潰されていく。

ヒオリはその中で踊らされている人形に過ぎなかった。

絶望に堕ちるまで、ひたすら心を摘む戦い。

いや、戦いですらなかった。これは、いずれ壊れる玩具を面白可笑しく観賞するだけの遊びだ。


「ぐぅっ…ぅ…!」


有無を言わせないレーゲンスの連撃を、ヒオリは必死に食らい付くように防いでいく。

受ける度に剣を握る手が痺れていき、途中からほとんど感覚がなくなった。

暗闇から音もなく忍び寄る死神の鎌から必死に身を守ることしか成す術がない。

反撃の糸口をまるで見出すことができず、もはや戦っているのかどうかさえヒオリにはわからなくなってきていた。

だが、そんな逡巡すらも許さずに、油断をすれば一瞬にして首が飛ぶほどの鋭い斬撃が立て続けにヒオリを追い立てる。


「ッッ…!?…ぐぁ…っ!」


視界の外から認識できない速度で迫りくる突きを、反射神経だけでギリギリ躱す。

僅かに触れた鋭い槍の切っ先がヒオリの腕を薄く切り裂き、真っ赤な血がぽたぽたと流れはじめる。

だが、これだけの攻撃を受け続けているにも関わらず、ヒオリは未だに致命的な傷を食らってはいなかった。

これはヒオリが耐えているのではない。レーゲンスがわざと手を抜いているのだ。


(この男は、あたしの心が折れるのを待っているんだ…!)


レーゲンスがその気になれば、たった一振りでヒオリの首をはねることだってできるだろう。

だが、それをしないのは、ヒオリたちを試しているからだ。

その心を、絆を、神の力を。

神に反抗し、神を憎む虚霊は、ただ戦いに勝利するだけではなく、存在全てにおいて優越しなければ気が済まないのだ。


「どうした!崇高なる神の力、その力の真髄を見せてみろ!」


虚霊の王は、再び吠えた。

それは目の前に立つ神の使いに対しての挑発でもあり、倒れたままのホムラの神に対しての問いかけでもあった。

“自分を超える存在であるならば、この力を打ち破ってみろ”とでも言わんばかりの咆哮だ。そして、レーゲンスは狂気に染まった紅黒いオーラを纏い、天を穿つように槍を掲げた。

それに呼応して、息が詰まるような波動が広間を覆い尽くしていく。


「負け…るかぁ…!!」


ヒオリも負けじと叫んだ。

たとえ暗闇で前が見えなくとも、心の中にはいつも火が灯っている。

そして、自分の主が与えてくれた命という灯を絶やさぬよう、闇を打ち払うかの如く神威を放った。



☆☆☆



ヒオリが必死にレーゲンスの足止めをしている一方、ミツキは広間の隅で傷だらけのユズルを介抱していた。

致命的な深い傷は見当たらないものの、全身が摩耗したように煤けている。

余程強力な神威を多用し続けていたのだと、ひと目見て分かるほど、ユズルの身体には限界がきていた。

本来なら今すぐにでも何らかの治療を施さなければならないのだが、ミツキに傷を治す力はない。

そして、そんな悠長なことをしていられる余裕もなかった。


「主様っ!目を覚まして下さい!僕たちにはあなたの力が必要なんです!」


ミツキは必死に声をかけた。

傷つき、倒れた主に向けて“立ち上がれ”と鼓舞する。

これほど惨めなことはなかった。

自分の無力さと不甲斐なさを突き付けられ、それでも尚、主に縋るしかできることがない。

けれど、この状況を打開するのにユズルの力は必要不可欠なのだ。


「僕たちだけじゃない。このホムラに住まう全ての人々があなたを待っているはずです!」


このホムラには救いを待つ人々がいる。

明日の陽の光さえ見ることができない人々がいる。

この地に蔓延している“絶望”という名の病を祓うには、ここで立ち上がらなくてはならないのだ。

だが、ミツキの叫びは虚しく響くだけで、ユズルが目を覚ます気配はなかった。


(ダメなんですか…?もう立ち上がることはできないんですか…?)


その時、ミツキの心の中に迷いが生まれた。

ここで諦めるか、主が起きるまで待ち続けるか。

ミツキがユズルを抱えて逃げようとすれば、確実にレーゲンスが息の根を止めに来るだろう。

前回はノラが囮となって逃げ果せることができたが、さすがに二度も同じ手は通用しない。

確実に誰かが死ぬ。

けれど、ヒオリとミツキが食い止めれば、多少の時間稼ぎぐらいはできるだろう。

そうすれば、ユズルの命だけは―――――


「ミツキ!迷わないで!あたしたちは――――くっ…!」

「諦めたまえ。その神は私に敗れたのだ」


迷いを見せるミツキへ向けて、ヒオリが叫ぶように声をかけた。

だが、それを阻むようにレーゲンスが隙のない攻撃を繰り出し、言葉を被せる。

もう戦いは終わった、と。

そして、目では追うことすら困難な斬閃が目まぐるしく放たれる。

その一歩間違えれば命を落としかねない凄まじい斬撃を、ヒオリは血みどろになりながらも、激しい神威で無理矢理はじき返した。


「まだ終わってない…っ!あたしたちは勝つためにここまできたんだ!!」


その眼には炎が灯っていた。決して消えることのない太陽の如き光が。

そして、そんな姉の姿を見て、ミツキは気付かされた。

ここで折れるわけにはいかない、と。


「ならば、その夢は道半ばで倒れることになる。そうだな…そろそろ、君たちの息の根を止めてあげよう」

「―――――――!!」


漆黒の槍がヒオリの身体を軽々と吹き飛ばし、はるか広間の端まで衝撃波が駆け巡っていく。

そして、圧倒的な紅黒いオーラを身に纏ったレーゲンスが、じっくりと品定めするようにミツキを見た。

狂気と殺気が入り混じった視線が突き刺さるように降りかかる。

けれど、ミツキはそれらをはじき飛ばすように神威を放ってみせた。


「主様、忘れないで下さい。僕たちはあなたと共に在ります」


そして、ミツキは眠ったままの主にそっとつぶやくと、戦場へ向けて駆け出した。

それこそが目覚めるための陽の光になると信じて。

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