第43話 覚悟
俺には自分が神那に戻ってきている実感がまるでなかった。目の前にいるヒオリとミヤが本物なのはわかるけれど、それでも未だに夢の中にいるのだと言われたら信じてしまうだろう。それほど今の状況は奇跡的で、非現実的なのだ。なぜなら、俺は神として戦い、そして負けたんだ。ホムラの“町”で、完膚なきまでに。
それなのにこうして無事に帰ってきているのは、どう考えてもおかしいと思わざるを得ないだろう。それこそ、本当の神様のいたずらとでも言いたくなる。
しばらく俺が今の状況をうまく整理できずにいると、ミヤが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「ホムラ様…?もしかして傷が痛むのですか?」
「いや、悪い、少し考え事をしていただけだ。それにしても、まだ全然実感がないんだが、あれから一体どれぐらい経ったんだ?」
「戻られてからはまだ1日しか経っておりません。けれど、もう動けるようになるなんて、ホムラ様はやはり神様なのですね。今にも倒れそうなミツキ君が血だらけのホムラ様を連れて帰ってきた時はもうダメかと思いました…」
ミヤがその時の状況を思い出してか、辛そうな顔で少し目線を逸らす。
その暗い表情から察するに相当酷い状況だったのだろう。俺が覚えているだけでも全身に切り傷があり、胸には槍が突き刺さっていた。あの時は必死だったから特に気にしていなかったが、今考えるとゾッとするような惨状だ。俺自身も思うけれど、あの傷で生きていられるというのは人間ではまずあり得ないだろう。
だが、そんな俺をここまで連れて帰ってきたのがミツキらしい。
「そうか、ミツキが…」
正直意外だった。てっきりヒオリに助けられたとばかり思っていたが、俺の早とちりだったようだ。それにしても、あのミツキが俺をここまで背負ってきてくれたと考えるだけで胸の奥が熱くなってくる。決してミツキをヒオリの下に見ているわけではないが、ミツキは影に徹することが多く、目立つことを避けている気がしていた。そんなミツキが俺を助けようとしてくれたのは、それだけ切羽詰まった状況であり、それだけ必死だったということなのだろう。
「そのミツキの馬鹿はまだぶっ倒れたまま眠りこけてるけどね〜!」
「こら、ヒオリ!そういう言い方はしないの!ミツキ君が必死になっていたのはあなたも知っているでしょ?ホムラ様の前だからってカッコつけない!」
なぜだか調子に乗るヒオリをミヤが叱りつける。
弟に負けたくない意地があるは良いことなのかもしれないが、ミツキは視線をくぐり抜けてきた仲間でもあるのだ。いくら助かったとはいえ、言って良いことと悪いことがある。真面目なミヤは、ヒオリが自分に懐いているからこそきっちりと言ってあげているのだろう。
そんなミヤの叱咤にヒオリも「うっ…!」とわかりやすく顔に罪悪感が浮かぶが、すぐにミヤから視線を逸らして口を尖らせるように文句を言い始める。
「む~…ミヤさん、ユズル様がいるんだからそういうこと言わないでよ…!ま、まあ、ミツキも今回はいつもより頑張ってくれたから、褒めてあげてもいいけど?」
ミヤに叱られて反省するかと思いきや、どうやらヒオリは後に引けなくなったらしい。そっぽを向きながら強がってはいるが、どう見ても駄々をこねる子供でしかない。
俺はそんなヒオリを見て思わず苦笑いをしてしまうが、ミヤはいつも以上に険しい顔でヒオリを見る。
「ヒオリ、違うでしょ?」
「はい…ちゃんと褒めてあげます」
「うん!よろしい!」
ヒオリがうなだれるように謝ると、ミヤはにっこりと朗らかに笑う。はしゃいでばかりのヒオリには、しっかり者のミヤが良い手本になるだろう。これはミヤには頭が上がらないな…と実感するとともに、俺は自分が叱られる側に行かないように気を引き締めようと心から思うのだった。
それからこってりとしぼられたヒオリは「ほんとにミヤさんは真面目なんだからさ~…」と部屋の隅でいじけてしまった。
色々と変わったことはあるけれど、いつも通りの神那の光景だ。
けれど、そこで俺はようやく違和感に気が付いた。
「ところで、ノラはいないのか?色々と聞きたいことがあるんだが…」
いつもなら俺のことをいの一番に叱りに来るノラがいないのだ。
もしこの場にノラがいたなら、今回の戦いでの反省点を雨が降るようにこれでもかと言われていたことだろう。どうせこの後で叱咤の嵐に晒されるには間違いないのだけれど、いないとそれはそれで落ち着かないのだ。
俺はふと思い出して言っただけなのだが、俺の言葉を聞いた途端、ヒオリとミヤが露骨にピクっと反応する。その様子を見て、嫌な予感が俺の頭の隅をよぎる。
ヒオリはミヤをちらっと一瞥すると、おずおずといった様子で口を開いた。
「その、ノラ様は…まだ戻ってきてはいません」
「………?どこかに行ってるのか?」
「いえ、ノラ様はお一人であの場に残られたのです。ユズル様とあたしたちを逃がすために。それ以来ここにはまだ…」
残った?ノラが?あの虚霊が支配する空間に?
一瞬ヒオリの言葉に耳を疑う。そして、さっきまでの自分の立ち振る舞いを後悔した。ヒオリもミヤも俺が普段通りにしていられるように、責任を感じないようにしてくれていたのだ。俺はただ、その揺り籠の中で安心を感じていただけに過ぎない。
「申し訳ありません!あたしたちが力不足だったばかりに助けられず、おめおめと逃げ帰ることしかできませんでした…」
ヒオリが頭を下げて謝る。そして、先ほどまでのヘラヘラとした態度から一変して、真剣な様子で事の顛末を話してくれた。俺を連れて帰るためにノラが指示をしたことも、ノラが残って戦うと決断したことも、全部。
ノラの指示は的確であり、ヒオリとミツキもきっちりと仕事をこなしている。そう頭の中ではわかっているものの、言い表すことのできない感情が俺の胸の内をのたうち回っていた。
「そうか…ノラが…。そうか…」
言葉が出てこない。なんて言ったらいいのか分からないのだ。俺の心に浮かんでいたのは怒りでも悲しみでも後悔でもなく、ただひたすらな虚無だった。その果てしない喪失感だけが心を覆っていた。
そこでようやく、目が覚めてから感じていた夢見心地の正体がわかった。俺は現実を見ようとしていなかったのだ。「辛く激しい戦いだったけど、みんな無事だった」と勝手に思おうとしていた。気付くタイミングならいくらでもあったはずだ。それを無意識に見ようとしていなかったのだ。
「ホムラ様、あまりヒオリを責めないであげて下さい。ミツキ君もそうですけれど、彼らはあなた様を助けるために本当に必死になっていたのです。泣き言も言わず、血を流しながら、あなた様に尽くしていました。だから―――」
「ミヤさん!いいの。いくら頑張ったとしても、あたしたちがノラ様を見捨てたことに変わりないんだから」
無言の間を怒りと捉えたのか、ミヤがヒオリのフォローに回る。しかし、それをヒオリは強い口調で拒絶した。自分が姉のように慕う者の言葉を遮り、意志を押し通す。
そこにあったのは“覚悟”だった。目の前にいるヒオリの顔を見れば、すぐにわかる。そこには決して自己犠牲ではない、純粋な気持ちの強さがあった。まだ気持ちの整理すらつかない俺にとって、そんなヒオリの表情は本物の太陽のように眩しく感じられた。
そして、ヒオリは神威の大剣を地面に突き立て、俺を真っ直ぐに見つめる。
「ユズル様、いくらでも罰を受ける覚悟はあります。命を捨てろと言うのであれば、今すぐにでもこの命を差し出します。ですが、願わくはノラ様を救い出してから、この償いをさせて下さい」
ヒオリの双眸に浮かんでいたのは、主に尽くす式としての覚悟だった。
その強い瞳に見つめられ、俺は思わず尻込みしてしまいそうになる。俺は本当に彼らに頼られるような神なのか?本当に俺が主でいいのか?覚悟が足りないのは俺だったんだ。そんな後ろ向きな気持ちが湧いてくる。
けれど、なんとか表情には出さずに踏みとどまった。俺が今やるべきことは悲観的に悩むことじゃない。ヒオリが前を向いて先に進めるように言ってやることだ。
「もちろんノラは助けに行く。けど、そんなに気にするな。俺は誰かを責めたりしないし、誰かに押し付けたりもしない。これは俺が背負うべきものだ」
覚悟がなかったのなら、覚悟をすればいいだけだ。
だが、そう言い切ったものの、俺の心にはまだ迷いが根深く残ったままだった。
ただ皆で頑張って前に進むだけじゃダメなんだ。行く先が曇って見えなくなるほど、俺にはまだ足りないものが多すぎる。
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