第44話 前に進むために

ヒオリから事の顛末とノラの話を聞いた後、俺たちは明日またホムラの“町”に向かうことだけを決め、ひとまず身体を休めることにした。

ノラを助けるためにはすぐにでも“町”向かうべきなのだが、その他の状況がそれを許さなかった。というのも、俺もヒオリも傷が治り切っていないうえに、ミツキはまだ眠ったままだったからだ。

だが、俺には“町”へ向かうことを先延ばししたい理由がもう一つあった。本来ならば理由とさえ呼ぶことができないほど個人的で非効率的なのだが、それに決着をつけなければ、俺はまたレーゲンスに敗れることになるだろう。そして、それはとても安直で、とても単純な気持ちの問題だった。


ヒオリたちから離れるように、俺は一人で神殿にある縁側から夜空に浮かぶ月を眺めていた。

綺麗な満月とはいかず、満月から少し欠けた不恰好な形をしていた。あと少しで満月になるのだろう。少し書き足して綺麗な真ん丸にしてやりたいな、と思いつつも、俺はその中途半端な姿に親近感を覚えていた。

たぶん空を見上げている人は皆、このお世辞にも綺麗とはいえない姿にちょっとした失望を感じていることだろう。けれど、月だって欠けた姿になりたくてなっているわけじゃない。なるべくしてなっているのだから、しょうがないのだ。それに誰しも完璧なわけじゃないんだ、きっと。


「って、そんな言い訳をしても意味ないんだよな…」


俺は大の字になって縁側に寝転がる。古びた木の独特な湿った香りが身体を包み込み、あたりの木々のさざめきが心地良い音を耳へと運んできてくれる。

はっきり言ってしまえば、俺はわかりやすく落ち込んでいた。いや、自分に失望しているのだ。

なにせ前世では親しい間柄の人もいなければ、周りの人よりも早く自分が死んでいた。だからなのかすらもわからないけれど、こういう時に何をどう感じればいいのか知らなかった。

ヒオリが言っていたように、まだ生きている可能性も当然あるだろう。ノラの技量を以ってすればレーゲンスを上手くあしらって逃げ切れるかもしれないと、俺が一番わかっていた。けれど、それ以上にノラが殺されている可能性の方が高いこともわかっているのだ。

レーゲンスと一対一で戦ったからこそ感じ取れたことだが、あの執念のような意志の強さと残忍さ、そして、それらを力として発揮できる能力の高さは尋常ではない。夢物語を描くには、あまりにも高い壁だ。

それでも、頭ではそう分かっているけれど、俺はノラが生きていると信じている。いや、俺は信じなきゃいけないんだ。これは自分が犯した過ちなのだから。


こうして俺が夜風にあたりながら、独りで鬱々と自分への言い訳をしていると、こちらへ向かう気配がした。足音からしてミヤかヒオリだろう。

俺は不格好に寝転がっているのを見られてはたまらないと思い、すぐに身体を起こした。


「ホムラ様、隣に座ってもよろしいでしょうか?」

「ミヤか…。別にいいけど、ヒオリは一緒じゃないのか?」


やってきたのはミヤだった。そして、綺麗な姿勢のまま縁側にゆったりと腰を掛ける。

さっきまではヒオリと一緒にミツキの様子を見に行っていたはずだ。何かあったわけではなさそうだが、いつもはミヤに付いて行きたがるヒオリがいないのを不思議に思い、聞いてみる。すると、ミヤは優しそうな表情で目を細め、少し遠くを見るように笑った。


「今は姉弟の水入らずの時間ですので、邪魔者の私はこっそりと退散してきました。それにずっとヒオリのそばに居てしまうと、あの娘も疲れてしまうと思いますので」

「そうか?ヒオリの方がずっと一緒について回っているような気がするけど」

「ヒオリは意地っ張りですから、たとえ疲れていても自分からは言い出さないのです。私やあなた様には、特に。だからこそミツキ君とは互いに支え合って欲しいのですが、全然うまくいきませんね…」


ミヤは「もっと私がしっかりとしないと…」と独り立ちしていく妹を惜しみながらも、自分を律していた。俺はミヤがそこまで考えてヒオリと接してくれていることに驚くとともに、自分よりも遥かに出来た人だと改めて実感した。さっきまで不貞腐れていた自分が情けなるほどに。けれど、俺はそんな気持ちを表に出さないように言葉を返す。


「そんなことはないさ、ミヤのおかげでヒオリとミツキはずいぶん仲良くなった。ところで、何か用があって来たんだろ?いつも気を遣ってもらってばかりだけど、俺にはあまり気を回さなくていいんだぞ」

「ふふっ…やはりバレてしまっていましたか。ですが、私はホムラ様に仕える神官です。やはり礼儀を欠くようなことはできません」


わざわざミヤが俺のところにまで来るのは、何かしら話したいことがあるからということは自明の理だろう。さすがにそれが分からないほど鈍感ではない。

そして俺がそう指摘すると、ミヤはいたずらがバレた子供のように可愛らしく笑った。年相応の少女らしい笑顔に毒気を抜かれるも、やはり俺の心の中では鬱陶しい劣等感が首をもたげてきていた。


「俺は君たちを従えるような器じゃない。いつだって皆に助けられてばかりだ。出来もしない理想を掲げて、巻き込んで、いつかは死なせてしまう。そんなヤツは神である資格なんてないだろ…」


俺は投げやりにつぶやく。愚痴を言ってもしょうがないのはわかっているが、つい言葉が口をついて出てきてしまう。

今回の戦いで思い知ったのだ、自分が神という存在に不相応なことを。大した意志もなければ、前世で何かを成したわけでもない。そして、こうも感情に振り回されている自分が俺自身嫌いなのだ。

ミヤはそんな俺の言葉を聞いてから、少し躊躇うように考え込む。そして、おもむろに口を開いた。


「……恐れながら申し上げます。私は他の神様を存じ上げませんが、神というものは器で決まるものではないと思っております。私自身もホムラ様に見合う神官の器ではないということは重々承知しています。私が神官を務めさせていただいたきっかけも、日頃から神那へ赴いていた時にたまたまホムラ様にお会いしただけに過ぎません」


神を信仰する少女が胸の内を明かすように言葉を紡いでいく。ミヤの表情は真剣そのものだった。そして、その眼は決して俺を労わるために言っているのではないと伝えていた。


「ですが、幼少の頃からお慕いし続け、いつも祈りを捧げていたのは決して義務や下心からではありません。私がそうあるべきだと思っているからそうしているのです。そして、それは神官になってからも変わりはありません。ですので、ホムラ様もホムラ様があるべきだと思う神様になればよいのだと思います」


ミヤはそう言い切ると、やはり優しく微笑むのだった。そして、その笑顔は女神か何かと錯覚してしまうほどに清らかだった。

自分があるべきだと思う姿になればいい。それはとても単純で、だからこそとても難しい。そして、難しいからこそ前に進んでいける理由になるのだ。けれど、俺の中にはまだ不完全燃焼な感情が残っていた。


「あるべき神様か…。俺は皆を守りたいだけなんだ。でも、誰かを虐げてまで自分の気持ちを突き通すことは正しいのか?相手が悪人であろうと、俺の願いは所詮俺だけのものだ。だからこそ、それを理由に誰かを蹴落としていいとは思えないんだ」


まるで自分を照らす光に縋るように、俺は自分の気持ちを吐露していく。

レーゲンスと戦って、思い知ったのだ。俺にとっては正しさなんてものがないことに。けれど、皆を守りたいという感情だけは決して譲れなかった。俺にはそれが正しいのか間違っているのかも分からない。もう既に、俺の中では正義と悪がごちゃ混ぜになってしまっているのだ。

ミヤはそんな俺を見て、少し寂しそうな表情をした。そう、まるで昔の自分を見るかのように。


「ホムラ様、何かを守るためには汚れることを恐れてはいけません。ホムラ様から見れば私は敬虔な信徒ですが、ホムラの人たちから見れば日頃から仕事をせずに祈ってばかりの娘でした。それは決して良いことではありません。けれど、私にとって祈るということはそれだけ大切だったのです。私は祈ることのために多くのモノを捨て、多くの時間を費やしました。それは誰かの気持ちを踏みにじっても、私が守りたいと思えるものだったからです」


ミヤは強い口調で言い切った。あの控えめで謙虚なミヤがここまで言うのだから、過去に色々あったことは容易に想像がつく。そして、そこに譲れない気持ちがあることも。


「………つまり、守るためなら誰かを打ち倒してでも、自分の気持ちを貫いていいのか?」

「よいのです、ホムラ様――いえ、ユズル様が正しいと思うことを成されれば。それを誰かに否定されることもあると思います。ですが、全ての人から見て正しいことなどありません。もし胸に抱いた想いが正しいことだと思うのであれば、それを貫き通して下さい。それがホムラの未来になるのですから」


ホムラに住まう人間であり、神と会話できる神官である少女は祈るように言った。

正しさなんてものは、その人の心の中にしかないのだろう。しかし、それは同時に危うさでもあった。


「それでいいのか?ミヤたちは俺の自分勝手な気持ちで出来た道を歩くことになるんだぞ?何も不満はないのか?」

「不満、ですか…?」


ミヤは「うーん…」と少し悩んでから、思いついたように口を開いた。


「それでしたら、もう少し私たちを頼って欲しいです。溜め込んで溜め込んで、辛い思いをしている姿はもう見たくないですから」


そう言って少しいたずらっぽく笑う少女を前に、俺は成す術もなくうなだれるしかなかった。ここまで言われてしまっては立つ瀬がないだろう。やっぱり敵わないなぁ…という気持ちもあるが、おかげで少し前を向くことができた気がする。


「わかった…。ありがとう」


そして、俺は肝に銘じるように答えたのだった。

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