第39話 賭け
最初に気付いたのはヒオリだった。
虚霊の大群と死闘を繰り広げている中、ユズルとレーゲンスの巨大な力のぶつかり合いにふと視線を向けた時に、それが目に入ってしまったのだ。
レーゲンスの槍が自らの主の身体を貫いている光景を。
「え――――――?」
最初は幻影かと思った。
自分の悪いイメージが作り出した勝手な妄想に過ぎないと。
だが、違った。
目に映る映像がゆっくりと、そう、まるで止まっているかのように動いていく。
そして、驚くほど鮮明に見えてしまう。
主の口を伝う赤く濁った血も、槍を引き抜かれて崩れ落ちていくその姿も、傷口から流れ落ちる夥しい量の真っ赤な鮮血も、全て。
そこで、ヒオリはようやく気付いた。
これが紛れもない現実であり、自分のかけがえのない主が死に瀕していることに。
それに気付いた途端、止まっていた時が動き出したかのように全身から血の気が引いていく。
そして、思わず手を伸ばす。届かないとわかっていても、そうしないわけにはいかなかった。
「あ…そんな…ユズル様ぁぁぁぁぁああああ!!!」
泣き叫ぶような従者の声が、しんと静まり返っていた部屋に木霊した。
☆☆☆
崩れ落ちるユズル、そして、勝利を確信するレーゲンス。そこへ後を追うようにヒオリの叫び声が響き渡る。
誰もが息を呑んだこの一瞬の間に、最初に動いたのはノラだった。
「ハッ――――――!!」
アインとセインの巨体を一瞬で蹴り飛ばし、目にも留まらぬ速さで戦場の中心――ユズルの元へと向かっていく。
地を蹴り上げ、音を置き去りにしてひた走る。
ノラは自身の至らなさを悔いながらも、すぐに思考を切り替え、善後策を探っていた。
こうなった以上、最優先にすべきはユズルの命だ。
だが、今の状態ではまともに動くことすらできないだろう。
特に槍で貫かれた箇所はどう見ても致命傷だ。できればノラが治してやりたいのだが、そう簡単にいくとは思えない。
そして、逃げるにしても誰かが背負っていかなければならないのだ。
下手をすればドミノ倒しのように全員がこの場で死を迎えることになりかねない。
ノラは敵の配置、特性を考えながら次の一手を探ったが、結論は一つだけだった。
そして、それはユズルが決して望まない選択だろう。
けれど、既にノラの腹は決まっていた。
ホムラに宿った若き命をここで燃やし尽くすわけにはいかないのだから。
ノラは僅かな時間で意思を固めると、駆け抜けるようにレーゲンスの足元から血だらけのユズルを掠め取る。
だが、そのまま逃げ切ろうとはしなかった。すぐにユズルを床に寝かせると、短刀を構えて戦闘態勢に入る。
それを見て、レーゲンスは嫌そうに顔を歪めた。
「やはり、君は厄介な存在だな。ここまで他の神に尽くすのは少々意外だったが…」
「レーゲンス、お主についてもおおよそ見当は付いておる。お主の存在から、お主の姑息な戦い方までな」
ノラは見透かしたように言葉を吐き捨てる。
ノラがこうして助けに入ることはレーゲンスにとって計算済みであり、まとめて一網打尽にしようと考えていたのだ。
そして、ノラもそのレーゲンスの意図が分かっていたからこそ、無理に逃げようとはしなかった。
「だが、そこの若き神との戦いは…フフ…素晴らしいものだった。久々に私も熱くなってしまったようだ」
「下らぬな…。造られた存在であるお主が何を言っても虚しく聞こえるだけじゃ」
「私はそんな陳腐なものではない。そこら辺の有象無象と一緒にしないでもらおうか。それに、君には私を煽っていられるほどの余裕はないと思うが、いかがかな?」
その言葉と共にレーゲンスのそばに竜と虎が並び立つ。
どちらも膝を折るように頭を低く下げ、虎の虚霊――セインが口を開く。
「レーゲンス様、お手を煩わせて申し訳ありません。一瞬の隙を突かれてしまい、面目次第もございません」
「フフ…まあいい。どっちにしてもこの神は私の前に立ちはだかっただろう」
レーゲンスは従者たちの失態にも余裕そうに受け応えをする。
それもそうだろう。何せ敵の主力を倒し、決定的な彼我の戦力差を作り出したのだから。
たとえ少し虚を突かれたとしても、ノラたちが絶望的な状況であることは何も変わっていない。
だが、ノラは既に手を打っていた。
そして、ノラの三文芝居もここで終わる。
「くくく…っ!」
「………?何が可笑しいのかね?」
ノラがこらえきれずに笑う様子をレーゲンスは訝しげに眺める。
ついに壊れてしまったかと思うような神の姿に、言いようのない違和感と不快感が湧いてくる。
先ほどまで余裕だったレーゲンスが焦り感じている
「存外お主も間抜けじゃのう?なあ、ミツキ?」
「あとはお任せ下さい…っ!」
ノラの呼びかけに、どこからともなくミツキの声が響く。
虚霊たちはとっさに周囲を見回すが、ミツキの姿は確かに元の場所にあった。変わらずに虚霊と戦っている。
では、この声は一体なんなのか?
レーゲンスたちが答えに気付いた時には、もうミツキとヒオリは天井にある部屋の出口にたどり着いていた。
そして、ミツキの背には傷だらけになっていたユズルの姿があった。
「謀ったな、貴様!」
「神が騙してはいけないという道理はないじゃろう」
ノラは憤るレーゲンスを嘲笑うようにしたり顔をする。思わずそうしてしまうほど鮮やかな連携だった。
この立役者はノラではなくミツキだ。
ミツキは誰よりも早くノラの意図に気付いていたのだ。
“自分を犠牲にユズルを逃がす”という、その選択に。
そして、あらかじめ分身を生み出して置いておき、自分は影に身を溶け込ませて、ひたすらに時を待っていたのだ。
見事な脱出劇だが、ミツキは苦渋な表情を浮かべ、ヒオリは顔を伏せたままだった。
二人は自分たちの無力さを痛感させられていた。戦う強さだけでなく、心の強さもまた力不足であると。
なぜなら、この選択はノラを犠牲にすることを意味しており、決して手放しで喜べることではないからだ。
「くっ…!追―――」
「行かせるわけがないじゃろう!」
レーゲンスは従者に追撃の指示を出そうとするが、それを遮るようにノラが動いた。
神威で円形の環を作り出し、詠唱を行う。
『此処は仮初めの宿。万物悉く防ぎ賜え』
円形の環に沿って光の壁が球体となり、一瞬にしてノラとレーゲンスたちを覆う。そして、光の壁は中と外の繋がりを途絶させる。
本来は防御のための力だが、互いを球体の中に閉じ込めることによってレーゲンスの追撃を妨害したのだ。
「レーゲンス様、すぐに破壊します」
「よせ!お前たちでは間に合わん」
すぐさま壁へ向けて攻撃をしようとした従者たちをレーゲンスが制止する。
たとえ今すぐ追いかけても間に合う見込みはない。そのうえノラを野放しにしてしまえば、また裏をかかれる危険性もある。レーゲンスはそう判断したのだ。
ノラは敵が止まったのを見届けると、いまだに動けずにいるヒオリとミツキへ向けて叫ぶ。
「お主らはさっさと行かぬか!わしはそう簡単には死なぬ」
「でも―――――」
「姉さん!いいんだ。僕らのやるべきことは主様を救うことだ」
ノラの言葉にヒオリが思わず声をあげそうになるが、それをミツキが制止する。
そして、ミツキはヒオリの手を引いて外へと向かっていった。
「あんな雑魚を逃がしてどうするというのかね?たとえ助かったとしても、ここへ再び来る勇気など到底持ち合わせてはいないだろう」
レーゲンスは心の底から不思議だとでも言いたげにノラへ問いかける。
今のユズルでは、この虚霊の“主”に勝つことはできないだろう。
それはノラ自身もよくわかっていた。
だが、ノラは知っていた。あの異世界の元人間が、自分たちの常識の埒外にいることを。
あの若き神は決して強くはない。だが、時折見せる“想い”という要素においてだけは飛び抜けているのだ。
そして、それは神威を扱う神にとって、圧倒的な力になる。
たとえ自分が死んだとしても、彼はそれを糧に遥か上へと羽ばたくことだろう。
あの翼は、そう簡単に折れはしない。
「あれはそんなタマではない。いずれお主にもわかるじゃろう」
そして、ノラは不敵な笑みを浮かべながら、眼前の敵を見据えた。
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