第40話 探り合い

ヒオリとミツキ、そしてユズルがいなくなった部屋で、残された神と虚霊が対峙していた。


「君があの不完全なホムラをそれほど買っているとは意外だな。君ほどの神があの程度の小僧のために消えるのは忍びないが、これも運命ということだろう」


レーゲンスはそう言うと、漆黒の槍を手に取る。

その隣に並び立つ従者たち―――アインとセインもそれぞれ戦闘態勢を整える。

そして、ノラの背後からは僅かに残っていた下位の虚霊の集団が迫ってきていた。


まさに四面楚歌。周囲を敵に囲まれ、逃げることもままならない。

ノラは一度目を閉じて深呼吸をすると、強い眼差しでレーゲンスを見据えた。


「運命、か…。否定はせぬが、わしはここで消えるつもりは毛頭ない」


その言葉には長き時を生きてきた者の重みが詰まっていた。

ノラは人間からしてみれば悠久に等しい時間をこの世界で生きている。

だが、決して楽なことではなかった。

幾度となく殺されかけ、幾度となく友を失い、幾度となく戦いにその身を投じてきたのだ。

いくら絶望的な状況であろうとも、生き抜くことだけは忘れない。

それだけは、絶対に。


だが、レーゲンスはそんなノラの強固な信念を目の当たりにして、嗤った。

嘲笑ではない。自分よりも格が上の存在を目の前にした高揚感が、身体の内側から湧き上がってきていたのだ。


「フフ…この状況でいまだに強がりを言っても仕方のないことだ。私は決して手を抜くことはない。特に君に関しては、な」

「敵に情けを掛けられることなど期待してはおらぬ。じゃが、そう簡単に殺されてやる気も更々ないだけじゃ」


ノラは言葉を返しながら、突破口を探そうと思考を巡らせていた。

背後の虚霊はほぼ警戒する必要はない。むしろ、ノラの小さな身体を隠すにはもってこいの動く壁となる。

だが、盾にはならないだろう。

虚霊はたとえ知性を持っていたとしても、同類に対する情を持つことはない。彼らが抱くのは敵に対する欲望や憎しみだけなのだ。

しかし、この強敵たちを相手に真っ向から挑んでも返り討ちに遭うことは目に見えている。

そうなると策を弄して戦うしかないのだが、地の利もなければ数的にも不利な状況では起死回生の一手などあるはずもなかった。


ノラの頬から汗が一滴、地面へと落ちていく。

冷静になればなるほど狭まっていく可能性に、さしものノラも苦悶せずにはいられなかった。

速度では分があるため、すぐに詰むことはないと思うが、いつまでも耐えられるわけではない。だが、なんとか従者の一体でも倒すことができれば逃げ切れる可能性も出てくるはずだ。

とにかく今は、少しでも数を減らすように立ち回るしかない。


「どうやら、覚悟は決まったようだな。この世との別れも済ませたかね?」

「あいにく死なないことでは有名でな。お主ごときではわしを殺せはせぬ」


ノラはレーゲンスの言葉を躱すように言い返す。

レーゲンスはまるで敬意を払うかのようにノラの準備が整うのを待っていたが、その内心は危機的な場面に悩む神の姿を見て愉しんでいただけだろう。

だが、ノラはそんなレーゲンスの意図を全く気にすることなく、口を動かしつつタイミングを見計らう。


ノラとレーゲンスたちを覆っている光の壁を解除した時が最初の勝負になる。ここで手傷を負うわけにはいかない。

ノラは落ち着いて光の壁への神威を止めた。すると、ガラスが砕けるように光が粉々になって散っていく。星のようにキラキラと降り注ぐ光の粒が空中を舞い踊る。

そして、それを合図に、互いが地を蹴り上げ走り出した。


「ハッハァ!!オレが一番乗りだ!」

「アイン、先走り過ぎるな。相手は我々よりも強いのだぞ」


竜と虎が真っ先にノラへと突っ込んでくる。


人型の竜―――アインは主に爪と尻尾による攻撃がメインだが、体格も良いため打撃も警戒しなければならない。ただ、攻撃は単調で大味だ。以前ユズルとの戦闘を見たこともあり、躱すのは難しくはないだろう。

影の虎―――セインは四足歩行の虎そのものだが、非常に優れた判断力を持っている。移動速度・反応速度ともにノラに匹敵しており、その速さが危険な要素だろう。攻撃的なアインと組み合わせると厄介な相手だ。


ノラは後ろに控えているレーゲンスを警戒しつつ、この二体を迎え撃つ。

まずは低く飛びながら突っ込んできたアインの爪を左手の短刀で受け流しつつ後ろへ逸らす。そして、小さな身体を活かし、そのままアインの腹の下へ潜り込む。

一瞬の早業だ。

ガラ空きの腹に右手の短刀で一撃を入れようとするが、その前にとっさに頭を下げる。

ノラが頭を下げた瞬間、視界の端から割って入ってきた黒い爪が空を切った。

アインの数拍後に、地を這うように飛び込んできていたセインの爪だ。攻撃をしようとしていたノラを仕留めにいったのだ。


「くっ―――――!」

「速いな」


ノラはすかさずセインへと標的を変え、短刀で切りつけていく。

だが、セインは冷静に全てを爪で弾き、間合いを詰められないように牽制する。

勝負を急ぎたいのはノラであって、虚霊側はじっくりと攻めていけばいいのだ。それがわかっているからこそ、セインは深く踏み込むようなことはしない。


「オレを忘れんじゃねェ!」


ノラとセインのせめぎ合いに、体勢を立て直したアインが割り込んでくる。

開幕で飛び込んでいったのにも関わらず、軽くいなされてしまったことに苛立っているようだ。

その様子を見て、ノラは一度後ろへ身を引こうと、足を半歩後ろへズラす。

アインはノラが下がる方向を先読みしつつ、強烈な拳を叩き込もうと腕を引いた。その強靭な肉体から放たれる打撃は、小さなノラにとっては致命傷になり得る。

さらに、ここでセインがノラを正面から追い立てるように一歩踏み込んでくる。アインの攻撃のアシストをしつつ、自らも詰めをこなすという堅実な一手だ。

前からも、引く先にもノラへの攻撃が迫ってきていた。このままではどう動いても躱しようがないかのように見える。


だが、ノラはこれを読んでいた。

後ろに引くと見せかけていた足を起点に、逆に前へと跳ぶ。

そして、踏み込んできていたセインとすれ違うように、その懐へと飛び込んだ。

すれ違いざまにセインの鋭い爪がノラの腕を掠め、その柔肌に僅かに傷を残すが、ノラは気にすることなく短刀を振り下ろした。

セインの後ろ脚に食い込むように斬りつけるが、切断することはできなかった。

―――――これでは浅いか…!

ノラは心の中で舌打ちをしながら、すぐさま反転して敵の攻撃を警戒した。


「やはり、我々では捉え切れないか…」

「ちッ!速すぎて全然当たんねェ!」

「レーゲンスよ。この阿呆共ではわしには勝てぬぞ」


ノラは毒づくアインとセインを煽るように、そして、外野から動かないレーゲンスへと言葉を投げる。

これには早くレーゲンスを戦場へと引っ張り出したい、というノラの意図があった。


ノラが全力でこの従者二体と戦ったのなら、ほぼ負けることはないだろう。先ほど手合わせした時に、おおよその攻撃パターンを知ることができている。

だが、ノラがこの従者たちを攻め切ることができていないのは、今この時もレーゲンスへの警戒を解くことができないからだ。

そして、レーゲンスは従者たちとの戦いを通して、ノラの動きを観察している。

このまま戦闘が長引けば長引くほど、不利になっていくのはノラなのだ。

それがよりノラの気持ちを焦りに駆り立てていた。


「フフ…君の胸の内に渦巻いているのは“焦り”かな?神直々のご指名のようだが、私はまだ手を出さないとも」

「どうやらお主は不毛な探り合いが好きなようじゃな…」


レーゲンスはノラの内心を見抜き、余裕の表情のまま動く気配がない。

ノラは嘆息し、諦めたように視線をアイン・セインに戻した。

そして、再び短刀を構え、そのまま視線を動かさずに右手に持った短刀を投げた。脇で眺めたままのレーゲンスへ。


「―――――――!!」


ノーモーションで投擲された白く輝く刃は、神速で敵に向かっていく。

レーゲンスは予想外の攻撃に驚きつつも、槍で短刀をはじき返す。

短刀は無情にも、そのままレーゲンスの足元に落ちた。


「今ので一矢報いたつもりかね?」

「一矢?笑わせるでない」


ノラはレーゲンスを見てせせら笑うと、言葉を紡いだ。


『結べ』


すると、地面に刺さっていた短刀を起点に、白い帯状の光がレーゲンスへと何重にも巻き付いた。光の帯は拘束具のようにレーゲンスを覆い、その身動きを封じる。

短刀での攻撃と、神威による拘束の二段構えの攻撃だったのだ。


「貴様!レーゲンス様に何を!」

「セイン、落ち着かぬか。私はこの程度で封じられたりはしない」


そう言うとレーゲンスは全身に力を込め、光の帯を勢いよく引きちぎった。

バラバラになった光の帯が光の粒となって消えていく。

そして、ノラを煽るように口角を上げて笑う。


「せっかくの秘策を容易く破ってしまったようで申し訳ない。もう少し捕まっていた方がよかったかな?」

「いや、もう十分じゃ。知りたいことは知れたからの」


ノラは神威を破られたにも関わらず、それを気にする素振りを見せることはなかった。

なぜなら、あの技の目的は攻撃でも拘束でもなく、あの帯状の光は相手の力を見定めるためのものだったのだ。

相手の全身を覆うことで、僅かだが相手の能力を感じ取ることができるというノラの隠し技の一つだ。


ノラがこのタイミングで使ったのには理由があった。

それはレーゲンスを戦場に引きずり出すことと、ある疑問について知るためだった。

そして、レーゲンスの力を見た結果はノラが描いていた一番厄介な事態であることを示していた。

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