第34話 邂逅

ユズルたちが“村”と“町”をつなぐ門の前にたどり着くと、待ち構えていたかのように重厚な扉がギィィ…と音を立てて開いていった。


「これ開けるのすっごい大変そうだよね~」

「姉さん…これはそういう仕組みなんだよ…」

「へぇ~!考えた人あったまいいね!」

「お主らはもう少し静かにせぬか…!」


わいわいと騒ぐ式の二人をノラが諫める。

ユズルとノラは以前ギンジに会いに来た時にこの門を知っていたが、“町”を覆う巨大な壁とそこに鎮座する門を初めて見れば、誰もが興奮するのは間違いないだろう。

そう思ってしまうユズルは、口を挟めば自分もノラに叱られるので、離れて苦笑いをしながら眺めていた。


ガタン…と扉が開き切る音とともに、ユズルはその奥に人影あることに気付く。

黒い礼服をまとった執事がユズルたち一行を恭しく出迎えていた。


「ホムラ様でお間違いないですね?お待ちしておりました」

「昨日神那で会ったんだから確認は必要ないだろ?」


昨日は姿を見ていなかったが、ユズルにはわかっていた。

この執事はギンジを追いかけていた刺客の一人であるということが。


「フフ…流石ですね、お見事です。今日はただの案内役に過ぎませんので、お気になさらず」


ユズルの言葉に執事は笑みを深め、わざとらしい仕草で仰々しく褒める。

そして、深々とお辞儀をしながら、とめていた馬車へと一行を招き入れる。


「レーゲンス様は屋敷にてお待ちです。それではご案内いたします」




馬車から眺める“町”はたしかに美しい街並みだった。

計算された見栄えのする外観を見せつけている、そんな気がする。


「ここってなんだか変な雰囲気だよね…。あたしは正直居心地が悪いや…」

「僕も否定はしないけど、もう少し言い方に気を付けなよ…」


ヒオリが気怠そうにつぶやく。

それを咎めるミツキも息の詰まるような嫌な不快感を覚えていた。

言葉にできない違和感と身震いするような悪寒が絶えず襲ってくる。

そして、それはここにいる神全員が感じ取っていることだった。


「ユズル、お主はわかっておるな?」

「ああ、僅かだけど気配が漏れ出てる」


だが、ノラとユズルの二人だけは正確に感じ取ることができていた。

この気配は虚霊だ。

何かの力で上手く覆ってはいるが、隙間から漏れ出している。

式の二人は戦闘に特化していることからこうした微細な感知には疎いため、虚霊の気配であることに気付くことができなかったのだ。


「これが“主”の力ってわけか…」

「そうじゃな。これはまだ力の一端に過ぎぬとは思うが、それ以外にあり得ぬじゃろう」


ユズルが“主”の力を感じ取れたことに安心感を覚える一方で、ノラは逆に警戒感を強めていた。

かつてノラが相見えた虚霊の力はこれより広範囲の気配を完璧に消すことができていたのだ。

それに比べれば、この力は不完全としか言いようがない。

油断を誘われている、ノラはそう感じ取った。


「お主ら、くれぐれも油断するでないぞ」


ノラの放つ緊張感が全員を包み込み、一行は押し黙るように静かになる。

虚霊の気配がするということは、いつ奇襲が来てもおかしくないからだ。

そうして、誰も一言もかわすことなく馬車は目的地へと着くのだった。



☆☆☆



“町”の中心―――レーゲンスの城の一室で、若き神と頂点に立つ老人が向かい合っていた。

レーゲンスは例のごとく椅子に腰かけ、不敵な笑みを浮かべている。

そのレーゲンスの背後には二人の執事が控えており、ユズルたちを威嚇するように殺気を放っている。


「君が新たなホムラか…」


老人がゆっくりと品定めをするように目の前にいる神の姿を見る。

その声音からは内側に潜む興奮がにじみ出ており、抑えきれない攻撃的な殺気が見え隠れしていた。


「ああ、そうだ。話し合いに…って雰囲気じゃなさそうだな」

「ククク…私は長らくこの時を待ち侘びたのだ。少しぐらいの無礼は許してくれたまえ」


くつくつと笑う老人。

それとは対照的に、初めてレーゲンスと対峙したユズルはその不気味さを全身で感じていた。

得も言われぬ恐ろしさとでも言えようか。

狂気と悪意と殺意がぐちゃぐちゃに混ざり合っているのだ。

その人間離れした雰囲気に、ユズルは改めてギンジの警告の意味を実感する。

式の二人もそれに影響されるように身体をこわばらせる。


一行の中では唯一ノラだけが自然体を崩さずに、いつ虚霊が襲ってきても対処できるように警戒をしていた。

そして、それがこの場の均衡を保っていたのだった。


「俺はあまり争いをしたくないんだがな…」


ユズルは誤魔化すように口を動かす。

心を落ち着かせ、冷静に眼前に座るレーゲンスを見据える。

そんな神の様子に、レーゲンスは余裕気にますます笑みを深めた。


「それは君次第だ。神というだけで上に立つべきではない。気高く強い心を持ち合わせているか、確固たる決意を抱いているか、それが重要なのだ」

「つまり、俺は試されてるってことか?」

「試す…とは少し違うな。私は試練を与えたりはしない。ただ見極めるだけだ」


そう言うと、レーゲンスは不意に立ち上がった。

そして、そのままゆったりと部屋の中を歩いていく。


手に武器はないが、その唐突な行動にユズルたちは一気に警戒感を強める。

ノラを除く部屋にいる誰もが、レーゲンスの意図を読み切れずにいた。

何かを考えているのか、それともただの演出なのか。


「早速だが、君に聞きたいことがある」


レーゲンスはそう言うと、広い部屋の真ん中で立ち止まる。

そして、合図をするようにパチンと指を鳴らす。


すると、部屋の横に設置されていた扉が開き、何かが投げ込まれる。

ユズルたちは一斉に身構えるが、投げ込まれたモノを見た瞬間に息を呑む。


それは人だった。

目隠しをされ、奴隷のような布切れを纏ったみすぼらしい少女だったのだ。

レーゲンスはその少女を掴んで持ち上げると、目隠しを外す。


「ひぃっ…!?」


少女はレーゲンスを見た途端にか細い声で悲鳴を上げる。

その顔は恐怖に歪んでいた。

そして、ユズルたちが状況を飲み込むよりも早く、レーゲンスは懐に忍ばせていたナイフを少女の首元にあてがった。


「さて、この少女を救うか、この町を救うか、どちらを選ぶ?」

「……何を言ってるんだ?」


レーゲンスの質問に、ユズルは起伏のない声で応える。

そして、ユズルの中をはじけ飛ぶような怒りが駆け巡った。

握りしめた拳はわなわなと震え、目の前がチカチカとする感覚に襲われる。


しかし、レーゲンスはそんな神の怒りにまるで興味を示さず、少女の首にナイフを少し食い込ませた。

真っ赤な血がナイフを伝い、一滴、また一滴と地面に落ちていく。


「聞こえなかったかね?この少女とこの町、救うならどちらを選ぶ?」

「そうじゃない!お前…っ!こんなことが見極めるってことなのかよ!!」


叫びとともに纏っていた神威が部屋を覆うように広がる。

神の威を知らしめる圧倒的な力が空間を支配する。

まともな人間であれば、その神の姿に恐れ戦くのだが、レーゲンスは涼しい顔をしたまま淡々と語る。


「そうだとも、使い古された陳腐な問いだと罵ってくれても構わない。だが、神であろうと人間であろうと感情は持ち合わせている。これは私の持論だが、誰かを見極めるには感情を揺さぶるのが一番効率がいい。さあ、君の本性を見せてくれたまえ!」


レーゲンスは不敵な笑みを浮かべたまま、ユズルを煽るようにけしかける。

だが、もはやユズルにとってレーゲンスの見極めなど取るに足らないことだった。

いま大事なのは、この少女を助けること

そして、ユズルがレーゲンスを殺さないのも、ひとえにこの老人が人間であるからだった。

自分が神である以上、勝手に感情に任せて殺すのはあってはならないことだと決めていたからだ。


「そんなことはどうでもいい。今すぐその娘を解放しろ」

「そうか、ではやってみたまえ」


その直後、ユズルは神速で近づき、レーゲンスが持っていたナイフを素手で握り潰す。

人間には捉えることができない早業だった、

レーゲンスが驚きのあまり息を呑み、少女は呆然とした表情になる。

そして、時が止まったかのような二人の目の前を、ユズルが握りつぶしたナイフが粉々になって地面に落ちていく。


それを見てもなお、少女はボーっと棒立ちになっていた。

おそらく相当酷い目に遭わされていたのだろう。あまり状況を飲み込めていないようだ。

だが、すぐに自分の首元をさわると、その表情が一気に安堵と喜びであふれる。

今まで縛られていた恐怖から解放され、自由になれるのだと。


しかし、その足が一歩踏み出した瞬間、少女の顔がこわばり、苦悶に染まる。

今度はユズルが状況を把握できなかった。

視線の先では、少女の腹から刃物が飛び出していた。

そして、少女の口から深紅の血が溢れてくる。


「………え?」

「残念、救えなかったな」


レーゲンスが無表情のまま突き刺していたナイフを引き抜く。

まさに一瞬の出来事だった。

ユズルがナイフを握りつぶした後、逆の手で隠し持っていたもう一本のナイフを死角から突き刺したのだ。


そしてこの瞬間、この部屋の均衡をギリギリで保っていた緊張の糸がプツンと切れた。


まず少女が刺されると同時に、ヒオリとミツキが神威と殺気を纏い、一息にレーゲンスへと迫る。

神たる力を存分に発揮し、およそ人間には知覚できない速度で飛ぶように駆けていった。

そして、それを予測していたかのように、レーゲンスの後ろに控えていた執事たちも動いていた。

自分たちの主を守るべく、ヒオリとミツキを阻むように位置取りをする。

両者がぶつかり合えば、話し合いどころか壮絶な殺し合いが始めるだろう。


だが、両者がぶつかり合うことはなかった。

あと一人、冷静なままでいた神がいたからだ。


ノラは式の二人がレーゲンスにたどり着く前に一瞬で追いつくと、彼ら腕を掴み、走る勢いを利用してそれぞれを横の壁へと投げた。

投げられた二人はいきなりの乱入にもかかわらず、瞬時に空中で体勢を立て直して壁に着地する。

そして、殺気に満ち溢れた目で、邪魔をしたノラを睨みつける。


「なんで邪魔をするのよ!!」

「この人間はユズル様の敵です。我らが殺さなくては」


二人から同時に強く抗議されるが、割って入った当の本人は呆れるようにため息をつく。


「はぁ…お主ら、落ち着かぬか。まずはこの小娘を助けるべきじゃろう。そちらの者たちも下がらぬか」


ノラの言葉に、双方の従者たちは無言のまま元の位置へと下がっていく。

形ではノラがレーゲンス側を庇ったように見えるが、ノラからすればヒオリとミツキを助けたに過ぎなかった。


先ほどレーゲンスが気付かれずに少女にナイフを刺したことにしても、控えていた執事が式の動きに付いていけていたことにしても、凡そ人間にできることではない。

つまり、レーゲンスと二人の執事は人間ではない。少なくともノラはそう考えている。

もし“主”によって特別な力を与えられた人間だったり、特殊な虚霊だった場合には、無防備に突っ込んでいった式の二人は返り討ちに遭っていたのだ。



外野で従者たちがせめぎ合いをする中、部屋の中心は時が止まったかのようだった。

ユズルは目の前の出来事に思考が追い付かず、茫然自失となっていた。

ただただ己の無力さに打ちひしがれ、呆然と血を流す少女を眺めていることしかできなかった。


そして、ナイフを引き抜かれた少女はふらふらと前後に揺れると、そのまま前のめりに倒れた。

ドクドクと流れる真っ赤な血がユズルの足元まで広がっていく。


「ぁ…ぃ…痛い…や…やだ…」

「………っ!まだだ!まだ救える!」


だが、少女のか細い声にハッと我に返る。

神にはまだ手段が残されているのだ。

たとえ瀕死の重傷であったとしても、神の力を以ってすれば治すことができる。


「…わ…わたし…死んじゃうの?」

「大丈夫だ!死なせない、死なせるものか!」


ユズルは少女を抱き起し、神威での治療をはじめる。

それを間近で見ているレーゲンスは止めることもしなければ、邪魔をすることもなかった。

ただ興味を失った冷徹な目で眺めていた。


「君はつまらないな…。信念もなければ、特別な何かを持っているわけでもない。他人から与えられた正しさを自分のものとして扱うことしかできていない。君が少女を救うのは、それが正しいと思うからかね?君がしていることは、周りの者から見ての正しさでしかないだろう。目の前にある借り物の正しさを振りかざし、我が物顔で神を名乗るのは怠慢だ」


レーゲンスは心の底から失望したように目の前の神を酷評する。

だが、ユズルにとって大事なのは、やはり目の前の命だった。

そして、自分が刺した少女をまるで気にも留めないレーゲンスに激昂した。


「お前は…っ!お前はこの“町”の長じゃないのか!この娘はお前が守るべき民なんじゃないのか!?」

「守るべき町、守るべき民、そんなものは存在しない。私にとって町も民も、私そのものだ。たとえ神に頼らずとも、私はホムラを偉大な町にしてみせる。そのために使えぬゴミは切り捨てるのが道理ではないか」


その言葉を聞いて、ユズルは悟った。

ああ、この老人は自分の思い描くホムラにいてはならないと。

そう切り捨てるだけで、心がスッと軽くなった気がした。


「正しさなんてものはどうでもいい。お前が屑だってことはわかった。それだけで十分だ」


そして、傷を治した少女を脇に寝かせ、ユズルはゆっくりと立ち上がる。

その眼はただ目の前にいる自分の敵を見据えていた。


「俺がお前を殺してやるよ」

「それは楽しみだ」


ユズルは凍えるような冷たい殺気と荒れ狂う神威を身に纏い、レーゲンスに突き刺すように放つ。

だが、それを浴びてもなお、狂気に囚われた老人はその笑みを深めるのだった。

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