第35話 牽制

「私はまだ君を見極め終えてはいないのだが、君が戦いを望むのであれば応じようじゃないか」


レーゲンスは余裕の笑みを浮かべたままスッと目を細める。

そして、今まで散漫だった殺気が収束していく。

その常人なら身の毛のよだつような殺気も、既に臨戦態勢に入っているユズルにとっては気にもならない程度だった。

殺気などとうに超えた圧倒的な殺意が胸の内から溢れ出ていたのだから。

そして、この狂った老人にいかにして命の大切さを教え込み、嬲り殺す手段だけを考えていた。


だが、両者が戦いの火蓋を切る前に、割り込む者が一人だけいた。


「その前に一つ聞いてもよいか?」


ノラは両者の荒れ狂う殺気の中であっても平然としていた。

そして、ユズルたちの中で唯一冷静に状況を読んでいた。


「君は…フフ、なるほど」


ノラを見て、納得したようにレーゲンスは殺気を解く。

そして、それに合わせるようにユズルもノラの様子を黙って見ていた。


「この小僧の連れとでも思ってくれればよい。それより、お主は何者だ?」


「何者?私はこのホムラの町長にして頂点に立つレーゲンスというものだ。それすらも知らないで付いてきたのかね?」


レーゲンスは拍子抜けをした様子で呆れたように煽る。

レーゲンスだけではない。ユズルたちもノラの気の抜けた質問に思わず眉をひそめた。今更それを聞く意味があるのかと。

だが、ノラは険しい表情を崩さないまま言葉を続ける。


「わしが言っているのはそういった意味ではなく、お主の中にあるものじゃ。率直に言わせてもらえば、お主、人間ではないな?」


「人間じゃない…?」


ノラの言葉にユズルが思わず声をあげる。

ユズルだけではなく式の二人や執事たちも、それぞれ別の意味合いだが、揃って驚きの表情になる。

これまで人間の町を治めていた者が人間ではないとなれば、誰もが驚きを隠せはしないだろう。


「ククク……ハハハハハ!」


レーゲンスはノラの言葉に一瞬だけ驚くと、堪えきれないとでもいうように大声で嗤いはじめた。

片手で顔を覆い、天を向くように身体を震わせる。

部屋の中でただ一人だけ嗤い続けるその姿は、やはり狂っているとしか表現のしようがないほど、不自然で不安定に見えた。

だが、嗤い終えると、その顔にはいつもと同じ余裕の笑みが浮かんでいた。


「さすが、ご慧眼の通りだとも。たしかに私は普通の人間ではない。だが、まさかこの場で見抜かれるとは思ってもいなかった。私は君を見誤っていたのかもしれないな」


レーゲンスは隠すこともなく、ノラの言葉を認める。

だが、その赤い眼の奥に、それまで見せることがなかったどす黒い本気の火が灯っていることをノラは見逃さなかった。

そしてそれは、今まで道化師のごとく包み隠していたレーゲンスの本心がはじめて表面に発露した瞬間でもあった。


「もしや……お主は――」

「賢俊たる神よ、それ以上は控えてもらおうか。それを知るには、まだ早い。私の台本も少々修正しなければならなくなってしまったのでな」


何かに気付いたノラが疑問を呈する前に、レーゲンスがそれを遮る。

そして、それを疑問に対する答えと捉えたノラは口を閉ざした。

だが、まるで蚊帳の外に放り出されたユズルは納得がいっていなかった。いや、納得がいかないというよりも、自分が理解できないまま話が進んでいくことに苛立ちを覚えていたのだ。


「人間じゃないってことなら、こいつは――」


そして、ユズルがノラへと視線を向け、疑問の続きを聞こうとした矢先だった。

ユズルがその先の言葉を紡ぐよりも早く、レーゲンスが行動を起こす。


「では、先の章へと行くとしよう」


そう言って指をパチンと鳴らすと、突然ユズルたちの足元の床が消える。

下を見れば、そこにはただ真っ暗闇の空間が口を開けていた。

これはレーゲンスが作り出した空間ではなく、ただの大きな落とし穴だ。

冷静に対処すればなんてことはない古典的な罠だが、突如として襲ってきた浮遊感に、ノラを除く三人は思わず焦ってしまう。


「なっ―――!?」


とっさに神威で身体を浮かせるが、それに意識が向くことでレーゲンスへの注意が疎かになってしまう。

そして、それに気付いたユズルが前を向いた時には既に手遅れだった。


「少し手荒だが、我々の戦いにふさわしい場所まで案内しよう」


レーゲンスは笑みをたたえながら、ゆったりとした動作で手を前にかざす。

そして、ユズルたちは不可視の力で真下へと叩き落される。

ノラが全員を守るように神威を展開させるが、防御に力を割いていたため、その衝撃には踏みとどまることができずに押し負けてしまう。


そのまま一行は暗闇の中をものすごい勢いで落ちていく。

まず地面への激突を警戒したが、この大穴はかなりの長さのようで、すぐに地面にぶつかることはなさそうだった。

また、神威を纏っていたおかげなのか、誰も怪我らしい怪我を負っていない。


「(……すぐに神威で立て直して上に飛ぶこともできるけど、あの場にはさっき助けた少女がいる。相手も上から降りてきている気配がするから、戦うなら別の場所がいいだろう)」


ユズルは瞬時にそう考え、空中で仲間たちに目配せをしつつ声をかける。


「下で迎え討つ!」

「はい!」「承知しました」「いいじゃろう」


まんまと策に嵌められたようで癪に障るが、ユズルは罠を警戒しつつ出口まで降下していく。

大穴を抜けた先は、まるで闘技場のような円形の広場となっていた。

どうやら地中を丸ごとくり抜いたようで、壁や地面を見ても自然にできたものではないことがわかる。

そして、何よりその大きさが圧倒的だった。

ホムラの“町”全体とまでは言わないが、小さな町ならばすっぽりと入ってしまうほどの大きさだ。

また、壁のあちこちにここへ繋がる通り道があることから、おそらく洞窟だった場所を何らかの力で広げたのだろう。

ユズルたちが抜けてきた大穴は、この広場の中心付近の天井に開いていた。


ユズルたちは追ってくるレーゲンスらを警戒しながら、出てきた穴から少し距離を取るようにして着地する。

それぞれ一言も言葉を交わすことなく、全員が無意識に武器を構えていた。

戦いが始める前のピリピリとした緊張感が漂う。


そして、すぐにユズルたちの後を追って、レーゲンスがゆったりと優雅に降りてくる。

ユズルはその姿を見た途端に、思わず刀を持つ手に力がこもる。

なぜなら老人から放たれる気配が先ほどまでとは大きく異なっていたからだ。

この悪寒のように突き刺してくる不気味な気配は、まさに虚霊そのものだった。


「この気配は…!」

「先ほども言ったように、私はただの人間ではない。ここにいる存在――君たちが虚霊と呼ぶ者たちを統べる者」


レーゲンスは地面に降りることなく、空中からユズルたちを見下ろすように漂う。

その様、その風格、その纏う力はまさに虚霊の王と呼ぶにふさわしいものだった。

ハッタリや酔狂ではなく、この老人が神に匹敵する力を持っていることは疑いようのない事実だろう。


そして、レーゲンスが姿を現すとともに、ユズルたちの背後からも虚霊の気配が湧き出してくる。

距離はあるが、その数は10や20ではきかない。


「(まずいな…このまま乱戦になったら大きく不利になる。全力の神威で一掃するか?)」


ユズルが思考を巡らせるが、ユズル自身が対処していたらどう動くにしてもレーゲンスが浮いてしまう。

そのことにユズルはわずかに逡巡するが、そこへスッとヒオリが近づき、小さく耳打ちをした。


「ユズル様、後ろはあたしたちがやります」

「頼む…」


ヒオリは緊張した面持ちだったが、その目には強い意志が宿っていた。

横を見れば、ミツキも同様に覚悟を決めていたようで、ユズルは安心して二人に背中を任せることにした。


後ろでユズルたちがこっそりとやり取りをしている中、ノラは一人でレーゲンスと対峙していた。

ただでさえ小柄なノラは、ほとんど見上げるようにしてレーゲンスを睨みつける。

互いに長い時を生きてきた者同士だけあって、多少の牽制ではビクともしない。


「ここにいる虚霊が見付からなかったのは、お主の能力じゃな?」


ノラは確認するように問いかける。

状況から察するに、ほぼ確実にクロだろう。だが、探りを入れずにはいられなかった。

それほどノラにとっては因縁深い力なのだ。


「フフ…知っているのなら聞くまでもないことだろう。だが、私の力は君が知っているものよりも弱い。全てを完璧に消すことはできないのだからな」

「―――!!お主、一体どこまで知っておるのじゃ?」


レーゲンスはまるで予期していたかのように、余裕の笑みを崩すことなく答える。

その様子とは対照的に、ノラは焦ったようにもう一度疑問を投げかけた。

この能力を持っているならまだしも、かつて大厄災で使われていたことを知る者は神々の中でさえ少ないのだ。

当然ながら、“主”とはいえ一介の虚霊が知っている情報ではない。

ノラの心の中を以前考えた最悪の可能性がよぎる。


レーゲンスはノラの反応を愉快そうに眺めていたが、その言葉に応えることなかった。

そして、背後に控えていた執事たちと共にスーッと地面まで降りてくる。


「さて、お喋りはここまでにしよう。私はホムラの神、君を見極めるために呼んだのだから」


そう言うと、レーゲンスはパチンと指を鳴らす。

それを合図に、背後に迫ってきていた虚霊の大群が一斉に動き出した。

波のように沸き立つ虚霊たちの怒号が広場に響き渡る。


「ミツキ、いくよ!」

「わかってる!」


ヒオリとミツキは互いに目配せをすると、それを迎撃すべく武器を手に走り出した。

神威を全身に纏い、神に反抗する者を駆逐する力を遺憾なく発揮する。


残った者たちは、互いに目に見えない牽制をし続けていた。

ユズルとノラの荒れ狂う神威と、レーゲンスたちが放つ虚霊の漆黒のオーラがぶつかり合う。

地面には亀裂が走り、空気が軋むように鳴く。


「偉大なる神よ、君には手を出さないでおいてほしいものだが」

「わしがそれを素直に認めると思うのか?」

「フフ…そうせざるを得ないようにするだけだとも。アインヴァス、セインヴァス、やれ」


背後に控えていた二人の執事が飛び出してくる。

それぞれ両手に細く鋭いサーベルを持ち、人間離れした動きでノラに迫る。

この二人もレーゲンスの能力が解かれるとともに虚霊であることが割れていた。

つまり、神を殺す力を持っているということだ。


「くっ………!」


ノラは執事たちの息の合った連撃を両手に持った短刀で捌いていくが、巧みにユズルから引き離されてしまう。

相手が二人ということもあるが、それ以上に相当の戦闘技術を持っているのだ。

剣捌きだけでなく、細やかな連携や人数差を利用した牽制など、見事な戦術を組み合わせていた。

ノラは無理にユズルと共に戦うよりも、この厄介な相手を倒してから合流した方がいいと判断し、邪魔が入らないような場所まで移動していく。

ユズル一人を残していくことに一抹の不安を覚えるが、すぐに頭の隅へと追いやる。

それはノラが戦場では甘えた判断が命取りとなると十分に理解していたからこそできた判断だった。


そして、残されたのはホムラの若き神と、虚霊を統べる者。

全体的にレーゲンスの思惑通りに事が進んでいるが、ユズルはそれほど気にしてはいなかった。

なぜなら、ユズルにとってはこの男と一対一で戦えることができれば、それでよかったのだから。


「これで邪魔者はいなくなった。存分に戦おうではないか。命の削り合いこそが、その者の本質を曝け出す」

「そうかよ。なら、お前の醜さがよくわかるかもな――!」


レーゲンスは漆黒の槍を、ユズルは白銀に輝く刀を携える。

そして、ホムラの頂点に立つ者たちの戦いが始まる。

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