第32話 頼み
ホムラの裏側で多くの思惑が交錯する中、そんなことは露ほども知らず、俺は日々の修行に明け暮れていた。
毎日のようにコツコツと、戦っては見直し、戦っては見直す。
そんな試行錯誤の繰り返しだ。
だが、決して苦痛ではなかった。
俺にとっては、自分が求められ、それに応えることができるということが何よりも喜びだったから。
最初は独りよがりだった心も、まるで家族のような仲間に囲まれるにつれて少しずつ背を伸ばせるようになった気がする。
かつて夢も希望もなければ期待もされなかった俺にとって、それは革命的だった。
特にヒオリとミツキの存在が大きかった。
出来の悪い兄にできた、可愛く無邪気な妹と真面目で頼りになる弟のようなものだ。
自分が二人を支えなければいけないという責任感、そして自分が頑張ることで共に前に進んでいける達成感が、俺の背中を強く押していた。
二人を、いや、皆を守る。
そんな気持ちが俺の中に芽生え始めていた。
そんな“誰かを守りたい”という気持ちが、これほど心強いものだとは知らなかった。
馬鹿にされるかもしれないが、自分が生きているだけで誰かを支え、誰かを守るために努力できるだけで、心の底から幸せを感じていたのだ。
そしてノラの言葉通り、神威は使えば使うほど感覚を覚え、面白いように上達していった。
なにせゼロから始めたようなものだ。
上がりこそすれ、下がることなど起こるはずも無かった。
今では身体に纏う神威を微細に調節することから言葉を使った大技まで、自由自在とまではいかないが、無意識に扱うことができるようになっていた。
そして、式の二人を召喚してから、一ヶ月が経とうとしていた。
しっかりと前には進んでいるが、俺は少しずつ焦りを感じ始めていた。
それはノラが“主”の討伐に一向に挑む気配がなかったからだ。
「いつ“町”に行くんだろうな…」
修行の合間の休憩をしながら、ミツキに声をかける。
昼も過ぎ、夕方へと移り行く空を見ていると、何となく物足りなさが募ってきていた。
「僕に聞かれても困りますよ…。ノラ様が決めるのではないですか?」
「そうなんだけど、あと一歩だっていうのに、もうずいぶんと動いてないからさ。ホムラの為にも早く倒したいんだ」
そう言うと、隣にいるミツキが呆れたような顔をされる。
「ノラ様は僕らの戦力を鑑みて決めるようですし、まだ力が足りていないということでは?」
「それは、そうなんだがな…」
虚霊を全て倒さなければ、ホムラは平和にならない。
いくら“主”が強いとはいえ、最近はノラとも対等に戦えるように戦えるようになってきた。
俺一人ならともかく、全員で挑めば勝てないことはないだろう。
そう思えば思うほど、もどかしさだけが募っていく。
「主様は少し急ぎ過ぎなのだと思います。平和とは心の安寧です。今のホムラは平和と言ってもよいのだと、僕は思いますよ」
ミツキの言う通り、神官であるミヤのおかげで人々は平穏な日々を過ごせている。
災害が起きる頻度も減り、疫病については撲滅できた。
だが、それは“村”だけだ。
“町”については状況がわからないどころか、一歩も足を踏み入れていない。
あの壁の向こう側で毎日のように人が死んでいると思うと、俺がのうのうと安全な場所で生きていていいのだろうか。
そんな罪悪感に囚われてしまっていた。
「でも、俺は救いたいんだ、全部。俺ができることなら」
俺は小さく、だが力強くつぶやく。
自分勝手で思い上がった我儘なのかもしれない。
それでも、俺がこの世界に転生し、今もこうして生きていられるのは奇跡なんだ。
だからこそ、俺は自分自身の力を尽くして、誰かの為に何かを成したい。
「そう思うのでしたら、もっと強くなりましょう。僕も力を尽くしますから」
「……そうだな。よし、続きをするか!」
そして、ミツキに促されるように立ち上がった瞬間だった。
―――神那に向かう複数人の気配!
主神である俺だけは、この神那の敷地に何者かが侵入した瞬間に気配を感じ取ることができる。
それを俺は瞬時に感じ取り、飛び降りるように全速力で下の広場へと向かう。
(……動きからして、一人が追いかけられている?)
虚霊ではなく、ただの人間だ。
争いになったとしても問題はないが、まず戦う必要はない。
とりあえず姿を見せて、神威で威圧すれば勝手に消えてくれるだろう。
俺は広場に降りるまでの一瞬でそう判断し、全身に神威を纏う。
視線の先にはミヤと、入口から広場に続く階段の途中で倒れている人影が一つ。
遠目からでもわかるほど、赤く鮮明な血が点々と続いている。
どうやら他の気配は森の中に潜んでいるようだ。
俺は勢いよく広場に着地すると、隠れている気配たちへ向けて、威嚇するように全身から神威を放つ。
人間からすれば得体の知れない威圧感が伝わっているはずだ。
「ここはホムラの神が治める地だ!無用な争いをするのならば、俺が相手になろう!」
大声で森の中へと呼びかけると、スゥ…と消えるように気配が無くなる。
人間の中では相当な手練れと思われるが、一体誰が何をしにここまで来たのだろうか…。
俺が怪訝に様子を伺っていると、すぐそばにいたミヤがハッと何かに気付いたように走り出す。
「あの人は…っ!」
ミヤは焦るように階段で倒れている人影の元へと走って向かっていく。
そして、傷を庇うように抱き起こす。
「ギンジさん…っ!?しっかりして下さい!!」
そう、その人影とはギンジだったのだ。
全身が切り傷だらけで、階段の下から点々とした血の跡が続いている。
特に腹部の傷が深く、太い刃物が刺さっていたようだ
ひとまず神威で身体を浮かし、安全な広場まで運ぶ。
「ぐっ……しくじっちまったな。……なあ、あの神様はいるか?伝えなきゃならねえことがあるんだ」
「今は何も話さないで下さい!すぐに治します!」
ギンジが呻きながら声を出すが、ミヤに鋭く制止されて静かになる。
だが、かなり息が荒い。
複数の傷から察するに、相当な痛みが襲っているのだろう。
そして、ミヤは横になったギンジに手を当て、神威による治療をはじめる。
神の光がギンジの身体を包み込み、至る所にあった生傷が少しずつ治っていく。
「早く…早く治さなくちゃ…!」
一見するとミヤの様子は落ち着いて見えるが、親しい知人の大怪我にかなり気が動転しているようで、先ほどから神威の調節がぐちゃぐちゃだ。
それに上手くいかない焦りから、無理をして強めの神威を使おうとしている。
これでは逆に治りが遅くなってしまう。
「落ち着け、彼なら大丈夫だ。いつも通りやればいい」
「……っ!はい!」
ミヤは大きく深呼吸をして、静かに神威を使う。
ゆったりとした優しい光がギンジの傷付いた身体を包み込む。
そして、わずか数分で、致命傷と思われた腹部の傷も綺麗に治すことができた。
しばらく安静にしておいた方がいいのだが、あのギンジがこうなるとは非常事態だということは明白だ。
ひとまず会話ができるようになったところで質問をしていく。
「色々と聞きたいことはあるんだが、ひとまずそちらの用件を聞こう」
「いや、まずは謝らせてくれ。本当に申し訳ねえ…」
ギンジは深々と頭を下げる。
そして、落ち着いて順を追うように経緯を説明していく。
「あいつらは、おそらくオレを殺しにきた町長の刺客だ。“村”の周りを歩いているところを突然襲われた。なんとか応戦したんだが、不意を突かれてな…。ここに逃げ込むしか方法が思い付かなかった」
「ここに入ることなんてのはどうでもいいさ。だが、町長の刺客…?関係は良好なんじゃなかったのか?」
最初にミヤから聞いた時には、ギンジが上手く間を取り持っていると言っていたはずだ。
すると、ギンジは疲れ切ったように笑った。
「そりゃ建前ってもんだ。あのイカれた老人と対等に渡り合うことなんて、誰にもできやしない。気まぐれな薄氷の上に乗った平和だったんだ」
ギンジは諦めきったように遠くを見つめながら続ける。
「あの男はホムラの神――あんたに会いたがっていた。だが、俺はその提案を突っ撥ねた。あの男はあんたを利用するか、消そうとしているからだ。まあ、その結果がこのザマだから、オレも何も言えやしねえがな」
そう言って乾いた笑いを顔に貼りつける。
だが、俺には信じられなかった。
いや、信じられないというよりも不思議だったのだ、人間が神を利用しようとすることが。
はっきり言ってしまえば、俺には人間に対する危機感がまるでなかったのだ。
「俺が町長に会うと何か不都合があるのか?相手は普通の人間なんだろ?」
すると、ギンジは大きく息を吐き、いつものような強気な表情に戻った。
そして、その強い眼で俺を威圧するように見る。
「この際だからはっきりと言っておくが、あんたはまだ未熟だ。特にオレと出会った頃は青二才と笑われてもおかしくなかったな…。だからこそ、オレはあの時あんたをホムラの神として認めなかった。もしあんたの名が広がっていれば、すぐにでも奴と出会うことになっただろう。そして、殺されていた、確実にな」
ギンジの本気の言葉が鋭い刃となって、俺の胸に突き刺さっていく。
そうだ、俺は何を悠長なことを言っているんだ。
自分の目の前で信頼する人が殺されかけていたんだぞ。
そして、それを平気でする人間がいること自体が異常なはずなんだ。
俺の中に眠っていた危機感が、今さらのようにふつふつと湧いてくる。
そして、それとともに粘っこいドロッとした怒りに近い感情が顔を出す。
だが、俺は唐突に湧いて出たこれらの感情をうまく扱うことができなかった。
感情を向ける先はある。
それでも、そうすることを躊躇っていた。
なぜなら、相手が人間だからだ。
神となった俺にとって、ホムラの人たちは守るべき存在であり、助けるべき存在なのだ。
俺には自分が守るべき人々に怒りをぶつけるという行為に正しさを見出せていなかった。
だからこそ、気持ちの行き場を見失ってしまっていた。
そんな俺を横目に、ギンジは話を続ける。
「あの男を見くびっちゃいけねえ。あれは心の底から狂っている、本当に同じ人間なのか疑わしくなるほどにな。オレは奴が神を殺せる存在だと言われても信じるぜ」
「神を殺せる存在…」
つまり、町長が虚霊…?
いや、人間に見えるということは人間のはずだ。
“主”が何か関わっているのだろうか?なぜ?どうやって?
ただでさえ感情が暴れ始めている俺の胸中を、尽きない疑問が埋め尽くす。
まるで思考がまとまる気配がなかった。
心と頭が空中分解して、あちこちに散らばっているようだ。
俺が要領を得ていない様子を見て、ギンジは最後の力を振り絞るように俺の腕を乱雑に掴む。
それに俺はハッとして、思わずギンジの顔を見る。
その表情は、その眼は、たしかに燃えていた。
何かを訴えかけるように、そして、何かを託すように。
そして、絞り出すように言葉を紡ぐ。
「ぐっ…情けねえが、オレには時間稼ぎしかできなかった…。もう頼れるのはあんたしかいないんだ。神頼みってのは性に合わねえが、全部あんたに託す」
ギンジはそう言い切ると、精根尽き果てたかのように仰向けで地面に倒れ込む。
俺が初めて聞いた、ギンジの泣き言であり、頼みだった。
このギンジの言葉で俺の腹は決まった。
答えなんてものは単純だ。
“町”へ赴き、自分自身の目で確かめるのだ。
俺がすべきことも、“主”を倒すことも、ホムラの平和も全部。
そう決めると、俺は何も言わずに後ろを振り返り、呼びかける。
「ノラ、聞いてたか?」
ノラはいつもの調子で呆れながらこちらを見る。
「聞かずともわかる。お主は“町”へ行く、そう言いたいのじゃろう?」
「ああ、明日この戦いに決着をつけてやる」
俺は自分自身の心に言い聞かせるように、力強く決意をした。
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