第29話 町
ホムラの"町"。
外部からは遥か天に聳え立つ壁によって断絶された空間。
"村"の人間でも、この空間に正式に入ることを許されている人物は数えるほどしかいない。
その一人である村長のギンジは、普段は目にすることがない、しかし既に見慣れてしまった街並みを冷徹な眼差しで眺めていた。
ギンジがいるのは“町”の中心に鎮座している堅牢な建物――町長の住む城である。
はじめはごく平凡な豪邸だったが、次第に圧倒的な権力を誇示するようになっていく外観から、いつしか“城”と呼ばれるようになった。
その姿はただ豪華絢爛なのではなく、形作る全てが高潔さと優雅さを兼ね備え、圧倒的に洗練されている。
権力者にありがちな下卑た雰囲気など微塵も感じさせない、徹底的で冷徹なシルエットは見る者を畏怖させることだろう。
そして、この町に来る全ての者を威圧するように出迎えているのだ。
ギンジは今、その中にある客室の窓から“町”全体を見下ろしている。
“町”を覆う壁の内側には所狭しと石造りの建物が並び立ち、そこには確かな文明が息づいている様子が窺える。
また、それらの建物は住宅だけでなく、商店や鍛冶屋、簡易的な学校など、まさに近代的な建築物が綺麗に配置されている。
そして、多くの家の煙突からは煙が朦々と立ち上り、人々が確かに生活していることが伝わってくる。
誰が見ても“村”と“町”では、文明の発達に差があることは否定のしようがないだろう。
だが、ギンジはこの事実を“村”の人々には伝えていない。
伝えれば、心が折れてしまうからだ。
幸せを一概に文明レベルによって測ることはできないが、それでも持つ者と持たざる者の違いは確かにあるのだ。
ギンジが物心ついた頃には、“町”と“村”の間には巨大な壁が割って入っていた。
それは“村”の人々にとってはごく自然で、誰も疑問に思うことなどなかった。
ほとんどの人は“町”に何があるのかを知らなかったのだから。
だが、ギンジにはそれが理解できなかった。
彼にとって、壁はホムラを分断する異物だったのだ。
だからこそ、はじめて“町”に入った時は子供のように感動した。
本当のホムラの姿を見ることができたと思い、様々な世界の人々がホムラへとやってくるのが誇らしかった。
いつか壁がなくなり、ホムラがより大きく広がっていくのだろう、無邪気にそう思っていた。
しかし、全てに気付いてしまった時、それは絶望へと変わった。
そこまで考えてから、ギンジはまるで出口のない感情の波を吐き出すように、大きくため息をする。
ここに来る度に昔を思い出してしまうことに、我ながら辟易してきた。
だが、この喉が詰まるように苦く絡み合う感情こそが、今のギンジを突き動かしているのだ。
かつての夢は野望となった。
壁を打ち壊し、“村”も“町”も無くすのだ。
このホムラを解放し、全てを元に戻すために。
だからこそ、使えるモノは全て使う。
自分を苦しめる存在も、理解できない存在も、そして神ですら、ギンジにとっては利用するモノに過ぎないのだ。
ギンジは堂々巡りに入った思考を中断するように椅子に深く座り、目の前に置かれた紅茶を飲む。
しかし、その仄かに香る甘さが、やけに強く頭の奥にまで響いてくる。
飲んだことをわずかに後悔しつつも、そのまま気を紛らわせるために二度三度と口に含む。
こうした部屋のそこかしこに置かれている、ふかふかの椅子や色鮮やかな絨毯、美しい茶器は、全てギンジをもてなすためのものだ。
その事実に嫌悪感を覚えつつも、使えるものは全て使う主義なので、まるで遠慮することはない。
だが、見える景色だけは、どうにも気になってしまう。
この“町”で一番高い建物の窓から見える風景は、全てが額縁に入った絵のようである。
美しく整備された道、見栄えのいい色合いの住宅、その他の“町”を構成する全てのものが計算しつくされている。
理想的な街並みとは、こういう様相を指すのだろう。
だが、ギンジは知っていた。
ここの人々は生きているのではなく、生かされているのだと。
文明的で、誰もが幸せな生活はまやかしであると。
なぜなら、この地を支配しているのが“あの男”だからだ。
つい無意識に拳を強く握る。
目の前に置かれた高級な茶器や、この部屋に敷かれた美しい絨毯も全て用意されたものに過ぎない。
まるでわざと見せつけるように飾られた豪華絢爛な装飾品の数々には、思わず反吐が出そうになる。
ここにあるものは全て、他者を見下すためにある。
持つ者が持たざる者を下に見て、嘲るためだけに使われるのだ。
物に罪はないし、使えるものは全て使うが、そんな見え透いた下心が見えることには嫌悪感を覚えざるを得ない。
そして、何より厄介なのが、ここの主はただ見せつけるために高価なモノを置いているわけではないことである。
悪趣味なことに、この場所へ来る者の人格を試しているのだ。
憤る姿を面白可笑しく観賞するのか、品性のない者を切り捨てるのか、はたまた自分と合う者を探しているのか。
いや、あの男は自分以外の存在全てを自分勝手なふるいにかけているのだろう。
そう思ってしまうほど、それはギンジにとって理解できる範疇の外にある存在なのだ。
ギンジがただひたすらに思考の海を旅していた時だった。
不意にコンコン、と部屋の扉がノックされる。
「ギンジ様、お時間です」
執事が恭しくお辞儀をして、ギンジを迎えにくる。
客だからもてなすのは当然のことだが、彼が決して自分に対して敬意を払っているわけではないことを、既にギンジは知っていた。
この町に住む者にとって、目上の者などただ一人しかいない。
そして、この執事も、ギンジがあの男の客人だから丁重に扱っているに過ぎない。
どうでもいい。
心の底からそう思った。
「わかった。すぐにいこう」
ギンジは執事の言葉に返事をすると、すばやく身支度を整える。
そして、もやもやした気持ちを一気に流し込むように、カップに残った紅茶をひと飲みする。
品性の欠片もない甘ったるい味が口の中に広がるが、むしろ今のギンジにとっては良い気分だった。
ここから先は甘えた感情など捨てておくしかないのだから。
そして、ギンジは決別するように部屋を出た。
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