第25話 名付け

深いまどろみの中にいた。


ただ、心地が良いほど暖かく、とても安らかな眠りだった気がする。

この全身をやわらかく包む優しさを、しばらく手放したくなかった。

こうして心を満たす安らぎを手放したい者など、誰もいないだろう。


けれど、少しずつ遠ざかっているような気がする。

そう思えば思うほど、暖かさがどんどん薄れていく。


それが嫌で、思わず手をのばす。

届かないとわかっていても、そうせずにはいられなかった。


だが、俺が伸ばした手を誰かが掴んだ。


あれ?と思った瞬間、俺は夢から目覚めた。



まず目に入ってきたのが、見覚えのない少女の顔だった。

そして、少しずつ俺の寝ぼけた頭に情報が投げ込まれていく。


女の子。

膝枕の上。

芳しい香り。

手を握られている。


俺は自分の目に入ってきた状況を整理する前に、全力で少女から離れるように後退った。


え?なに?どうなってるんだ?


俺が訳もわからずに間抜けな顔をしていると、少女がくすくすと笑いだす。


「もう、ユズル様ったら、何をしてるんですか?」


よくよく少女を見てみると、見覚えがあることに気が付いた。

燃えるように赤い髪と、それに負けず劣らず目立つルビー色の強気な眼。


そうだ、彼女は俺の式だ。

気付いた瞬間、思わず手を叩く。


そのまま落ち着いて自分がいる部屋を見回してみるが、たぶん神殿の中で間違いないだろう。

あまりにも綺麗になっているので、まるで別物だ。

少女が片づけてくれたのだろうか。

だとしたら、ちゃんとお礼をしないとな。


そう思い、彼女に声をかけようとした時、脇から別の人物が割って入ってきた。



「単純に寝心地がよくなかっただけでしょ。だから僕は静かにするべきだって言ったんだ」


その声は、俺と少女がいる部屋の扉付近から聞こえてきた。

見てみると、もう一人の式である少年がこちらに向かってきていた。


「なによ、自分ができないからって僻んでるの?弟なんだから、黙ってユズル様の為に片付けでもしたら?」


少女は少年の言葉にムッとしながら、煽るように返す。

それに対して、少年は静かに淡々と返事をしていく。


「まず姉って認めてないから。それに僻む僻まないじゃなくて、主様に迷惑が掛かっているんだ。そこを弁えてくれないかな」


「あんたねぇ…!」


少女はその言葉に激昂するように立ち上がり、ズンズンと少年の方へ向かっていく。

俺は唐突に始まった口論についていけず、二人の間でおろおろすることしかできないでいた。


式の二人は向かい合うように立ち、互いを睨み合っている。


少年は、線は細いがそれなりに身長があり、俺よりも少し高いぐらいだ。

それに対して、少女はミヤとノラの間といった位で、小柄な分類に入るだろう。


なので、睨み合っているというよりも、少女が見下ろされているようなものだ。

そして、それがより少女の怒りを買っているようだ。



一触即発とは、今の状況を指すのだろう。

そう、俺は現実逃避をするように頭の片隅で考えていた。


たが、この事態を収められるのは、この場にいる俺しかできない。

とにかく声をかけないと…。


「な、なあ、ちょっと落ち―――」

「何をしておるのじゃ!!この馬鹿者どもがっ!!」


決死の覚悟で出した俺の声をかき消すように、ノラが大声で怒鳴りながら入ってくる。


途端に、二人ともがバツの悪そうに目を逸らす。

俺が寝ている間に何があったんだ…。


ノラは少女の前まで来ると、少し見上げるように圧をかける。

身長ではノラの方が小さいのに、まるでそれを感じさせないほどの威圧感がにじみ出ていた。


「また投げ飛ばされたいのか?」

「い、いえ、大丈夫です…」


圧のあるノラの言葉に、少女が引き気味に答える。

二人ともがノラにビビりまくっている様子を見ると、相当教え込まれたみたいだな…。


ノラは二人が黙るのを確認すると、俺の方を向く。


「ユズル、お主がこやつらの主人じゃ。まずは名を付けてやるとよい」

「名を付ける?俺が…?」


いきなり話を振られて戸惑ってしまう。

そうじゃ、とノラがうなずく。


「名を付けるということは、お主とこやつらを繋げることになる。言葉とは、それ相応の力と意味があるのじゃ」


そう言われると困ってしまうのだが…。

ただでさえ名付けをやったことがないのに、それほど重大なことだと思うと迂闊なことが言えなくなる。


とりあえず、俺はうーん…と悩みながら二人を眺める。


少女は期待に目を輝かせながら、じーっとこちらを見てくる。

まるで“わくわく”という擬音語が頭の周りに見えてきそうな勢いだ。


少年は、ただ静かに自然体のまま、俺の言葉を待っている。

冷静さ、礼節、緊張といった感情が混ざり合っているようだ。


それぞれ個性的な反応で、よく性格が表れている。



「後にしておくのも一手じゃが、どうする?」


俺が悩んでいる姿を見て、ノラが助け舟を出してくれる。

たしかに無理に決めるよりは時間を置いた方がいいだろう。

だが、俺はそうしなかった。


「いや、名は体を表すとも言うし、今ここで決めておきたい」


なぜだか、今ここで決めた方がいいという予感がしたのだ。

それに、名前は不思議とすぐ頭の中に浮かんできた。


――――決めた


俺はまず、少女と向かい合う。


名を与えられるとわかった瞬間、少女は先ほどまでの浮ついた雰囲気から一変し、スッと姿勢を正した。


「ヒオリ。それが君の名だ」


静かに告げる。


「君はまるで太陽が地に降りてきたような温かさと、溢れんばかりの熱量を持っている。それは、いつか迷う俺の背を強く押し上げてくれるような気がする。その真っ直ぐな心を忘れずに、俺と共に歩んでほしい」


少女は俺の言葉を聞き終えると、静かに一礼する。


「はい!たしかに賜りました。この名に恥じぬよう精進して参ります」


そして、にかっと明るく太陽のように笑った。



次に、少年と向き合う。


少年は、名を与えられるとわかっていても、自然体の姿勢を崩すことはなかった。

それが、彼なりの礼儀なのだろう。


「ミツキ。それが君の名だ」


静かに告げる。


「君はきっと月が満ちるまで待ち続ける慎重さと、冷静さを持っていることだろう。それは、いつか危うい俺の背を引いてくれる、そんな気がする。その静寂な心を忘れずに、俺と共に歩んでほしい」


少年は静かに俺の言葉を聞き終えると、少女と同じように一礼をした。


「はっ、たしかに賜りました。この名を汚すことなく、精進することを誓います」


少年の顔にはっきりとした笑みはない。だが、その表情は月のように輝いて見えた。



俺は名付けを終えると、二人の式を交互に眺めた。


まるで似ていないが、妙にしっくりとくる。

そして、それを感じることができたことが、本当に嬉しかった。


「君らはきっと、お互いが唯一無二の対となる存在だ。俺との絆もそうであるように、君らの絆も離れることはない。だからこそ、互いに助け合い、高め合い、もっと先へと進んでほしい。それが、俺の願いだ」


「「はっ、仰せのままに!」」


ヒオリとミツキは膝をつき、声を揃える。


俺たちはまだ進んでいける。

きっと、もっと先まで。

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