第21話 大厄災
階段を下りていくユズルの背中を見ながら、ノラは一人で浮かない表情をしていた。
というのも、ノラはまだユズルに明かしていないことがあるからだ。
以前から気になることとは言っていたものの、確信が持てず、伝えることができていない。
いや、確信が持てないから、とは言い訳のようなものだ。
ふー…っと大きく息を吐き、ひとまず心を落ち着かせる。
ノラがユズルに伝えていないこととは、ホムラの“町”の町長についてだ。
少し前にミヤの口から出た「町長のレーゲンス」という人物。
ノラはこの名前に心当たりがあった。
天界において、虚霊の研究を行っている研究員の一人にその名があったのだ。
そして、彼はかつて“大厄災”を引き起こした虚霊の一つを研究していた。
“大厄災”
今よりも少し昔、200年ほど前だろうか。
突如として現れた強力な虚霊の大群によって、世界が混沌へと陥っていった出来事である。
はるか昔から神々と虚霊との戦いは続いていた。
殺し合い、奪い合い、滅ぼし合っていたのだ。
その中で神々は、一人の主君と複数の家臣による“家”と呼ばれる関係を作り上げた。
仕える家臣は“家族”と呼ばれ、その統治の補助をしていた。
そして、それぞれの“家”が領地を治め、主君を城主とし、その城下に“家”の神々を慕う人間が城下町を形成していった。
この時代の人間にとって、神とは祈りを捧げる対象ではなく、まさに主従関係とでも言えるほど近い存在だったのだ。
そして、神々が領地を持つということは、神々同士による領地の奪い合いもまた、幾度となく起こったのである。
領地を奪えば、従える人間も増える。
人間が増えれば、城下町も栄える。
そして、得られる神威が莫大なものになる。
神々が争いをやめる理由などなかった。
そうした、ごくありふれた争いの最中のことである。
とある“家”の領地から大量の虚霊が溢れ出てきたのだ。
虚霊はその領地を荒らし、天災をもたらし、人々を苦しめていった。
だが、他の神々は我関せずとばかりに、これを放置していた。
この争いが絶えなかった時代において、負けが込んだ“家”が虚霊を倒しきれないといったことは決して珍しくなかったのである。
他の神からすれば、たとえ虚霊が自分の領地にきたとしても、自らの手で退治すればいいだけの話というわけだ。
ただし、この出来事は“ありふれたこと”では終わらなかった。
この虚霊の大群の中に、特殊な能力を持った極めて強力な虚霊がいくつか混じっていたのである。
それも並の神では束になっても勝てないほどの。
そして、虚霊が各地に散った後、わずかひと月の間にいくつもの“家”が滅んだ。
立ち向かった神は惨殺され、虚霊が支配する地は暗い混沌へと落ちていった。
こうして一度起こった波は、そう簡単には鎮まることはなかった。
産み落とされた恨みや憎悪は、世界中へ伝播し、より多くの虚霊を生み出していったのである。
やがて、数十年にもわたる、気の遠くなるような戦いになっていった。
そして、多くの神々や人々の命が犠牲になったのち、英雄と呼ばれた神たちによって討ち滅ぼされたのである。
この“大厄災”が残した傷跡は凄まじかった。
神々の約半数が死に、どこにも荒れていない土地などなかった。
そして、誰も争いを望まなくなった。
“大厄災”の終結からしばらくして、神々の間で同盟が交わされ、天界という統治組織が設立されたのである。
神樹を使った神威の供給、決められた領地の統治、虚霊の研究など、多くの仕組みが整理された。
二度と“大厄災”が起きないように。
その中でも特に注力されていたのが、虚霊の研究である。
何せ前例のない虚霊が突如として現れたのだ。
現れた原因だけでなく、その生態も把握しておく必要がある。
そして、天界に造られた研究所には多くの神が集められ、様々な虚霊の研究が日夜行われるようになった。
その集められた神の一人が、件の“レーゲンス”である。
ノラが彼を知っていたのは、本当に偶然である。
それは、彼が研究をしていた虚霊というのが、ノラにとって因縁深いモノだったからだ。
『自分だけでなく、周囲の虚霊の気配を消す能力』を持つ虚霊。
この虚霊を仕留めたのが、ノラだったのである。
昨日ホムラで突如として現れた虚霊は、全く気配を出すことなく奇襲を仕掛けてきた。
そして、前々からホムラの“町”に全く虚霊の気配がない。
色々と条件が揃いすぎている。
ただ、もし町長が神であるレーゲンスだったとして、目的も分からなければ、虚霊に襲われていない理由も不明だ。
そもそも神がホムラに来ているのならば、ノラが知らないはずがない。
その他にも疑問や不明な部分は数多くあるが、ノラはどうにも気になって仕方がなかった。
予感、とでも言えるだろうか。
あくまでも可能性の話だが、ノラはその確信にも似た嫌な予感を感じていた。
そして、それが当たっていないことを切に祈りながらも、ただ前を見据えていた。
一人の青年と、慕うこの地を守るために。
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