第18話 治療

気が付けば、日が少し傾きはじめていた。

夕方というには早く、昼というには遅い、なんとも中途半端な時間である。

昼寝でもしたいところだが、まだまだやることが山積みだ。


「さてと、ミヤ、早いとこ済ませていこう」

「は、はい!それではご案内します」


俺が声をかけると、ミヤはビクッと反応する。

神官として“村”を巡ることに緊張でもしているのか…?

俺が少し心配していると、すぐにこちらを振り返る。


「ホ、ホムラ様…!」

「ん…?何か気になることでもあるのか?」

「いえ、そうではないんですが…。あの、さっきの話は聞いておられましたか…?」


ミヤがおずおずと問いかけてくる。


「さっきと言うと、ギンジとのか?楽しそうだなとは思っていたけど、ちゃんと聞いてはいなかったな。何かあったのか?」

「い、いえ、聞いておられなかったのなら大丈夫です…!」


ミヤはあたふたと答えると、またすぐに前を向いてしまう。

よくわからないけど、聞かれたくないことだったんだろうな…。


「お主はなぁ…。もう少し察しがいい方がよいぞ」


俺のよくわかっていない様子を見て、ノラがミヤに聞こえないようにひそひそと声をかけてくる。


「あの娘っ子は、お主に気の抜けた姿を見せたくないんじゃ。お主は神で、娘っ子にとっては特別なのじゃろう」

「そんなものか?正直今更だと思うんだが…」

「わしにもあの娘っ子の羞恥心はよく分からぬ。じゃが、前々から少しズレておったからな…」


ノラの言葉には思い当たる節が色々とある。

ミヤは神のことになると、本当に人が変わるからな…。


少し考え込んでしまうが、ここで雑談に花を咲かせているわけにもいかないので、さっさと話を進める。


「ミヤの見立てだと、どれぐらいかかる?」

「そうですね…重病の人だけを回るにしても、終わる頃には日が沈んでいると思います」

「それは…覚悟を決めないとな」


ミヤの言葉を聞いて、若干顔が引きつる。

今のホムラのことを考えれば当然のことだが、改めて言われるとしんどいものがある。


「グズグズしておっても何も始まらんじゃろう。さっさとゆくぞ」


そのノラの言葉に背中を押されるように、俺たちは歩みを早めるのだった。



☆☆☆



「メイナのおばあちゃん、もう大丈夫だよ」

「ミヤちゃん、すまないねぇ…」


ミヤが丁寧に治療を終え、元気づけるよう声をかける。

そして、祈るように姿勢を正す。


「これもホムラ様の御導きです」


ホムラの"村"を巡りはじめて、かれこれ数時間になるだろうか。

治療は順調そのものと言えた。


最初はホムラに反発する人々が出るだろうと思っていたが、ミヤの人徳のおかげなのか、あまり目立った拒絶はない。


「ホムラ様ねぇ…死ぬまでにもう一度お会いしたいねぇ…」

「メイナのおばあちゃん、なに弱気なこと言ってるの!まだまだ元気なんだから、大丈夫だよ!」


ミヤが老婆の手を握り、元気づけるように笑顔を見せる。


「ミヤちゃんにそう言われると大丈夫な気がしてきたよ。いつもありがとうね」

「もっと元気になって、一緒にホムラ様にお礼言いにいこうね!」


つられるように、老婆の顔にも笑みが戻る。

ミヤの笑顔は周りの人も元気にする力がある。

それが、彼女の魅力の1つだろう。


「ミヤ、そろそろいけるか?」

「はい!」


治療を終えたミヤにそっと声をかける。

これだけ神威を使い続けて疲労も溜まっているはずだが、ミヤは俺たちにも気付かせないように気丈に振る舞っている。


だからこそ、俺も気を遣うことはしない。

俺がミヤを信頼していることを示すためにも、彼女の覚悟を無下にしないためにも。




「次で…最後です」


ミヤが"村"の外れへと向かう道中で、こちらを振り返りながら伝えてくる。


すでに日も沈みかけており、かけた時間の長さが実感できる。

しかし、最後だというのに、ミヤはあまり浮かない表情だ。


「どうした?」


さすがに神威を酷使しすぎたかと心配になる。


「いえ、最後の方なんですが、少し気難しい人でして…」

「というと?」

「神を信じぬ者に決まっておろう」


俺が聞き返すと、ノラがすかさず横槍を入れてくる。

その言葉にうなずきながら、ミヤが申し訳なさそうに答える。


「はい、ノラ様の言う通りです…。もうお年を召された方なのですが、跡取りを亡くされて以来閉じこもってしまっているのです。その、ホムラ様に対しても少し当たりが強い人ですので…」

「聞くなとは言わないでくれ。俺は綺麗なものを見せられるためだけにいるんじゃないんだ」

「……っ、はい。わかりました」



俺たちはそのまま“村”の外れを進んでいき、とある小さな家にたどり着いた。


最後に見た民家から歩いて数十分はかかるほど、周りから隔絶された場所にある。

森の中にひっそりと佇んでおり、仙人が住んでいるのではないかと思ってしまうほど、人の気配が感じられない。


「カンザイのお爺ちゃん!」


ミヤが外から大声で呼びかけるが、返事がない。


「いないのか?」

「いつもこうなんです…」


ミヤは少し困った顔をしながら、呼びかけるのをやめて、家に入っていく。


「カンザイのお爺ちゃん、入るよー!」


そして、ガタついた扉を慣れたようにこじ開けながら入っていく。

俺とノラもあとに続くが、家の中は物置かと思うほど色々なものが乱雑に転がっており、足の踏み場がない。


悪戦苦闘しながら進んでいくと、少し開けた部屋に出る。

その部屋の真ん中に老人が一人、佇んでいた。

そして、周りを取り囲むように様々な職人道具が置いてあり、老人は黙々と作業をしている。


「なんじゃ、小娘。また来おったのか」

「お爺ちゃん、また何か作ってるでしょ!体悪いんだから寝てないと!」


ミヤが叱りながら、老人の作業道具を片付けていく。

たしかに老人はやせ細っており、体調が良いとはとても言えない。


「わしなんぞ、いつ死んでも変わらんわ」

「いいから、ほら!」


老人はぶつくさと文句を言いながらも、ミヤの言葉に従って寝床へ入る。


「今日はちゃんと治すから。そういう力をホムラ様から授かってきたの」

「………ホムラじゃと?あんなもの神ではない!神の名を騙った悪魔じゃ!」


ホムラの名を出した途端、目に見えて老人の機嫌が悪くなる。

まるで何かと戦っているかのように、目が血走っている。


「わしのせがれは神の手伝いをすると飛び出していった結果、あれの祟りで死んだ。最初は名誉なことじゃと思っておった。じゃが、何かを成すこともできず、多くの若者とともに死んでいった。ホムラなぞ呪われた神じゃ」


老人は吐き捨てるように罵る。

この老人は、まだその悪夢と戦っているのだろう。

決して抜け出すことができない、絶望の狭間で。


老人の言葉を聞いて、ミヤは少し辛そうな表情になる。


「私にはお爺ちゃんの気持ちがまだよく分からないけど、辛いことを誰かのせいにしても何も良くならないよ。みんな必死に生きてるんだから、誰かが亡くなっても、それはその人が生きた証で、たとえ神様でも消すことはできないことだと思うの。そして、それを神様は見ていて下さる、きっと」


ミヤはまるで包み込むようにやわらかく、言葉でほぐしていく。

彼女は本当に優しい心を持っている、こちらが羨んでしまうほどに。


「見ているというのなら、わしもせがれと同じように祟りで殺せばいいだけじゃ。何も変わりはせんわ」

「……でもね、カンザイのお爺ちゃん。きっと息子さんも、お爺ちゃんに生きていて欲しいと思ってる。私も生きて欲しい。だから、治させてくれる?」


ミヤが真剣に、老人に訴えかける。

すると、根負けしたように老人が折れる。


「………治したけりゃ、治せばいい。お前さんの顔に免じてな。じゃが、わしはホムラなぞ信じはせん。何をどう償おうと、死んでからではもう遅いのじゃ」

「それは…」


老人の言葉に、ミヤは口ごもりながら俯いてしまう。


「ミヤ、それでいいんだ」


誰もが神を信じるわけじゃない。


「それで、いいんだ」


そして、人というものは簡単には変われない。

死んでようやく変われた俺が言うのだから、間違いない。


ミヤは俺の言葉に、こくんとうなずくと、静かに老人へと神威を流し込んでいく。

そして、治療が終わるまで、誰一人として言葉を交わすことはなかった。



ミヤが治療を終えるとともに、俺たちは神那への帰路についた。


「それにしても、神を信じてくれる人が多くてよかった」


俺の本心からの言葉だった。

不思議に感じてしまうほど、当初思っていたよりも随分と手軽に終わることができた。


ふと俺がつぶやいた言葉に、ミヤが答える。


「もちろん内心では快く思っていない人も大勢いるとは思います。ただ、本当に信じていない人はもう、誰もいなくなってしまいました」


俺は思わず、言葉を失う。

えへへ…と笑って誤魔化すミヤの表情から、その時の苦労が見て取れる。


ホムラの状況を考えると、おそらく子供の頃から自分が信じるものを口汚く罵られてきたのだろう。

それは苦労なんてものじゃない。もはや心の拷問だ。


それでも彼女は、人々の心を繋ぎ止めてくれていた。

今のホムラで抵抗なく信仰を広げることができるのは、本当にミヤの人徳のおかげなのだ。


「そうか…。でも、ミヤがいてくれて本当に良かった。ありがとう」


そう伝えることしかできなかった。

そして、俺は本当に心の底から、運命の神様に感謝をした。




☆☆☆




ホムラの"村"、その片隅を1人の男が歩いていた。

すでに日が沈みはじめ、あたりは暗がりに包まれていた。


「おい、いるんだろ?」


男が暗闇に問いかける。


「ああ…もちろんさ…」


その問いに応えるように、暗闇から声が響く。


「ちゃんと断っておいたぜ。これで問題ないんだろ?」

「断る…?妥協の間違いだろう…?」


暗闇から少し殺気が漏れる。

しかし、男は全く気にしていない様子で飄々としている。


「別にあんたとの約束は違えてないだろ?」

「………ふん、まあいいだろう。我々も貴様のその抜け目のなさを買っている」

「そりゃどうも」

「だが、これ以上の生意気な行動は慎め。次は貴様の命が消える、貴様の守るものと一緒にな」


掴みどころがない男の態度に、暗闇が苛立つように蠢く。

そして、それは、はっきりと死の気配を放っていた。


「ご忠告ありがとよ。それなら、次はもう少しちゃんと命令してくれ。オレも死にたくないんでな」

「……その減らず口がいつまでも続くと思うなよ」


暗闇はそう言い残すと、フッと気配を消した。

あたりは再び、暗い夜の静寂に包まれる。


「オレはまだ、死ぬわけにはいかないんだよ」


男はそう一人でつぶやき、同じく暗闇へと消えていったのだった。

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