第8話 来訪者

目が覚めると、陽が天高く昇っていた。

朝陽と呼ぶには遅すぎるが、まだ昼時というわけではなさそうだ。

鳥のさえずりや木々の揺れるざわめきが、時間の流れをゆったりと感じさせる。


(あれからどうしたんだっけ…?)


夜更かしのせいで重い頭を必死に働かせて考える。


………ダメだ。ノラが騒いでいることしか記憶にない。

俺は途中で考えることをやめた。

どうせ思い出しても、このバカ神様のろくでもない愚痴だろう。


当の本人は神樹の脇で大の字になって爆睡中だ。

あまりにも気持ちよさそうに寝ているものだから、遊び疲れた子供を見ているようで少し微笑ましくなる。


「さて、と。何かすることあるかな…」


目が覚めたのはいいけれど、特にやることが思いつかない。

ほぼノラに頼りきりなのは不本意だが、とりあえずノラが起きるのを待つしかないだろう。

酒を飲むとポンコツになるが、やはり頼れる神様なのだ。


そう結論付け、軽く散歩でもするかなと思い、まったりと雄大な神樹を眺めていた時だった。


―――こちらに向かうがする。


知らないけれど分かる。

恐らく儀式のおかげだろう。ちょっとした神威の使い方も感覚でわかるようになっていた。


(どうする…ノラを起こすか?)


俺は少しのあいだ逡巡し、もう一度だけ気配を探ってみる。


(いや、気配からしてただの人間だ。わざわざ起こすまでもないだろう)


そう思い、神那の外へ通ずる長い階段を駆け下りていった。




神那周辺の構造を説明すると、神殿や神樹がある山の頂上部分が“神那”。

そこから長い階段を下りていくと、大きな広場がある。

ここには人々が礼拝するための祭壇などが置かれており、人間が立ち入れる一番高い場所だ。定義上では“神那前”と呼ぶらしいが、人々にとってはここが神那であるため、あまり分けずに呼ばれている。

そして、そこから更に下へ降りる階段があり、ホムラへと至る道につながっている。


今回気配がしたのは下の階段である。

恐らく広場へと向かうのだろう。

ノラは1年間誰も訪れなかったと言っていたが、こうも早く人が訪れるとは運が向いてきているのかもしれない。


俺ははやる気持ちを抑えつつ、駆け足で向かっていった。


――――いた!


やはり感じた通り人間、それも女の子だった。

齢は17、8といったところか。

まだ顔立ちに幼さが残っているが、首元まである黒髪も相まって、もっと年上と間違われてもおかしくないほど大人びた雰囲気を纏っている。

服装はみすぼらしいと言わざるを得ないほど質素なものだが、その小綺麗さから丁寧に扱っていることが伝わってくる。


その少女は階段を上りきると、慣れたようにまっすぐへと向かっていった。


神那の荒れようからも想像できるように、この広場にある物はほとんど風化してしまっている。

その中で唯一形を保っているのがその小さな祭壇なのだ。


少女は祭壇に黄色の花を数輪と、団子のような食べ物を置き、祈りはじめた。

両手を組み、凛と立つその姿は、彼女の生真面目さを如実に表しているようにも思える。

俺は少し悪い気がしつつも、近づいて少女の言葉に耳を傾ける。


「ホムラ様、この度は参拝が遅れてしまい申し訳ありません。少し、この場所に来ることを咎められてしまいました」


少女はとても丁寧に言葉を紡いでいく。

自分が何かしたわけではないのに様付けで呼ばれるのは、少しむず痒いものがある。


それから暫くは少女の近況やホムラで起こった出来事など、取り留めのない話をしてくれた。

隣の家のおじいちゃんがまだ元気に畑仕事をしているだとか、最近裁縫を勉強していて頑張っているだとか、少女の言葉から伝わるホムラはとても平和だった。


おそらく意識して良い出来事を言っているのだろう。

それでも、純粋に嬉しかった。


しかし、少女は徐々に言葉に詰まるようになり、しまいには何も言わなくなってしまった。


「………………。」


(…………?何かあったのか?)


ふと不安になって辺りを見回してみるが、特に何もない。

少女は目を瞑ったまま、少しの間なにかに思いを馳せているようだった。

そして、震えながら再び口を開いた。


「……昨日、弟が天へと召されていきました。とても…とても優しい子でした。私にとって…かけがえのない宝物でした…」


この言葉を聞いた瞬間、俺の体を電撃が走った。

そして、後悔した。

聞いてしまったことにも、自分の浮ついた気持ちにも。


少女は泣いていた。

泣きながら懺悔していた。

弟を守れなかったことを。自分より長生きさせてあげられなかったことを。


そして、願っていた。

弟が、来世では笑って過ごしていられることを。


少女は決して、何かを恨むことはなかった。

誰も憎まず、訴えることもなく、受け入れていた。

俺にはそれが触れてはいけないほど美しく、感じられた。


美しさとは、何か不純なものが削ぎ落された姿なのだ。

少女の心は、俺には捨てられない醜い感情を切り捨てていた。

俺にとって、その心は清らかすぎたのだ。


そして、同時に薄ら寒くなった。

この少女の心をここまで追い込んだのは、まぎれもなく神々(おれたち)なのだ。


「例の娘っ子か。ここ数年よく来るが、こうも毎年来るとは律儀なものじゃな」

「ノラ…」


気が付けばノラがすぐ隣に来ていた。


「悲しいものじゃな…。あれほどまで心を削ってしまうとは」


ノラは少女の泣く姿を見ると、目を伏せながら呟いた。


「ああ、そうかもしれない。だからこそ、俺たちがやらないといけないんだ」


そうだ、やらなければならない。

俺は改めて決意をした。

この少女は俺を信じてくれている人で、俺が守るべき民なのだ。

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