第7話 虚霊

最初に感じたのは、ゆったりとした倦怠感だった。

頭が重く、思考がはっきりとしない。

しだいに視界が開けていき、視界の端に映る巨大な樹と、目の前の夜空に広がる満天の星空をボーっと眺める。


あれ…何してたんだっけ…?

と思った途端、体が重力に引かれる感覚が訪れる―――いや、本当に落ちてる!?


「え―――うわぁぁ!!」


そのまま受け身を取る間もなく、背中から石畳へと落下する。

見事に後頭部と腰をしたたかに打ち付け、頭を抱えて悶絶する。


「……痛ったぁ!?」

「うむ、成功じゃな。ちゃんと髪もになっておる」


こちらが身悶えていることなどお構いなしに、ノラが確認するように髪をわしゃわしゃとさわってくる。


ノラから手渡された鏡を見てみると、たしかに髪は

それに加え、服装もノラと同様の装束のようなものに変わっていた。


「これで儀式は終いじゃ。お主も正式に新米神様の仲間入りというわけじゃな」

「なんだか変わった実感が湧かないんだけどな…」


起き上がり、改めて自分の体を動かしてみる。

見た目はかなり変わったけれど、感覚的には何も変化がないように思える。


「本質は最初の転生で変わっておるからな。わしが管理していた権限を移しただけじゃ。こちらの世界にも色々とルールがあるせいで段取りが面倒なんじゃ」


ノラは心底嫌そうな顔で説明をする。

どの世界でも面倒なルールや慣例があるのは変わらないのだろう。

今後は俺もそれを一から覚えないといけないと思うと憂鬱な気分になる。


何はともあれ、これで正真正銘、異世界の神様として生きていくことになったのだ。



☆☆☆



「さて、わしも疲れてきたので、最後に大事なことを1つだけ教えておくとしよう。いくら神の体が三日三晩寝ずともよいとはいえ、お主も体力の限界じゃろうしの」


ノラは、ん~っと背筋を伸ばしながら眠たそうに呟く。

たしかに全く気にしていなかったけれど、転生してから一度も休息をとっていない。


いくらあまり疲れていないとはいえ、ここまで動き続けていると、体のどこかがイカれているのではないかと少し不安になっていたところだ。

そして、一度そのことを自覚してしまうと、今まで気を張っていた緊張が解けたのか、途端に疲れが満ちてくる。

少しふらつく体をなんとか支えつつ、ノラの説明に耳を傾ける。


「これは前にも言うたことじゃが、神にとって最も重要なことは信仰心を集めることじゃ。これはどの神でも変わらぬ。しかし、このホムラにはそれを阻むがおる」


ノラの言う“厄介な者ども”には当然心当たりがある。


「それが、あのってわけか…」


ホムラで幾度も襲われ、危うく死にかけた。

異様な姿、異質な雰囲気、そして、圧倒的な敵意。


「そうじゃ。あれらは虚霊うつろと呼ばれておる。わしら神々が人々の信仰心で力を得るのに対し、奴らは怨念から生まれる。そして、神々の力である“神威しんい”を糧とする。」


神の力を食らう者。つまり、神々おれたちの天敵ということか。

そう考えると、ホムラで俺を執拗に追いかけてきた理由もわかる。

自分たちの領域のど真ん中に出来立てほやほやの神が来たのだから、取って食うに決まっている。


「そんな危ない敵がいるのなら、他の神たちは倒そうとか思わないのか?放っておくわけにもいかないだろ」

「お主の言うことは正しい。かつては強大な虚霊うつろ共と神々の戦いがよく起きたものじゃ。わしも血みどろの戦を幾度もやった。そして、数多くの友が死んでいった…」


懐かしむように話すノラ。

そして、右手にはどこからか取り出したを持っている。


「お、おい、そんなの飲んで大丈夫なのか?」

「ここから先はこれがないとやってられんからの。お主も座るとよい」


そう言うとノラは座り込み、ぐびぐびと酒を飲みはじめた。

教えてもらうのは自分だからと思い、止めなかったものの、悪い予感はしていた。

そして、悪い予感というものは大抵当たってしまうのだ。


案の定というかなんと言うか、酒を飲み始めてすぐに大事な話というのはどこか旅へ出てしまい、いつの間にかノラの思い出話をただ聞くだけになっていった。


「一度平和になった途端、あの馬鹿どもの中では虚霊うつろがいる地は穢れているなどとなったらしいのじゃ!アホらしいとは思わぬか?このホムラにも誰も近づこうとしなくなってしまったわ!この“穢れている”などというのは建前で、どうせ自分がその地を治めたくないがための言い訳じゃろうがな」

「ソウデスカー…」


ずっとこの調子である。

最初は会話になっていたものの、途中から俺のことなどお構いなしに言葉が通じなくなった。

まあノラはノラで色々と抱えていることもあるだろうし、さっきの儀式でひと段落したのだと思うと、今日ぐらいは文句を言わずに付き合ってあげてもいいだろう。


酔っぱらいの相手をしつつ、断片的に聞き取った内容をまとめてみる。


まず、虚霊うつろは存在しているだけで、災害や飢饉の原因を生み出していってしまう。

つまり人間に直接危害は加えないが、確実に悪影響を与えているのだ。

そして、それを長らく放置した結果、ホムラはゴーストタウンと化してしまったのである。


では、なぜ誰もホムラの虚霊うつろを退治しないのか。

それは神にはそれぞれ自分が治める領地があり、それ以外の領地に手を出すことはメリットもなく、余計な争いを生むので御法度となっている。


それに加え、他の領地が荒れれば自分の領地に人々が流れ込み信仰を集めやすくなるため、わざわざ他の領地に行く理由がないのだ。


ならば、誰がそんな穢れた土地となったホムラを治めるのか。


白羽の矢が立ったのが、である。

上手くいけば儲けもの、失敗しても自分たちに犠牲はない。これほど使い勝手のいい駒はないだろう。


そうして、この世界は歪な形のまま安定しているのだ。



「なぁ〜にを難しい顔をしておるんじゃ!今日は飲むぞ!」


頭の中を整理していると、ノラがべろべろに酔って絡んできた。

座った俺に後ろから被さるように寄りかかってくる。


柔らかい感触と芳ばしくも透き通った香りに、自分でも顔が紅潮するのがわかる。

服も少しはだけており、幼い見た目に反して、年相応(?)の色っぽさが見え隠れしている。

しかし、後からきた強いアルコールの匂いがそれらを全て打ち壊していく。


「うわっ、酒臭いぞ!飲み過ぎだろ…」

「酒に飲み過ぎなどあるものか!ユズル、お主も楽しめ!今宵は宴じゃ!」

「はいはい、もうだいぶ前から宴になってるって…」


ああ、今後ノラに酒を飲ませるのはやめた方がいいな、と思うのだった。


神那に響く宴の声は、夜が更けるまで途絶えることはなかった。

こうして正式に異世界の神様になった日は、にぎやかに終わっていったのである。

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