第3話 ホムラ

ノラは離れていくユズルの背中を見送りながら、後悔の感情に苛まれていた。


「これではあの時の二の舞ではないか…馬鹿者が…」


つい自分自身に愚痴を言ってしまう。

2人の間に生まれてしまった亀裂は、はっきり言ってノラに大きな原因がある。

ユズルに問題がないわけではないが、言うべきではないことも伝えてしまっていた。


ノラにとって“人間”とは、ある種のの対象であった。

遥か長い年月を過ごしてきた神々からすると、人間は一瞬の時を駆け抜けるように生きている。

それはまるで空に打ちあがり、気が付くと暗闇に溶けている花火のようなものだ。


それ故に神には理解できない“感情の火花”がある。

怒り、喜び、苦しみ、悲しみ。

こうした感情に囚われ、突き動かされるように破滅を招く者もいれば、逆に成功を収める者も多くいる。


それを劣等な存在であると考える神々もいるが、ノラは人間を“触れると壊れてしまいそうな危うい存在”であると捉えている。


だからこそ救いたかった。同じ神として存在いられるようにしてやりたかった。

遠ざけずに、できる限り親しく、信頼するように。

その結果なのか、この世界の摂理を受け止められると勝手に思い込んでしまっていた。

彼も自分と同じく不条理に立ち向かってくれる、と。

そして、受け止められないユズルに対して苛立ちを感じてしまった。


『何が神よ!死んでしまったら皆一緒なのよ!』


かつて救えなかった者の言葉を頭の中で反芻する。


「人間は強いのか弱いのか本当にわからぬものだな…」


そう独り言ちてみるが、誰にも伝わることなく霧散していく。

ユズルはホムラに向かっているだろう。


このままだと1ヶ月どころか、今日、彼は死ぬことになる。


それだけは避けねばならない。

彼のためにも、ホムラの人々のためにも、そして、ノラ自身のためにも。

ノラはホムラに向かう決心をし、神那を後にした。



☆☆☆



目の前に広がるホムラの集落(この際“集落”と呼ぶのが正しいのかわからないが)は想像よりもはるかに大きかった。


1つの都市とまでは言わないが、大きな町と呼べるほどには建造物が数多くならんでいる。

入り口から見える建物も木造建築が中心だが、石材や金属の加工もそこかしこに見受けられることから、その技術力の高さが分かる。


西洋よりは東洋の景観に近く、全体的な作りは日本に近いものが感じられた。

しかしその景観を壊すかのように、ホムラ全体に目ではっきりと見えるほどの黒い靄がかかっていた。


これが俺だけに見えるものなのか、住んでいる人間にも見えているものなのか分からないが、少なくともようだった。

そして、それはホムラの中に入っていくにつれて確信へと変わっていった。


「なんだよ…これ…」


立ち並ぶ家々はどれも手入れがほとんどされていないのか、崩れかけのものばかりだった。

時折見かける住民も町の規模から考えると明らかに少なく、服装もおおよそ豊かとは言えないものばかりだ。


そして何より、人々の目に全くと言っていいほど生気が宿っていなかった。

道端で倒れ込む少年、食べ物を求めて彷徨っている農夫、何をするでもなく座り込む無数の人々。


。一目でそう分かった。


しかし、こちらも怖気づいているわけにはいかない。

少ない勇気を奮い立たせ、通りかかった商人風の男に声をかける。


「なあ、そこのあんた」

「……………」

「なあ!本当に気付いていないのか?」


何度声をかけても反応がない。本当に気付いていないようだ。

その後も声をかけて回ってみたが、ノラの言う通り、俺に気付く人は誰もいなかった。


「クソ…っ!」


このままだとダメだ…。落ち着いて冷静に考えろ。

そう言い聞かせる。


まず、俺は人間から見えることもなければ、触ることもできないが、物には触ることができる。


なら、壊れた家屋を神威の力で直せばいいんじゃないか?

一瞬その考えがよぎるが、すぐに思い直す。


そもそもここの人間たちは神々おれたちの存在を知っているのか…?

知らなければ信仰云々の話どころではない。


当たり前だが、俺はこういった時のセオリーも何も知らない。

知らないけれど、助けるしかない。それしかないんだ。


そう思い立った時、視界の端に明らかに衰弱している少年の姿が映った。

今までの考えなど全部吹き飛び、咄嗟に駆け寄る。


「おい!大丈夫か!?」

「…………」

「クソっ…!なんで聞こえねぇんだよ!」


思わず怒鳴り声をあげる。

周りの人間たちは少年のことなど気にも留めず、当たり前の日常のように過ごしている。

それが恐ろしいほど冷たく感じられ、背筋が凍る。


「………ぅ…ぁ…」


少年が小さく呻き声をあげる。

何かを伝えようとしているのか、腕を動かそうともしている。


「…!!俺の声が聞こえるのか…!?」

「…………ごめ…な……さ…い…」


思わず呼びかけるが、やはり俺の声は聞こえていないようだ。

少年はかすれ声で誰かへの謝罪を言っているようだった。


俺はその言葉を聞いていることしかできなかった。

他にできたことは幾らでもあったのだろう。けれど、ただ聞いていることしかできなかったのだ。


「…ね…ぇ…ちゃ…ん……ごめ…な……さ…い…っ」


少年は姉への言葉を紡ぎながら、弱弱しく腕を天へと伸ばす。


咄嗟に少年の手を取ろうとするが、当然のように掴むことはできずに空を切る。

そして、少年の腕は力尽きたように地面に落ちていく。


俺は声をあげることもできず、ただ掴むことができなかった手を見ていた。

怒りとか悲しみとか無力感とか、そういう言葉では言い表せない濁った感情が胸の中を渦巻いていた。


そして、その感情を自覚する前に、


「えっ――――」


次の瞬間、俺の意識は闇に落ちていった。



☆☆☆



気が付いたら、俺は倒れていた少年の過去を見ていた。


少年には2人の姉と1人の兄、そして1人の弟がいた。もしかしたらもっといたのかもしれないが、物心ついた時には他にいなかった。


少年の両親は農家だったが、災害のせいでまるで作物が育たず、生きていくのがやっとだった。


一番上の姉は、家族の負担を減らすために数年前に家を出て行ったきり帰ってこなかった。

それでも生活は改善するどころか悪化していき、少し前に一番下の弟が死んだ。


少年は怒り、呪った。この世界を。彼らを救わなかった神を。


俺の中にどす黒い感情が流れ込んでくる。

辛い、苦しい、助けてよ、なんでこんな目に、お前らなんか―――


「お前らが殺したんだっ!!」


目の前にあの少年がいた。

涙を流しながら、俺に強い感情をグサグサと突き刺してくる。


「お、俺は――――」

「お前らみたいな神がいるから、みんな死んでいくんだ!」


少年の物凄い剣幕に押され、何も言うことができない。

体の中を少年から流れ込んでくる黒い感情が埋め尽くしていく。


「お前は人殺しだっ!!」

「違う!俺は―――っ!!」


俺の感情に神威が反応し、体から力が溢れ出る。


そして次の瞬間、まばゆい光に包まれ、思わず目をつむる。

視界の端に写る少年は、最後までこちらを睨みつけていた。まるで怨敵を恨むかのように。


それだけが脳裏に焼き付き、頭から離れなかった。


目を開けたら、さっきまで立っていたホムラの道端に戻っていた。

気が付けば日が傾きはじめ、寂しげな橙色の光が辺りを包んでいた。


「俺は…」


俺は一体なんなんだ…?

俺はあの少年にとっての神様なのか…?


「関係ないだろ…俺には…」


足元を見ながら口に出してみるが、言葉に全く感情がのらない。

勝手に仕立て上げられただけだ。別に何かしたわけじゃない。


そう思ってみるが、行き場のない罪悪感が生温い汗のように心にまとわりついて離さない。

まるで自分が言い訳を繰り返す罪人になったかのような気分だ。


ふと目線を正面に戻すと、


ドクン、と心臓があらぬ方向へと鐘を打つ。

呼吸をする感覚がなくなり、ただ心臓の鼓動だけが耳の奥に響いてくる。


「はぁっ…はぁっ…!」


分かっていたことだった。あの少年が助からないことも、自分には助ける術がないことも。

目を背けたかった。何も見ずに忘れたかった。

でも、それはできなかった。してはいけないと、そう思った。


受け止め切れる切れないの問題ではなく、前世までの自分を否定しないためにはそうするしかなかった。

異世界だろうと何だろうと、世界は残酷なのだ。


息を整え、顔を上げる。

そこには夕暮れに染まる街並みと、つぶれそうになりながらも懸命に生きる人間たちの姿があった。


生気はなく、心の大半も諦めているのだろう。しかし、それでも生きているのだ。

俺はその姿を、後ろめたさと羨望の混じり合った眼差しで見つめていた。


そして、そんな自分に嫌気が差していた。

何もしていなければ、何もできていない自分に。


そのまましばらく、ただ茫然と人々の営みを眺めていた。

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