1397.構文篇:説明・意見・報告・感想・会話から成る

 今回は「基本五文」についてです。

 私たちがなにげなく文章を書いていても、その機能は五つに分類されます。

 この「基本五文」を使いこなせば、書けない物語はありません。

 ぜひこの機会に確認してみましょう。





説明・意見・報告・感想・会話から成る


 小説の基本は一人称視点です。

 基本五文のうち、一人称つまり視点を持つ主人公の意思から語られるものがあります。

 意見文は語り手つまり主人公の意見を述べればよいのです。

 感想文も語り手つまり主人公が感じたもの・思ったもの・考えたものをそのまま書けます。

 ですが意見文にせよ感想文にせよ、ただ主人公の意思を書き連ねるだけでは駄目なのです。

 一人称では語りづらい客観的な情報を書くために説明文・報告文が必要になります。

 そして人の音声である会話文が感想文の一種として、今は独立して存在するのです。

 この基本五文を適切に使い分けてこそ、一人称視点の小説はじょうずに書けるのです。




鮮やかな絨毯を作る織り糸

 物語を「説明文」だけで書いてしまったら、小説ではなく「設定資料集」になります。

 しかし「説明文」がなければ、視神経や認識が働かずただの「感想文」を出なくなるのです。

「報告文」だけで書いたら「新聞記事」になってしまいます。「報告文」は「感想文」の対極に位置するので、一人称視点では見落とされがちです。しかし「報告文」がなければ「今がいつ」なのか「ここはどこ」なのか、「誰と誰が」いるのか、「なにを」「どうして」「どのように」かがわかりません。つまり「シーンがいつどこでどうして繰り広げられているのか」という大前提を読み手に示せないのです。

「意見文」は今の小説ではあまり見ません。思想の押しつけになりがちだからです。もちろん夏目漱石氏『吾輩は猫である』のように「自分(吾輩)はこうなんだ」と宣言したくなるのですが、今これをやると野暮ったくなります。今の小説だと、猫のように見せない(たとえば人間の)語り口で話を進めていき、最後になって意見を主張して「主人公が猫だったとわかる」というパターンが多いですね。

 小説とは、いずれかを偏重せず、バランスをとりながら進めていくものです。

 主観的な「感情文」「会話文」「意見文」と、客観的な「報告文」「説明文」を手繰って織り成す鮮やかな絨毯でなければ、魅力的な小説にはなりません。

 その意味であえて「会話文」とは違う四文を例示したのです。




可能なかぎり早く主人公を登場させる

 小説とくに一人称視点の物語を書くとき、最優先させるべきなのは「主人公を可能なかぎり早く登場させる」ことです。

 主人公の独白モノローグを長々と聞かせてはなりません。

「今がいつ」で「場所はどこ」なのか。異世界ファンタジーならどんな世界なのかも語りたくなります。しかしぐっと堪えてください。

 読み手は物語に没入したいがために主人公を必要とします。

 一人称視点であるなら、主人公が出てきた途端に物語へ惹き込まれるのです。

 では主人公をどうやって登場させればよいのか。

 手っ取り早いのが「会話文で始める」です。

 一行目を「会話文」にすると否応なく発話者と呼びかけられた者がクローズアップされます。語りかけた側と呼びかけられた側のどちらかが主人公なら、これだけで解決するのです。

 実は「会話文」も「感想文」の一種であり、「感想文」スタートでもあります。

 しかし素直に「会話文」を持ってくるのは凡百な発想です。

 私も最初は世界観の説明に文字数を割いたり、「会話文」から始めたりしていました。でもウケのよかったためしがありません。

 世界観の説明とは、たとえば「ロードスという名の島がある。」「宇宙世紀〇〇七八。」のようなものです。冒頭から「ここはどこだ」「今はいつだ」を書いてしまうと親切だと思っている書き手は多い。しかし一人称視点では邪魔なだけです。つまり「報告文」から入ってはなりません。

 すんなりと読み手を物語に惹き込みたいなら「主人公が感じている・思っている・考えているもの」を書きましょう。つまり「感想文」「説明文」から始めるのです。

「説明文」つまり色や形を説明するわけですが、その視神経や認識は主人公が感じた・認識したものという前提となっています。

 つまり「感想文」「会話文」「説明文」は、物語世界を主人公のフィルターを通して見ているのです。




三人称視点での始め方

 三人称視点の場合、誰が主人公であるか読み手にはさっぱりわかりません。最も有力なのは「最初に登場した人物」です。しかしそれとて確かではありません。

 読み手が決められるものではなく、書き手がいつ物語の中心に主人公を据えるか。それを見守るしかできないのです。


 推理小説の「まず死体を転がせ」も、事件を起こして主人公の刑事や探偵を早く登場させるための仕掛けです。

 三人称視点の強みは「報告文」が書きやすい点にあります。

「いつ」「どこで」なのかをいつでも書けるのです。一人称視点ではあれこれ工夫して「報告文」を最小限にしましたが、三人称視点では「報告文」主体つまり「5W1H」主体で書いていきます。

 考えてみればそれも当然で、物語世界を見てくれるフィルターがいないのですから。

 つまり大局から見た「いつ」「どこで」などを書かなければ、読み手の共感覚を引き出せません。

 三人称視点が「群像劇」向きと呼ばれるゆえんです。

 一人称視点は主人公から視点を離せませんが、三人称視点ならシーンを変えるだけでいつでもどこでも誰を中心にしても語れます。

 シーンごとに主人公を切り替えられるのです。

 これは「群像劇」最大の利点ですが、逆に「主人公に入りづらい」欠点でもあります。

 人物に魅力があれば、その人に入りやすくなる。しかしそこまで魅力のある人物は初心者には生み出せません。主人公ひとりすら魅力的に書けないのであれば、複数名を主人公にする「群像劇」は避けたほうがよいでしょう。

 ひとりの主人公に注力したほうが、結果的に「対になる存在」を引き立てて完成度の高い作品となります。





最後に

 今回は「説明・意見・報告・感想・会話から成る」について述べました。

 基本五文を適切に用いて、主人公を多彩に描いてください。

 文字しか書けない小説に映像を持ち込み、温度を持ち込み、触感を持ち込むのです。

 どんなにおいしい料理も心震わせるピアノ演奏も、文字だけで「おいしそう」「心が震える」ように見せなければなりません。それが小説です。


 現在ストックが切れてぶつ切りになっている投稿が多いですね。

 生計を立てる必要もあるため、執筆時間がなかなかとれなくて。

 そういえば、ついに『ピクシブ文芸』への投稿が本日の一五時で終了してしまいました。本コラムはそれ以降に投稿しているので、一般の『pixiv小説』への応募となっています。そもそも『ピクシブ文芸』の私設応援隊のような活動だったので、これでひと区切りついた思いです。

『pixiv小説』に移ると現在以上に本コラムは目立たなくなってしまうので、基本は『カクヨム』『小説家になろう』へシフトしたいと思います。

 どうせ連載もあと幾ばくかしか残っていませんので。それが終わり次第いったん連載を終える予定でいます。

 ときどき追加していこうとは思っていますので、いったんの終了までお楽しみくださいませ。

 連載はあと少し続きます。どこまで続くかは私の頭の中次第ですね。



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