1385.構文篇:表記:日本語の抽象的な名詞と補助動詞

 今回は「抽象的な名詞」と「補助動詞」についてです。

 現在はどちらも「ひらがな」表記が基本となっています。

 特段の理由がないかぎりは「ひらがな」で統一しましょう。





表記:日本語の抽象的な名詞と補助動詞


日本語の抽象的な名詞


 英語には「抽象名詞」があります。抽象的な概念を表す名詞です。

 しかし日本語の「抽象的な名詞」は名こそ似ていますがまったく異なります。

「抽象的な名詞」(「形式名詞」とも呼びます)として有名なのは「事」「物」「時」です。

 これらのなにが「抽象的」なのかについて見ていきましょう。




 最初に取り上げる抽象的な名詞は「こと」です。

 たとえば「彼女の事を考える。」「考える事は困難だ。」「楽しい事が最優先だ。」「大事なのは心が静かな事だ。」のように使います。

 この「事」は具体的な名詞でしょうか。

「彼女の事を」は「彼女のなにを」なのかがわかりません。強いて言うなら「彼女という存在そのもの」が近しいように思えます。

 では「考える事は困難だ。」の「事」はどうでしょう。「考えるという行為そのもの」を指しているのではないでしょうか。

「楽しい事は」は「楽しいという状態そのもの」、「心が静かな事だ。」は「心が静かという状態にある」あたりが適当かもしれません。

 このように「事」は具体的な名詞ではないのです。ですが日本人なら意識せずとも使いますよね。「事」は「抽象的な名詞」と呼べるのです。




 次に取り上げる抽象的な名詞は「もの」です。

 こちらもいくつか例を挙げます。「彼女の物をひったくる。」「自動車は人と荷物を乗せて走る物だ。」「学園祭は楽しい物だ。」「今日に限って静かな物だ。」のように使います。

 では問題です。「物」はなにを指している名詞でしょうか。

「彼女の物を」は「彼女の」なんなのか。明確ななにかはわからないけれども、「彼女が所有しているなにか」を指しています。

「走る物だ」は「走るという行為をする以外にない」を指しているのです。

「楽しい物だ」は「楽しいという状態以外にない」、「静かな物だ」は「静かという状態以外にない」と考えられますよね。

 このように「物」は具体的な名詞ではないのです。だから「事」と同様「物」も「抽象的な名詞」と呼べます。




 では「とき」はどんな名詞なのでしょうか。

「彼女の時に限って伴奏が止まる。」「走る時がいちばん楽しい。」「楽しい時はなにかが起こる。」「静かな時は一瞬だった。」

 これらも「事」「物」と同じで、具体的な「時」というわけではなく「そういう状態にある頃合い」の意が強いですよね。

 ですのでこの「時」も「抽象的な名詞」であると呼べます。




日本語の抽象的な名詞

 他にも探せば見つかるはずですが、いざ探そうとするとなかなか見つからない。それが「抽象的な名詞」の厄介なところです。

 どの名詞が「具体的」で「抽象的」なのか。

 ほとんどの日本語の使い手は、それを意識していません。

 意識しなくても、自然と使いこなせているからです。

 ここまで書いてみて「ところ」も「抽象的な名詞」だと気づきました。「ところところ」は「場所」を直接指定する名詞ではないのです。「だいたいそのあたり」を指す「抽象的な名詞」と呼べますね。


 ここまでで「事」「物」「時」「処・所」が「抽象的な名詞」であるとわかりました。

 ではこれらに「具体的な名詞」としての使い方はないのか。あるのです。

 というより「具体的な名詞」を「抽象的」に使うから構文がごちゃまぜになってしまいます。

 だから読み手としては「具体的な名詞」の用例と「抽象的な名詞」の用例とを見分けるポイントが欲しいですよね。

「ここが違うから具体的か抽象的かが区別できる」

 使い方がわかりにくい例をひとつ挙げます。

「悲しい時は決まって零時。」

「具体的な名詞」として読めば「悲しい時刻は」の意味合いですが、「抽象的な名詞」として読めば「悲しいという状態にある頃合い」の意味合いです。

 やはり「具体的な名詞」か「抽象的な名詞」かを見分けるポイントが欲しくなります。




抽象的な名詞の表記

 実はとても簡単で、多くの人が無意識にやっている方法があるのです。

 意識的に気づけているか、無意識に行なっているかの違いはあります。

 その簡単な方法とはなにか。

「具体的な名詞」として使うときは「漢字」で、「抽象的な名詞」として使うときは「ひらがな」で表記するのです。

 私が今まで書いてきたコラムをすべて読まれた方はすでにお気づきかもしれません。

 私は明確に「抽象的な名詞」はすべて「ひらがな」で書いてきました。

 それも読み手が「具体的な名詞」か「抽象的な名詞」かを一瞬で区別できるようにするためです。(この「ため」も「抽象的な名詞」のひとつですね)。

 ちなみに「の」も「抽象的な名詞」としての機能を持っています。古文で「」を使う場面での「の」が「抽象的な名詞」に当たります。

 ここまで「具体的な名詞」と「抽象的な名詞」が混在していると、どう表記してよいのか迷う場面も出てくるはず。

 そこで私が提案したいのが、

【「具体的な名詞」のときにだけ意図的に「漢字」で表記する】というルールです。

 これなら「ここで使う「事」は「具体的な名詞」として書きたいから、あえて漢字で書かなくてはならない」と意識できます。それ以外はすべて「ひらがな」で書けばよいのです。

 小説投稿サイトのランキングに並ぶあらすじを読んでみると、たまに「抽象的な名詞」を「漢字」で表記している作品を見かけます。

 私はそういう作品をあえて読みません。たとえランクが高くてもです。

「自分ルール」が壊される気がして、物語に集中しようとしても気になって仕方なくなります。

 これは私だけのルールかと思いましたが、用字用例の書籍を読んでみると、今の出版社・新聞社も基本的には「抽象的な名詞」として用いる際は「ひらがな」表記を推奨しています。

 ということは「小説賞・新人賞」を獲りたければ「抽象的な名詞」は「ひらがな」表記にするべきです。そうしないと「文章力がない」とみなされかねません。

「文豪」などの「古い作品」を読んでいると、「抽象的な名詞」が「漢字」表記なのでそれにつられやすい。ですが今の「小説賞・新人賞」を狙いたいなら「ひらがな」表記に改めましょう。




補助動詞も原則ひらがなで書く


「補助動詞」もあまり聞かない言葉ですよね。

 たとえば「走っていく」「走ってくる」「走っている」「走ってみる」の「いく」「くる」「いる」「みる」が補助動詞です。

 動詞に添えて細かな状態を表すために用います。




補助動詞を漢字で書くと主張しすぎる

「連れていく」という言葉があります。これなら誰かを案内しているような印象ですよね。

 補助動詞を漢字で書いてしまうと「連れて行く」となり、漢語の「連行」に見えてきませんか。そこでどうしても警察官が容疑者を交番や警察署へ導いているように読めてしまいます。

 これが「主張しすぎる」点です。

「走って行く」「走って来る」「走って居る」「走って見る」と書くと「行く」「来る」「居る」「見る」という動詞が主張しすぎて、「走る」をして「行く」のか「来る」のかがわからなくなります。そして「走って居る」だと「走る」状態が継続しているのか留まって「居る」状態なのかがわかりません。「走って見る」だと試しに「走る」状態なのか「走り」ながら眺めるのか区別がつかないのです。

 補助動詞は補助であるがゆえに、主張してはなりません。

 あくまでも動詞の細かな状態を表すために用います。

 そのためにも、補助動詞は「ひらがな」書きが推奨されているのです。

「文豪」の作品では補助動詞も漢字で書いていますが、それは参考にしないでください。

 今は出版社・新聞社が発行している「用字用例」の辞典に従うべきです。そちらでも補助動詞は「ひらがな」書きが推奨されています。




漢字で書くべき補助動詞

 補助動詞の中で、とくに「漢字」書き推奨のものがあります。

「始める」「終わる」「終える」「続ける」です。

 これらは動作の終始と継続を示しているため、表意性のある「漢字」を用いたほうが読み手へ正確に伝わりやすい。

 なのでこれらは補助動詞であっても「漢字」書きが主流です。




補助動詞と同じ漢字でも主要動詞なら漢字で書く

「走ってみる」で「見る」を「ひらがな」で「みる」と書いたら、「テレビを見る」まで「テレビをみる」と書いてしまう方もいらっしゃいます。

 これは補助動詞と一般動詞の区別がついていないのです。

「テレビを見る」の「見る」は「補助動詞ではない」「一般動詞」なので漢字で書いてください。

 この「見る」まで「ひらがな」書きしてしまうと漢字の割合がかなり減ってしまい、一読で情報が頭の中に入ってきません。

 たとえば「東へ行った」を補助動詞のように「ひらがな」書きして「東へいった」と書いてしまうと、「東へ赴いた」のか「東へ語りかけた」のかがわからなくなるのです。

 とくに「言う」は「という」の形で「ひらがな」書きされることもある動詞なので、「言う」まで「ひらがな」書きしてしまうとなおさら区別がつかなくなってしまいます。

 漢字で書くべき一般動詞と、ひらがなで書くべき補助動詞は分けて考えてください。





最後に

 今回は「表記:日本語の抽象的な名詞と補助動詞」について述べました。

「事」「物」「時」「処・所」「之」「為」などを「抽象的な名詞」として用いるのなら、「ひらがな」表記にしましょう。

「文豪」にならって「漢字」表記したくなるでしょうが、今の時代の用字用例のルールでは「抽象的な名詞」として用いる際は「ひらがな」表記を推奨されています。

「小説賞・新人賞」狙いなら、小さな減点をひとつずつ無くしていくのが最も効率はよくなるはずです。

 なにより、そのほうが読み手も読みやすいですからね。(この「ほう」も「抽象的な名詞」ですね)。


 そして補助動詞も「ひらがな」表記が基本です。

「始める」「終わる」「終える」「続ける」は漢字で書きますが、それ以外のとくに意味のある動詞でないのなら「ひらがな」で書きましょう。

 補助動詞で「見る」を「ひらがな」で書いたから「写真を見る」も「ひらがな」書きするのでは読みづらくなるだけです。「写真をみる」と書かれると表意性のある漢字の特徴を活かせていません。表意性のある「漢字」で書くからひと目見て「写真を見る」で正確に伝わるのです。


「抽象的な名詞」と「補助動詞」の共通点は「漢字」の持つ表意性がどこまであるのか、です。表意性が薄いのなら「ひらがな」で書きましょう。



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