1337.物語篇:物語81.行き詰まりと復帰

 今回は「行き詰まり」についてです。

 今やっている物事が煮切ってしまってやる気が極度の惰性に陥って、どうしてよいのかわからなくなる。

 単純作業をしていると、そんな境地に至ります。

 学業なんて「行き詰まり」を感じない人なんていないのではないでしょうか。





物語81.行き詰まりと復帰


 主人公が現実で行き詰まってしまう。一度そこから逃避して、昔を懐かしむために地元へ帰ったり、新しく関心が持てるようなものを探そうとしたりする物語です。

 物語が開始されたときから、主人公は行き詰まっています。もう煮切ってしまってなにもうまくいかないのです。不満が募って自棄になり、そこから逃避します。




挫折したわけではない

 導入を読んでみて「これって挫折と立ち直りの物語だよなぁ」と思った方も多いはずです。

 しかし主人公は現実で行き詰まっているものをあきらめたわけではありません。ちょっと気分転換したくてそこから逃避してしまうのです。

 やがて意識が改まって問題と正面から向かい合うために戻ってきます。

 だから「行き詰まりと復帰」の物語は「挫折と立ち直り」の物語とは少しだけ違うのです。

 たとえば大学入学試験を考えてください。

「挫折」であれば、大学入学試験を受けることすらあきらめかねません。また受験しても問題のレベルが想定以上で自信がへし折られもします。こういったものが「挫折」です。もはややる気さえも失います。挑戦しなければよかったとすら思うのです。

 対して「行き詰まり」は、入試を目前にして煮切ってしまいます。これ以上勉強しても意味がないのではないか。いくら努力しても受からないのではないか。そう考えて一時的に現実逃避を選択するのです。しかし受験日は定まっていますから、それまでには戻ってこないといけません。

 つまり物語としては「復帰」する時期が明確に決まっています。そのときまでに「復帰」すれば「挫折」したわけではないのです。

「挫折」は物語のレールからいったん外れます。「行き詰まり」は物語のレールを走りながら違うことを始めるのです。

 だから「挫折」は受験の流れから外れて、傷心旅行をするようなもの。「行き詰まり」は試験は受けるもののそれまでちょっと気分転換しよう、という程度のものです。

 受けるべき試練の壁が高ければ高いほど「挫折」や「行き詰まり」はやってきます。

「挫折」して一度ゼロに戻り、本当にこの試練を越えなければならないのかを問い直すのか。「行き詰まり」を感じてちょっと気分転換になにかを始めようか。その差です。




ソーシャルゲームはすでにピークアウトしているのか

 勉強に飽きてビデオゲームをプレイし始める方も多いと思います。

 とくに今はスマートフォンでできる「ソーシャルゲーム」がいまだに盛んな時代です。さすがに一時期よりは衰えてきたかなという実感が皆様にはありませんか。

 私はソーシャルゲームをいっさいプレイしませんが、それでも一時期よりソーシャルゲームの勢いが確実に落ちているように感じています。おそらく株式トレードを始めて、ソーシャルゲーム企業の株価を見ているせいかもしれません。

 一時期は「ビッグタイトル」のソーシャルゲームが配信開始すればバブルのように株価が急騰したものです。

 mixiが『モンスターストライク』を配信したらそれだけで株価急騰。

 任天堂がナイアンテック社と組んだ『Pokemon GO』を配信したら株価急騰。それほどソーシャルゲームに神通力があったのです。

 しかし現在ではAimingが『ドラゴンクエストタクト』を配信しても株価は想定よりも盛り上がっていません。著作権・商標権を持っているスクウェア・エニックスの株価は逆に下がってしまうほど。天下の『DRAGON QUEST』のソーシャルゲームでも駄目なのです。

 だからソーシャルゲームはすでにピークを過ぎていると見ています。おそらく重課金していたソーシャルゲームが運営終了してしまったり、課金しすぎて借金を作ってしまったり。とにかくソーシャルゲームを続ける意欲が湧かなくなったら、その人はいっさいのソーシャルゲームから遠ざかります。

 私からすれば「たかがサーバーにある1ビットをオン/オフするためだけにガチャを回すのはお金の無駄。等価交換にすらならない」と断言できるのですが。

 これはコンピュータに詳しくないと出てこない発想かもしれません。しかし運や時流がよい。このたび小学校で「プログラミング」が必修科目となりました。

 これにより「コンピュータは0と1で出来ている」という基礎が身につき、「ソーシャルゲームの不条理」に気づける子どもが増えてくれると願っています。

 今の小学生が画期的なソーシャルゲームを開発するのか。今のソーシャルゲームを超えるゲームを開発するのか。ソーシャルゲームに深くハマっている人を更生させるアプリケーションを開発するかもしれませんね。これができたらおそらくノーベル経済学賞ものでしょう。




復帰に必要な精神の成長

「行き詰まり」から「復帰」するには、試練の壁に再び立ち向かおうとする意欲の回復が必要です。つまり意欲が湧かなければいつまで経っても戻ってはきません。

 そもそも「行き詰まり」に陥った原因は「飽き」です。

 同じことの繰り返し。単純で単調で変化なし。どこまでやっても終わりがわからない。ただ延々と続くだけ。

 だから「飽き」てきて「行き詰まり」ます。

 であれば他のことを飽きるまでやれば、いつ「復帰」してもかまいません。他のことに「飽き」たなら、「行き詰まり」の「飽き」も少しは解消しているはずですからね。

 意欲が湧くとは違った意味で立ち向かう意志も存在します。

 やらなければならないのならやるしかないか、という責任感・義務感からくる「諦観」です。

 つまりあきらめるとしても、試練そのものをあきらめるのではなく、逃避をあきらめて面倒でも試練の壁へ立ち向かうために「復帰」します。

 責任感・義務感があれば、いつまでも逃避しているわけにはいきません。いつかは期日に間に合わせるため、あきらめて「復帰」します。

「復帰」できたら、逃避とそれを手助けしてくれた人たちに感謝するほど心がひと回り大きくなるものです。精神がたくましく成長したように見えます。

 しかし主人公だけが成長すれば作品としてオチがつくわけではありません。主人公を手助けしてくれた人たちも救われてこそ「復帰」の物語は完成します。

 つまり「復帰」したければ、逃避の協力者を手助けしてお礼をしてからです。

 協力者は踏み台ではありません。ひとりの人間です。協力してくれたのなら、感謝しお礼をして然るべき。

 あなたは協力してくれた人に感謝もお礼もしないのでしょうか。あなたがするなら主人公もするべきです。

 実は、試練の壁に立ち向かう意志は、逃避の協力者への感謝とお礼の気持ちから湧いてきます。ある程度負い目を感じているからこそ、本業で取り返そうとします。負い目が意欲へとつながり「恩返し」するために試練の壁に立ち向かうのです。





最後に

 今回は「物語81.行き詰まりと復帰」について述べました。

 最初は意気込んで始めても、いつかは単純で単調な繰り返しから「飽き」が来ます。

 当初の意欲は衰えて「行き詰まり」、目の前の試練から逃避するのです。

 しかし試練は必ずやり遂げなければなりません。だから必ず「復帰」する必要があります。

「復帰」するとき、意欲は再充填されているのです。協力者への感謝とお礼の気持ちが意欲を高めます。



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