1325.物語篇:物語69.不良と更生

 今回こそ予約投稿です。

 火曜の抜歯に恐れおののいていますが、今の炎症を考えれば抜いたほうが気兼ねせずに済むぶん気は楽かもしれません。

 今回は「不良と更生」についてです。

「不良」と断定するほどでもない、ただ怠惰なだけの主人公もここでは「不良」として扱います。

「不良」が出来事を通じて「更生」していく物語です。





物語69.不良と更生


 不真面目でやさぐれている「不良」が、さまざまな経験を通して成長し、「更生」していく物語があります。

 マンガでいうと井上雄彦氏『SLAM DUNK』の主人公・桜木花道と、上級生の三井寿。森田まさのり氏『ROOKIES』のニコガク野球部の面々。彼らは「不良」として登場し、あることがきっかけで真面目にバスケや野球と向き合い、次第に「更生」していきます。




不良になった原因は

 それまで普通のスポーツ選手だったのに、いつからか「不良」になってしまう。

 なぜかと言われて「これが理由です」と明確に答えられる「不良」はまずいません。そのときの状況がそうさせたのであって、なりたくてなったわけではないからです。

 一度「不良」のレッテルを貼られると、剥がすタイミングがなかなかありません。いつからか「不良」の振る舞いが基本になってしまうのです。

 恋愛に失敗して落ち込み、ヤケになって「不良」の真似事をしてしまいます。一度「不良」っぽいことをすると、周りがその人を「不良」だと認識するのです。本来ならスポーツ選手として成績で見返すべきなのに、つい簡単なやさぐれる方向へと踏み込んでしまいます。

「不良」に見られてしまうと、周りから距離を取られ始めるのです。

 スポーツマンガって不思議と「不良」になった元選手が出てきますよね。

 上記した『SLAM DUNK』『ROOKIES』だけではありません。

 ボクシングマンガなら高森朝雄(梶原一騎)氏&ちばてつや氏『あしたのジョー』では主人公の矢吹丈は「不良」から「更生」するためにボクシングを始めます。森川ジョージ氏『はじめの一歩』では主人公の幕之内一歩は「不良」に絡まれたところを新人王を獲った鷹村守に助けられて「強いってなんだろう」という疑問に答えを出すためにボクシングを始めるのです。

 なぜかはわかりませんが、スポーツマンガには必ず「不良」が出てきます。

 ありあまる力をスポーツにぶつけるか、安易に暴力をふるうのか。

 この対照的な「不良」の存在が選手を奮い立たせます。そして強い者に立ち向かう姿を見て「不良」は「更生」への道に踏み出そうと決意するのです。

 そもそも「不良」は元選手であることも多いですよね。『SLAM DUNK』の三井寿だって元選手ですし、『ROOKIES』のニコガク野球部の面々だって元選手ばかり。

 ではなぜ選手が「不良」となったのでしょうか。

 選手としての「夢」を潰されたからです。たとえば試合で選手のひとりが乱闘を起こして「暴力集団」のレッテルを貼られる。こうなると地方予選すら参加できなくなってしまいます。これまで真面目に練習をしてきた選手たちが、地方予選に出場できなくなるのです。これで選手たちの抱いていた「夢」を潰されてしまいました。

 そして「自分たちは不良に見られている」ことに気づいたら、「だったら実際に不良になってやる」と安易に流されてしまうのです。

 学生生徒の頃の思考なんてこれほど簡単に流されます。




不良が更生するには試合に出すしかない

 どんな「不良」でも、スポーツと出会い、試合に出場して「選手」となったら、ありあまる力をスポーツにぶつけられます。

 つまり「暴力」にまわすだけの力が残らないくらい試合で完全燃焼できるのです。

 そして試合に出場すれば、今まで「不良」としてしか見てもらえなかった者たちも「選手」として見直されます。

 そうです。「選手」の夢が潰えて「不良」になったのなら、試合を行なって「選手」として出場させれば彼らは「選手」に戻れます。

 問題は、そのことに気づける人物がそばにいるかどうかです。

『SLAM DUNK』ではバスケ部監督の安西先生が、「不良」と化した三井寿をバスケの道へと連れ戻します。『ROOKIES』では二子玉川学園高校に新任してきた川藤幸一が「不良」のたまり場となっていた野球部の顧問となり、元選手たちを無理やり試合に出場させました。

 一度「不良」となっても、そこは元選手です。試合になればスポーツへ真剣に打ち込みます。そうやって無理やりにでも試合をさせれば、再び「選手」としての誇りが芽生え、「不良」から脱せられるのです。

 そのことをよく知っている先達がいるから、「不良」は「選手」へと復帰できます。

 また矢吹丈のように、孤児院で育った根っからの「不良」でも、ボクシングジムの会長・丹下段平に才能を見込まれて「ボクサー」としての道を歩み始めるのです。その過程でライバルの力石徹と出会います。力石徹とボクシングの試合で戦うために、矢吹丈は「不良」をやめて「選手」としてボクシングに打ち込むのです。そうやって試合を重ねるごとに矢吹丈に「ボクサー」としての自覚が芽生え、暴力は鳴りを潜めました。ありあまる力をすべてボクシングにぶつけられた。だから「不良」が「更生」して「選手」となって活躍できたのです。

「不良」は根っからであっても、ありあまる力を発散できるスポーツに出会えば、それに打ち込んで「更生」できます。

 頭脳は平凡で冴えないけど、体力だけは人一倍。とくになにがしかの身体的特徴があれば、それを活かすスポーツへ進むべきです。

 今の日本は「偏差値社会」であり、頭脳がよくなければ給料のよい職にも就けません。

 しかし体力で成り上がれる「プロスポーツ」は、いくら頭脳がよくても務まらない。身体的特徴がなければ、たいした成績は残せません。

「不良」は基本的に「体力がありあまっている人」たちです。

 適切なスポーツを与えてあげればよい。誰に反抗することもなく技能を身につけて競技会で好成績を収めます。

 いくら「偏差値社会」でもオリンピックに出られるのは「スポーツ」に秀でた人だけです。そして金メダルに最も近いのは、体力のありあまっている「不良」なのかもしれません。




更生すれば成果は求めない

「不良」にスポーツを与えて「ありあまる力」を発散すれば、誰にも反抗しなくなります。反抗するだけの力が残っているのなら、そのぶん練習に励むからです。

 だから「不良」がスポーツに打ち込み始めたら「成果を求めない」でください。

「不良」は「誰かと成績を競う」のが嫌だからグレたのです。

 スポーツも誰かと試合して勝つか負けるかを争わなければなりません。勝てば次のステージへ。負けたら次こそ勝つために。どちらに転んでも練習に励みます。練習していれば体力を消耗して再びグレず「不良」には戻らないのです。

 だから「不良」にスポーツを与えたら「成果を求めない」ようにしましょう。

 そのスポーツに打ち込む姿を見て応援してあげるだけでよいのです。

 このあたりは「不良」が出てくるスポーツマンガを見ていればわかりますよね。

 小説でも同じです。

 主人公が「不良」だと書きづらい。書き手に「不良」の経験がなければ「不良」の心情がわからないからです。

 だからたいていの「不良と更生」の物語は、主人公が「不良」たちを「更生」させていく物語になっています。

 つまり『あしたのジョー』なら「不良」の矢吹丈が主人公でも、小説にするなら丹下段平を主人公にしないとうまく書けません。マンガならどんな心情かなんて書く必要はないので、表面上の「不良」描写ができていれば物語として成立します。しかし小説なら主人公の心に深く入り込まなければなりません。マンガのように表面だけをなぞるわけにはいかないのてす。それなら「不良」を「更生」させる側を主人公にするのが手っ取り早い。





最後に

 今回は「不良と更生」について述べました。

 小説で「不良と更生」の物語を書くのはとても難しい。

 ですが「不良」の心情の変化まできちんと書けたら、「不良」な主人公の成長譚として高い評価を受けます。

 お坊ちゃまタイプの主人公に飽きたら、「不良」な主人公で一本書いてみるのも面白いでしょう。

 あなたに「不良」を書く引き出しがあれば、本命の作品でも脇役に「不良」が出せますからね。



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